書:斉嘉 光政




2009年6月頃。
阪神・淡路大震災の発生以来、
私はこの地球と云う名の惑星が齎す生理的開放現象に、莫大なる壮大感を抱いて来た。
だが、その生理的開放現象も、激甚災害と化せば数多の犠牲を必要とする。
そして自身が秘めた莫大なる憧れに、複雑な心境を抱いて来た事も確かだった。
同時にその憧れは、阪神・淡路大震災時の
“不可解な”潜在的トラウマに端を発していた様にも想える。
そしてそのトラウマに対抗する為、“俄かに”地震の性質やその眞理を悟る事で、
その不可解なトラウマに対抗する部分も有ったのだろう。
そしてそんな複雑な心境を抱えた2009年初頭頃の事だった。
この頃、岩手県三陸沖の日本海溝付近が推定震源とされる、
小・中規模地震が頻発しする様に成っていた。
震源の深さは9km~30km程度だった。
それ以前の岩手県三陸沖が震源とされた小・中規模地震は、
三陸沿岸付近の深部発生が大勢を占めていた。
震源の深さは60km~80km程度だった。

明治三陸大津波
1896年明治三陸地震。

そしてその根拠なき異変に、私は漠然と1896年に巨大地震を齎した、
明治三陸地震(推定Mw8.3)の再来を予見したのだ。
明治三陸地震も三陸沖の日本海溝付近が推定震源とされる。
以下が当時に於ける、気象庁の主たる三陸沖日本海溝付近の地震記録だった。

  2008年10月8日午前10:34分  推定Mw4.7  震源の深さ約29km。
             午後13:18分  推定Mw4.6  震源の深さ約33km。  
  2008年12月4日午前08:16分  推定Mw6.2  震源の深さ約24km。 
             午後12:10分  推定Mw5.7  震源の深さ約17km。
  2009年2月20日午前04:00分  推定Mw5.0 震源の深さ約27km。
  2009年6月13日午後16:20分  推定Mw4.7 震源の深さ約09km。
  2009年6月18日午後15:47分  推定Mw5.7 震源の深さ約27km。
  2009年12月6日午前05:03分  推定Mw5.6 震源の深さ約23km。

実際は2008年秋頃から小・中規模地震が頻発していた。
微小地震も含めれば、2010年以降も日本海溝付近で地震が頻発していた様だ。
だが、微小地震を含めた2009年初頭の発生頻度は尋常では無かった。
又、私が明治三陸地震の再来を予見したのは、更なる根拠無き推測が有ったのだ。
明治三陸地震の約2ヶ月後には、現在の秋田県横手盆地に檄甚被害を齎した、
陸羽地震(推定Mw6.9)が直下型大地震を齎していたと有る。
そして2008年6月14日の事だった。
同じ横手盆地の東側山岳域を隔てた、岩手県内陸南部を震源とする、
岩手・宮城内陸地震(推定Mw6.8)が直下型大地震を齎したのだ。
だが、先の陸羽地震は明治三陸地震の誘発地震と推定されている。
誘発地震と前兆地震では発生原理も違って来るのだ。
前兆地震は主に震源断層が大地震を発生させる前に、
限界に達しつつ有る震源断層の近隣で、一部の歪が代換的に解放される現象とされる。
根拠に乏しいが、1611年12月2日に発生した慶長三陸地震(推定Mw8.3~9.1以上)の2ヶ月前、
1611年9月27日に発生した慶長会津地震(推定Mw6.7)がその一例だろう。
一方の誘発地震は主に巨大地震が起こり、
その地殻変動が広範囲に渡り、断層を刺激する事で発生するとされている。
一方で岩手・宮城内陸地震が発生した2008年夏頃には、
東北大学だと想うが、その地震・火山研究部の学生研究員達が、
来たる東北・関東太平洋沖の超巨大地震発生を予見していた。
曖昧な見解では有ったが、この予見に
私も或る程度の説得力を抱いた事を憶えている。
以前に読んだ地震の歴史を扱った本では、
平安時代869年の三陸沖が推定震源とされる貞観大地震が、
推定Mw8.6~8.8を誇る、超巨大地震で有った可能性が示唆されていた。
その貞観大地震の研究項目が、東北大学地震研究部の見解に、
漠然とした説得力を感じさせたのだ。
貞観大地震は現在の三陸沖から福島県沖までが連動した、
超巨大地震で有ったとも推定されている。
更に東北沖の超巨大地震は、貞観大地震以前の
紀元前500年頃(推定Mw9.0)、紀元前1500年以降、1200年以前にも
発生していた可能性が高いとされる。
2011年当時は、貞観大地震が発生して約1100年経った時期でも有った。
だが、私は三陸沖地震に対する漠然とした予見を、
何時の間にか忘れていた。
そしてそんな私の“事情”とは関係なく、刻はついに2011年に到達していた。
そして間もなく人類史上最悪に成り得る、歴史的地震災害が齎され様としていた、、
その布石は、既に3月9日に三陸沖日本海溝付近で発生した、
推定Mw7.3の大地震から始まっていた。
 
