書:斉嘉 光政

断:この文章はフィクションです。
  実在の組織、出来事とは一切関係有りません。





第17章 疑念

1998年4月5日
国内三番目の規模を誇る、三代目俠仁会は、
直系一門82社を抱え、傘下約1万1000人を預かる。
進出範囲は首都圏を中心に東日本一帯、一部は中部、近畿地方にまで出張り、
本部は東京都中野区の大和町第二ビル5階から7階に構える。
同時に京都市伏見区に本部を構え、傘下約2万9000人を預かる日本最大の代紋、
七代目笹川組主流派との対立を孕む。
若頭、兼崎 増代の強引な盃下ろしに依り、関東地方に本部を構える非指定の代紋、
的屋組織を廻って三代目俠仁会と奪い合いに成った事が、対立の発端で有った。
だが、三代目俠仁会には、七代目笹川組と共存する為の暗黙の指針も存在した。
その経緯から、七代目笹川組の派閥対立で辛酸を舐める反主流派傘下と、
俠仁会直系一門の多くが戦略的な縁組を結ぶに到っていた。
国内二番目の規模を誇る、五代目嶺北会(れいほく)は、
傘下約1万2000人を預かり、千葉県船橋市に総本部を構える。
五代目嶺北会々長、太田 政志は七代目笹川組々長、浪内 斎三の
四分六の舎弟義分に有り、同時に五代目嶺北会々長代行、瀬戸 郷士は、
三代目俠仁会々長、石田 六朗の七分三分の舎弟義分に有った。
そんな背景も有り、1959年に東日本一帯の的屋一門と、
老舗博徒一門が大同団結して結成された歴代嶺北会は、
経済力、戦闘力で勝る歴代俠仁会と、歴代笹川組との間で板挟みと成り、
常に歪んだ立位置に翻弄されて来た歴史を持つ。
そしてこの日、東京都中野区の三代目俠仁会本部では、
月初めの5日に催される定例執行部会が開かれていた。
定例執行部会は三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅が提唱する、
「小を大に結し、来たる厄に不動如山の如し」と云う、
直系一門の組織再編に関する議題で有った為、
執行部の要たる執行部本役のみが召集された。
三代目俠仁会の執行部本役は理事長以下、
筆頭理事長補佐、組織対策委員長、渉外委員長の順で序列付けられる。
だが、御多分に漏れず、三代目俠仁会の本役職も
事務局長、渉外委員長、慶弔委員長以外は、その役割に然程の違いは無い。

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この日、三代目俠仁会本部で催された定例執行部会合も、
その解せぬ諸般の事情も相俟り、険悪な空気に包まれていた。
そしてそんな空気に嫌悪を抱きつつ、霞掛かった網ガラスを背に
深々とソファーにもたれる渉外委員長、田川 昌生(しょうせい)が、
苛立ちを滲ませつつも冷静な口調で理事長、梅地 芳雅の腹を探っていた。
    物事には、時として急がば回れと云う例えも有ります。
  親分が引退を表明されて間もない時分、
  何故、(合わせる様に)下の再編を急ぐのか?
  私には解かり兼ねるのです。
  理事長。
理事長で有る、白川一家十二代目、梅地 芳雅は、
冷静沈着な口振りで、田川の腹探りに答えた。
  一家一門が乱立する現状は、会の結束に憂いを残し、
  それが笹川に付け入る隙を与えると云う懸念は、
  親分も常々、口にして来られた事です。
  非指定の代紋の多くが、笹川と親戚に成ったのも、
  我々が無理(高額の守り代)を通し過ぎたからです。
  田川渉外長、、解かりますね?
  私としては組織安泰の功を以って、
  親分引退の花道を飾りたく思っての事です。
  嶺北、御代田の代替わりも有り、
  この時分こそ、最良の時分と想い、判断した結果なのですがね、、
田川は梅地の答えを受け流すと、続け様に梅地を問い質した。
  、、その点は私にも反省する所は有りますが、
  この件で名村対策長、甲村諮問長から、
  何ら意見が無いのは何故でしょうか。
  理事長、巷ではあなたの言う再編とは、
  あなた自身が跡目を狙い、数集めの為に、
  子飼いで足元固める云う話も聴こえとりますが。
  これに付いてはどう思われますか?
組織対策委員長の江角一家十三代目、名村 満が、
語気を強めつつ田川の意見を割った。
    田川渉外長、あんた理事長に向かって、そりゃマズいでっしゃろ?
  今は一本独鈷どころか、内(俠仁)の2、30人の所帯も(笹川に)どんどん食われとる。
  (身を)交わすには、小さい所を200、300の大所帯に纏めな行かん。
  笹川言えば、ワシが大阪で稼業の門叩いた頃から、
  小さい所に難クセ付けては、貪り食っとりましたよ。
  そんでワシの親もハメられて30余年、ワシもここに座っとるんです。
  田川渉外長、理事長の腹とは関係無しに、
    ワシも理事長の提案には賛成せざる負えんのです。
田川は僅かな私恚を抑え、冷静な口調で続けた。
  対策長の言いたい事は解かる。
  ですが、笹川に食われとる所に、
  白川と串ノ屋(、江角)の根っ子(末端)が目立っとりますが、
  これは納め取り過ぎるんが理由と違いますか?梅地理事長。
  串ノ屋(一門、江角一門本部)への月納め半分が、梅地理事長、
  あなたに納められていると云う話も聴こえとります。
  義理で月200、300(万)が飛んで行く時節、
  やはり上(部)に月2、30万、中野(俠仁会本部)に20万、
    そこに(月)60万も乗っけられたら根っ子は火の車でしょう?
  笹川なら上(部)に月10万だけなんて所もザラですからね。
  内も(淀橋一門本部に)月20で十分にやってけますよ。
  まあ、理事長も色々と、金が要る立場で有る事は分かっとりますが、
  跡目取る云うなら、ワシはそれでも構わんのです。
  理事長も俠仁が旗揚げした時分から、俠仁の為に働いて来とったんですから。
  問題は理事長、こんな形で無理に下を纏めても、
  後々に禍根を残すのは、ここにおる誰もが解かっとる事と違いますか?
  結果として、椅子(総長職を)蹴られる者もおれば、
  消える家名も有るんですから。
  私ら、下も下なりに向いとる所も違っとるんですよ?
梅地は僅かな間を置くと、何処か田川を嘲笑う様な面持ちで口開いた。
  田川渉外長の心中は察しておりますよ。
  皆にも想う所、多々有る事は分かりますが、
  ここは高所から現状を鑑み、この問題を乗り切って見せる事で、
  俠仁の結束を業界に示す、好機と考えての事なのです。
組織対策委員長の名村 満が、梅地の意見に相槌を入れた。
  田川渉外長、そう云う事で良いんと違いますか?
  急がば回れ、言ったのは、田川渉外長、あんたでしょう?
三代目俠仁会執行部では最年長の筆頭理事長補佐、
浦和新崎一家六代目、堀口 公信も、
静かな物腰で田川に釘を刺しつつ宥めた。
 田川、結論を急いだら纏まる物も纏まらんぞ。
 、、(跡目なら、)お前か理事長で執行部も動いている。
 お前も承知の事だろう?
 武守を動かした事も、私は評価はしている。
 無駄な言い合いは止め、もう少し皆を信じろ。
この後も20分程度、意見が交わされたが、
結局、梅地らと田川の意見は平行線を辿るだけだった。
三代目俠仁会最大傘下一門、淀橋一家八代目率いる田川 昌生が、
頑なに組織再編に異論を唱えるのも大きな理由が有った。
この頃、理事長の梅地 芳雅は、都内を中心に仕事を打つ、
30人、50人規模の傘下一門総長らと絶えず密会を重ねていた。
そして梅地の顧問弁護士、成谷 悦治が実質管理する
不動産投資顧問会社、市光グローバル・ファンドの役職や、
投資金の貸付けなどで、それらの傘下一門総長を次々と懐柔していたのだ。
組織再編でそれらの傘下一門を吸収すれば、
白川一家十二代目は傘下約1300人を抱えるに到り、
同様に傘下約1300人を抱える淀橋一家八代目と双璧を成す、
俠仁会最大傘下一門の座を得する絵図だった。
その絵図を淀橋一家八代目、田川 昌生も
傘下からの報告で既知していたのだ。
因みに淀橋一門の主立った仕事は、
淀橋一家八代目染井組が締める覚醒剤密輸取引に始まり、
組織化された大規模高利業や芸能娯楽会社の守りなどだった。
一部は政財界や警察官僚を後盾とし、
アメリカや南洋諸国などに進出する日系企業の守りや、
証券業界でも仕事を打ち、一定の成果は上げていた。
片や世田谷区駒沢に本部を構える白川一家十二代目も、
政財界や警察官僚の威光を武器として、
証券業界に始まり、アメリカの日系企業に対する総会屋飛ばしや、
国内外のインフラ開発、投機ビジネスなどで、
不動産業界にも隠然たる力を誇った。
その一方で仕事に喘ぐ末端は、
覚醒剤卸や先物勧誘などの詐欺行為を強いられ、
その格差は歴然としていた。
淀橋一家八代目、田川 昌生は、そんな体質を孕む、
白川一家十二代目が拡大路線を取り始めた事を見越し、
やがて三代目俠仁会全体に白川一家の体質が蔓延する事を懸念したのだ。
既に白川一家十二代目や串ノ屋一家九代目、
そして江角一家十三代目では一門本部への月5、60万の納めに嫌気が差し、
七代目笹川組に移籍する末端が相次いでいた。
当然、それらの末端が知る三代目俠仁会の内部情報も、
七代目笹川組に漏れる事に成る。
それだけに三代目俠仁会の結束を憂う、
田川 昌生の懸念は図り知れない物が有った。
同時に白川一家十二代目を筆頭とする梅地派の勃興が、
理事長、梅地 芳雅に対する発言力に影響を及ぼし兼ねない懸念も、
田川 昌生の心を大きく揺さ振っていた。
代紋の執行部に於ける総長の発言力は、
傘下の求心力、仕事にまで影響を及ぼす物だ。
それが元凶と成り、一門内で内部対立が起こる事も珍しく無い。
だが、田川 昌生は、そんな懸念を一瞬で払拭し得る力を、
淀橋一家八代目に忍ばせていた。




第16章 禍根

三代目俠仁会が孕む派閥対立を他所に、
現場の侠達は、今日も己の性根を我針とし、
三代目俠仁会の為、己が野心の為に体を張っていた。
そんな最中、淀橋一家八代目,守田睦二代目会長、金森 龍嘉を筆頭とする淀橋勢と、
五代目嶺北会屈指の武闘派一門、弥次郎十六代目(やじろう),倉吉会々長、
倉吉 保を筆頭とする弥次郎勢が、
最早、抗争をも辞さない程までに対立していた。
事の発端は弥次郎十六代目倉吉会、倉吉 保が飼う仕手屋、
泉 近道が実質経営する業界向け投資信託会社、双研ファンドを廻る物だった。
其処に淀橋一家八代目組織対策委員長、武守 一力が立てた算段を元に、
守田睦二代目を中心とする淀橋一家八代目傘下が
弥次郎勢に連なる投資家に脅しも辞さない、投資買収を仕掛けたのだ。
淀橋一家八代目、田川 昌生の意を読んだ組織対策委員長、武守 一力には、
関東に七代目笹川組若頭、兼崎 増代を筆頭とする、
笹川組主流派との対抗軸を作る算段が有った。
この頃、既に武守は、同様に笹川組主流派に異を唱える、
日本最大の的屋組織、五代目藤川会岡辺連合会長、
岡辺 貫太郎を筆頭とする藤川会岡辺派や、
東京都町田市に本部を構える2000人規模の代紋、八代目御代田会々長代行、
富成 喬任を筆頭とする御代田会富成派からも賛同を取り付けていた。
だが、国内二番目の規模を誇る五代目嶺北会には、
未だ賛同する勢力を得られず、
その為に弥次郎十六代目に強い経済力を示しつつ、
時期を見て話し合いの場を持ち、弥次郎十六代目を懐柔する算段が武守には有った。
弥次郎十六代目、三崎 誠造は、七代目笹川組主流派に連なった
若頭補佐、緒方 勝二とは古くからの五分兄弟義分に有る。
その一方で緒方 勝二率いる行徳屋宗家八代目には、
1995年の笹川組加名以前まで、博徒稼業からの守りを通じ、
弥次郎十六代目には多大なる借りが有った。
武守 一力に取り、そんな経緯を孕む弥次郎十六代目は又と無い勢力だったのだ。
だが、淀橋一家八代目の動向を睨む三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅は、
淀橋一家八代目の独断を許さなかった。
梅地は武守 一力の算段で、関東のヤクザ業界が反笹川組主流派で纏まり、
結果、淀橋一家八代目が代紋の垣根を越えた力を得る可能性を危惧したのだ。
その一方で引退を表明した三代目俠仁会々長、石田 六郎がその行賞を鑑み、
俠仁会四代目を淀橋一家八代目、田川 昌生に預ける憂いも梅地を焦燥させた。
そして梅地はその答えとして、串ノ屋一家九代目、浦和新崎一家六代目を動かしつつ、
双研ファンドの顧客へ、別企業の優良銘柄を餌に投資買収を仕掛けたのだ。
結果的にこの三代目俠仁会の内部対立が元で、弥次郎十六代目は疎か、
双研ファンドの資金管理を熟す五代目嶺北会鉾田初代までもが、
淀橋一家八代目、延いては三代目俠仁会に敵愾心を募らせる結果を招いた。
鉾田初代総長代行、鉾田 常州男(としお)は、
弥次郎十六代目、三崎 誠造の四分六の舎弟でも有る。
そして5月20日、ついにこの対立は表面化した。
この夜、赤坂の韓国クラブにて淀橋一家八代目,守田睦二代目幹事、
芳原 祐樹、村西 修の二人が、コリアン・ホステス達を前に
酔いに任せ、仕事の失敗談を交わしていた。

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だが、二席後には弥次郎十六代目の親戚に当たる、
五代目嶺北会,鉾田初代幹事長補佐、永田 光冶率いる、
永田組の若い者も遊びに来ていた。
そして小声で交わす仕事の失敗談が、順大手ゼネコンが秘めた、
粉飾決算の外秘書類に及んだ時だった。
  俺もあの頃は出入り(関係者)とは言っても、
  (大学の)法学出てるから、ITやってるダチからネタ来てな、
  さっそく本社に乗り込んでやった訳だ。
  したら総務の馬鹿垂れ、サツの尻尾(天下り)でな、
  危うく大焼けどするとこだったんだな。
  5000(万)は抜ける思ってたが結局、
  1万円の小遣い貰って毎度あり!って。
  ありゃ思い出すだけで泣けるで、、
だが、丁度その時、テーブル横を通り掛かった、
永田組の若い者、西岡 元司が通縋り際に吐き捨てて行った。
   淀橋などシャブでも食っとれや。
その瞬間、淀橋一家八代目,守田睦二代目幹事、村西 修が
暗闇を認ためた無表情な顔相に一変し、無言で席を立った。
そして即座に懐に忍ばせた長ドスで、
西岡 元司の腹部を突きしていた。
長ドスは西岡 元司の腹部を、十字を描くかの様に深く捻り回した。
それを目の当たりにしたコリアン・ホステス達は悲鳴を上げ、
ヤクザを知る常連客は、即座に店外へと逃げ出した。
そしてその混乱に紛れる形で組長、永田の意を読んだ、
永田組若頭補佐、佐伯 一馬も、人目を忍びながら店外へと抜け出していた。
だが、若い者の親で有る、鉾田初代永田組々長、
永田 光冶は、村西に飛び掛ろうとする若い者を一喝する。
   そんな奴はほっとけ!
  救急車じゃ、はよ、救急車呼べや!
続け様に永田は、僅かに店内に残る同業を前に、
村西へ諭す様に話し掛けた。
  嶺北、鉾田の永田だ。
  淀橋のモンだな?
  この通り、被害買ったのはこっちだ。
  ケリは話で付けるから、お前らもサツ来る前に消えろ!
そして村西と芳原は、永田の諭しを受け流すかの様に、
無言で店内から足早に去って行った。
同時に永田の実弟、永田組本部長、時田 保は、
席に残る同業のスーツ、ダブル部分に目を尖らせながら、
僅かに頭を下げつつ、侘びを入れて回っていた。
時田は、相手のダブル部分に光る代紋を見逃さなかった。
その内、二派は全員代紋をダブル裏に返していたが、
一派は七代目笹川組の代紋を付け、
残りの二派は同じ五代目嶺北会の代紋を光らせていた。
同時に頭を下げ、侘びを入れる瞬間に、
相手の目のやり場も見逃さなかった。
一方でされた西岡 元司は、幼馴染みの若い者に
付き添われる形で救急搬送されたが、
出血性ショックに依り、約一時間後に死亡した。
永田らも、店内に飛び込んで来た、
組対刑事の任意同行に応じ、店を後にしていた。
そしてこの襲撃は、5分後には店外へ抜け出した、
永田組若頭補佐、佐伯 一馬を介して永田組の上部一門、
鉾田初代執行部に報告される。
同時に鉾田初代執行部は、全傘下に抗争準備で有る、
待機命令を通達した。
そして翌21日午前9時、茨城県鉾田市に本部を構える、
鉾田初代本部にて、秘密裏に緊急執行部会合が招集される。
永田組からは相談役、宮田 宗春が代行で出席する。
だが、二つのテーブルが置かれた応接間は、
黙座する執行部一統が孕む、私利的な算段に依り、
唯、淀んだ空気だけが立ち込めていた。
そしてその空気を睨んだ鉾田初代総長代行、鉾田 常州男が
その細身の体を逸らし返すと、
黙座する執行部一統を前に口火を切った。
  誰も腹割らんのなら俺の腹割るぞ。
  瀧澤の親父は留守(社会不在)、寄合(執行部)2人も持ってかれ、
  先達ての喧しい暴追連中の件も有る。
  船橋(嶺北会総本部)のゴタゴタも纏まらん以上、
  今は淀橋と構えるんは得策だと思えん。
  依って日時を決めて、淀橋と掛け合う。
  永田には俺から言い聞かせる。
  意見は無いな?
  無いんなら、それで行くぞ!
そして僅かな沈黙が流れると、列席する全員が正面に向け、
鉾田に目色を悟られぬ様に頭を下げる。
だがその時、当番責任者の岩倉 武が、足早に応接間へ入って来た。
そして総長代行、鉾田 常州男に耳打ちした。
    (淀橋一家と対立していた)
   弥次郎の三崎総長からです。
   絶対に引くな、引いたら
   (ワシの力で)この世界には居れん様に成るぞ、との事です。
    、、どうなされますか?
岩倉の報告を受けた鉾田は、その顔相に僅かな呆れ笑いを浮かべつつ、
向かい合う、執行部一統に告げた。
   三崎の兄貴からだ。
   お前ら、眠たい目してんじゃねえぞ(淀橋と構えろ)、だそうだ。
   本部のハガキ(破門状)見たくない奴は、家に帰って寝とけ。
   (返しの仕度だけしろ)
   起きてる奴が起きとればええ。
   (当事の永田組以外、絶対に動くな)
   挨拶も要らん、暇なら缶蹴りでもしとれ。
   (人はにせず、淀橋傘下の事務所にブチ込め)
すると応接間に鎮座する執行部一統の殆どが、
厄事に関わりたくないとばかり、正面に向けて勢い良く頭を下げた。
その様を軽く受け流すと、総長代行の鉾田 常州男は、
遠くを見詰める様な眼差しを覗かせつつ、その心中で呟いていた。
  兄貴も相変わらずだな。
  まだ早いが、始まったと想えばええ。
  (破門食らって)、嶺北出るんは、
  前から親父も話とった事だ。
  笹川への手前、デカい真似は出来んが、
  最後にボロい花火上げて、嶺北のド腐れ看板など割ったる。
鉾田の兄貴分で有る、弥次郎十六代目、三崎 誠造は、
五代目嶺北会懲罰委員長の要職に有る。
率いる弥次郎十六代目も傘下約600人を預かる、
東日本有数の武闘派一門で通っていた。
だが、鉾田 常州男には、嶺北会五代目新執行部人事で、
風紀委員長から、常任理事に事実上の格下げを受けたと云う経緯が有った。
五代目嶺北会々長、太田 政志は若い時分から、
建設業界へ進出し、政財界とも繋がりを持つ、
企業家肌の代紋頭だった。
それだけに太田は、三崎や鉾田の様な武闘で通す、
旧来の侠など、自身の算段を揺るがし兼ねない厄介者と見做していた。
当然の様に、侠肌で通す理事長、京本 禎成を筆頭とする執行部本役の中には、
そんな太田の代紋頭としての資質に懐疑心を募らせる者も少なくは無かった。
太田 政志が五代目を取れたのも、
後盾の国土管理省官僚や警察官僚の威光に加え、
三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅の口添えも有り、
五代目嶺北会太田派に連なる執行部役付の多数派工作が功を奏した結果でも有った。
そんな経緯も有り、太田 政志に最も敵愾心を漲らせたのが、
天保15年(1831年)に結成された老舗博徒一門、
弥次郎十六代目率いる三崎 誠造だった。
三崎も四代目嶺北会時代は、総本部長の要職に有り、
太田に次ぐ要職、会長代行に推す声も有った。
だが、三崎の行徳屋宗家九代目、緒方 勝二との関係から、
依り一層の笹川組専横を五代目嶺北会が赦す懸念を、
太田派の執行部本役が嫌ったのだ。
同時に太田派には、太田の持つ警察官僚の後盾が、
七代目笹川組を抑える、強大な武器に成ると読んだ者も少なく無かった。
太田の嶺北会五代目に向けた多数派工作は、其処に最大の要因が有った。
三崎は自身が舐めた屈辱とは別に、
そんな侠義を逸れた執行部の様を鑑み、
密かに五代目嶺北会脱会を決意しつつ有った。
同時に鉾田初代を筆頭に、千葉県銚子市に本部を構える蓮沼六代目や、
茨城県水戸市に本部を構える貝ノ内七代目など、
三崎と意を共にする複数の傘下一門も、五代目嶺北会脱会の好機を狙っていた。
当初は五代目嶺北会々長代行、瀬戸 郷士が、
弥次郎先代、土井 博好の四分六の舎弟義分に有った事から、
渡世上の義理を重んじた三崎には、五代目嶺北会脱会を躊躇する部分も有った。
だが、弥次郎一門には、太田 政志が嶺北会五代目に就いた1月に
三代目俠仁会神栖一家四代目,多賀睦会と、
3月には鉾田初代と共に、三代目藤川会四代目水嶋連合,渋谷神農友人会と
中規模抗争を起こしていたと云う経緯が有った。
「如何なる理由有れど、他団体との抗争は厳罰に処す」と云う
訓告下の太田五代目体制の中で、三崎は「次は破門に処す」と
太田から最後通告を受けた身でも有った。
そしてその際、会長代行、瀬戸 郷士が弥次郎先代、土井 博好への義理を顧みず、
この最後通告に賛同した事から、三崎も瀬戸への義理を無き物と見做した。
そんな渦中で起こった淀橋一家八代目との抗争は、
三崎らに、五代目嶺北会脱会への好機を示していた。
同時に嶺北会五代目体制では事実上の降格を受けたとは云え、
未だ懲罰委員長と云う執行部本役に就いていた事も三崎を後押しした。
例え淀橋一家八代目に対する返しを打っても、
執行部本役なら、除籍処分で済むと云う公算が三崎には有った。
除籍処分なら、七代目笹川組若頭補佐兼関東ブロック長、緒方 勝二の助力を得られ、
同時に五代目嶺北会が七代目笹川組主流派と縁組した以上、
主流派に付いた緒方 勝二の五分兄弟に、絶縁は下せぬ事も三崎は確信していた。