   2011年3月09日午前11:45分 推定Mw7.3 震源の深さ約09km 三陸沖
             午前11:57分 推定Mw6.3   震源の深さ約12km 三陸沖
             午前11:58分 推定Mw6.0   震源の深さ約21km 三陸沖
             午後13:36分 推定Mw6.1   震源の深さ約11km 三陸沖
   2011年3月10日午前03:16分 推定Mw6.5  震源の深さ約29km 三陸沖 
             午前03:44分 推定Mw6.4  震源の深さ約36km 三陸沖
             午前06:23分 推定Mw6.6  震源の深さ約09km 三陸沖
             午後17:08分 推定Mw6.0  震源の深さ約34km 三陸沖
   2011年3月11日午前01:54分 推定Mw5.5  震源の深さ約18km 三陸沖
             午前07:44分 推定Mw5.0   震源の深さ約31km 三陸沖    



弘前桜3

そして春美の木漏れ日の裡で、母は優しく揺り篭を揺らせた、、、
2011年3月11日午後2:46.18秒、東北・関東太平洋沖から連動型超巨大地震が齎された、、 
  推定Mw9.0~9.1 震源の深さ約24km。
  推定震源、北緯38度6分12秒、東経142度51分36秒、
  牡鹿半島東南東約130km付近、三陸沖。
その時、私は埼玉県本庄市の“自宅”で仮眠から起きたばかりで有り、
慣例的にデスク・パソコンを起こしていた。
そして“仕事癖”から、東証や日経の平均株高を
然り気無く見詰めていた、その瞬間だった、、
パソコンで契約していた高度利用者向け緊急地震速報が、私家内を気魂しく木霊していた。
緊急地震速報では宮城沖震源M7.2と表示されていた。
宮城沖でM7を超える規模の大地震なら、
大概は私家の有る埼玉県本庄市や、事務所の有る新宿には震度3程度の揺れが来る。
そして私は来たる揺れを吟味する為に構えていた。
それまでの宮城沖の大地震では、水平方向の緩やかなる揺れ方が殆どだった。
だが、この時の揺れ方は明らかに何時もと違っていた。
行き成り小刻みな激しい揺れが来たのだ。
通常は30秒程度で収まる揺れも、この時は軽く1分半は続いただろう。
家内の壁も、かつて無い程の轟音を轟かせていた。
だが、ガラス窓に映し出された外の景色は、
何処までも淡い春美の木漏れ日に包まれていた、、
あの日に似た春美の木漏れ日の裡で、
私はあの日の記憶と交錯させながら、その瞬間に黄昏がれていた。
家内に生ける愛犬も、母の優しい揺り篭に揺られているかの様に横這いで安眠していた。
そしてその頃に成ると、この大地震に人知など絶大凌駕する、
まるで宇宙の意思の様な、圧倒的な力を感じたのだ。
想像上の話でしか無いが、それは地球上の現象では無く、
宇宙で起こった何らかの普遍的な現象の様にも感じたのだ。
あの小刻みで激しい揺れが約2分も続いた事で、
そんな感覚が私を包んでいたのかも知れない。
そしてその後、僅かに上下の小刻みな揺れも加わって来ていた。
その瞬間、水平方向の揺れが更に激しく成って来たのだ。
第五の震源とされる、茨城沖の断層破壊(推定Mw8.2)から
放たれた揺れだったのだろう。