だが、事態はそんな嶺北会三崎派の糸口を膠着させる流れに到る。
鉾田初代本部での緊急執行部会合が終わり、
執行部一統が其々の帰路へ付く寸前の事だった。
突如、事務室の固定電話が、ファックスの通知音を鳴り響かせた。
それは五代目嶺北会総本部から、鉾田初代本部と
弥次郎十六代目本部に飛んだ通達で有った。
   笹川組の峰最高顧問並びに俠仁会の光永特別相談役が間(仲裁)に入る.
   答えが出るまで、一切動くな.
   尚、の重大さを鑑み、話し合いは総本部で行う.
   以上.
鉾田初代総長代行、鉾田 常州男は、笹川の家名が読み取れた通達に愕然とした。
そして千葉県市原市の弥次郎十六代目本部,総長室で通達を受けた三崎 誠造も、
蒼白な顔相を覗かせつつ、薄い苦笑いを浮かべながら、その胸中で囁いていた。
    峰 孝雄、、
  太田が媚び売りて昵懇だったな、、
  それにしても若衆、一人られたくらいで、
    随分と大層な御仁が出てくるわ。
  大体、なんで(当事では無い)内にまで通達が来る?
    やはりワシらの腹、太田に漏れとったのか?
  漏らしたのは(五代目嶺北会理事長、)京本だな、、
  緒方の兄弟への手前、これじゃ話に成らん。
一方でその頃、を起した淀橋一家八代目,守田睦二代目会長、金森 龍嘉も、
新宿区四谷の淀橋一家八代目本部から呼び出しを受けた。
金森 龍嘉の顔前には、紳士的な気風と、
聡明な面持ちを覗かせる一人の御仁が鎮座していた。
田川 昌生の懐刀、淀橋一家八代目理事長、新條 清忠で有る。
新條 清忠は淀橋一家、延いては次代の俠仁会をも担う新生と、
代紋の内外問わずに黙される程の逸材だった。
そして新條は聡明な面持ちを携えつつ、
何処か相手を冷静にさせる口調で、
守田睦二代目会長、金森 龍嘉の腹を確かめた。
    私らは淀橋にを預けた身、
  私から言える事はそれだけです。
新條が覗かせる、語らずして多くを語る眼差しに、
金森は一瞬の沈黙を保つ。
そして金森も覚悟を滲ませた面持ちで新條に告げた。
     私も淀橋有ってこその私です。
  では、失礼致します。
すると新條は、何かを確信した面持ちで金森を静止した。
  まあ、待ちなさい。
  先ほど嶺北から連絡が入りました。
  今日中にも笹川の峰最高顧問と、
  (俠仁会の)光永相談役が間に入るそうです。
  今回の件で、光永相談役が詰め腹を切る旨、
  金森(組織)強化長、今回は静かにしてなさい。
  若い者も淀橋の為、やる事はやったのですから。
新條の進言を聴き終えると、金森も聡明な面持ちで席を立った。
そして唯、「失礼します」と新條に告げつつ、45度の角度で深々と頭を下げ、
新宿区四谷の淀橋ビルを後にした。

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一方で新條 清忠は、三代目俠仁会副本部長の役付に有り、
淀橋一家八代目最大傘下、淀橋睦会二代目を率いる。
仕事面では大城建設、森田組など、大手ゼネコンの守りを通じて、
証券業界にまで進出し、傘下の派遣業を通じて、東日本電力とも根深い関係を持つ。
海外では国内の石油卸会社を対象とする石油投機銘柄の売り抜けや、
アメリカ西海岸に進出した日系企業の守りなど、潤沢な資金力を堅持していた。
その一方で十数年に渡り、組織対策委員長、武守 一力と共に
淀橋一門の抗争を指揮して来た実績を併せ持つ。
既にその名は七代目笹川組を中心に、西日本のヤクザ社会にまで聴こえ、
淀橋一家の跡目も確実視されていた。





鉾田初代永田組幹事、西岡 元司が刺殺された、
翌4月21日午後5時、七代目笹川組最高顧問、峰 孝雄と、
三代目俠仁会特別相談役、光永 吉郎が、
五代目嶺北会総本部に到着していた。
両者に応対したのは会長、太田 政志と会長代行、瀬戸 郷士に加え、
呼び出しを受けた鉾田初代総長代行、鉾田 常州男の3人で有った。
そして六階建ての川奈商事ビル、3階テナントを貸し切った、
総本部事務所の応接間で、三代目俠仁会特別相談役、光永 吉郎が
物静かに有れど、明白な口調で提言した。
    先ず、俠仁会としまして、淀橋の田川は無期限謹慎、
  守田睦の村西、芳原は破門、
  私はこの責任を取って引退致します。
七代目笹川組最高顧問、峰 孝雄は、
光永の提案を聴き届けると、付け加える様に提言した。
  聴かれての通りです。
  ですが、一つ断っておきます。
  光永さんの引退は、嶺北さんに有無を言わせぬ為の、
  渡世上、浅はかな決意では無い云う事です。
  俠仁会の石田さんが引退を表明された時分、
  光永さんとしては、渡世の親分たる石田さんに、 
  微塵の憂いも残さず、王道を飾らせたく願うのは当然の事でしょう?
その時、峰 孝雄の提言を黙して聴き続けていた鉾田 常州男が、
明白な苛立ちを滾らせて口を挟んだ。
  何か、笹川さんと事構えとる様な話の流れだな。
  これは内ら嶺北と、俠仁の問題なんですから、
  お宅は引っ込んどいて下さい。
すると即座に会長、太田 政志が鉾田を一喝した。
  鉾田!自分の立場、嶺北の立場、分かった上で物を言ってるのか!
  分かるなら、言葉を慎め!
鉾田 常州男は、憤りを滲ませた掠れ声で、
「好きにしろや」と吐き捨てると、再び沈黙を保った。
結局、七代目笹川組最高顧問、峰 孝雄が間に入った事、
そして三代目俠仁会特別相談役、光永 吉郎が
引退と云う詰め腹を切った事で、五代目嶺北会鉾田初代と、
三代目俠仁会淀橋一家八代目の抗争は、一応は回避された形で話が付いた。
これに依り、弥次郎十六代目総長、三崎 誠造と、
鉾田初代総長代行、鉾田 常州男ら、
嶺北会三崎派の算段は膠着状態に到る。
だが、この結果が、三崎らに最後の一手を打つ事を決断させたのだ。




第15章 躍動

7月12日
この日、義理事帰りの鉾田初代総長代行、
鉾田 常州男に、五代目嶺北会弥次郎十六代目、
三崎 誠造から呼び出しが掛かった。
鉾田は急遽、運転手の守り番に、
千葉県市原市の弥次郎十六代目本部へ向かう事を指示する。
そして弥次郎十六代目本部に鉾田 常州男らが到着すると、
応接間には投資信託会社、双研ファンドの件で、
淀橋一家八代目,守田睦二代目会長、金森 龍嘉らと対立していた、
弥次郎十六代目諮問委員長、倉吉 保が、
殺気を漲らせる形相で、応接間に鎮座していた。
そして番席に深々と豪座する弥次郎十六代目、
三崎 誠造を前に、鉾田 常州男がソファーへ座するのを見届けると、
倉吉 保は溢れる怒気を沈めつつ鉾田に口開いた。
   叔父貴、御足労頂き、有難う御座います。
   私には是が非でも、叔父貴に伝えねば成らん事が有るのです。
    先ず、私が割った事を申し上げます。
   先達ての永田さんの若い者ので引退を突き付けた、
   俠仁の光永ですが、笹川、榎木(組)の頭、南澤さんの
  話によれば、光永は去年秋の時点で、
  総本部に来られた(笹川組の)峰最高顧問に、
  今年秋にも引退すると口にしとったとの事です。
  次に無期限謹慎で話の付いていた淀橋の田川ですが、
  存知の通り、僅か1週間で謹慎が解かれた事、
  破門で話付けた筈の守田睦の村西、芳原が、
  淀橋の家紋外し(潜り組員)として、未だに仕事打っとる事です。
  叔父貴、お言葉ですが、結局、俠仁にハメられたんと違いますか?
   永田さんのでは、内にも太田から通達が飛びましたから、
   これは弥次郎の問題でも有るのです。
  新宿じゃ、私らが(淀橋に)逃げ打った言う、
  馬鹿垂れもいるくらいですから。
私恚に駆られつつも、複雑な気概で黙していた総長、三崎 誠造が、
当番の若い者に耳打ちした。
すると弥次郎十六代目幹事、高橋総業率いる高橋 玲人が
応接間に入り、倉吉の隣席に鎮座する。
倉吉は高橋が鎮座した様を見届けると、
更なる怒気を漲らせながら、一同に向けて訴えた。
  それだけでは無いんです。
  淀橋、串ノ屋らと揉めとった双研ファンドの件ですが、
  今度は江角(一家)の鷲田が何の断りも無く、
  私の飼っとる松永不動産の松永にカマシ(脅し)を入れ、
  何時の間にか、松永の保有株26%の内、20パーを15億で落としとった事です。
  内、18パーが(江角一家総長、)名村の持ち分に成っとるとの事。
  タイに隠しとる江角の金庫(口座)からも、
  3回に分け、20億前後が抜かれた事も掴んでいます。
  これで淀橋の金森や、串ノ屋の甲村、
  (浦和)新崎の堀口らの分も合わせると、
  保有率72パーで、私ら、俠仁にファンドくれてやった様なモンです!
  親父!鉾田代行!永田さんの若いモンのも併せて、
  私ら本当にこれで良いんですか!
弥次郎十六代目総長、三崎 誠造は、
慙愧の念を顔相に漲らせながら、唯、沈黙を保つだけだった。
だが、何処と無く、その顔相には芝居染みた傲慢さが滲み出ていた。
そして鉾田は三崎の心中を察すると、
誰に向けるでも無く口を開いた。
  兄貴も俺も(嶺北会)先代の頃から、腹堪えて来た。
  対策法のお陰で喧嘩でもすれば、
  厄ばかり祟る事も分かっとる。
  だがな、淀橋らと揉めとった所に、
  何で(淀橋とは反目の)江角が出て来る?
  妙だと思わんか?喧嘩するのは簡単だが、
    俠仁の内輪事に、ワシらまで踊らされるんはゴメンだぞ。
その時、鉾田の口を遮る様に、三崎が芝居掛かった口調で一同に告げた。
  常州男、もうええ。
  投資やら難しい事は解からんが、(笹川の)南澤さん、ワシらにネタ流した事、
  京都(笹川組総本部)に割れたら終いなんじゃ。
  形だけとは云え、峰も間に入った以上、
  今のワシらには堪える事しかできん。
  だがな、常州男、この悔しさだけは、絶対に忘れんじゃねえぞ!
   ワシも忘れんがな、、
  お前らもいいな?堪えろや。
  耐え忍ぶのもワシらの道だ。
三崎はそう言い残すと、慙愧に耐えぬ芝居掛かった形相で、
僅かに震わせた足で番席を立つ。
そしてそのまま応接間を出て総長室へと戻って行った。
その様を見届けた鉾田も、私恚に任せて両拳を議事台に叩き付けた。
そして無言でソファーを立ち、応接間を出ると、
守り番の若い者共々、弥次郎十六代目本部を後にした。
高橋総業会長、高橋 玲人も、何処か冷徹でいて、
無表情な顔相を覗かせつつ席を立った。
そして運転手の守り番共々、弥次郎十六代目本部を後にした。





7月24日夜
高橋総業会長、高橋 玲人は、
同門の弥次郎十六代目,水谷聨合会長、水谷 了と合流していた。
そして京葉高速、湾岸幕張下りパーキングにて、
混み合う乗用車に紛れ込ませつつ、
賃貸の自家用ワゴンを駐車場西側に止めていた。
後部座席には、高橋総業理事長補佐、笠井 輝秋、小西 仁が、
覚悟を決す面持ちで深々く黙座していた。
そして水谷聨合会長、水谷 了が殺気を漲らせつつ、
押しす様な口調で笹井、小西に指示した。
   いいか?来月の10日に俠仁の寄合が、
   揃って(千葉県)東金に来る。
   は写真のガキだ。
   理由は解かるな、、
   義理場を荒らすのはご法度だが、
    この際、そんな事は気にするな。
    後は考えんのが弥次郎の喧嘩じゃ。
   邪道だ外道だ抜かされてもな、
   所詮はっちまえばこっちのモン云う事だ。
  お前らもいいな?
    それじゃ、しっかりいて来い。
笠井と小西は、僅かに不快な顔相を晒すと、
覚悟の張る面持ちで、力強く頭を下げた。
渡された写真には、双研ファンドの件で、
弥次郎十六代目倉吉会々長、倉吉 保と揉めていた、
三代目俠仁会,江角一家十三代目幹事長補佐、鷲田 大玄が映し出されていた。
続いて高橋総業会長、高橋 玲人が指示する。
    部屋は用意して有る。
  上等な道具に戦闘服もな、、
  後は水谷の兄貴が言った通りだ。
  俺ら高橋が、弥次郎の恐ろしさ、
  俠仁のガキ共に思い知らせたれ。
すると笠井と小西は、水谷と同様、高橋にも無言で力強く頭を下げる。
そして自家用ワゴンを降りると、高橋総業が手配した軽ワゴンに乗り込み、
地図に記されたアパートへと向かった。
このは弥次郎十六代目総長、三崎 誠三は勿論、
鉾田初代総長代行、鉾田 常州男にも伏せられた。
そして約20分を経て、笠井と小西は千葉市若葉区の仕度部屋に入る。
道具と義理服は高橋から告げられた通り、便所の天井裏に忍ばせて有った。
そして小西は天井蓋を開け、30cm横に置かれた二つの鉄製のケースを降ろす。
シルク仕様が施されたケースの中には、コルト・ガバメント45口径の道具二丁
上下逆さに合わせる形で、綺麗に収められていた。
笠井と小西は有り触れた道具を見詰めつつ、
高橋が一応は、逃走の配慮をしている事を感じていた。

コルト

もう一つのケースには、上段ボタンが上前裾に縫い付けられた
二人分の義理服が、折り畳んで収められていた。
上段ボタンをダミーにする事で、ダブル下の下前裾から真横に手を入れ、
即座に腹ポケットの道具を掴むが為の細工で有った。
そして翌25日午前、笠井らは玩具屋で同型のモデルガンを購入する。
同時に帰際に通り掛かった鉄工所から、
小さな鉄材と、残り少ないガムテープを貰い受けた。
笠井らは仕度部屋に戻ると、小さな鉄材を用いて、
実物の重さと、そのバランス感に近い仕様に成る様に、
千切ったガムテープで、モデルガンに鉄材を貼り付けていた。
仕度が整うと笠井、小西は無駄の無い身熟なしで立ち上がった。
そして義理服の腹ポケットから道具を取り出し、
腰を入れて道具の上部を遊手で押さえ付け、
如何に素早くを放てるか?
その時間短縮を図る訓練を初めていた。




第14章 気配

二日後の7月27日午後、笠井 輝秋の携帯に同業で通す実兄、
三代目侠仁会,千川一家二代目常任理事、長岡 祷力から連絡が入る。
「ボロい話(仕事)が入った、例の事務所に来い」との事だった。
笠井は実兄、長岡と共に新潟県見附市の出身で有った。
そんな弟想いの長岡から度々、仕事に噛ませて貰った経緯も有り、
笠井が長岡の誘いを不審がる事は無かった。
笠井は実兄、長岡との関係を小西 仁に話すと、
小西は付近まで同伴すると云う条件で、笠井が都内に向かう事を許した。
そして笠井はスウェット姿のまま、小西は作業服に着替えると、
駐車場に止められた軽ワゴンに乗り込み、豊島区内の税理士事務所へ向かった。
税理士事務所は辺鄙な所に建つ、赤レンガの寂れた雑居ビルに入居していた。
そして笠井は小西に軽く頷き、軽ワゴンを降りると、
何気ない素振りで、寂れた雑居ビルに吸い込まれて行った。
そして年代を感じさせる古呆けたエレベーターに乗り込み、四階で降りる。
四階の左隅には、石渕税理士事務所と云う看板が掲げられていた。
笠井は音を立てずに歩を進め、看板の掛かるドア前で歩を止めた。
そして何時もの様に、ドアを軽く5回ノックする。
すると、ゆっくり開いたドアの背後から長岡 祷力が、何処か深刻な面持ちで姿を現した。
長岡は右向かいのエレベーター、昇降ランプに目をやると、
笠井の腕を掴み、静かに玄関ドアを閉めた。
事務所内には、他に二人の男が座っていた。

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一人は三代目侠仁会,串ノ屋一家九代目若頭、河野 清治で有った。
更に事務席には、警察官僚として権勢を張る、元自由共和党副総裁、
明津 一郎の元秘書、亀岡 常五郎が、河野らに背を向けて座っていた。
笠井は河野 清治の眼光を受けた瞬間、無表情な殺気を帯びた顔相へ一変した。
そして何処か寂しげな薄笑いを浮かべる長岡 祷力は、
実弟、笠井の肩を軽く叩くと、ソファーに座る様に促す。
笠井は背筋を伸ばし、河野に構える姿勢でソファーに黙座した。
その様相を見届けた串ノ屋一家九代目若頭、河野 清治が、
落ち着きの無い口調で笠井に告げた。
    俠仁、串ノ屋の河野だ。
    お前らがやろうとしとる事、止める積もりは無いがな、
  天下に聞こえる弥次郎にしちゃ、が小さ過ぎやしないか?
  そんな覚悟じゃ男は売れんぞ。
  小僧など相手せんで、(写真を二枚出して)どうせなら、
  こいつら持ってけや。
  (俠仁会側の)段取りも付けて有る。
  働くなら生きて帰してやる。
  働かな、生きて帰さんぞ。
笠井は当たりに感気を廻らすと、洗面所の物陰に、
そして書類室のドア向こうに、僅かな殺気を感じた。
だが、笠井には微塵の狼狽えも無かった。
そして笠井は河野、亀岡両氏に向かい、
鋭利な殺気を携え、抜けの座る口調で答えた。
   本当に宜しいんですね?
  では、遠慮なくらせて頂きます。
  他には居ませんね?
  居ないなら仕度させて頂きますよ?
   河野さん、何処ぞの先生方、
  後は考えないのが弥次郎のやり方ですから。
串ノ屋一家九代目理事長、河野 清治は、
笠井の気概を欺瞞極まりない素振りで褒めた。
  さすがは天下に轟く弥次郎だな。
  お前は性根入った本物だ。
  三崎さんの為にも、しっかり働いて来い。
  、、今日はもう予定入っとらんな?
そして河野は暫くの間、笠井に断片的な事情話をすると、
河野らに背を向け、事務席に黙座する亀岡 常五郎に促した。
  では、亀岡先生、本当に宜しいんですね?
河野は亀岡を威圧する口調で、最後の腹返しを飛ばした。
ソファーに深く持たれ掛かる亀岡は、
明津 一郎を真似る様に、天を仰ぎながら目を瞑っていた。
そして亀岡は右手で襟後ろに触れつつ、
重く掠れる声で河野に一言だけ告げた。
  、、宜しく頼む、、
元自由共和党幹事長、明津 一郎の元秘書、亀岡 常五郎は、
警察機関の天下り先で有る、日本綜合警備機構や、
生興パートナーズ、広告会社の創報堂など、
複数の天下り企業に役員席を持つ、警察官僚亀岡派の元締で有った。
そしてそれらの企業を通じ、亀岡は三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅、
五代目嶺北会々長、太田 政志とも懇意の間柄に有った。
その一方でこの頃、元警視総監、菅野井 厳三郎を筆頭とする
警察官僚菅野井派も大躍進を遂げていた。
菅野井派も80年代後半より、亀岡派に対抗する為、
複数の三代目俠仁会執行部の者と根深い間柄を堅持して来た。
串ノ屋一家九代目、甲村 嵩牡を筆頭に、
淀橋一家八代目、田川 昌生、武守連合初代、武守 一力、
文権治一家十代目、望月 剛志、
上州寄左衛門一家十二代目、平井 英六らが主だった所で有った。
この経緯を経て侠らは、パチンコ業界の胴元、娯楽産業健全化機構や青少年健全化育成機構、
三越生命、広告会社の日本通信など、菅野井派に連なる機関、企業とも根深い絆を築いていた。
その一方で菅野井派は、90年代前半に大規模に行った
パチンコ業界からのヤクザ業界締め出しの際、
その交換条件として田川 昌生や望月 剛志らに、
関東地方の不良外国人排除や左派勢力監視などを任せていた。
そして菅野井派は、それらの仕事を実行させた際、
逮捕者の多くを証拠・嫌疑不十分で不起訴、
罪状と比例して、通常では例の無い短期刑での服役など、寛大なる減免にも処した。
又、菅野井 厳三郎の兄、菅野井 壮一郎は戦後、日本共和党総務会長を勤める傍ら、
GHQの意を汲んで様々な方面に奔走し、
結果的に1955年の自由共和党樹立に一躍買った人物でも有る。
そんな経緯も有り、菅野井派は自由共和党有力派閥、石川派屈指の支持基盤を誇り、
石川派の違法行為揉み消し機関の役目をも果たしていた。
同時に警察官僚亀岡派を後盾とする自由共和党最大派閥、刈羽派とは、
石川派の中道保守政策を廻り、派閥対立が絶えなかった。





一方で自由共和党刈羽派は、1992年に表面化した巨額脱税疑惑、
東京野上急便事件の煽りを未だに引き摺っていた。
そして警察官僚菅野井派は、来年4月に任期が切れる、
刈羽派擁立の細神田内閣を睨み、新たに着手していた違法証券取引疑惑、
富士住事件で、複数の刈羽派参議員を辞任に追い込んでいた。
同時にこの富士住事件では、笹川組が数々の仲介、口利きに関わった経緯も有った。
そして結果的に笹川組六代目、津川 功次郎が、
当代の浪内 斎三を神輿に立てた六代目笹川組若頭代行、兼崎 増代ら、
複数の若頭補佐に依り、引退に追い込まれる事態をも招いていた。
そんな渦中に有る刈羽派が、来たる来年4月の自由共和党総選挙に於き、
自由共和党石川派に大敗するは必至と見る向きも大勢を占めた。
そしてその可能性を見越した日本経済産業省、国土管理省から、
亀岡派と手を切る官僚も相次いでいた。
亀岡 常五郎に取って、刈羽派敗北は、警察官僚亀岡派の崩壊を意味していた。
だが、亀岡がにした侠らも経済界での守りを通じて、
複数の国土管理省、日本経済産業省官僚との根深い絆を堅持し続けた。
同時に侠らは警察官僚菅野井派の意向に依り、一門から選抜した情報部隊へ、
刈谷派衆参議員を徹底的に洗う様に指示していたのだ。
そしてその秘功に依り、既に3人の刈羽派参議院議員が、
贈賄や金商法で書類送検され、結果的に辞任へと追い込まれていた。
そして亀岡 常五郎は来たる自由共和党総選挙に向け、
これ以上、自由共和党刈羽派に不利益を被らせない為にも、
刈羽派の手切りを赦さない為にも、その第一手とし、
一人の侠をす算段を立てていた。
だが、諸般の経緯を経て、亀岡 常五郎から要談を受けた
串ノ屋一家九代目若頭、河野 清治の提案に依り、当初のは変更される。
そして最終的に河野 清治の口から、高橋総業理事長補佐、笠井 輝秋、小西 仁に、
更にもう一人の侠の始末を持ち掛けるに到ったのだ。
だが、そんな算段など露とも知らず、帰路に着いた笠井 輝秋は、
車中でが変わった事を小西 仁に伝えた。
だが、小西に「誰に頼まれた?」と問われても、
笠井は「はデカい方が良いだろう?」と口走るだけで、口を割らなかった。




第13章 対峙

1998年8月10日午前9時
千葉県東金市の三代目俠仁会,霞乃(かの)一家四代目本部にて、
三代目俠仁会安房宗孝一家初代,霞乃五代目継承式典が挙行される。
霞乃五代目を継承するのは、安房宗孝一家総長代行、井上 信三で有る。
同時にこの継承式典は理事長、梅地 芳雅が提唱する組織再編に則り、
安房宗孝一家初代が、霞乃一家四代目を吸収する形での継承式典で有った。
侠義上、跡目は霞乃一門の執行部本役が継承するのが筋では有る。
だが、3月28日に肝臓癌で病没した霞乃一家四代目、藤岡 太地は、
資産整理を処しても、梅地 芳雅から借受けた14億の詰めを残していた。
それは半ば、宗孝 壮明率いる安房宗孝一家初代に、
霞乃一家を乗っ取らせたに等しい五代目継承で有った。
又、宗孝 壮明が三代目俠仁会風紀委員長を務めていた経緯から、
七代目笹川組や五代目嶺北会を始め、親戚に当たる、
東日本一帯の的屋一門からも、多くの来賓者が駆け付けた。
千葉県東金市と云う土地柄、霞乃一家四代目本部も、
広々とした敷地内に本部事務所を構え、
緑園に彩られた木造の本部事務所は、武家屋敷をも彷彿とさせた。

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だが、来賓者の中に五代目嶺北会,弥次郎十六代目総長、三崎 誠造と、
鉾田初代総長代行、鉾田 常州男らの姿は無かった。
同時に先達ての弥次郎十六代目と淀橋一家八代目のも有り、
広々と開け放たれた正門両脇の門塀には、
組織犯罪対策五課の機動隊、20人程が物々しく張り付いていた。
更に別の20人は、霞乃一家四代目筆頭総長補佐、
唐嶋 平三霊代の許可を得て、敷地内にまで警陣を構えた。
その警陣も、正門から本部事務所の玄関へ到る正道を、
両脇から挟み込む形で、約2mの間を置き、
一人ずつ配置されると云う物だった。
それで有りながら、正門左奥に設けられていた義理の要、お布施場付近には、
1人も機動隊員は配置されぬと云う不自然さが有った。
正門前では四課の刑事班に依り、ボディーチェックも行われていた。
そして高橋総業会長、高橋 玲人、理事長補佐の笠井 輝秋、小西 仁が来賓する。
その際、ボディーチェックを行っていた刑事班へ、刑事班長が指示を飛ばした。
そして指示場への帰り際に、刑事班長が笠井、小西をボディーチェックする。
すると何事も無かったかの様に、両名は霞乃一家本部の敷地内へ入場した。





そして霞乃五代目継承式典が盛大に幕を閉じると、
三代目俠仁会執行部本役の面々も、お布施場付近で歩を止めていた。
その時だった、、
突如、高橋総業会長、高橋 玲人と共に来賓していた小西 仁が、
事前に訓練した射殺術を駆使し、
三代目俠仁会江角一家十三代目、名村 満の下腹部に2発のを発砲する。
発射反動の付いたは、二発とも名村 満の腹部に命中した。
そして笠井 輝秋も、ほぼ同時に道具を構えた。
だが、その瞬間、名村 満の守り番として同行していた黒澤組々長、
黒澤 穣次の筋骨逞しい肉体に体当たりされ、笠井は横に弾き飛ばされる。
しかしその瞬間、既に笠井は一発のを発砲していた。
そしてを逸れたは運悪く、突如の喧騒に振り向いた、
三代目俠仁会事務局長、城崎 玄の右側頭部へ命中してしまう。
城崎は足が折れつつ、正座姿に成ると、
そのまま前倒りに伏せ込んだ。
だがその時、守り番に抱えられた江角一家十三代目、
名村 満の横に一人の侠が立っていた。
侠は笠井の無機質な殺気と銃口が、
一瞬、自身に向いていた事を見逃さなかった。
そして侠は一瞬、伏せ込んだ城崎の前に放心状態で立ち尽くす、
執行部本役の侠を、無表情な眼光で見詰めた。
一方で名村に向けて二発のを放った小西は、
その場で機動隊員に依って身柄確保される。
だが、周囲にいる三代目俠仁会の侠達は、突如の修羅場に怒号を上げつつ、
機動隊員に囲まれた小西に詰め寄ろうとしていた。
そしてほぼ同時に、見届人を務めた三代目俠仁会理事長、
梅地 芳雅が「警察に迷惑掛けるな!堪えろ!」と場に向けて一喝した。
合わせる様に、梅地の隣に立つ五代目嶺北会々長、大田 政志を、
五代目嶺北会々長代行、瀬戸 郷士を筆頭とする6人の守り番が囲い込んだ。
だが、梅地の一喝は、突如の喧騒に我心を失くした侠達には届かなかった。
その一方で三代目俠仁会事務局長、城崎 玄にを打ち込んだ笠井 輝秋は、
追っ手を遮るかの様に、正道を挟み込む機動隊員に依り、不可解な逃亡を遂げる。
更に正門右側には高橋総業会長、高橋 玲人のレクサスLSが止められていた。
そして笠井は勢い良く高橋のレクサスに飛び乗ると、
機動隊員に依って制止される侠達からも逃亡を遂げる。
一方で、腹部に二発のを受けた名村 満は、
意識不明の状態で、東金市民病院に救急搬送された。
だが、右側頭部へを受けた城崎 玄は、ほぼ即死状態で有った。
現場は尚も侠達と機動隊員に依る喧騒が収まらず、
笠井を弾き飛ばした江角一家十三代目,黒澤組々長、黒澤 穣次を初め、
数人が公務執行妨害で逮捕される。
同時に侠達から引き離されていた弥次郎十六代目,高橋総業会長、
高橋 玲人も任意同行される。
その姿を見届けた刑事部長、相馬 正夫は、
で怒鳴り合う侠達に「おのれら、はよ、帰れらんかい!」と一喝した。
そして霞乃一家四代目本部から、機動隊員に先導された七代目笹川組や、
三代目俠仁会の侠達も、次々に帰路へ着いて行った。
そして侠達は、其々の事務所からの報告で、
拝島一家初代、城崎 玄に続き、江角一家十三代目、名村 満が死亡した事を告げられる。
現場は侠達が孕む、猜疑の瘴気だけが残像の様に立ち込めていた。
1998年8月10日、此処に三代目俠仁会組織対策委員長、名村 満と、
三代目俠仁会事務局長、城崎 玄の両者が射殺される。




第12章 波紋

その頃、五代目嶺北会,弥次郎十六代目本部に詰めていた三崎 誠造は、
副理事長、宮坂 定夫らと応接間で雑談していた。
其処へ霞乃五代目継承式典に祝座していた、
五代目嶺北会貝ノ内七代目、鍛冶 末松から携帯が入る。
   三崎総長!鍛冶です!
  高橋のモンが俠仁の名村と城崎をハジきました!
  城崎は頭に食らって、息しとらんかったそうです。
  名村も(心臓)マッサージされとりましたから、もうんどるでしょう。
  ハジいた若いモンも、(身)ガラ押さえられとります。
弥次郎十六代目、三崎 誠造は、鍛冶の一報を聴き届けると、
怒気と猜疑が入り乱れた形相で、携帯越しの鍛冶に声を荒げた。
  、、クソ野郎が!ハメられた!
  ワシは本部におるから、解かった事有ったら何でも知らせろ!
三崎は一方的に携帯を切ると、空かさず溢れる怒気の儘に、
弥次郎十六代目理事長、伊織 房心に携帯を飛ばした。
   ワシだ。
  聴いてると思うが、
  高橋のモンが俠仁の名村と城崎をハジきやがった。
  ハジいた若衆もガラ押さえられとるから、もう知らぬ存ぜぬは通せん。
  誰が高橋走らしたかは知らんが、下(執行部)に召集を飛ばせ!
  (返しが怖くて)ツラ出せん腰抜けは破門だ!
  これだけは釘ささな行かんぞ!
  ああ、(返しが来るから)待機も出しとけや、いいな!
伊織へ指示を飛ばした三崎の心中は、猜疑心で煮えたぎっていた。
  誰が名村をれ言った!
  が違っとるだろう!
  城崎もだと?
  ワシら、ハメる為に、何者ぞが高橋走らせたんに決まっとる。
  太田か?おのれ、、許さんぞ!
三崎は私恚に流されるが儘に唯、敵愾心を募らせる者へ
想いを廻らせるだけだった。
一方でその頃、五代目嶺北会々長、太田 政志を後部座席に乗せたセンチュリーは、
既に京葉高速に入り、嶺北会総本部の有る船橋に向けて走行していた。
そして太田は堪え切れぬ形相で、弥次郎十六代目本部へ携帯を飛ばす。
太田からの携帯を受けた弥次郎十六代目本部長、島崎 栃男は、
冷静さを装いつつ、三崎に太田からの連絡を告げた。
すると三崎も溢れ出す怒気を抑えつつ、洋風装飾が施された内線電話から、
受話器を引き千切る様に手にした。
そして怒気に震える手で受話器を握り絞めつつ、
三崎は太田からの指示を受けた。
  太田だ。
  分かってるな?
  が割れるまで、謹慎していろ。
三崎は太田の指示を聢と受け止めると、
慙愧に耐えぬ口調で太田に答えた。
  、、何を言っても言い訳にしか成らん事は分かっとります。
  ですが、ワシには何がどうなっとんのか解からんのです。
  ワシに非が有る云うなら、どうぞ、絶縁にでも何にでもして下され。
太田は三崎の覚悟の座った気概を読むと、
声を和らげつつ、芝居染みた口調で諭した。
  三崎な、、その辺は私が上手くやる。
  私にも想う所が有ってな、、
  いいな?が割れるまで、お前は寝てろ(勝手に動くな)。
三崎は太田の心中を察すると、三崎も芝居掛かった口調で潔く挨拶した。
  会長に迷惑を掛けてしまい、私も慙愧に耐えぬ想いです。
  では、宜しくお願い致します。
三崎は受話器を内線電話に置くと、安堵とも猜疑とも付かぬ、
複雑な心境の裡で呟いていた。
  太田は絡んどらんか、、
  まあ、洗えば割れるモンは割れるんじゃ。
  何処の馬鹿垂れだが知らんが、待っとれ、その首、必ず血の池に沈めたる。
  どの道、他所の本役、二人もっちまったら、
  どう転んでも絶縁は免れん。
  (笹川組若頭補佐の)緒方の兄弟も頼れんだろう、、
  だがな、が割れるまで、弥次郎は一本(独鈷)に成っても踏ん張ったる。
そして約2時間後、弥次郎十六代目理事長、伊織 房心が飛ばした緊急招集に依り、
既に執行部一統は本部事務所に入っていた。
そして弥次郎一門の今後を睨み、様々な念を心中に秘めつつ、
一統は応接間のソファーに黙座していた。
同時に三代目俠仁会江角一家十三代目、名村 満と、
拝島一家初代、城崎 玄のが伝えられると、場は一層の緊迫感に包まれる。
  
  



一方で現場から逃げ遂せた笠井 輝秋は、右手の中指、薬指に呪縛したかの様に外れぬ、
45口径のガバメントを握り閉めつつ、レクサスで逃走していた。
だが、北陸地方に潜伏する為、既に京葉高速を抜けて首都高速環状線に入り、
混み合う車線を、苛立ちに任せて車線変更を繰す笠井は、
その心中に不可解な痼りを残していた。
   それにしても妙だったな、、
  あれじゃ、スケ張り連中が俺を逃がしてくれた様なモンだ。
  まあ、下っ端の俺達には、お偉いさんの考える事なんぞ、
  知った事じゃねえけどな、、
   的は外しちまったが、あの爺さんはった筈だ。
  弥次郎として答えは出したんだから、後は逃げろ、逃げろだ。
だが、仕事の後に訪れる、冷めゆく高揚感に抗う笠井の感気は、
レクサスを付ける一台の作業用ワゴンを見落としていた。
そして環状線から外環自動車道に抜け、
右手から外れぬ道具を未だに握り締めた笠井のレクサスは、
関越自動車道、三芳パーキングの大駐車場南隅に停車した。
笠井は左手で、硬直した右手の中指、薬指から、
道具を引き裂くかの様に、勢い良く引き離す。
そして経験の無い喉渇きに翻弄された笠井は、
周囲の確認もせずに車外へと降りた。
そしてパーキング休憩所へと足早に歩を進めていた、その時だった。
前方から歩いて来ていた土方姿の侠が、
擦れ違い様に、笠井の下腹部へ2発のパンチを入れた。
更にたじろぐ笠井を、もう一人の屈強な侠が、
左横に停車していたブラインド仕様の作業用ワゴンへ勢い良く押し込む。
そして笠井を連れ込んだ作業用ワゴンは、
何事も無かったかの様に、三好パーキングを後にした。

 



その頃、三代目俠仁会も会長、石田 六郎の激で、
緊急執行部会を召集していた。
本部当番に就いていた若い者は、盗聴カウンターを其々の手に、
緊急執行部会が開かれる六階の大広間から
七階の会長室、応接間、特別当番詰所、
そして五階の当番詰所の隅々まで、盗聴機の有無を確認して回った。
同時に呼び出した東日本電力の作業員に依り、
大通り沿いに立つ大和町第二ビル付近の電柱へ、
傍受機具の有無をも確認させていた。
三代目俠仁会本部は最高度の厳戒態勢を敷いていた。

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そして約1時間半後、岩手県花巻市に本部を構える、
奥州萬寿一家七代目、及川 峡吾を最後に、
大広間にて執行部一統が顔を揃える。
二列に分けられた長大なテーブル群を挟み、
向かい合う形で黙座する執行部一統は、
其々の念を腹に据え、やや俯き加減で半眼の眼差しを守っていた。
そして三代目俠仁会々長、石田 六郎と共に、
舞台下の番座に座する理事長、梅地 芳雅は、出席者から一人一人点呼を取った。
点呼を終えると、梅地は隣に黙座する石田 六郎に顔を向け、僅かに頭を下げる。
そして三代目俠仁会々長、石田 六郎が厳粛な面持ちで沈黙を破った。
    皆はもう知っていると思うが、城崎に続き、名村も息を引き取った。
  城崎は二十余年に渡り、我が俠仁の根幹たる執行部に労を費やし、
  名村も又、俠仁の為、政界、財界を奔走し、
  俠仁の確固たる土台を作り上げた功労者だ。
  此処で俠仁の功労者たる両名へ、一分間の黙祷を捧げる。
  一同、黙祷!
だが、黙祷時に有っても、其々が孕む猜疑心は
その黙眼を僅かに開かせ、横目で各々互いに目を配らせていた。
黙祷が終わると、続いて理事長、梅地 芳雅が
半眼でやや顔を俯かせつつ、畏まった口調で告げた。
  今回の忌々しき諸事は、俠仁の足元を
  ぐら付かせたかも知れません。
  ですが、この慙愧に耐えぬ逆風が、
  必ずや俠仁に、一層の断固たる結束を齎す事を、私は確信しています。
  そこで、、
その時、淀橋一家八代目、田川 昌生が、顔を俯かせた儘、梅地の口上を割った。
    梅地理事長、、私も感じましたが、出席した者からの報告で、
  に妙な動きが有ったと云う報告を受けとります。
  率直に伺いますが、あなたは今回の一件をどう思われますか?
梅地は流麗な口捌きで、田川の疑問を受け流した。
  その件は私も聴いています。
  既に私も下(白川一家)へ、を調べる様にと指示しました。
  ですから答えが出るまで、田川渉外長、今はその時を待つ他無いのです。
梅地に合わせるかの様に親分、名村 満を的取りされた、
江角一家十三代目理事長、都島 光章も口開いた。
  親分が没故され、私も無念に絶えぬ想いです。
  ですが、梅地理事長の仰られる通り、
  この場は俠仁の今後の為、建設的な議事をすべきです。
  私も私成りに下へ、の洗いを指示したのですから、
  田川渉外長、その様な疑念は後日、改めてお願いします。
田川はその瞬間、俯かせた顔を上げ、都島を問い質した。
  ん?都島、お前、おかしな事言うな?
  ワシは疑念など持っとらんぞ。
  唯、理事長の意見を仰いだまでだが、、
  まあいい、ワシに意見したお前の度胸に免じて、
  何も聴かなかった事にしてやる。
田川 昌生は、再び顔を俯かせて沈黙を守った。
その心中を察した執行部役付らも、
東金のに様々な憶測を廻らせていた。
そして立ち込める空気を読んだ会長、石田 六郎が再び口開いた。
  三月の定例会合で告げた通り、ワシは今年中にも引退する積もりだが、
  この様な現状では、引くに引けん。
  皆、割れぬ腹が有るだろうが、
  ここは俠仁の為、堪える部分は堪えて、
  皆が結束出来る道だけを模索して欲しい。
三代目俠仁会々長、石田 六郎の言に依り、
場に立ち込める空気が僅かに鎮静した。
石田 六郎は、昔気質な侠客肌の代紋頭で有り、
侠仁会々長に有りながらも、既に執行部の実権を
理事長、梅地 芳雅を筆頭とする執行部本役に委ねていた。
その気質は、常に潔い姿勢を堅持し、非は黙して受け入れる一方で、
是は有れど、相手を追い込まずに諭しながら場を収めると云う、
繊細な思慮に長けた代紋頭でも有った。
それだけに平成のヤクザ社会が孕む、
弱肉強食主義に毒された一部の執行部役付からは、
その資質を疑問視されていた。
平成元年に、俠仁会三代目を継承した石田 六郎が
引退を表明したのも、そんな時節代わりを遂げた
三代目俠仁会執行部を察しての事だった。
そして議題は、没故した組織対策委員長、名村 満と、
事務局長、城崎 玄の葬儀様式に関する議題へと移行して行った。