だが、激しい水平方向の揺れが20秒程度で収まると、
僅かな揺れを残しながら、揺れは緩やかに収まって行った。
本震が沈静すると、戸棚のCDが一枚倒れていた。
体感的には震度5弱程度の揺れだっただろう。
だが、この巨大地震の揺れが私に残したの物は、あの日への黄昏感と共に、
人知など及ばない普遍的なる力に触れたと云う、圧倒的な“感動”だった。
だが、その感動を抱いた瞬間、震源域に近い、
東北地方の人々へ如何なる惨劇が齎されるのか?
私はその惨劇を予見する推察心を曇らせていたのだろう。
同時に一瞬、新宿の“事務所”も気に成ったが、
関係各所との連絡に追われている事を察して自宅待機している。
高が震度5強程度の揺れで、あたふたする人達で無い事も解かり切っていた。
だが、私の事務所兼アパートの方はデスクパソコンのモニター、額縁は全て落ち、
窓ガラス二枚にもヒビが入っていた。
結局、翌日に新宿に戻ったが、ここで早速、詰めていた者に
新宿の揺れ方の詳細を訊き出している。
因みに実質、代行役の若い者は幼い時分、
1987年に発生した千葉県東方沖地震(Mw6.7)を体験している。
住んでいた地域も推定震度6とされる自治体だった。
彼から事務所兼“アパート内”の揺れも、
この時の揺れを遥かに超える凄さだったと報告を受けている。
築20年以上の古いマンションだが、構造的な問題から、
事務所内は震度6弱に達する揺れだったのかも知れない。
少なくとも地震当時、東京23区内で震度5強を観測した地域に建つ2階以上のビル、
アパート室内も震度6弱以上の揺れだったのだろう。
又、私が体感した埼玉県本庄市の地震波形を読み解くと、
揺れは約4分30秒にも渡る長さだった。
明白に体感出来る揺れの長さだけでも約2分40秒の長さだ。
一方で私は平成6年に発生した北海道東方沖地震(推定Mw8.2)を東京で体験している。
体感的な揺れの長さもこの時以来だった。
震度は予測通りの5弱だったが、計測震度は4.5だった。
この計測震度が4.4に下方すると震度4に成り、5.0に成ると震度5強と成る。
そして震度7を観測した宮城県栗原市築館では、計測震度6.6が観測されていた。
欧米の改正メルカリ震度階級では震度10~11に該当する。
少し話を逸らすが、平成16年新潟県中越地震(推定Mw6.7)の際に
観測された震度7は、改正メルカリ震度階級の最大値、
震度12に該当すると云われる。
速度波形は規定200cmを満たしていないが、
最大加速度1716gal、最大変位動81cmの
周期的一致から換算すると、震度12の条件を満たし得ると云う。
瞬間的に時速120㎞前後で、地面が東方向へ
約60cm動いた瞬間が有った事も“俄か”に読み取れる。
因みに震度12の被害表現は“絶望的な”、“あらゆる物が崩壊する”としている。
当地の耐震性から示唆された表現なのだろうが、
まるで“ハルマゲドン”の様な表現だ。
何れにせよ、私は東北・関東沖から放たれた巨大地震に、
宇宙規模の壮大さを抱いた事は確かだった。
だが、地球規模と言える巨大地震では有った。
この巨大地震で発生した空波は、大気圏上の電離層にまで到達したと推測される。
無感地震波は時速1万4000kmで少なくとも地球を5週し、
地軸を約12cm傾斜させたとも解析されている。