同日夜
総長、名村 満を的取りされた江角一家十三代目も、
緊急執行部会を召集した。
だが、江角一家十三代目の緊急執行部会では、
其々が秘める打算に依り、誰もが別々の方向へ心中を廻らせていた。
三代目俠仁会,江角一家十三代目総長代行、澤尻 江之助は、
そんな淀んだ空気を察すると、重々しい口振りで一統の意見を仰いだ。
   みんな着いたな?
   、、皆にも想う所、多々有るだろうが、
   親分が没故された故に唯、親分の為、
  江角の為、高所に立った見地から意見を述べて貰いたい。
すると江角一門では珍しい武闘派、鳳旭(ほうきょく)会二代目率いる、
江角一家十三代目,幹事長補佐、砺波 宍道が口開いた。
  白川(一家)と共に、俠仁の稼ぎ頭たる、内の立場は解かってますが、
  親分取られて、何もしなかったら、
   私ら増々、他所から舐められる事は目に見えとります。
総長代行、澤尻 江之助は、何処か含みを持たせる口調で、砺波の申し出に答えた。
   親分の喪に服す時分、荒事は今は堪えろ。
  今は耐え忍び、唯、明日の江角の為、
  最善の策を打つ事だけに想いを廻らせて欲しい。
  内はこれからも、内成りのやり方で通す事は変わらんのだからな、、
すると運営委員長、修善 正義(しゅぜん まさよし)が、
その眼光に僅かな殺気を認めつつ背筋を伸ばした。
だが、応接間に黙座する執行部役付の殆どは、
名村に代わり、巨額の抜けが約束された
政財界向けの会員制高級売春クラブ、K.S ANGELや
大手ゼネコン、豊島建設の抱き込みを誰が仕切るのか?
誰が政財界や警察機関との総仲介を引き継ぐのか?と云う、
利己的な打算に想い廻らすだけだった。
其処に故人を偲ぶ心境など皆無だった。
だが、そんな堕落しつつ有る執行部役付らを鑑み、
幹事長補佐、砺波 宍道は、亡き名村への清濁語り尽くせぬ、
胸懐の中で、名村 満の没故を偲んでいた。




同日午後8時
三代目俠仁会は、最高幹部たる執行部本役を一度に2人も的取りされると云う
忌々しき事態に到ったが、「没故者の喪に服す」と云う名目で
午後8時、弥次郎十六代目に対する返しを禁ずる通達を飛ばす。
だが、渡世の親を的取りされた拝島一家初代、江角一家十三代目には届かぬ通達で有った。
そして拝島一家初代では八王子貸元、良成 弘三率いる中野山王七代目、
福生事務所、向統会四代目、常永会三代目、
更には江角一家十三代目鳳旭会二代目に依り、
千葉、埼玉、山梨県内の弥次郎十六代目傘下5ヶ所にが打ち込まれた。
その過程で山梨県韮崎市に本部を構える弥次郎十六代目岩窪組九代目若頭、
尾賀 潤が、拝島一家初代甲府貸元,常永会三代目傘下に銃撃され重症を負う。
常永会三代目と弥次郎十六代目岩窪組九代目は、
富士川河川事業の食い込みを廻り、日頃から散発的な抗争が絶えなかった。
その一方で当事では無い、淀橋一家八代目田川組二代目に依り、
千葉県袖ヶ浦市に本部を構える弥次郎十六代目中核傘下、
大倉組六代目本部の駐車場入口に硫酸ピッチ入りのドラム缶二つが投棄される。
これを受けた三代目俠仁会執行部は翌11日午前9時、
「執行部の決定事項に反する者は、その親も含め、厳罰に処す」と云う通達を再度飛ばす。
これに依り、弥次郎十六代目に対する返しは一旦は鎮静化した。





8月17日午前10時
台東区浅草の延宝寺輪廻殿にて、
名村 満と城崎 玄の俠仁会合同会葬が慎やかに執り行われた。
合同会葬には五代目嶺北会々長、太田 政志や
七代目笹川組筆頭若頭補佐、武藤 傑を始め、
東京都墨田区に本部を構える三代目藤川会総師、水嶋 巧蔵ら大御所も多数参列した。

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だが、延宝寺輪廻殿周辺の路上には、
突刃者の襲撃に警戒する、組織犯罪対策五課の機動班が多数張り付いていた。
同時に延宝寺輪廻殿の正門を挟み込む布陣で、約20mの距離を取り、
2台の機動隊車両が通りの片側を塞いでいた。
その警戒振りは警察官僚菅野井派に連なる、警視庁公安部三課に、
三代目俠仁会の右翼団体構成員に関する、
匿名の情報が入っていた事に端を発していた。
そんな中、正門脇で腕を伸ばして警戒する、
三代目俠仁会文権治一家九代目常任理事、嗚潟 克己の元に、
組織犯罪対策四課の刑事班長、谷淵 了が詰め寄りつつ耳打ちした。
   嗚潟、お前らも知ってると思うが、
   何処ぞの憂国崩れが、執行部の者を
 狙いに来る云うネタが入っとる。
 事の流れはお前らの方が詳しい筈だ。
   憂国なら葬儀狙っても、御法度から外れる云う理屈だろうが、
 ワシらが潰したるから、お前らも気入れな行かんぞ。
   他の参列者にも言っとけ、いいな?
そして軽く会釈する文権治一家九代目常任理事、嗚潟 克己を尻目に、
刑事班長、谷淵 了は機動隊車両の方へ足早に去って行った。
だが、この件は事前に義理回状を飛ばした各代紋にも伝えられ、
その上で参列の是非を各代紋に委ねていた。
結局、参列を自粛した代紋は有らず、それ所か義理回状を飛ばさぬ、
岡山県倉敷市に本部を構える五代目極峰會、助浦 吾一、
札幌市に本部を構える札幌藤川会、椎田 真人らも参列した。
そして午前10時、輪廻殿にて合同会葬が催される。
場内では任侠演歌で知られる小島 五郎の「北寒の血潮」が控えめに流れる中、
各来賓者が名村 満と、城崎 玄の遺影が掲げられた大祭壇に焼香した。
そして淀橋一家八代目、田川 昌生の焼香が終わると、
最後に三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅が焼香する。
梅地は俯き加減で「今後の我々を見ていて下さい」と小声で囁いた。
来賓者の焼香が終わると、大祭壇前に七代目笹川組筆頭若頭補佐、武藤 傑が立った。
そして関係筋代表として弔辞を述べる。
続いて三代目俠仁会々長、石田 六郎が大祭壇前に立ち、
俠仁会を代表して粛々と弔辞を述べた。
そして石田 六郎の弔辞を締めとして、合同会葬は幕を閉じた。
結局、この日の三代目俠仁会合同会葬に、突刃者が現れる事は無かった。
だが翌17日、七代目笹川組若頭、兼崎 増代の分名に依り、
総本部に無断で合同会葬の場で弔辞を述べた、
七代目笹川組筆頭若頭補佐、武藤 傑に謹慎処分が下される。
傘下約4700人を預かる七代目笹川組最大傘下、武藤組率いる武藤 傑は、
若き時分、大阪市大淀区に本部を構えた三代目梓聨合にて、
名村 満と共に同じ釜の飯を食った仲で有った。
そしてこの事態を鑑みた、淀橋一家八代目、田川 昌生は急遽、
京都市の七代目笹川組総本部に、謹慎に服す、
武藤組々長、武藤 傑との面会を申し入れる。
そして七代目笹川組々長、浪内 斎三と若頭、兼崎 増代は田川の申し出を承諾した。
翌8月18日午後1時、田川 昌生は淀橋一家八代目理事長、新條 清忠と、
江角一家十三代目理事長、都島 光章を同伴し、
大阪市福島区の武藤組本家を訪問する。
そして応接間に招かれた田川 昌生は、
何処か遠くを見詰める様な眼差しで、謹慎に服す武藤 傑を労った。
    今回はこの様な事に成りました事、我々も心外ですが、
  名村も武藤さんの弔辞を喜んどりました。
  私もこの渡世の門を叩いて五十余年に成りますが、
  若き時分、共に修行に励んだ仲間の事は忘れん物です。
  梓聨合の件も名村対策長から聴かせて頂きました。
    名村は梓聨合が(笹川組)飯山会の枝に入った(吸収された)後、
  東京に渡世の道を見出しましたが、
  武藤さんは敢えて飯山会に残り、三十余年を経た今日、
  一家一城の主に昇り詰められた軌跡は、
  筆舌に尽くし難い苦難の道で有った事と思われます。
   これに併せ鑑み、今般、武藤さんの立場をも越える侠の矜持、
  聢と拝見させて頂きました。
  これを以ち、私は俠仁会を代表し、新ためて感謝の意を申し上げる所存です。
田川 昌生の労いには、同時に武藤組を筆頭とする、
笹川組反主流派との連携を武藤組々長、武藤 傑に再確認させる狙いも有った。
だが、武藤 傑は何も語らず、田川の真摯な佇まいを前に、
唯、田川と自身の軌跡に想い廻らせながら、
薄い笑みを携えつつ小さく頷き続けるだけだった。
一方で丁度その頃、三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅は、
白川一家十二代目理事長、三枝 朋良を同伴して、
京都市伏見区の七代目笹川組総本部を訪問していた。
そして応接間にて、勝気にソファーに深々ともたれる、
七代目笹川組若頭、兼崎 増代に対し、
武藤 傑の弔辞を三代目俠仁会の至らなさが招いた失態として侘びを入れた。
だが、梅地の侘びを七代目笹川組若頭、兼崎 増代は、
嘲笑う様な口振りで受け流した。
    いや、それ程の大事には有らんのです。
  ワシらとしましては、総本部に何の断りも無く、
    名村さんと城崎さんの葬事で、弔辞を述べた事を問題にしとったのです。
    (俠仁会葬に)要らん水差したのは、ワシらなんですが、、
    (周りの執行部役付らに顔を向けて)
  いや、何でワシら侘び入れられな、行かんのかいのう?
  ほんじゃ、こっちも東京に詫び入れに行かな、あかんがな。
兼崎の受け流しに、居合わせた執行部役付らも失笑を隠さなかった。
企業化に突き進む東京のヤクザ業界とは違い、
西日本の極道社会には、未だ侠義の筋道を重んずる気風が根深く残っていた。
その筋道を踏み外した者は、容赦なく蔑視するのが極道社会の気風でも有った。
そんな気風を計り切れなかった梅地は、苦々しい愛想笑いを浮かべつつ、
白川一家十二代目理事長、三枝 朋良と共に七代目笹川組総本部を後にした。
そして約6時間後、梅地の失態は、
淀橋一家八代目本部に着いた田川 昌生にも伝えらえた。
総長室にて、その報を受けた田川は鋭い恚激を滾らせ、即座に梅地へ携帯を飛ばした。
   梅地理事長、、他所の者が会葬に出て処分されて、
   何で俠仁が侘びな行かんのです?
  、、あんた、ワシを目の上のタンコブみたいに思っとる事は分かっとりますが、
  タンコブ叩きたければ、寄合で叩けば良いんです。
   梅地理事長、あんたは兼崎らの前でワシら所か、
  俠仁の恥を晒した事、、その事だけは忘れんで下さい。
   気に入らんなら、破門でも獄門でも何にでもして下され。
  ワシも淀橋の八代目取って、はや19年、明日にでも跡目譲れる猛者も育ち、
  もう十分に渡世の花道を謳歌しましたからのう。
携帯口の梅地は、飽くまでも平静さを装つつ、
田川に辿々しい弁明を説いたものの、田川は一方的に携帯を切った。
そしてこの三代目俠仁会の外交騒動は、即座に関東のヤクザ社会に伝わり、
多くの侠が「梅地の下手打ち」と梅地 芳雅を揶揄した一方で、
田川 昌生を「石頭は損を買う」と嘲笑う者も少なく無かった。




8月23日
東京都葛飾区内の東西線荒川鉄橋下から、
資材廃棄用の黒ビニールに包まれた射殺体が発見される。
そして8月25日、DNA鑑定からその射殺体が、
霞乃五代目継承式典で三代目俠仁会事務局長、城崎 玄を射殺した、
高橋総業理事長補佐、笠井 輝秋の物と断定される。
同時にビニールに付着していた、汗と思われる体液から、
三代目俠仁会串ノ屋一家九代目,磯原会二代目若頭補佐、
戸坂 充雄のDNAも検出される。
同日夜、警視庁組織犯罪総務課は、戸坂 充雄に
金融商品取引法違反容疑の別件で、全国指名手配を下す。
そして27日午前10時、匿名の情報提供を元に、
警視庁組織犯罪対策総務課、四課は、
詐欺容疑で杉並区阿佐ヶ谷の串ノ屋一家九代目本部を家宅捜索する。
その結果、九代目総長、甲村 嵩牡が締めていた
大規模取り込み詐欺組織の存在が浮上する。
そして同日午後6時、三代目俠仁会執行部は理事長、梅地 芳雅の分名で、
串ノ屋一家九代目、甲村 嵩牡を破門に処すと云う旨を全傘下一門に通達した。
だが、詐欺容疑を理由として下された突如の破門処分に、
多くの傘下は不可解な気配を感じていた。
梅地 芳雅と串ノ屋一家九代目、甲村 嵩牡は、
若き時分、共に渡世入りした盟友で有り、
同時に梅地 芳雅唯一たる五厘下りの舎弟分で有った。
そして僅か四日後の8月31日、三代目俠仁会執行部は、
串ノ屋一家十代目を若頭、河野 清治が継承する旨を通達した。
この一連の流れから、三代目俠仁会の代紋に生きる侠らは、有る憶測を廻らせ始めていた。




9月10日
淀橋一家八代目本部で定例執行部会が催される。
田川は大理石製の議事台を挟み、向かい合う執行部一統を前に
場を支配するかの様な面持ちで、左から右に向けて睨みを利かせた。
だが、議事台を挟んで向かい合う執行部一統も、幾許の動揺すら見せなかった。
そして田川は、議事台左側の筆頭席に理事長、新條 清忠を据え置き、
場の空気を察しつつ口開いた。
  揃ったな?
    今日はお前らに重大な事伝えな成らん。
  東金の件から、この方、妙な流れが出来とってな、、
  この流れを断ずる為、ワシも一つの決断を下した云う事だ。
  ワシは引退する。
  跡目は新條だ。
  今の淀橋に新條を越える者などおらんだろう?
  (場を左から右に睨み付けながら)異論は無いな?
  腹に含む物有るんなら、何でも言って良いんじゃ。
すると、即座に淀橋一家八代目,守田睦二代目会長、
金森 龍嘉が「異議なし!」と抜けの良い声を上げた。
続く様に、淀橋一家八代目,田川組二代目組長、
大胡 行久も「意義なし!」と同様に声を上げる。
そして僅かな沈黙を保ち、武守連合初代、武守 一力の「意義有りません」と云う
抜けの座った声が響くと、忽ち応接間に「意義なし」の声が、重なり合う様に木霊した。
田川 昌生は応接間に立ち込める気概を悟ると、土臭くも柔らかい口調で告げた。
    満場一致で良いんだな?
  武守よ、、お前が鍛え上げた新條だ。
  まだ到らん部分も有るが、新條を支えてやってくれ。
  式典の日取りは来月10日で話を通しとるが、
  ワシの引退後の人事は新條に一任する。
  じゃ、場を新條に譲るぞ。
そして田川 昌生は潔さを滲ませる気概で、
勢い良く番席を立つと、総長付らと共に総長室へ戻って行った。
新條はその田川 昌生の様を、僅かに頭を下げた姿勢で見届けた。
そして席を立つと番席に向け、20度の角度で静かに頭を下げた。
そしてその儘、半眼に定まった厳粛な面持ちを覗かせつつ番席に鎮座した。
その後は新條が執行部本役の意見を聴く形で、
跡目継承式典の媒酌人など、式典の場を盛る人選に議題を進めた。
その一方で三代目侠仁会の武闘派筆頭格と黙される淀橋一門は、
水面下で自らの役割を果たそうとしていた。




第11章 素顔

9月30日
三代目俠仁会江角一家十三代目は、
幕末の一家名乗り以来、140年余りに渡る歴史を持つ。
安政二年(1855年)に発生した安政江戸地震の際、
城下の警備を自ら買った落武者、江角 丹助率いる、
江角警備隊が発展した老舗名門一門で有る。
進出範囲は都内に偏っていたものの、
主に関東地方や中部地方に勢力を張り、傘下約700人を抱えていた。
本部事務所は新宿区早稲田に構える。
仕事では名村 満が締めていた政財界御用達の会員制高級売春クラブ、K.S ANGELを筆頭に、
理事長、都島 光章が締める大手、順大手ゼネコン向けのコンサルタント会社、
共栄コンサルティングの経営、総長代行、澤尻 江之助が締める不動産整理事業、
そして其々の執行部本役、役付らが締める国内外の各種投機、
巨額投資のインサイダーなど、巨額の抜けを堅持した。
下は覚醒剤卸や助成金詐欺、中国人窃盗団への金庫売り、
繁華街からのカスリなど裏をも熟す。
白川一門同様に、上と下の格差が露呈していたものの、
年商700億以上とも囁かれる、三代目俠仁会屈指の金庫番で有る。
だが、名村 満の没後、江角一家十三代目は、
白川一家十二代目預かりの分に有った。
そんな渦中のこの日、千葉県佐原市の大型スーパー立体駐車場に、
一台の作業用ワゴンが停車していた。
車内には江角一家十三代目,神田興行会二代目、修善 正義と、
理事長補佐、犬山 虎児、そして幹事に役付いたばかりの紀野 輝明、
奥山 一生らが待機していた。
そして土方姿で自ら運転席に座る修善 正義は、
同様に土方姿で後部座席に座る3人へ、
渇き切った殺気を滲ませる口調で告げた。
   いいか?お前ら、これから人の消し方教えてやる。
  本当なら弥次郎の者を消すとこだが、
   先ずは鉾田からだ。
  その方が(江角一家理事長の)都島に取引が利くからな、、
  お前らは、ワシがの腹潰したら、
  荷台に詰め込んで、口に眠剤押し込めばいい。
  犬山、(紀野、奥山の)二人を逃がすなよ。
  それじゃ、行くぞ!
そしてブラインドガラスの入った作業用ワゴンが、
立体駐車場から勢い良く県道に降りる。
そして50kmの法定速度を守りながら、茨城県鉾田市へと向かった。
茨城県鉾田市は五代目嶺北会,鉾田初代が本部を構え、
獄中に有る総長、瀧澤 義満と総長代行、鉾田 常州男の出生地でも有る。