一方で気象庁は、この巨大地震本震の規模を速報値M7.9と報道した。
速報値とは地震規模の解析中に、一つの指針として公表される仮定数値だ。
主に各観測点の震度と、震源からの距離から計算された数値が反映される。
この時点での推定地殻破壊領域は宮城県沖と三陸南沖だった。
だが今に想えば、私はこの気象庁の速報結果には憤りを禁じ得ない。
その頃、長野市松代の気象庁精密地震観測室では、
常時通信下に有った米国観測機関の無感地震記録を練密に解析していた。
そして本震約10分後には、既にこの巨大地震の規模をMw9.0と解析していたのだ。
一説では気象庁報道部と、その解析結果の公表を巡って議論が交わされたと云う。
アメリカの気象庁で有るU.S.G.Sでは、速報値Mw8.8と速報していた。
そしてその約6時間後にMw9.0へ訂正される事に成る。
大津波襲来域が導出可能な推定地殻破壊領域は、
両者共に三陸沖から茨城県沖と既に解析されていたのだ。
気象庁の解析結果は多大なる権威を保持している。
傘下研究機関の解析数値など簡単に破棄する体質が有ると云うのだ。
気象庁の速報値をMw8.0と“俄解析”すれば、Mw9.0の15分の1程度の規模に過ぎない。
気象庁精密地震観測室が解析したMw9.0と云う推定規模と共に、
大津波襲来域が推測可能な、推定地殻破壊領域を臨機的に速報していれば、
仙台湾沿岸部や福島・茨城県沿岸部に於ける、
津波犠牲者の約6500人の半分は救えたかも知れないのだ。
私はその津波犠牲者を、御老体研究機関の権威犠牲者と見做している。
慣例と柵に塗れた地震研究機関の権威者は、
“慎重論”を傘にして研究員達の研究成果をも無視したのだ。
気象庁報道部が速報したM7.9と云う推定値は、
先述の通り、三陸南沖・宮城沖のみの推定地殻破壊領域をその根拠に定めていた。
何故、東北・関東地域の震度観測図から、
福島・茨城沖まで連動した可能性を推定出来なかったのか?
震度6弱以上の範囲が岩手県三陸沿岸から群馬・埼玉県南部、
千葉県北西部にまで広がっていたのだ。
M7.9なら宮城・岩手県の大部分で震度6弱~6強、福島県の一部で震度6弱~6強、
茨城県で震度5強が観測される程度だった筈だ。
だが、岩手県から茨城県の大部分で震度6弱以上が観測された事から、
私が俄かに推測しても、軽くMw8.5を超える規模に想えたのだ。
自然現象を扱う以上、人の科学は永遠に発展途上と云うのは解かるが、
Mw9.0は速報値M7.9の20倍前後の規模だと云われているのだ。

307373

私もその時は心の中でこんな呟きが有ったのを憶えている。
  (マグニチュード)7.9?違うだろう?
  茨城南部も6強、群馬南部は6弱だぞ、、
  揺れの長さから(マグニチュード)8.5は有った筈だ。
  後から修正されるのか?
  ん?さっそく(余震が)来たな、、また長いぞ、、マグニチュード8くらいか?
NHKの字幕報道では、15時15分に茨城沖で発生した速報値M7.4の最大余震だった。
だが、実際はMw7.7~7.9と推定されている。
そして茨城沖で大規模な余震が発生した事で、私の俄推測は確信へと変わっていた。
だがその刻、東北地方に生ける人々は残虐なる生死選別世界を彷徨っていた、、
私は唯、地震研究機関へ懐疑心を募らせるだけだった。
だが私情を捨て去り、事実を直視する姿勢も必要と成るだろう。
私にその資格が有るとは想えないが、それでも激甚災害の“傍観者”と成り、
その惨劇を後生に伝えるのが私に出来る事だと想っていた。
だが、生死選別世界を彷徨った人々は、
その惨劇観を否応なく直視せざる負えなかったのだ。
そして後に私もこの巨大地震の惨劇実態を部分的に直視する事に成った。
だが、それも本当に部分的な惨劇実態でしか無かったのだろう。

津波
宮城県名取市沿岸に襲来した大津波。

そしてその頃に成ると、気象庁からこの巨大地震に名称が与えられた。
私は震度分布図から東北・関東沖地震と云う名称を予想していた。
だが、実際は“平成23年東北地方太平洋沖地震”と命名された。
同時に気象庁は速報値M7.9を暫定値M8.4に上方修正する。
この暫定値M8.4も、速報値と同様の計算方式で導出された仮定数値だ。
だが、当時の気象庁マグニチュードはM8.4が最上限だったのだ。
国内ではそれ以上の規模の巨大地震は想定せず、
例えM9.0と云う解析結果が出ても、
M8.4と報道せざる負えない公表体制だった。
因みに私の知人には、某名門大学で地震・火山学を学んだ若手地震研究家が居る。
関東平野を斜め45度に分断する巨大活断層を扱った週刊誌記事が元で、
数年前に同じ一門の先輩と“動産下落”で揉めていた。

02417000019 断層帯海底部
中央の長大な線が約1万5000年前~2万5000年前、
4万年前~6万5000年前に、約280kmに及ぶ断層帯全域が
活動(Mw8.2以上)したと推定される巨大活断層。
下の線は相模トラフ、上の線は平安時代818年に、
弘仁大地震(Mw7.5~8.0)を起こした、
未知の断層の可能性が高いと云う。
関東諸国全域に甚大な被害を齎したと有る。

そんな経緯も有り、私は東北地方太平洋沖地震と云う名称に、
有る猜疑心を募らせたのだ。
1983年日本海中部地震(推定Mw7.8)が発生した際の出来事だった。
この大地震発生を前にして、気象庁と秋田・青森観光業界が、
“地震名称大論争”を勃発させたのだ。
当初、気象庁は推定震源から、“秋田県沖地震”と命名する筈だったと云う。
青森観光業界は、その地震名称に対して反対意見を提言する事は無かったと云う。
だが、秋田観光業界は青森県内でも大被害が出ていた事を詭弁として、
“青森県西方沖地震”と命名する様に気象庁を説得したのだと云う。
当然、その地震名称に対して青森観光業界は激しく反発したと云う。
そして発表時間に追われていた気象庁は、秋田・青森両観光業界に“配慮”する形で、
この地震名称を“昭和58年日本海中部地震”と歪曲したとのだと聴いている。
定義上の日本海中部とは京都府丹後半島北約400km、
ロシア・ナホトカ南約400km地点だ。
秋田県沿岸部の約450km西方と成る。
まさに日本海の真中だ。
日本海中部地震が発生した日は1983年5月26日だった。
秋田・青森両観光業界が地震名称大論争を勃発させたのも、
来たる夏季観光特需の風評被害を懸念した結果なのだろう。
東北地方太平洋沖地震と云う名称も、関東地方に訪れるゴールデンウィークや、
夏季観光特需への風評被害を懸念した結果だろう。
それが当時の日本経済団体連合会の搾取下に有る、
関東観光業界の懸念で有った事は明らかだ。
何れにせよ、地震規模の解析が困難な超巨大地震発生時の対応策など、
気象庁には存在しなかったのだろう。
1884年の気象庁発足以来、観測史上初の超巨大地震と成るのだ。





そして各報道局に様々な被害映像や情報が入って来ていた。
東京九段会館の天井が崩壊して、多数の負傷者が出ていると云う情報、
京浜東北線の西川口駅が一部崩壊したと云う情報、
仙台市沿岸部を流れる名取川河口付近から、
民家や田畑を飲み込みながら逆流する大津波の映像、
岩手県陸前高田市の市街地全域が大津波に因り、壊滅したと云う未確認情報、
福島県相馬港で7m30cm“以上”の大津波観測と云う不可解な情報、
東北地方太平洋沖では大地震が起こる度に津波が沿岸に到達するが、
陸前高田市の市街地全域が壊滅したと云う
未確認情報には、流石に戦慄が走った程だ。
この時の被害情報は何もかもが違っていた。
そして私はこの時、この巨大地震が歴史的大震災に成る事を予見した。
同時に死者は5000人に達するとも予見したのを憶えている。
だがこの時、私は心の何処かで歓喜さえ抱いていた。
歴史的大震災の立会人に成れると云う傍観的な想いが、
私にそんな歪んだ歓喜を抱かせたのだろう。
だがその歓喜など、後述する“外秘”の記録写真や
大津波体験者の凄惨な証言記録に依って、俊時に滅殺される事に成るのだ。
私は何も知らなかった、、