鉾田

同時に、鉾田市には鉾田初代幹事長補佐、末永 貴男率いる、
鉾田初代末永組も本部を構えていた。
そして修善らを乗せた作業用ワゴンは、県道沿いの末永組本部から、
約300m離れた賃貸駐車場に停車する。
バックミラーには、通り向かいのコンビニエンス・ストアーが映っていた。
そして修善 正義は、後部座席の犬山 虎児と運転席を代わり、
サイドドア側の後部座席に付いた。
すると、再び乾いた殺気を滲ませた口調で、
一同に最後の指示を飛ばす。
  一度しか言わんぞ。
  毎日、昼前に必ず、
  当番の若いモンが(先輩らの)煙草を溜め買いに来る。
   手順はさっき言った通りだ。
  紀野、お前に持たせたアイス(覚醒剤)のパケの様なブツはな、
  ロシア(陸軍)流れの液体眠剤だ。
  足手纏い(負傷兵)を安楽死させるブツでな、、
  飲ませれば一発で眠ってあの世行きだ。
  (眠剤を包む)オブラートもの唾で解けるから、
  喉へ押し込むだけでいいからな。
  ほんじゃ、お前ら、が来るまで土方に成っとれ。
そして約40分後、県道の側道からシルクグレーのアットリーニを着熟す、
末永組本部責任者、吉野 敏則が1人で姿を見せた。
修善はバックミラー越しの吉野を見詰め、胸躍らせる様に口開いた。
    ありゃ役付だな?
    その方がゴマカシが利くかも知れんな、、
  よし、お前ら、はあのガキだ。
吉野はコンビニ店内に入り、カウンターの店長と僅かな雑談を交わすと、
金は払わずに何かを受け取った。
そして店長に会釈しながら自動ドアを出ると、
再びガードレールの無い側道を、末永組本部の方向へと歩いて行った。
その様を見届けた修善は、無機質な殺気を帯びた口調で、
運転席の犬山に「出せ、、」と告げる。
そして犬山は静かにアクセルを踏み込み、県道へ出ると、
末永組本部へ戻る吉野を追った。
作業用ワゴンは吉野を追い抜いて50m程先の路肩で止まる。
そして筋骨逞しい修善は、3人に冗談めいたスマイルを飛ばすと、
車外へ降り、ワゴンのタイヤを点検し始めた。
そして末永組本部責任者、吉野 敏則がワゴン付近に歩いて来た瞬間、
修善は立ち上がり様に吉野の下腹部へ、
全腕間接を駆使した二発の鋭いパンチを入れた。
そして吉野が倒れ込むのを見計らう様に、神田興行会二代目幹事、
紀野 輝明、奥山 一生の両名が、勢い良くドアをスライドさせ、車外へと飛び出した。
そして紀野は、奥山が羽交い絞めにした吉野の口奥に、
拳に忍ばせたオブラートを、拳ごと捻じり込む。
紀野は吉野が昏倒した事を確認すると、胸ポケットから手拭いを取り出し、
吉野を羽交い絞めにする奥山の右手に掴ませた。
そして奥山は手拭いで吉野の口を塞ぎつつ、
吉野を羽交い絞めにしたまま、共にワゴンの荷台に乗り込む。
奥山は、昏睡した吉野の口を手拭いで塞ぎ続けた。
そして最後に修善もワゴンに飛び乗ると、
作業用ワゴンは、何事も無かったかの様に走り去った。





約2時間後、修善らが乗り込む作業用ワゴンは
資材廃棄様の黒ビニールに包まれた荷物を積み、
北関東方面に向けて県道を走っていた。
そして運転を犬山と交代した修善は、
胸ポケットから携帯を取り出すと、何処かへ連絡を飛ばした。
  社長さん?ワシだ。
  荷物が入ったから、また宜しく頼む。
  、、これで(貸し付けた)1600万チャラにしてやるんだから、
  構わん無いだろう?
   夕方にはそっち着くから、釜の仕度しといてくれ。
  、、ああ、1年365日点けっぱなしだったな、、
  じゃ、人払いも頼んだぞ。
修善は一方的に携帯を切ると、運転する神田興行会二代目,理事長補佐、
犬山 虎児に、群馬県新里村(現桐生市)に向かう事を告げる。
そして約1時間半後、修善らの作業用ワゴンは、
赤城山の裾野に構える、鉄鋼産廃の最終処分場に入った。
当たりは夕暮れが立ち込み、辺鄙な場所の最終処分場に人影は無かった。
犬山は、駐車場に入った作業用ワゴンを僅かに移動させ、
前方に見える事務所に向けてライトを点滅させる。
すると有限会社、あかぎクリーン・リサイクル社長、岩田 常吉が、
痩せ細った姿で事務所から急ぎ足で出て来た。
そして作業用ワゴンに向け、右手の溶鉱炉棟を指差しつつ軽く会釈していた。
その様を受け流すと、修善らは作業用ワゴンから降りた。
修善は荷台のドアをスライドさせると、
側に置いていたゴム手袋に右手を差し、荷物の状態を確認する。
傍らで佇む犬山、紀野ら3人も修善の作業を覗き込んだ。
そして修善は荷物の両手首から腕の付け根、
更には足首から両足の付け根に掛け、その硬さを確認しつつ、
犬山、紀野らに教える様に口開いた。
  秋口だから(気候で)もう乾いとると思ったが、
  まだ思ったより固まっとらんな、、
  昨日の台風で湿気が残っとるんかも知れん。
  もう少し乾かしてから火葬せんと2、3分長く燃さな行かん様になる。
  それだけ煙突に足(DNA)が残り易くなる訳だ。
そして死後硬直の状態を確認した修善は、
更に30分程度、荷物を乾かす事を犬山、紀野、奥山の3人に伝えた。





一方でその頃、鉾田初代末永組々長、末永 貴男は、
若い者を同伴し、土浦港の貸コンテナから戻ったばかりで有った。
そして留守を任せていた本部責任者、吉野 敏則の姿が見えない事に気付いた。
吉野の所在に気を揉んだ組長、末永 貴男は、
不機嫌な顔相に一変し、吉野と共に留守を任せていた
末永組事務局長、霧下 尚樹を問い質した。
  、、吉野は(コンビニチェーンの)地回りか?どこで何しとる?
末永組事務局長、霧下 尚樹は何処か呆気に取られた心境で末永に答えた。
   用事で外に出てますが。
  親父、お言葉ですが、この世界で同輩に(仕事の)用を訊くのは御法度な筈です。
  私は何も訊いてないのです。
末永は更に不機嫌な顔相に変わり、強い口調で霧下を問い質した。
  お前、自分の立場が分かっとらんな、、
  吉野の野郎、俺の(500万の)詰めから逃げとるから、
  (吉野が)飛ばん様にお前を付けとったんじゃぞ!
霧下は軽く弁明したが、末永は吉野に対する猜疑心に飲み込まれつつ、
その苛立ちを当たり散らすかの様に、霧下に絡み始めた。
  馬鹿垂れ!吉野の野郎、飛んだんに決まっとるが!
  出入りの頃と合わせて、これで二度目だぞ!
   大体、てめえが奴の(500万の)詰め待ってやれ、
  言ったから俺は待ったんだ。
  吉野が詰め(返済)蹴って、飛んだ(逃げた)云うんなら、
  お前が500万、詰めろや!
霧下は飽くまでも平常心を保ち、組長、末永 貴男に弁明した。
  親父、まだ飛んだと決まっとりませんが。
  それに私は待ってやれ、とは言ってませんよ。
  親父、自分の言った事、忘れられているのと違いますか?
末永は霧下の弁明を、更に激しい怒気で切り捨てた。
  おのれ、、誰に向かって物言っとるんじゃ!
  大体な、銭の貸し借り、忘れる馬鹿垂れが、
  この三千世界の何処におる!
  下らん事、抜かしとらんで、さっさと吉野連れ戻せや!
  戻せんかったら、お前、500万しょって破門だぞ!
  ボケっとしとらんで、はよ行けや、ほれ!
結局、鉾田初代末永組には、本部責任者、
吉野 敏則がわれた事に気付いた者はいなかった。
組長、末永 貴男も御多分に漏れず、
役付らに金を貸し付けては、役付らを好きな様に使っていた。
末永組では、そんな末永に嫌気が差した若頭、貫井 賢治と、
若頭補佐、島永 庄一が飛んだばかりで有った。
そして約1間後、修善らが吉野 敏則をった現場を目撃した
トラック運転手の通報を元に、鉾田西警察署の組対刑事らが末永組本部を訪れた。
そして三代目俠仁会傘下に依る返しと、末永らに依る逮捕監禁を視野に入れ、
事務所に詰めていた組長、末永 貴男以下4名が任意同行を求められたが、
吉野がわれた時間帯、末永らは土浦港の貸コンテナを覗いていた。
組対刑事から軽く任意同行の経緯を聴かされた末永は、その事に首を傾げた。
だが、貸コンテナで取引用の覚醒剤と道具の状態を確認していただけに、
アリバイ作りに困窮した末永は唯、押し黙るしか出来なかった。
結局、末永らは任意同行に応じ、捜査車両のワゴンで鉾田西警察署に向かう。
一方でその頃、末永から吉野の連れ戻しを念押しされた事務局長、霧下 尚樹は、
吉野を探すフリをしつつ、密かに愛人の経営するスナックで仮眠を取っていた。





その頃、江角一家十三代目神田興行会二代目、修善 正義は、
ワゴンの運転席に犬山 虎児を待機させ、紀野 輝明、奥山 一生と共に、
2m四方のトンネル型口形を開く、鉄材溶鉱炉を見詰めていた。
炉底には2000℃以上の溶解した鉄が溶岩の様に煮えたぎっていた。
そして修善は神田興行会二代目幹事、紀野 輝明、奥山 一生の両名に告げた。
   ほら、ボケっとしとらんで、早く仏さん、火葬したれ。
  ワシら、儒教に生きるモンなんだから、仏さん無碍にしたら行かん。
紀野、奥山の両名は、唖然とした心境で修善に目をやりつつ、軽く頭を下げた。
そして修善に指示された通り、2人は黒ビニールの両端を持ち上げると、
溶鉱炉から3m程の間合いを取る。
そして振り子の様な反動を付けて、勢い良く荷物を溶鉱炉に投げ込んだ。

釜

すると溶鉱炉内から「パシャシャーー」と云う異様な音と共に、
黒々しい煙が溢れ出す様に吹き出した。
修善は「ビニールも燃えとるから、成るべく空気吸うな」と告げつつ、
その空気から鼻を背ける様に、煙に掻き消された溶鉱炉に背を向けた。
そして足ポケットから、茶褐色の数珠を取り出し、
静かに目を瞑り、手を合わた。
そして紀野、奥山らも、修善を真似る様に
溶鉱炉に背を向けて手を合わせた。
約2分後、発火音が鎮まると、修善は目を瞑り、
手を合わせた姿勢の儘、再び紀野、奥山に静かな口調で語り掛けた。
  この(処分場の有る)赤城山ってのはな、
  昔、国定 忠治って云う侠客が身を伏せとった事で知られとる。
  群馬ってのは任侠発祥の地だからな、、
  親分取られて道具でカチ合う(抗争)のもええ。
  だがな、ワシらも任侠で通す稼業モンじゃ。
  ブッ放して街中でカチ合ったら、
  カタギさん巻き込む事も有るんじゃ。
  (関)西でそんなが有ったろう?
  だがな、こうしてを攫ってせば、街には音一つ鳴らん。
  足(証拠)も消せば事件にすら成らんわな。
  カタギさんにも迷惑掛けんで済む。
  お前らもいいか?仁侠ってモンは、
  こうやって通す事、忘れたら行かんぞ。
紀野と奥山は、平成のヤクザ社会に生けながら、
不思議と聴きなれぬ「仁侠」と云う言葉に首を傾げた。
同時に正論とも与太話とも付かぬ修善の教えにも、
酩酊する様な困惑を抱いていた。
溶鉱炉棟に暫しの異様な沈黙が流れる。
そして溶鉱炉に荷物を投げ込んだ約5分後、
修善は音の消えた溶鉱炉に身を返した。
紀野らも修善に習う様に身を返すと、修善が再び口開いた。
   ほれ、荷物、消えとるだろう?
   これで、5日もサツに嗅ぎ付かれなければ、
  煙突から足も消えるわな。
  ワシらが鉾田からケジメ取った事も、
  人の云うんが、勝手に広めてくれる物だ。
  今は、でハジいた殺人で25年は塀の中だが、
  荷物も足も消えりゃ、ワシらこれまで通り、
  酒だ女だ食らって人生楽しめる云う訳だ。
  一度しか無い人生じゃ。
  人生楽しまにゃ、仏も拝めん。
  解かるか?お前ら。
修善の話が鎮まると、紀野と奥山は更なる酩酊で、
昏倒する様な錯覚さえ憶えた。
そして堪らずに紀野が呆気を滲ませた顔相で口開いた。
   親父、私ら親父の言いたい事、解かってます。
  もう、何も言わんで下さい。
紀野の意見に神田興行会二代目、修善 正義は
僅かな苦笑い浮かべると、再び身を溶鉱炉に返し、
その心中で紀野らの佇みに想いを廻らせた。
  こいつら、自分が何をやったのか、まだ実感は湧いとらん。
  だが寝れば、(夢の中で)ワシが見た地獄、こいつらも見るんじゃ。
  3人目の時なんざ、間違って(本妻の)由里子を釜で焼いとった、、
  あの叫び声、死ぬまで忘れんだろうな、、
  お陰で外の女と寝れん様になっちまった。
  (クラブで)少しでもいい女に色気出そうモンなら、その度にあの叫び声だ。
修善もこの2年前、同門の久良岐八代目幹事長、浜邊 博志を
始末するまでは、9人の愛人を飼う程の猛者で通っていた。
同時に執行部会合で場が重く成った際、妙な与太話を吹いては
場を和ませようとする癖も有った。
そしてこの時の経験を絡め、「人をって逃げ通せば刑は食らわんが、
3人目で心は(死刑を)食らう」と吹いた事も有った。





が済んだ修善 正義らは、溶鉱炉棟から事務所の有る駐車場へと出る。
そして修善は運転席に残した犬山と共に、
紀野、奥山にも作業用ワゴンで待つ事を指示する。
修善は「あかぎクリーン・リサイクル」と云う、
錆び掛かった看板が掲げられた事務所へ歩いて行った。
そして事務所のドアに着くと、インターホンを間隔良く4回鳴らす。
すると社長、岩田 常吉が事務所二階、社長室の窓から顔を出した。
そして修善へドアに鍵は掛かっていない事を伝えると、
事務所に入る様にと、ドアを指差しつつ手招きした。
事務所に入った修善は、薄汚れた応接間のソファーに深々と持たれ掛かった。
そして社長の岩田 常吉に、何処か冷徹な口調で指示した。
   社長さんな、領収書頼む。
  いや、俺が持って来た書面に指紋落とせば終いだ。
  それとコイツにも署名してくれ。
修善は足ポケットから四ッ折にした書面を取り出すと、
社長、岩田側に成る様にテーブル上へ置いた。
書面にはこの様な誓約文が刻まれていた。
  乙は甲の作業の一切を頭から消し、
  如何なる理由有れど、一切の他言をせぬ事を誓います。
  万が一、乙が誓約に反した場合、
  甲の白紙委任状に従う事を、ここに誓約致します。
文面を読んだ社長、岩田は何処か慣れた苦笑いを浮かべつつも、
やはり狼狽の顔相は隠せなかった。
そして岩田は赤い朱肉に親指を付け、誓約書に指紋を落とす。
修善はその様を見届けると、宥める様な気風で口開いた。
   これでお宅に貸付けとる1600万はチャラだ。
  今は鉄鋼産廃も(サツに)睨まれとってな、、
  社長さんが誓約を通しさえすれば、これっ切りのお別れって訳だ。
  じゃ、コイツ(白紙委任状)にも署名してくれ。
岩田 常吉は、ボールペンで白紙委任状に署名すると、修善に口先早く釈明した。
   修善さん、私がこの、人に話せる訳ないでしょう?
  これで5回目ですか?(人に言って)警察来たら、
  私まで死刑に成ってしまうじゃないですか?
修善は社長、岩田の面持ちに確信を得ると、
再び諭す様な口調で答えた。
   いや、これはワシらの世界のケジメでしてね、
   社長さんが漏らさない事くらい、ワシも解かっとります。
  漏らしても荷物は消えてんですから、
  せいぜい、聴取受けて、ワシも社長さんも証拠不十分って所でしょう?
   ですが、今は死体なき刑罰ってのも、十分に有り得ますから、
  社長さんも他言無用だけは心掛けて下さい。
  では、色々と世話に成りましたね、、
   お互い冥土の土産だけは大切にしましょうや。
修善は書類を手に持ちつつ、そう言い放つと、
事務所の階段を下りて、ワゴンが待つ駐車場へ戻って行った。
辺りは更なる夕闇に包まれ、ワゴンのヘッドライトだけが蛍の様に、
赤城の裾野を舞い降りて行った。




10月8日
修善らに本部責任者、吉野 敏則をわれた鉾田初代末永組々長、末永 貴男らは、
俠仁会抗争に絡み、任意同行された鉾田西警察署から千葉県警に移送されていた。
調べは昼夜を問わない過酷な辛酸さを極めた。
そしてついに極度の睡魔に屈した末永組幹事、冨野 保志が
司法取引に嵌められた結果、末永組々長、末永 貴男の指示に依り、
土浦港の貸コンテナで覚醒剤と拳銃を管理していた事を供述した。
その供述を元に千葉県警組織犯罪対策五課が
土浦港の貸コンテナを捜索した結果、
10月4日に成り、鉾田初代末永組々長、末永 貴男以下3名が銃刀法違反で逮捕される。
7日には末永組幹事、冨野 保志を含む4人が、
覚醒剤取締法違反容疑で再逮捕された。
これを受けた鉾田初代本部は翌10月8日、
9月27日付けで鉾田初代末永組々長、末永 貴男を破門とした。
一方で同日夜、末永らが任意同行された際、
愛人の経営するスナックで仮眠を取っていた末永組事務局長、霧下 尚樹と
組織委員長、若尾 虎が、鉾田初代総務委員長、楢川 常太郎から呼び出しを受ける。
そして鉾田初代本部にて鉾田 常州男も交え、
末永組事務局長、霧下 尚樹が末永組の地盤を継ぐ方向で話が進められる。
偶然の悪戯とは云え、「急がず間を置け」を信条とする
霧下 尚樹、此処に一本立ちの途に就く。





第10章 継承

10月22日、大安吉日
沈黙を保っていた淀橋一家八代目も躍動を期す。
この日、群馬県伊香保温泉の鈴屋旅館を貸し切る形で、
淀橋一家九代目継承式典が挙行された。
九代目を継承するのは当代、田川 昌生が指名した、
淀橋睦会二代目、新條 清忠で有る。
取持人は三代目俠仁会々長、石田 六朗が、
特別推薦人は三代目俠仁会,文権治一家十代目相談役、姫島 青五郎が務める。
媒酌人は福島県郡山市の老舗的屋一門、
伊勢野屋分家寺岡十代目、愛智 松広が勤め、
特別検分役は寺岡十代目庭貸総代、越 絵之助が勤める。
継承式典には三代目侠仁会の執行部本役を初め、五代目嶺北会や
七代目笹川組からも多くの執行部役付らが来賓した。
同時に静岡市の五代目遠将会や、仙台市の八代目田尻一家など、
三代目俠仁会とは親戚に当たる代紋からも多数の来賓者が訪れる。
式典場には来賓者らが醸し出す、何処か見え透いた義理気風が立ち込めていたものの、
返ってその気風が、淀橋一門の着座する割席に覚悟漲る威圧感を与えていた。
そして媒酌人、愛智 松広に依り、
伊勢野屋分家,寺岡流に則った媒酌祈祷が捧げられる。
その媒酌祈祷を前に、何処か黄昏に満ちた眼差しを覗かせる当代、田川 昌生と、
瞑想するかの面持ちを覗かせる新條 清忠が、対峙しつつ黙座していた。
そして媒酌人、愛智 松広に依る、継承口上が唱題されると、
田川 昌生と新條 清忠の間に特別検分役、越 絵之助が、
媒酌膳を繊細な手作で一度、又一度と小さく置き浮かせつつ、
厳粛な所作で当座に置いた。
だが、特別検分役の越 絵之助は、事前に新條からの申し立てに依り、
盃検分はせずに継承膳を媒酌人、愛智 松広に委ねた。
そして愛智 松五郎が、腹試しの口上を両者に捧げると、
当代、田川 昌生が、媒酌膳から盃を音を立てずに手にした。
そして東北の銘酒、葵草が八分目まで注がれた盃に、
静粛で有れど、何かを託すかの様な面持ちで口を付ける。
そして当代、田川 昌生は再び盃を媒酌膳へと静かに置いた。
すると媒酌人、愛智 松広は、盃が継承盃に相成ったと云う
口上を新條 清忠へ告げる。
そして新條 清忠は、変わらぬ瞑想するかの面持ちで、
口返しはせず、継承盃を一気に飲み干した。
その瞬間、新條 清忠は、愛智 松五郎の口上と共に、
晴れて淀橋一家当代と成る。
新條 清忠、若干53歳での淀橋一家九代目継承で有った。
そして羽織姿で背筋を伸ばす新條 清忠の姿を、
江角一家十三代目,鳳旭会二代目会長、砺波 宍道は聢と見定めつつ、
その心中で一つの決意を誓っていた。