気仙沼市






春美の木漏れ日が斜陽の夕刻世界に変わった頃、
ついに私の俄推定論を裏付ける報道が成された。
気象庁が東北地方太平洋沖地震の規模を再解析した結果、
M8.4と云う暫定規模を、M8.8に訂正すると云う報道だった。
この特別報道で訂正されたマグニチュード8.8は、
モーメント・マグニチュードと云う算出数値だ。
冒頭から度々用いて来た“Mw8.8”と表記される。
そしてこの時点で、東北地方太平洋沖地震が、
国内観測史上最大の超巨大地震と成った。
だが、この特別報道で公表された巨大地震の規模数値は、
モーメント・マグニチュード算出なのか?
気象庁マグニチュード算出なのか?
それが明白に選別された形で公表された訳では無い。
因みにモーメント・マグニチュードとは、国内外の高感度地震計等から算出される、
推定地殻破壊規模の算出数値だ。
この計算方式の方が、巨大地震の規模を依り正確に把握する事が可能と云われる。
特に重要なのは、推定地殻破壊領域の早期算出が可能な点だ。
推定地殻破壊領域から大津波襲来域も導出可能なのは語るまでも無い。
私は大津波が発生する、Mw7.4以上の大地震の場合は、
その規模を即時的にモーメント・マグニチュードで公表すべきと想えて成らない。
モーメント・マグニチュード算出には10分程度の時間を要すると云われるが、
それなら速報でM7.9“以上”、「現在、国内外の精密地震観測機関にて詳しく解析中」、
間に合うなら「アメリカ地質調査所ではマグニチュード8.8と発表」と、
併せて報道するのが理想的だ。
少なくともこの超巨大地震ではそれが可能だったのだ。
気象庁マグニチュードの計算方式では、
M8.2前後で推定地殻破壊規模が不明瞭算出される性質が有ると云う。
M8.2で有ろうとM8.5で有ろうと推定地殻破壊規模が、
殆ど同規模で算出される特性が有ると云うのだ。
一概には言えないが、M8.5はM8.2の2倍の地殻破壊規模を誇るだろう。
M7.9を認識した沿岸地域に住む人々の多くは、普段の大地震より、
やや高い津波が押し寄せる程度の被害しか想像出来なかったと云う。
避難せずに、自宅に留まった人も多かったと証言している。
だが、Mw9.0、速報値M7.9の15倍以上の巨大地震発生と、
巨大津波襲来の可能性を知れば、殆どの人が避難していただろう。
しかし速報値M7.9が、その4倍前後に当たる、
M8.4に上方修正された頃には、
既に多くの東北沿岸の街々が壊滅していた、、