第9章 決別

10月26日
だが、そんな侠道界の祝典を嘲笑うかの如く、
その水面下では、大きな動きが起ころうとしていた。
この日、東京都三鷹市の元自由共和党選対委員長、羽場 俊三の顧問弁護士、
向井 賢治の第二事務所にて、2人のヤメ検弁護士が用談を交わしていた。

q9


そして事務席に座する向井 賢治を前に、
三代目侠仁会理事長、梅地 芳雅の顧問弁護士、成谷 悦治が提案した。
   まず、梅地さんの意向としましては、亡くなられた名村さんの未返済額分、
  430億2000万の貸借権を破棄する条件として、
  江角(一家)さんを、梅地さんが預かると云う事です。
  名村さんが亡くなり、江角さん資金の流れが止まっているそうですが、
    そこから生じる損失額を埋める為にも、
  一時的では有れ、白川に預かって貰うのが賢明な筈です。
  430億、明日にでも全額決済出来ますか?出来ないでしょう?
  なら、そう云う事です。
憤懣を滾らせた江角一家十三代目総長代行、澤尻 江之助の顧問弁護士、
貝塚 恭司は僅かな間を置くと、堰を切った様に成谷を問い質した。
    、、その負債額の内、220億ですが、
  これは江角が手掛けていた品川の再開発事業に
  梅地さんが横槍を入れたからでしょう?
  既に四割の整理が付いた所にです。
  手掛けていた区画整理で、当初程の見込み益が望めない事を
  梅地さんが見越し、国土管理省の諸柿先生に相談を持ち掛け、
  代換えの区画整理を用意させた事も掴んでいます。
  それを代行の澤尻さんに何の相談も事なく、
  串ノ屋さんの甲村さんに引き継がせた事もです。
  所で貝塚さん、江角が振り出した日本都市開発機構への(贈賄50億の)約束手形、
    池田地所への(仲介代50億の)手形ですが、それを串ノ屋さんの河野さんが
  130億で落としていた(決済した)事は御存知ですか?
  お言葉ですが、河野さんではとても用意出来る金額では有りません。
  元々、品川の再開発事業の話を、
  代行の澤尻さんに持ち掛けたのは梅地さんなんですがね、、
  江角だけで600億余りの(整理)事業でしたから、代行の澤尻さんも話を聞いたのです。
  上が下を食うと云うのは、あの世界の常ですが、これでは余りにも横暴でしょう?
    名村さんも生前、んでも払わん、って言っておられましたよ。
成谷はやや重い口調で、貝塚の問いの流れに話を乗せた。
    ですが名村さん、遺言書は残しておりませんね?
  どちらにせよ、これは梅地さんの厳命なのですから、
  澤尻さんも応じる他無いのです。
  要は強い物が生き残って、弱い者が食われるのは、
  政治もあの世界も同じと云う事です。
貝塚は苦々しい面持ちで、微妙に顔を俯かせつつ、一瞬の沈黙を保った。
そして成谷の眼光を直視すると、貝塚も重々しい口調で確認した。
   、、事情は分かりますが、これは澤尻さんも存じての事ですか?
   江角にも色々な考えの方の人がおりますから。
すると成谷は、何処か妖気すら漂わせる面持ちで、嘲笑うかの様に答えた。
 いえね、澤尻さんにしても、(理事長の)都島さんにしても、
   何か断れぬ事情が有るとか。
 あの社会の座布団も、梅地さんの方が遥かに格上ですし、
   次代の侠仁会を担うとも云われる、お方なのです。
   あなたが想い悩まなくとも、澤尻さんらは応じる他無いのですよ?
その後も両者は、幾つかの要点を確認し合っていた。
そして夕刻の斜陽が、夜の暗闇に堕ちた頃、2人は人目を忍ぶ様に、
会社帰りのサラリーマンを装いつつ、夜の闇に溶け込んで行った。
そして元自由共和党選対委員長、羽場 俊三の顧問弁護士、向井 賢治は、
その様相を見届けると、和風装飾が施された固定電話から何処かへと連絡を入れた。




10月29日午後7時
この日、新宿区早稲田の三代目俠仁会,白川一家十二代目預かり、
江角一家十三代目本部にて臨時執行部会が催される。
議題は江角一門の今後を決す、重大な事柄だった。
応接間には、漆塗りが施された議事台を
番席から見詰め続ける総長代行、澤尻 江之助の姿が有った。
同時に筆頭席に座する理事長、都島 光章の向かいには、
白川一家十二代目理事長、三枝 朋良が、
澤尻と都島の腹を見定めるかの如く、鋭い眼光で鎮座していた。
そして執行部一統を前に江角一家十三代目総長代行、
澤尻 江之助が、憔悴し切った面持ちで告げた。
  皆も知っていると思うが、
   江角は、白川(の傘下)に入る。
  各自、想う所多々有るだろうが、
  江角存続の為、ここは耐え忍んで欲しい。
その瞬間、幹事長補佐、砺波 宍道が列席から立ち上がった。
続け様に運営委員長、修善 正義、
常任顧問、唐津 幸秀も勢い良く立ち上がる。
幹事長補佐、砺波 宍道は執行部一統を前に、
挑戦的な眼光で口火を切った。
  では私、砺波以下三名は、本日を以って、
  江角と袂を分かさせて頂きます。
  もう、私らも、事の顛末を或る程度は読んでるんですよ。
  この侠道を冒涜する薄汚い絵図を受け入れ、
  白川に下ると云う事は、無念なを遂げられた
  名村親分への恩を、仇で返すも同然、
  少なくとも我々は、そこまでは落魄れとらんので。
総長代行、澤尻 江之助は唯、諦め混じりの眼差しで、
砺波らを見詰めるだけだった。
連なる修善 正義の姿に一瞬、震え上がった執行部役付もいたが、
大方の執行部役付は、その心中で欺瞞に満ちた笑みを浮かべていた。
  厄介者が勝手に去るか、、
  時代遅れの仁侠崩れより、問題は名村が残した、
  デカいコネを誰が引き継ぐかだ。
  跡目はともかく、白川の役(付)次第では、、
淀んだ空気が立ち込め始めた応接間に、
総長代行、澤尻 江之助の掠れた声が弱々しく木霊した。
   分かった、、
  だが、代紋を割る事は堪えてくれ、、
   いいな、これ以上、ワシを困らせるな。
通常、執行部役付が一門を割って出る事は破門、絶縁に値する御法度だが、
理事長、都島 光章を筆頭とする執行部一統からも、何ら異論は出なかった。
三代目俠仁会屈指の経済派で通す江角一門の中で、
殺傷事の絶えぬ、砺波 宍道率いる鳳旭会二代目や、
唐津 光喜率いる唐津初代は、仕事の邪魔者として、
多くの執行部役付から忌み嫌われていた。
政財界や警察機関の後盾は有れど、桜田門にも派閥争いが絶えず、
警察対策の為にも両者の家名割りは、
多くの執行部役付に取っても好都合だったのだ。
江角一門有数の始末屋とも囁かれた神田興行会二代目、修善 正義に到っては、
多くの執行部役付から、生ける死刑囚と忌嫌されていた。
だが、そんな執行部役付にも自らの手を汚さず、
仕事絡みの口止めを1億、2億の金で修善 正義らに任せた者も少なく無かった。
そんな経緯も有り、秘密を握る修善 正義の脱退に、
一瞬、恐れ慄いた執行部役付もいたが、
やはり応接間を包み込む、数の意気には抗えなかった。
そしてこの臨時執行部会の場で、白川一家十二代目が突き付けた、
盃直しを受け入れる決定が下される。
同時にその流れから、江角一門の跡目継承に関する議題も浮上した。
そして三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅の推挙も有り、
跡目を理事長、都島 光章が継承する方向で、
執行部本役らの条件調整が図られた。
そして約2時間の審議を費やした結果、
江角一家十四代目を理事長、都島 光章が継承する事が内定する。
一方で翌30日、この状況を受け、淀橋一家九代目、新條 清忠の意を受けた
守田睦二代目、金森 龍嘉と淀橋睦会二代目代行、稲葉 滋が、
密かに修善 正義の邸宅を訪れた。




11月2日
当日付けで、砺波 宍道率いる鳳旭会二代目と、
唐津 光喜率いる唐津初代、そして修善 正義率いる
神田興行会二代目の三社が、淀橋一家九代目に移籍した。
砺波、唐津、修善の三者は、既に淀橋一家九代目本部の大広間にて、
未明に淀橋一家九代目、新條 清忠から子の盃を受けていた。
この盃事は、三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅には
無断で行われた、正に電光石火の盃事だった。
これに依り、淀橋一家九代目は傘下約1500人を抱える、
三代目俠仁会最大傘下一門の座を確固たる物とする。
新條 清忠は、梅地に何の相談も無く行われた、
この盃事に絶大なる確信を持っていた。
例え梅地が新條を除籍処分に処しても、
新條 清忠、延いては淀橋一家九代目と意を同する、
多くの武闘派一門も、共に三代目俠仁会を割って出る事を見越していたのだ。
この頃、新條 清忠は東金に関する決定的な物証を得ていた。
その好機を逃さぬ新條 清忠の先手必勝の策だった。
そして当日夕方、新宿区四谷の淀橋一家九代目本部に、
理事長、梅地 芳雅から連絡が入る。
そして三代目俠仁会々長、石田 六郎の承認に依り、
梅地 芳雅も、この盃事を承認する旨を新條 清忠に伝えた。
既に率いる白川一家十二代目も、江角一門を吸収した事で、
傘下約1200人を抱えるに到っていた。
その背景から淀橋一門同様に、政財界や警察機関を後盾とする、
梅地 芳雅には、淀橋一門の盃事に然程の脅威は見出さなかった。
この頃の梅地は、自身の立場に傲り高ぶる余り、
後盾の派閥趨勢を見定める術を怠っていた。
そしてこの盃事を境に、三代目俠仁会の主流梅地派と、
淀橋派の対立軸が鮮明に浮かび上がる。
同時にこの転機を好機と見定めた、
淀橋一家九代目武守連合初代、武守 一力が中心と成る形で、
ついに的取りに絞った江角一家先代、名村 満、
拝島一家初代、城崎 玄の返しが算段される。
三代目俠仁会屈指の金庫番たる江角一家十三代目には、
警視庁公安部一、二課や外事二課など、警察機関との互助関係を維持する為、
表立った抗争は避ける体質が有った。

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そしてそんな江角一家十三代目に代わり、淀橋一家九代目が返しを取る事で、
江角一家十三代目に多大なる貸しを作る事も狙いの一つだった。
同時に其処には、江角一家十三代目と梅地 芳雅率いる、
白川一家十二代目を分断する狙いも少なからず潜み、
仕事面では、江角一家十三代目の共栄コンサルティングを介した、
大手ゼネコンや、その下請けの守りに食い込む算段を立てる者も少なく無かった。
だが、淀橋一家九代目を突き動かす衝動は、有る重大な憶測に源を成したのだ。
新條が物証を得たのと呼応する様に、
この頃、俠仁会内部で真偽不明の怪文書が流れていた。
拝島一家初代、城崎 玄の射殺は誤射殺で有り、
真のは淀橋一家先代、田川 昌生で有ったと云う物だった。





淀橋一門に連なった鳳旭会二代目率いる砺波 宍道と、
唐津初代率いる唐津 光喜が、淀橋一家九代目本部を後にすると、
神田興行会二代目、修善 正義の1人が、新條から残る様にと指示された。
新條は総長室から総長室長や総長付らを人払いしつつ、
修善と向かい合う形で、総長室の応接ソファーに鎮座した。
そして新條はスーツの胸ポケットから、
無駄の無い手捌きで皮製の名刺入れを取り出した。
クロコダイル皮革の名刺入れ左襞には、白紙の名刺用紙が数枚入っていた。
そして新條は白紙の名刺用紙をテーブル上に置くと、
滑らかな手並みで名刺用紙に万年筆を落としていた。
新條は名刺用紙を上下逆に直すと、修善の前へテーブル上を滑らせた。
  (東金で襲撃した)弥次郎の笠井を口止めしたのは、
    あなたに間違い有りませんね?
    指示したのは(江角、)澤尻代行ですか?
    都島理事長ですか?
  答えられる範囲内で結構ですよ。
修善が名刺用紙に目を通す間に、新條は名刺用紙三枚を修善側に滑らせた。
そして修善も名刺用紙に何かを書き殴ると、新條側へ滑らせる。
    私に間違い有りません。
    指示したのは澤尻代行、都島理事長の両名です。
  ただ、澤尻代行は都島に動かされていた雰囲気が有りました。
  都島も都島で、妙に落ち着きが有りませんでしたから、
  誰かから持ち込まれた、頼まれただったのではないでしょうか?
  串ノ屋の河野が、江角を逃げられん様にしてやったと、
  吹いていた云う話も有りますが、
  まだ確かな事は良く解からないのです。
新條はその彫り深い顔相に僅かな暗闇を携え、
修善に名刺用紙を滑らせた。
  東金の件ですが、田川先代もにされていた事はご存知ですね?
  あの怪文書、田川先代から相談を受け、私が流した物なのです。
  田川先代の腹は、私にも解かり兼ねますがね。
修善は名刺用紙を一見した瞬間、腹を読ませぬ無表情な顔相に一変した。
そして注意深くボールペンを落とすと、名刺用紙を新條側へ滑らせた。
  存じ上げ難いのですが、私も(怪文書以前から)田川先代だったと睨んでいます。
    串ノ屋の甲村先代だったと云う話も流れてますが、
  少なくとも江角にいた者なら、そう睨むはずです。
新條は名刺用紙に目を通すと、一瞬、修善の眼差しに鋭利な眼光を向け、
その天賦の感気で修善の腹を探った。
そして再び僅かな笑みを携えた眼光に戻ると、万年筆を落とし、修善側に滑らせた。
  最後に一つだけ訊きたい事が有ります。
  名村対策長と城崎事務局長の会葬の際、
    桜田門に情報を流したのは、都島理事長ですね?
修善は読み終えると、素早い手捌きで名刺用紙に書き殴り、
新條側に名刺用紙を滑らせた。
    私が都島理事長の指示で流しました。
  名村の親父は(警視庁)公安部連中にデカいコネが有りましたからね。
  都島も名村の親父とは色々有りましたが、
  結局は良心の呵責が、って所じゃないでしょうか?
    あの人は少し優柔不断な所が有りましたからね。
名刺用紙に目を通した新條は、鋭い笑みを認めつつ頷いた。
そして夕刻の斜陽が差し込む網ガラスを見詰めながら、
遠くを見通す様な眼差しで修善に口開いた。
    一体、今の俠仁に何が起こってるんでしょうね、、
  諸先輩方も、戦後、私らの世界と政治が繋がってから、
  な事ばかり起こると言っておられました。
そして修善もその心中で同感しつつ、新條が見詰める、
夕刻の斜陽を無言で見詰め続けていた。




11月9日
そんな矢先、三代目俠仁会にも大きな転機が訪れる。
この日、召集が掛かった臨時執行部会の場にて、
三代目俠仁会々長、石田 六郎が、
跡目を理事長、梅地 芳雅に譲る旨を執行部一統に告げた。
石田 六郎の突如たる跡目指名に、大広間には一瞬、騒めきが起こった。
だが、この指名を前にして、一番最初に口を開いたのが
三代目俠仁会副本部長、新條 清忠だった。
そして新條 清忠は、確信に満ちた眼光を携え、一言だけ告げた。
   理事長、おめでとうございます。
この意外とも読める新條の祝言に、淀橋派の執行部役付らは、
腹に秘める憶測も手伝い、瞬時に新條の祝言の眞意を悟った。
そして淀橋一家九代目では、新條の先輩格に当たる、
三代目俠仁会常任顧問、戸塚 三津永も、
応接間の執行部一統に向けて口開いた。
   私も現状の俠仁を鑑みれば、理事長が適任かと思います。
  何よりも親分が指名したのですから、
   従うのが私ら、子の勤めでしょう?
淀橋派の反応を見定めた会長、石田 六郎は、
達観とも読める、薄い笑みをその面持ちに認ためていた。
同時に淀橋・梅地派から微妙な距離を置く、
三代目俠仁会会長室長、多野 郁野洲も執行部一統に向けて促す。
   私も概ねでは戸塚顧問の意見に賛同です。
  ですが、腹に含んどる物が有るなら、割るのは今の内では?
だが、大広間は無言の沈黙に包まれるだけだった。
同時に此処に到るまでに理事長、梅地の姓を口にした者は1人も居なかった。
そしてこの事柄も見定め、執行部一統の意に
確信を得た会長、石田 六郎が豪胆な口調で告げた。
  ワシもこの渡世に生きて、じきに60年に成るが、
  こんな纏まりのいい寄合は初めてだ。
  これでワシの渡世は終わった、、
  後はお前ら、時代を担う風雲児が、
   俠仁の歴史を作る、侠漢だと云う事を自覚せんと行かん。
  式典の日取りも小松の助言を仰いで、
  みんなが納得する形で決めて欲しい。
  理事長、ここからが渡世の正念場だぞ。
  頑張れよ。
会長、石田 六郎も理事長、梅地を姓で呼ぶ事は無かった。
同時にこの梅地 芳雅に対する励言にも、有る暗黙の意が込められていた。
そして石田 六郎は会長付と共に会長室へ戻ると、
即座に五代目嶺北会々長、太田 政志に連絡を入れた。
そして石田から弥次郎十六代目、三崎 誠造の処分に対する激が飛んだ。
これ以上、処分を伸ばすなら、石田の分名で太田に義絶状を突き付けると云う、
認否を与えぬ強烈な激で有った。
そして半ば石田 六郎の気迫に圧倒される形で、太田は石田の要件を承諾した。
これを受け、当日付けで太田 政志は弥次郎十六代目、三崎 誠造に、
絶縁・関東所払いの処分を下す。
太田から絶縁の報を受けた三崎 誠造は、覚悟漲る形相で太田に告げた。
  、、承知しました。
   ですがね、弥次郎はが割れるまで、(一本)独鈷で通しますから、
   太田さん、お互い代紋頭として仲良くしましょうや、、
その意気を悟った太田は、宥める様な口調で、三崎に告げた。
   三崎、お前の気持ちは解かっている。
   この件で嶺北は動かさん。
   信じろ、とは言わんが一応、そう云う事だ。
三崎は太田からの返答に僅かな沈黙を保つと、無言で電話を切った。
そして即座に弥次郎十六代目全傘下に待機命令を通達する。
一方で俠仁会四代目継承式典は、淀橋一門の動きを見据える、
会長、石田 六郎の提唱に依り、僅か五日後の11月14日に催された。
式典場は三代目俠仁会の内部対立を睨む、警察機関を交わす為、
群馬県の秘湯、川場温泉の灯郷旅館にて挙行される。
関係各位に義理回状も回らぬ、前例の無い突如の四代目継承式典だった。
だが、突如とは云え、七代目笹川組若頭、兼崎 増代を筆頭とする、
笹川組執行部本役や、太田 政志を筆頭とする嶺北会執行部本役の数人は来賓した。
だが、親戚筋や一本独鈷の代紋からは、執行部役付の欠席者が相次ぐ。
其処には五代目嶺北会々長、太田 政志と同様に、
俠仁会四代目新会長、梅地 芳雅の企業家肌を、何処か安く見る気風も孕んでいた。
そしてこの四代目継承式典の場で、浦和新崎一家六代目、堀口 公信を若者代表とし、
新会長、梅地 芳雅との盃直しも行われる。
そして11月20日には、梅地の侠仁会四代目就任に依り、
空席と成っていた白川一家十三代目を本部長、梅地 匡道が継承した。
梅地 匡道は会長、梅地 芳雅の実弟で有り、
理事長時代の梅地 芳雅に月5億を納めると云う逸話は、
関東の業界でも広く知れ渡っていた。
それだけに梅地 匡道、若干49歳での十三代目継承には、
白川一門に生ける侠からも「金で椅子買った」、「梅地王国」と云う不満が渦巻いた。
特に白川一家十二代目理事長、三枝 朋良は、
梅地 芳雅から跡目の話を振られていただけに、
梅地 匡道の十三代目継承を、梅地の裏切りと見做した。
だが、梅地 匡道が渡世入りした際、率先して叩き直したのも三枝 朋良で有った。
そんな経緯も手伝い、三枝 朋良と梅地 匡道は互いに気心の知れた仲でも有った。
同時に、梅地 匡道には淀橋一門は勿論、七代目笹川組の武闘派傘下とも、
掛け合いで渡り合って来た豪胆さが有り、
三枝 朋良はそんな梅地 匡道を高く買っていた。
そして同輩の梅地 芳雅を見限り、若輩の梅地 匡道を支える道を決す事で、
白川一家十二代目理事長、三枝 朋良の腹は鎮まって行った。
そして時が経つに連れ、執行部人事での的確な人事適配力や、
経済派で有りながら、何処か富を斜に構えて見る姿勢も買われ、
梅地 匡道に対する不満は潜在化した。