東北地方太平洋沖地震の規模が、Mw8.8に上方修正された約1時間後の事だったろう。
報道特別番組から、不思議と意識していなかった衝撃的な情報が報道された。
そして激大なる戦慄感を携えて、私もその衝撃的な情報を聢と受け止めたのだ。
YOUTUBEに投稿された報道記録では、この様に報道されていた。
  政府によりますと、福島県内の原子力発電所で
  放射能漏れ事故を起こした可能生が有り、
  政府は先ほど、原子力緊急事態宣言を発表しました、、、
私が見たのは別の報道だったが、朗読された伝聞情報に触れた瞬間、
私は一瞬、日本の終焉を予見した、、
私が最有力説と“自認”した、某フランス原子力研究機関の推定に依れば、
この大事故の規模は2014年2月某日時点で、
チェルノブイリ原子力発電所事故の9倍~13倍の規模にまで拡大しているとされる。
微量の放射性物質を含めた拡散範囲は、
チェルノブイリ原子力発電所事故で、北半球一帯に留まったとされるが、
福島第一原子力発電所事故の放射性物質は全世界で観測されたのだ。
日本列島への推定飛散量は、某フランス原子力研究機関が
漏洩当時の風向き、天候から理論上、チェルノブイリ原発事故の2.7倍~3.5倍の量、
某アメリカ原子力技術研究機関は2倍前後が飛散したと推定している。
他は大部分が太平洋上に飛散したとされる。
漏洩事故の詳細だが、此処では放出された放射性物質の推定放出量をbq/㎡数記で換算表記する。
実際は京単位に相当する乗数値で表記された推定値だった。
先ず、3月16日時点での放射性物質の放出量は、約1600万Bq/㎡だったと推測されている。
主成分は主にヨウ素133、131と有る。
ヨウ素類は結果的に蓄積性の高い発癌性物質に変異するのだ。
そして2012年2月22日には約1400万bq/㎡、
23日には約1900万bqの放射性物質が大量放出されたと解析されている。
2月22、23日両日に大量放出された、放射性物質の主成分はセシウム137、134と有る。
セシウム類は呼吸・肺器官等への強い毒性作用が有る。
急性心不全や心筋梗塞を誘発させる性質が有るのだ。
放射性物質の漏洩は今も続き、度重なる冷却水漏れも続発している。
2012年4月某日の4号炉、使用済み核燃料貯蔵棒のメルトダウン危機も有った。
そして2014年2月某日時点で、推定合計約1億2000万~1億7000万bq/㎡の放射性物質が、
大気に大放出されたと推定されている。
チェルノブイリ原子力発電所事故が28年掛けて、
大量放出した放射性物質は、僅か約1300万bq/㎡だったと云う。
放射性物質の大気放出は現在も続いている。
更に原子力安全委員会の報告では、
京単位の超高濃度放射性汚染水を海に大量放出したとされる。
放出した理由は原子力安全委員会の庇護下関連企業が陥るで有ろう、
株価急落への配慮なのだ。
立場上、証券業界の事情なら色々と“ネタ”が入って来るのだ。
内の看板には派遣業を廻り、東京電力と根深い関係を築いて来た一門も有る。
海に大放出された放射性汚染水も、既に太平洋全域に拡散したと推測される。
そして今年、2014年後半にはアメリカ西海岸全域に到達するとされる。
その汚染水の超高濃度成分も、2015年後半には
アメリカ西海岸全域に到達すると推測されている。
東北地方太平洋沖地震は、20年後には人類史上最悪の地震災害に成る可能性が極めて高い。
因みにチェルノブイリ原子力電所事故の被爆死者は約130万人と推定される。
だが、某アメリカ原子力“機関”の推定論では、2050年までに日本近畿以東の太平洋側、
ロシア太平洋沿岸、南洋諸国やアメリカ西海岸を中心とした被爆死者が、
3000万人に達する可能性を指摘している。
だが、東北地方太平洋沖地震の発生直後に、意外な人物がその可能性を示唆した。
 これでは日本は終わりじゃないか!!
当事の民主党総理大臣、菅 直人が東京電力に吐捨てた名台詞だ。
これは事実上の杜撰な情報漏洩だろう。
菅 直人は図らずして、福島第一原子力電所事故の最大の情報公表者と成ったのだ。
一方で日本国内の推定では、近畿地方太平洋側が
放射性物質の中濃度汚染地域とされる。
高濃度汚染地域は、福島県北部から茨城県東部、千葉県北西部、
東京都東部、神奈川県東部を経て三重県南部に到る帯状の範囲、
更には福島県中通から栃木県北部、群馬県北部山間部、長野県中部に到る、
二つから成る帯状の汚染範囲が存在するとされる。
だが、米国を中心に研究が進む、放射性物質中和剤も急速に進化を遂げているのだ。
日本に終焉が訪れる事は無いだろう。