11月19日昼
淀橋一家九代目も、水面下で躍動を期していた。
既に名村 満と城崎 玄の返しを打つ為、二班から成る的取り班
茨城県笠間市と千葉県木更津市に潜伏させていた。
笠間班の鉄砲役は、江角一門から移籍した鳳旭会二代目常任理事、佐上 良成と、
唐津初代幹事、上田 辰則の両名が選抜された。
班長役は淀橋一家九代目,淀橋睦会三代目幹事長補佐、井上 一磨が務める。
既に佐上と上田は、マカオで射撃訓練を積んでいた事も有り、
連絡役の淀橋一家九代目,田川組二代目若頭、
道志 崇雄からも或る程度の信用は得ていた。
そしてこの日の昼、笠間班が待機するマンション一室に道志 崇雄が訪れる。
電気工事士に変装した道志 崇雄は、仕事部屋のインターホンを押すと、
「ごめん下さい、東日本電力の者ですが」とインターホン越しに吹いた。
合わせる様に、班長役の井上 一磨も「ああ、それじゃ中へどうぞ」と挨拶する。
そして道志 崇雄は、脇目でマンション廊下の気配を確認しつつ、仕度部屋へ入った。
笠間班の3人も、小声で道志に力強く挨拶すると、即座に正座を組む。
そして右手に小さな麻袋を持った田川組二代目若頭、道志 崇雄は、
乾き切った殺気を携えつつ、笠間班に押し殺した小声で指示を飛ばす。
    25日の11時だ。
  (千葉県)銚子の芝城ホテルに(鉾田 常州男)が来る。
  (二枚の写真を出して)これがだ。
  こっちがの足(車)だ。
    変わった色の着物、着てるから着物の色を目印にしろ。
  (金枠仕様のセンチュリーGZ(G50)だから、それを目印にしろ)
  友達(守り番)がいるなら招待(道連れに)しても構わん。
  (麻袋に目をやって)中に招待状が二枚(丁)入っとる。
  いいか?客だけは必ず持て成ししろ。
  当日は豪華な衣装、乗り物も用意してやる。
  (田川組関連の憂国組織が手配した小型観光バス、乗務員の制服も用意して有る)
  それじゃ、豪勢に持て成して来い。
道志から指示を受けた3人は、覚悟の座った眼差しで、
再び小さくも力強く頭を下げた。
その覚悟漲る眼差しに手答えを得ると、道志も小さく頷いた。
そして班長役の井上 一磨に小さな紙切れを手渡す。
   銚子には弥次郎、鉾田と縁の深い、嶺北の蓮沼と云う所が有る。
  鉾田をる前に、奴等が張っとらんか、良く周りに気を配る事。
道志は、井上が紙切れに目を通した事を見届けると、背を返して玄関へ戻った。
そして「では、何か有りましたら、またご連絡下さい、それじゃどうも」と声高に挨拶し、
笠間班が待機する仕事部屋を後にした。

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道志が残した麻袋には、リボルバー38口径の密造拳銃二丁と、
布袋に入った24発のが忍ばせて有った。
通常、この程度の芝居では司法の目を欺く事は難しいだろうが、
新條 清忠が淀橋一家九代目を継承した事に依り、
警察機関への挨拶が格段に効く様に成っていた。
その現状を読んだ、道志 崇雄発案の隠語芝居で有った。



第8章 意地

11月23日
淀橋一門が仕度を整える最中、
ついに弥次郎一門が一本独鈷の狼煙を上げる。
この日、十六代目弥次郎一家の家名で、日本全国の代紋に義理回状が飛んだ。
回状には「我が弥次郎一家、不届者を討つまで、一歩足りとも引く事有らず」と云う、
義理回状としては異例の猛々しい一文も刻まれていた。
敬具には、十六代目弥次郎一家総長、三崎 誠造を筆頭に、
十六代目弥次郎一家伊織會、伊織 房心、
そして十六代目弥次郎一家,鉾田初代、瀧澤 義満、
十六代目弥次郎一家,鉾田初代総長代行、鉾田 常州男、
敬具末には十六代目弥次郎一家,岩淵二代目、京本 禎成と書刻されていた。
岩淵二代目、京本 禎成とは、五代目嶺北会理事長、京本 禎成の事で有る。
この事柄から、関東ヤクザ業界に衝撃が走った。
嶺北会の五代目体制発足以来、企業家肌の太田 政志と、
傲慢な極道肌で通す京本 禎成が、五代目嶺北会の運営指針を廻り、
度々意見対立を表面化させていた事は関東ヤクザ業界にも知れ渡っていたのだ。
そしてこの義理回状を切り捨てた五代目嶺北会は、
当日付けで会長、太田 政志の分名に依り、
獄中の五代目嶺北会,鉾田初代総長、瀧澤 義満、
鉾田初代総長代行、鉾田 常州男の両名に絶縁・関東所払いの処分を下す。
同時に理事長、京本 禎成が、この二日前の21日から
一度も総本部に顔を出していない事も相俟り、嶺北会執行部は一時、騒然と成った。
そして太田は即座に東京都北区に本部を構える岩淵二代目本部に携帯を飛ばす。
すると携帯口から「はい、いわぶち!」と、威勢の良い速達声が木霊した。
太田は一瞬、携帯から苦々しい素振りで顔を背けると、
呆気に取られた口調で告げた。
    太田だ、、
  君な、、今は昭和では無い。
  電話の応対は相手に名を名乗らせてからだ。
  これからの時代、そんな心構えでは、恥掻くのは君だぞ。
  京本いるな?代わってくれ。
  、、京本か?嶺北を出たとの事だが、私が納得する形で説明して欲しい。
太田の問いに五代目嶺北会理事長、京本 禎成は苛立ちを隠さずに言い放った。
  会長、、、確かに三崎や伊織とは今でも会ってますがね、
  私があんたに何の相談も無しに、
  嶺北を割る様な腰抜けだと思ったら大間違いですよ。
  まあ、三崎ならではの酔狂でしょうな、あれは。
  あんたも嶺北の代紋頭なら、一々退屈な狂言には乗せられん事です。
  私も立場は立場として認め、あんた(神輿)担いでんですから。
太田は一瞬の間を置くと、飽くまでも紳士的な気風を装った。
  、、分かっている。
  だが、京本、他所に対しての示しも有る。
  火の無い所に煙は立たんと云う例えも有るからな、、
  一応、裏は取らせて貰うが、暫く謹慎していろ。
  だが、他所には無期限謹慎(の処分)で飛ばすからな。
そして太田は、嘲笑に満ちた京本の答えを受け流すと、
飽くまでも紳士的な物腰で携帯を切った。
すると取って代わる様に、太田の携帯が着信を知らせる振動を振わせた。
太田は察し当たる御人を想い浮かべつつ、冷静さを装って携帯に出た。
  三崎だ。
  太田だな?一応、こう云う事だ。
  まあ、これからもお互い仲良く、この渡世で命張りましょうや、、
  義満と常州男に絶縁食らわせたそうだが、
  そいつも、あんたの世迷い言で済ましたる。
  そんでな、、
三崎の挑発心に満ちた挨拶を割りつつ、
太田は京本の腹を探る為、何処か煽る様な口調で三崎に訊いた。
 京本まで割って出たとはな、、三崎、やってくれたな、、
すると三崎は間髪入れず、馴れ馴れしい口調で太田に答えた。
 いやな、京本には逃げ打たれたんだが、
 あの外道が、何を間違えたのか、
 ワシを総裁に引かせて、てめえが跡目取る云うなら、、
太田は三崎の返答に確信を得ると、新ためて京本の件に付いて問い質した。
  、、要するに京本も誘ったが断られた、そう云う事だな?
  撤回のハガキを、お前から出せと言っても聴かん事くらい分かっている。
  京本の件は、お前の妄言と云う事で、ハガキ飛ばすぞ?
三崎は極めて挑戦的な口調で、太田に告げた。
  いや、明日も妄言で通るとは限らんで。
太田は、三崎の挑戦的な口上を割りつつ三崎を諭した。
  三崎、、お前も辛い立場に立たされてる事くらい、
  私も分かっている積もりだ。
  弥次郎の独鈷は、筋としては認められんが、
  筋は所詮、筋でしか無いと云う事だ。
  意味は解かるな?
    (笹川組若頭、)兼崎も喧嘩は避けろ、と言って来てな、、
  (嶺北会)総本部も動かん事で纏まってるから、お前も大人しくしてろ。
三崎は太田の諭しを聞き流すと、無言で携帯を切った。
義理回状に五代目嶺北会理事長、京本 禎成の名を加えたのは、
十六代目弥次郎一家、三崎 誠造発案の趣向で有った。
其処には業界各所に対し、十六代目弥次郎一家の代紋名乗りを、
鮮烈に印象付ける狙いが有った。
一方で太田は、淀橋一家九代目の的取り班が、
三崎 誠造をって潜伏している事を傘下の報告から掴んでいた。
だが、太田はそのを、三崎 誠造に伝えなかった。
1998年11月23日、此処に弥次郎一門は鉾田初代を傘下に収め、
一本独鈷の代紋、十六代目弥次郎一家を旗揚げした。




当日夜
千葉県木更津市の漁協寄宿舎には、
淀橋一門の的取り班、木更津班が潜伏していた。
事前に木更津漁協組合に役員席を持つ、
淀橋一家八代目,美島組副組長、袖浦 介助が、
「内(の派遣屋)から飛ばす奴(出稼ぎ漁師)も入れてくれ」と、
組合長に話を付けて接収した仕度部屋で有る。
仕度部屋には、漁の際に着る漁服や小道具などが、
自然な形で無造作に置かれていた。
そしてこの夜、総指揮役の武守連合初代本部長、
国府 吉道が木更津班の待機する寄宿舎を訪れた。
木更津班は埼玉県大井町に本部を構える、
大井組四代目若頭補佐、米崎 薫を班長役とし、
江角一家十三代目から移籍して来た神田興行会二代目常任理事、松路 修一、
新潟市に本部を構える赤羽屋分家溝崎八代目,幹事長補佐、金井 恭二で編成される。
総指揮役の武守連合初代本部長、国府 吉道は、
美島組副組長、袖浦 介助の手配に依り、漁協組合員風に衣変えしていた。
そして国府 吉道は、背筋を伸ばして正座する、
木更津班を前に、猛々しい口調で指示を飛ばした。
   誰もが睨んどった事だが、
   弥次郎が代紋立てて、鉾田も枝に入りよった。
  内の洗いでも、三崎はハメられたらしいな、、
  だが、ケジメはケジメだ。
  ワシら淀橋の為、弥次郎の柱、折らな行かん。
  先週、指示したが、もう一度確認するぞ。
   は誰から、誰に変わった?
すると間髪入れず、班長役の米崎 薫が殺気を帯びた小声で答えた。
   三崎から(総長代行の)伊織にです。
総指揮役の国府 吉道は、満面の笑みを浮かべながら、
米崎の答えに指示を添えた。
   そうだ。
   の居場所は事前に連絡する。
  何時でも動ける様にしとけ。
続ける様に、国府は何処か黄昏るかの様な口調で、的取り班の3人に告げた。
   、、ワシも年でな、この件がケリ付いたら、
   秘密を土産に、頭にブチ込む腹だ。
   伊織も絵図書いて嶺北に戻りたがっとるらしいが、
 その前に奴をって、詰まらん絵図潰さんと行かん。
 伊織をれば弥次郎を締める奴はいなく成る。
   三崎など、喧しいだけで下からもソッポ向かれとるがな。
 そうなれば(理事長、)宮坂の株が上がる訳だ。
 宮坂なら、まだ若いから、上手く行けば(弥次郎を)抱けるからな、、
 もう淀橋の別働も動いとる。
 米崎、、お前も塀の中で、残された渡世を遂げるかも知れんが、
   ワシも一足先に冥土とやらで待っとる。
   お互い、いい年だからな、、これで淀橋に最後の御奉公したれ!
   
いいな!
総指揮役で有る国府 吉道の励言は、寄宿舎廊下にまで響いていた。
だが、寄宿舎の出稼ぎ漁師達は夜間のイカ漁に駆り出され、
寄宿舎に残るのは国府ら、4人だけだった。
国府 吉道は悪戯な警戒心に頼らず、
その天賦の感力だけに頼り、この侠道界を通して来た侠だった。




第7章 報復
  
11月25日
十六代目弥次郎一家舎弟頭、鉾田 常州男を取る為、
ついに笠間班が動き出す。
既に笠間班は、淀橋一家九代目,田川組二代目若頭、
道志 崇雄から指示された千葉県銚子市に入っていた。
銚子市は日本有数の景勝地、潮来水郷や霞ヶ浦に向かう
交通の要衝で有り、市内には観光ホテルが立ち並ぶ。
鉾田 常州男は、鹿島港護岸開発事業の件で話を詰める為、
銚子市内の芝城ホテルにて、土地の談合屋と用談する予定だった。
だが、駅前通りを挟んで真向かいに建つ、銚子坂東ホテルの駐車場には、
既に笠間班が乗る小型観光バスが、伏せる様に待機していた。

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そして僅かな時間が流れた午前10時59分頃、
金枠使用のセンチュリーGZGが、芝城ホテル玄関に横付けされた。
鉄砲役の二代目鳳旭会常任理事、佐上 良成、
唐津初代幹事、上田 辰則の両名は、その観を聢と見届けると、
何気ない素振りで小型観光バスを降りた。
そして運転席に残る班長役の淀橋睦会三代目幹事長補佐、
井上 一磨に向けて力強く頷いた。
そして佐上と上田は、センチュリーが停車した
芝城ホテルの玄関へ足早に向かって行った。
合わせる様に、玄関前に停車したセンチュリー、後部座席の通り側ドアが開き、
守り番の若い者が、急ぎ足で玄関側のドアに回る。
同時にもう一人の守り番が玄関側ドアから降りると、
鉾田を案内する様に芝城ホテル玄関に向けて右手を翳した。
そして後部座席から鉾田初代総長代行、鉾田 常州男が、
ドア横の金枠部分に手をやりながら、後部座席よりゆっくりと路上に降りた。
その瞬間、通り縋りの観光バス乗務員に扮した二人が
無言で鉾田に向け、闇雲に38口径の回転式拳銃を乱射した。
は鉾田の前頭部から首筋、腹部に掛けて食い込み、
同時に玄関側ドアから降りた、守り番の腹部にも食い込んだ。
だが、通り側から降りた守り番の鉾田初代新田組々長、新田 智則は、
放心状態で身動きも取れず、その場に立ち竦むだけだった。
そして軽くも消魂しい銃声に、当たりは騒然と成り、
逃げ惑う観光客達で、半ば混乱状態に陥った。
立ち竦んでいた新田 智則も、その混乱に紛れる形で密かにその場から立ち去った。
そして観光バス乗務員に扮した鳳旭会二代目常任理事、佐上 良成と、
唐津初代幹事、上田 辰則の両名も、鉾田 常州男の即死を確信しつつ、
真向かいの銚子坂東ホテルに向けて、足早に駅前通りを横断した。
それに合わせるかの様に、班長役の井上 一磨が
さり気無く、銚子坂東ホテルの駐車場から、小型観光バスを駅前通りに横付けする。
そして無機質な冷徹さを漂わせる佐上、上田の両名は、
休憩帰りの乗務員を装いつつ小型観光バスへ搭乗した。
そして小型観光バスは、初冬の薄陽に照らされながら、
駅前通りを北に向けて走り去って行った。
その直後、銚子警察署に多数の通報、目撃証言が寄せられた。
11月25日午前11時、十六代目弥次郎一家舎弟頭、鉾田 常州男が、
四代目俠仁会,淀橋一家九代目傘下に依って射殺される。
同時に守り番の鉾田初代本部長、篤木 功治も、
腹部に二発のを受けて重体に陥る。





その頃、千葉県市原市の十六代目弥次郎一家本部に、
鉾田初代理事長、向井 康二から、襲撃を知らせる一報が入った。
一報を受けた十六代目弥次郎一家事務局長、間野 褌明は、
即座に応接間に詰めていた総長、三崎 誠造にの次第を告げる。
三崎は居合わせた役付らに、憔悴を深めた顔相を覗かせつつ、
その心中で居た堪れない観念に翻弄されていた。
   常州男がられたか、、
  ワシがもう少し気配っとれば、、
  、、あいつとは、もう40年の付き合いだったな、、
   にしやがったのは淀橋か、太田の手合いだろうが、、
   このフザケた波が割れるまでは、ワシは常州男に何もしてやれん、、
すると応接間のソファーに深々と腰掛ける十六代目弥次郎一家総長代行、
伊織 房心が、三崎に含みを持たせて意見した。
  、、親父、私が下に洗わせた限りでは、淀橋もハメられとりますね、、
   このは私らの力では限界が有るのでは?
   このまま無理を通せば、内にも何が祟るか解かりません。
  親父はもう十分に意地を通されました。
   後は私らに任せて頂けませんか?
すると三崎 誠造は、猜疑に駆られた顔相に一変しつつ、
伊織の腹に殺気を滾らせた。
 淀橋もハメられてます、だと、、
 何故、淀橋のモンがったと解かる?
    所で伊織な、20日に赤坂で誰と会っとった?太田か?
伊織は一瞬、驚愕の相を走らせたが、
腹を読ませぬ無表情な顔相で、三崎に含みを持たせて弁明した。
  (嶺北会理事長、)京本のヤメ検と会っとりました。
  親父が苦しんでる姿、見とられんかったのです。
  京本も太田の五代目(継承)は認めとらんのですから、
  私も腹を括り、親父に助力する様に頼んどったのです。
三崎は伊織の眼光を虚ろな眼差しで見詰め続けていた。
そして静かな物腰で「分かった、もうええ」と言い残し、
重々しい足取りで総長室へと戻って行った。
だが、総長代行、伊織 房心の腹には有る算段が秘められていた。
三崎 誠造も旧弥次郎十六代目を継承した頃には、
持前の剛胆さで、傘下を纏める為には専横を振う事も厭わなかった。
新人事で激しく異論を唱えた執行部本役を、
伊織 房心率いる伊織會に始末させた過去も有る。
だが、東金のが有って以来、三崎は侠道界で当然の様に罷り通る、
薄汚い算段に翻弄され、何処か疲れ切った素振りを見せる事も珍しく無かった。
昨今では執行部会合での優柔不断な言動も目立ち、
それで居いながら無軌道な横暴で通す三崎を、
伊織 房心ら、執行部役付の多くが見限りつつ有ったのだ。
既にこの五日前の11月20、伊織は港区赤坂に建つ、
シャルルロア・ホテル一室を貸し切る形で、
五代目嶺北会理事長、京本 禎成の顧問弁護士に要談を持ち掛けていた。
三崎 誠造を引退させる見返りとして伊織自身が一門頭と成り、
弥次郎の家名を抹消した上で、五代目嶺北会に復帰したい、と云う要談だった。
だが、十六代目弥次郎一家には、この伊織の算段を見抜いていた侠がいた。
代紋や一門と云う物は、表向きには和親合一を謳うが、
裏を返せば、それだけ裏切りに満ちた内部対立を孕んでいる物だ。





同日午後1時過ぎ。
銚子市内から逃走した小型観光バスは、銚子市から然程距離の無い、
千葉県旭市内の海浜公園駐車場に停車していた。
既に変装を解いた笠間班は、仕事部屋から海浜公園まで乗って来た、
班長役、井上 一磨名義のクラウンマジェスタに乗り換えていた。
後部座席に着く井上 一磨は、密かに駐車場隅に
乗務員の制服と、麻袋が入った風呂敷包を置いていた。
井上は駐車場に停車する黒の四輪駆動車に向け、
アメリカ海軍の敬礼を彷彿とさせる仕草で挨拶する。
そして笠間班を乗せたクラウンは、海浜公園に小型観光バスを残し、
幹線道路を使って千葉県成田市へと向かった。

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午後1時過ぎ、クラウンは成田国際空港から程近い、大型書店の駐車場に停車していた。
そして仕事を遂げた班長役の井上 一磨は、
連絡役の田川組二代目若頭、道志 崇雄に公衆電話から報告を入れた。
   笠間劇団です。
   客を十分に持て成した事は、御存知かと思います。
   友達も満足して頂けたでしょうか?
すると田川組二代目若頭、道志 崇雄は満足げな口調で井上に告げた。
   お前ら、作法が成っとったな。
   友達は少し不機嫌(重体)らしいが、
 客は満々足だったんだから見事だ。
 よし、いいか?
   成田の第二ターミナルだ。
 切符売り場、解かるな?
   そこにお前らの切符持ってる奴がいる。
   受け取ったらその国に潜って身を交わせ。
そして班長役の井上 一磨は、道志 崇雄の「しばらくバカンスでもしとれ」と云う
野太い声を聞き届けると、
井上も「承知しました、失礼します」と告げて公衆電話を切った。
そして自然な素振りでクラウンの後部座席に戻ると、
クラウンは大型書店からゆっくりと大通りに出た。
そして幹線道路を避けつつ、甲信越地方を目指して走り去った。