2011年3月12日、春の季節。
甚大なる被害情報が報道された春夜が、翌未明に達した時だった。
突如、東北・関東太平洋沖では無い、長野県北東部より直下型大地震が齎された。
私家にも僅かな揺れが駆け抜けて行った。
そして断続的且つ連続的な緊急地震速報に因り、
ついに早期地震感知網が暴走を開始したのだ。
  震源、仙台市直下 推定M6.9~M7.6 深さ10km
私は来たる揺れを吟味する為に構えた。
だが、何時まで経っても揺れが来る事は無かった。
実際は福島沖の中規模地震に対して発令された誤報だった様だ。
一方で日本政府の懸念通り、東京都内は帰宅困難者で溢れ返る事態と成っていた。
そしてこの事態に対して、住吉会や五代目稲川会など、
多くの“業界”組織も、帰宅困難者の為に傘下事務所を宿泊提供している。
都心から比較的近い、内の一門も雑居ビル内の本部事務所を宿泊提供したと云う。
だが、二室に分けたテナント内の手狭な本部事務所だ。
帰宅困難者が宿泊する事は無かったと聴いている。
当然、帰宅困難者が来ても無碍に扱われる事は無いだろう。
一門の本部事務所と云うのは有る意味で聖域なのだ。
一方で会の事務所の被害は、代紋額縁の留め金が外れた程度の軽微な物だったが、
私の事務所の方は窓ガラスにヒビが入り、
デスク・パソコンのモニターや額縁は全て落ちたと云う。
同時に兵庫県神戸市に総本部を構える六代目山口組執行部も、
憂国救援隊を編成して東北地方に出動させていた。
山口組は五代目体制時に発生した、
阪神・淡路大震災でも多大なる援助活動を展開している。





だが、そんな闇夜でも必ず夜明けは来るのだ。
翌朝に成ると、民報では三陸沿岸地域で1万人以上が安否不明で有ると報道していた。
同時に山間部に開けた灰泥の平野が映し出されていた。
後にYOUTUBEで同じ空撮動画を見たが、
その灰泥に包まれた小さな平野は、宮城県南三陸町の中心市街地だった。
だが、病院の建物が存在するだけで、残りは殆ど灰泥に覆われていたのだ。
そして報道解説者は、病院の三階天井付近まで大津波が到達した可能性を示唆した。
又、南三陸町に詳しい現地報道官は、
中心市街地全域が、大津波に因って壊滅したと解説していた。
灰泥が鎮霊の囁きの様に潺いでいた、、
そして時が経つに連れて、安否不明者は万単位で増加して行った。
その人数も一時は6万5000人に達したと云う。

2南三陸町
南三陸町中心市街地。

だが、実際は通信網が寸断した事に因り、安否確認が困難な状況に陥っていただけだった。
だがその時、仙台平野沿岸部や福島県沿岸部で数百人の溺死体が打ち上げられていたのだ。
岩手県陸前高田市の市街地全域が、大津波で壊滅したと云う未確認情報も確認された。
他にも宮城県女川町や岩手県大槌町、山田町などの中心市街地も壊滅状態に至っていた。
福島第一原子力発電所も深刻な制御不全に陥っていた。
そして東北地方太平洋沖地震が、人類史上最悪の地震災害と成り得る、
決定的大事故の発生も刻迫していた、、
東北地方は日本随一の広域厳寒地域だ。
そして冬の厳寒を乗り越え、何処までも暖かな春美の季節に至った筈なのだ。
だが、春美の黄昏の裡で、東北地方より数多の人々が還って行った、、
自然界の定めと云うのは解かるが、余りにも理不尽に想えて成らない。
私の生ける世界では、無益な殺傷が後を絶たないが、
それは自業自得と言わざる負えない部分も多々有る。
だが、不条理極まりない法に従い、
何ら穢れの無い生き方をして来た数多の人々が何故、
不本意に還って行かなければ成らなかったのか?
私には其処に、居た堪れない理不尽さを感じて止まない。
春季にも特別な想いが有る。
だが、人にこの地球と云う名の惑星を責める資格は無い。
人も地球が誕生したからこそ存在出来る生物だ。
世界各国で発生した地震災害でも同様の事が言えるのだろう。
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