鉾田 常州男を置いて現場から飛んだ
鉾田初代新田組々長、新田 智則は、
銚子市に本部を構える五代目嶺北会,蓮沼六代目本部に逃げ込んだ。
そしてインターホン越しに鉾田の家名と姓名を名乗り、
応接間に通された新田は、慌てふためく口調で報告した。
  鉾田の親父がハジかれました!
  沖山が付き添って病院に向かっとりますが、
  頭も打ち抜かれとりましたから、、どう成るか、、
すると金屏風が置かれた応接間に詰める、蓮沼六代目幹事長、松岸 実が、
殺気を滲ませつつ新田の腹を問い質した。
  、、お前、鉾田の代行を見捨てて逃げて来たな、、
新田の腹をその素振りから見抜いた松岸 実は、
逃げ込んで来た新田に、押しす野太い小声で指示した。
  逃げた事は後回しにしてやる。
  内ら蓮沼と、鉾田、弥次郎は(淀橋ので)嶺北を割ろうとした仲だ。
  知り合い(理事長、京本)から連絡が来たが、鉾田の代行はもうんどる。
  ハジきやがったのは俠仁の淀橋のモンだ。
    お前、ハジキ持ってるか?
  、、道具の事だ。
  、、なら、仕度は内が付ける。
  とりあえず、お前の手で淀橋のガラス割って来い。
  割ればだけは助けてやる。
  割れんなら、首詰めでケジメ付けな行かんぞ!
そして鉾田初代新田組々長、新田 智則は、
半ば蓮沼六代目幹事長、松岸 実からも逃げたいとばかり、
僅かに体を震わせつつ、松岸に勢い良く頭を下げた。
そして翌26日未明、既に仕度を終えた新田は、
新宿区歌舞伎町の靖国通りにアリストv300を止めて伏せていた。
同時にその三車前方に止まる黒のライトバンから、
サイドミラー越しに2人の侠がアリストへ睨みを効かせていた。
新田 智則は、終電に追い立てられ、
酔いの回る会社勤めを横目に、極度の焦りに駆られていた。
   畜生、、俺の帰る所はもう無いのか?
 アニィとも(携帯が)繋がらん。
 、、(新田組の)若いモンも、俺を笑ってるだろうな、、
 松岸に頭下げた所で、逃げ打った取り返しも付かん、、
 親父はられちまったんだ、、
 、、破門か、、
 、、クソが!考えてても始まらん。
 とりあえず淀橋にブチ込んでやる!
そして極度に喉を乾かせた新田は、震える足に鞭打ち、
リーマン・スーツ姿で車外へと降りた。
腹ポケットには、マカロフタイプの密造拳銃が忍んでいた。
そして歌舞伎町の雑踏に紛れると、事前に新田自身が割った、
淀橋一家九代目,染井組本部が入る雑居ビルへ足早に向かう。

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幾つかの小道を曲がると、人気の疎らな路上から、
煤けた7階立てのペンシル・ビルが新田の視界に入った。
そして行き交う視線がその感気から途切れた瞬間、
二階のベニヤ板で窓が塞がれた五代目嶺北会泉谷(せんや)十代目,
櫻木会本部に3発のを打ち込む。
だが、新田がにした淀橋一家九代目,染井組本部は三階だった。
そして恐怖に沈黙した視線を尻目に、新田は追手の気配に感気を尖らせつつ、
靖国通りに止めたアリストへと戻って行った。
新田はアリストに乗り込むと、勢い良くアクセルを踏み、
ボンネットの向く方向へアリストを滑らせる。
その様を見届けた黒のライトバンも、アリストの後を付けた。
そして新田は知らぬ間に、靖国通りを四谷方面へ向けて飛ばしていた。
車中の新田は我を忘れ、異様な興奮の裡に有った。
  やっちまったぜ!
    後、20発は有ったな、、こうなったら、
  弾が無くなるまで、ブチ込みまくってやる。
  次は、、上野だ!
新田は異様な興奮に駆られ、闇雲にアリストのアクセルを踏み込んでいた。
そして靖国通りを四谷方面に向けて飛ばす、
アリスト側面に、一瞬、交差する通り沿いに建つ淀橋ビルが映った。
新田を付ける黒のライトバンは、その様相を見届けると、
500mほど進んだ所で横道へ曲がって行った。
ライトバンの車中では、五代目嶺北会,蓮沼六代目組織委員長、伊藤 孝平が、
運転手を務める蓮沼六代目幹事、須川 文太に口開いていた。
  通り過ぎてった、、
  野郎、要らん気揉ませやがって、、
  (淀橋一家)本部なんかカチ込んだら、内とカチ合いになるじゃねえか。
一方の新田は、相変わらず興奮に任せてアリストを飛ばしていた。
そして熱く成った体に気が触り、パワーウインドウを僅かに降ろした。
新田は日頃から、警戒心に囚われ過ぎて空回りする所が有ったものの、
その反動的な興奮に依り、返って程良い警戒心を保ちつつ有った。
そして午前4時過ぎまでに、台東区三ノ輪の淀橋一家九代目,三ノ輪総業本部、
渋谷区広尾の淀橋一家九代目,極念会二代目本部、
練馬区富士見台の白川一家十三代目練馬貸元,谷原七代目本部の三ヶ所にもを打ち込む。
谷原七代目本部が入居する雑居ビルには、
9月上旬まで淀橋一家九代目,竹沢睦初代も入居していた。
だが、を打ち込まれた淀橋一家傘下は、
本部から待機が掛かっていない事を察し、飽くまでも沈黙を保つ。
一方で帰路に就いた新田 智則は、千葉方面に向けて京葉道路を飛ばしていた。
そして荒川に掛かる小松川大橋手前で、緊急配備中の警察官から職務質問を受ける。
結局、無防備に助手席へ置かれた道具が仇と成り、
鉾田初代新田組々長、新田 智則は、その場にて銃刀法違反容疑で緊急逮捕された。




同日夜
この事態を受け、警視庁組織犯罪対策四課長、庄内 充行は、
四課第一対策室に四課、一課の捜査員を集め、合同対策会議を開いていた。
そして一課へ漏らされた極めて信頼性の高い匿名情報を元とし、
銚子市の射殺事件に淀橋一家が深く関与した可能性を告げた。
そして庄内は、淀橋一家を殺人容疑の重要捜査対象に指定する旨を捜査員に告げる。
一方で白川一家傘下も銃撃された事から、
銚子市の射殺事件に関与した疑いで、
白川一家も捜査対象に指定した。
同時に四課長、庄内 充行は、一連の事件
俠仁会系と嶺北会系に依る抗争事件と推測し、
双方の動向を注視する事を捜査員に指示する。
一方でこの夜、重体に陥っていた鉾田初代本部長、篤木 功治は、
銚子市民病院の懸命な治療に依り、無事に意識を取り戻していた。
だが、鉾田初代総長代行、鉾田 常州男は司法解剖の結果、
前頭部、首部から胸部、腹部に到り、
6発のを受けてほぼ即死状態で有った事が判明する。
更に現場検証の結果、路上から12発の薬莢が発見されたが、
を外れた4発のは発見されなかった。
警視庁組織犯罪対策四課は、市民をも巻き込み兼ねない、
この検証結果を厳重に受け止める。
そして翌27日、警視庁組織犯罪対策四課は、
匿名情報を漏らした人物の信頼性を武器に、
副課長、榎原 昭二名義で新宿区四谷の淀橋一家本部、
渋谷区神山の武守連合本部を対象とする家宅捜索令状を東京地裁に請求した。

   
   

同日午後
新條 清忠の淀橋一家九代目継承以来、守田睦二代目会長、金森 龍嘉は、
淀橋一家九代目理事長代行と組織強化委員長を兼務した。
そんな金森は、税理士資格を持つ司法書士、
小磯 雄平から度々資金管理の指南を受けていた。
淀橋一家九代目に事務局長職は無く、
資産管理は守田睦二代目、金森 龍嘉と、
本部責任者を務める染井組々長、染井 靖隆に依る共同管理で行われていた。
そしてこの日、小磯司法書士事務所に一本の電話が入る。
  娯楽産業健の塩田だ。
    30日に、淀橋にガサが入る。
  (桜田門に)ネタを漏らしたのは(俠仁の)内部の者だそうだ。
  ガサの前日には組対から連絡が行く。
    新條、金森に取次ぎ頼む。
それはパチンコ産業の胴元、娯楽産業健全化機構総務課長、
塩田 蔵三からの密報だった。
その密報は即座に小磯 雄平を介して、
新條 清忠の顧問弁護士、渡辺 紀之に伝えられた。
そして総長室にて連絡を受けた新條は、
執行部本役に絞った、臨時執行部会の召集を通達する。
すると当番の若い者が、即座に盗聴カウンターを手に取った。
そして臨時執行部会が開かれる、四階の応接間を中心に、
階下の三階、大広間、当番詰所から、上階で有る五階、一般応接室、事務室、
更には六階の総長室など隈なく捜索して回った。
特に応接間では、周波数検知器に依る、盗撮機の捜索まで行う徹底振りだった。
そして午後7時、名古屋市中川区に本部を構える、
万代興業三代目、尹 嵩盛を最後に、執行部本役一統が淀橋ビルへと入る。
そして四階の応接間に立ち込める無言の圧力に依り、
ソファーに鎮座する執行部本役や、応接間両側の壁際に立つ、
末席の本役らも厳胆たる面持ちで構えていた。
その空気を読み取った新條は、鋭くも柔らかい物腰で一統を問い質した。
   周知の通り、弥次郎の鉾田さんがられました。
   内の者がったと云う話も出ていますが、
   武守対策長、どうですか?
武守連合初代率いる組織対策委員長、武守 一力は、
両拳を議事台に置いた姿勢の儘、微動打にせぬ面持ちで答えた。
   何の事だか解からんです。
続けて新條は、然り気無い所作で守田睦二代目率いる、
理事長代行兼組織強化委員長、金森 龍嘉に問いを振った。
金森は何処か遊びの有る所作で、新條の問いに答えた。
   内も下を集めて問い正しましたが、
   何処も動いてません。
 断言します。
新條は金森の腹を読むと、続けて淀橋睦会三代目を継承した
幹事長、稲葉 滋に鋭利な眼光を向けた。
すると稲葉 滋は穏便で有りながらも、何処か朗読する様な口調で答えた。
   親分の淀橋一家継承後、淀橋睦を預かり、まだ間もない時分です。
 ですから、突刃モンが出ん様に、私も下を引き締めとりました。
   以上です。
新條は稲葉の腹に確信を得ると、僅かな笑みを認めつつ頷いた。
続けて新條は、田川組二代目率いる総務委員長、大胡 行久に問いを振る。
大胡は議事台に、両拳を縦に置いた姿勢で
右拳の人差し指、親指を摘んで跳ねる様に、伸び縮みさせながら答えた。
  25日は組内で若い者も誘い、鬼怒川温泉に行ってましたから、
  有り得ない話です。
  以上です。
新條は大胡の腹を十分に読むと、続け様に一統に向けて口開いた。
    では、ったのは内の者ではないと云う事ですね?
  存知の通り、30日にガサが入りますが、骨を折られる親父さんら、
    低調に持て成さなくては成りませんね、、
その後、議題は本題の家宅捜索に対する対処へ移って行った。
同時に淀橋一家,九代目新執行部人事に関しても意見交換が図られ、
臨時執行部会が解散したのは午後8時半過ぎの事だった。
そして11月30日午前8時、淀橋一家九代目本部に対して、
組織犯罪対策四課、五課による家宅捜索が執行された。
両脇に石灯篭が立つ玄関付近では、組織対策委員長、武守 一力の発案で、
当番の若い者に捜査員との怒鳴り合いを演じさせた。

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そして頃合を見計らっていた理事長代行兼組織強化委員長、金森 龍嘉が、
「どうぞ、お入り下さい」と淀橋ビルに捜査員を招き入れる。
捜査員は赤外線探知機を用いて、壁の中に隠された異物
三階から六階の総長室まで当て付けがましく探索して回った。
五階の事務室では、会計書類や公的書類を箱詰めする捜査員を脇目に、
捜査班長の前田 智徳が、名刺の束に目を通していた。
そして前田は憶えの有る肩書きと、姓名が刻まれた数枚の名刺に目を止める。
前田は僅かにうなづき続けながら、暫く考え込んでいた。
すると突如、捜査員に捜査終了(中止)の指示を飛ばす。
そして指示に従った捜査員は、ダンボール一個を土産に、
淀橋ビルから撤収して行った。
同時に前田は、同時刻に渋谷区神山の武守連合初代本部に入っていた
家宅捜査班にも、捜査終了の連絡を飛ばす。
前田が目を通した名刺には、警察官僚の超大物、
娯楽産業健全化機構局長、菅野井 厳三郎の物を始め、
菅野井派に連なる日本通信社外総務部長、那珂 智己、
淀橋一家に家宅捜索の情報を流した娯楽産業健全化機構総務課長、塩田 蔵三や、
菅野井 厳三郎の推挙で就任した警視総監、山川 誠十郎の名刺も含まれていた。
新條は名村 満と城崎 玄の返しに依り、
傘下から多くの逮捕者が出る事を見越した。
そしてこの家宅捜索を利用する形で、
警察官僚菅野井派の影響力を密かに試していた。
警視庁組織犯罪対策部長、巣鴨 徳成は、警察官僚亀岡派に近い人物で有った。




第6章 協調

一方でこの頃、細神田 和樹首相を擁立した、
自由共和党刈羽派は絶壁に立たされていた。
その政局には、警察官僚菅野井派の急速な躍進に依り、
亀岡派が衰退しつつ有る背景も大きく起因した。
そしてそんな政局を重く受け止めた自由共和党総務委員長、五反田 荘一は、
密かに自由共和党同志会々長、片岡 睦男に、亀岡派との手切れを促していた。
そんな折りに五反田 荘一が、創報堂からの受託収賄容疑で書類送検されたのだ。
亀岡 常五郎が総務課長を務める広告会社、創報堂には、
自由共和党,情報調査局々長、吉住 耕一の実弟、
吉住 英介も監査役の役職に付いていた。
自由共和党総務委員長、五反田 荘一の書類送検は、
刈羽派の裏切りを許さない、警察官僚亀岡派の見せしめ捜査に依る結果だった。
そしてこの政局を好機と睨んだ警察官僚菅野井派も、
刈羽派に組する元自由共和党,情報調査局々長、吉住 耕一と接触した。
この頃、吉住はアジア・オーシャン航空の筆頭株主と成っていた経緯から、
刈羽派に属する複数の衆参議員に新路線計画など、
株価に影響を及ぼす情報を流していたのだ。
その上で株価上昇分の配当金から、二割を吉住が経理課長を務める、
日本投資顧問協議会の海外口座に振り込ませていた。
そして菅野井派は、金融商品取引法違反と、
特別背任の捜査情報を武器に、吉住へ情報取引を迫った。
その結果、吉住は自由共和党幹事長、尾積 伸三が深く関与した、
アジア・オーシャン航空に関する資金流動書類で、菅野井派に取引を図る。
そして菅野井派は特別背任にも問われ兼ねない、
その資金流動書類を、即座に自由共和党石川派と民主共和党に流した。
この件では、最大野党の民主共和党や石川派参議院議員も、
自由共和党幹事長、尾積 伸三を国会審議で激しく追求する。
そして12月14日には、受託収賄容疑で書類送検された、
自由共和党総務会長、五反田 荘一が議員辞職を表明する事態をも招いた。
刈羽派に対する、その逆風は、来年4月の任期切れを以って、
総理大臣から退く事を決していた、細神田 和樹首相にまで及んだ。

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議員辞職を表明した五反田 荘一の件で、
細神田に対する任命責任を問う、民主共和党の勢いも熾烈を極めた。
そしてそんな政局を睨んだ亀岡 常五郎は、
側近の日本綜合警備機構副局長、白石 采蔵の進言に依り、
ついに菅野井派と取引交渉の場を持つ事を決断する。
そして12月19日、表面化していた違法証券取引疑惑、富士住事件に於いて、
複数の民主共和党衆参議員の関与を裏付ける捜査書類を手土産に、
亀岡派は菅野井派に接触した。
菅野井派からは娯楽産業健全化機構,常任顧問、掛川 粥久が代表を勤め、
同時に自由共和党石川派から政調会長、丹竹 孝三郎の公設秘書、
小山 周治が目付役として同行する。
亀岡派は三越生命業務部長、荻原 久松が代表を務めた。
取引交渉は入間カントリーゴルフクラブを貸し切り、ゴルフ交流を装いつつ行われる。
菅野井派からの条件は、亀岡派に連なる広告会社,創報堂を始め、
青少年健全化育成機構や三越生命などの役員議席に
菅野井派の有力者を加えると云う物で有った。
創報堂と三越生命の保有株譲渡金は、
自由共和党,情報調査局々長、吉住 耕一が用立てする。
そして亀岡派が菅野井派と歩調を合わせる形で、
双方の対立は一応の鎮静化に到る。
だが、それは事実上、警察官僚亀岡派の敗北を意味していた。
同時にその政局は自由共和党刈羽派、警察官僚亀岡派と、
根強い関係を保っていた四代目俠仁会々長、
梅地 芳雅にも、苦渋の決断を強いる結果を招いた。
そしてこの政局が、侠道界の趨勢に影響を及ぼす前に、
四代目俠仁会の体制固めの必要性にも駆られた。
そして12月21日、梅地 芳雅は、四代目俠仁会新執行部人事に関する
臨時執行部会合を、26日に召集する旨を全傘下一門に通達した。
同時にこの前後から、梅地は自身が見定めた、
複数の俠仁会執行部本役の邸宅へ、足繁く通っていた。
だが結局、四代目新執行部人事に向け、執行部本役らの意見を聴く
執行部会合が催される事は無かった。




12月26日
そして予定通り、四代目俠仁会々長、梅地 芳雅主導で、
四代目新執行部人事に関する臨時執行部会合が強行される。
だが、銚子のも有り、大和町第二ビルの玄関両脇には、
警視庁組織犯罪対策課の警備部員が物々しく張り付いていた。
四代目俠仁会本部が入る、大和町第二ビル沿いの通りには通行規制が敷かれ、
通りの反対側には、週刊誌やアングラ雑誌の取材者達も陣取っていた。
そして午前8時59分頃、当て付け囂しくボディーチェックを受けた、
青森県弘前市の四代目俠仁会,大富一家七代目、
越本 靖春が本部入りしたのを最後に、玄関シャッターが閉ざされる。
そして6階の大広間に東北支部長兼常任顧問、越本 靖春が着座すると、
テーブルを挟んで向かい合う執行部役付らは、場を押しす沈黙感を更に深めた。
そして番席にて鎮座する会長、梅地 芳雅は、そんな執行部役付らの気概を悟ると、
やや口早に組織再編に関する発表事項を告げた。
新たに東京都杉並区に本部を構える串ノ屋一家十代目、河野 清治と、
台東区浅草に本部を構える須坂一家八代目、遠藤 灯治が
兄弟縁組を結ぶと云う発表で有った。
分は串ノ屋一家十代目、河野 清治が六分、遠藤 灯治が四分、
取持人は梅地 芳雅が務めると発表される。
この発表に、大広間に鎮座する執行部本役らは、その腹の内で憶測を立て初めていた。
串ノ屋一家十代目は、杉並区内の荻窪、桃谷の島を白川一家十三代目から借り受け、
白川一家十二代目の時分、串ノ屋一家先代の甲村 嵩牡は、
梅地 芳雅、唯一たる五厘下がりの舎弟でも有った。
同時に甲村 嵩牡が、詐欺容疑を理由に破門された事も、その憶測を助長させた。
執行部役付らの腹は、交錯する様々な憶測に依り、重々しく捻り回っていた。
続いて空席と成っていた事務局長職を廃止し、
新たに特別専務職を設け、序列4番目とする発表が梅地から成された。
そして梅地は何かを決した様に一呼吸置くと、
明白な口振りで執行部一統に告げた。
   続いて私の四代目継承に依り、空席と成っていた理事長職ですが、
  私としては今後の俠仁会を高所から見据えた上で、
  一つの結論に到りました。
   では、新條副本部長、宜しくお願いしますよ。
この梅地 芳雅の声が木霊した瞬間、大広間に立ち込める沈黙は、
一瞬、無に近い境地にまで深まった。
だが、我に帰った執行部役付らは、梅地が孕む事情を察すると、
十分に納得の行く推察を導出していた。
梅地派の多くの執行部役付も、梅地 芳雅の憂いを察すれば、
致し方ない決断で有ったと受け止める。
これに依り、新條 清忠は序列19番目の副本部長から、
一気に序列2番目の理事長に到る、俠仁会史上例の無い大昇格を遂げた。
だが、理事長に昇格した新條 清忠は、微動打にせぬ佇まいで
意外にも会長、梅地 芳雅に条件を突き付けた。
   承りました。
   ですが、一つ条件が有ります。
   内の修善ですが、理事長補佐の末席に加えてやって下さい。
  条件はそれだけです。
そして新條の条件を承諾した梅地は、新條の腹は読まず、
薄い笑みを浮かべつつ頷いた。
新條も与えられた大拝命に対し、微動打にもしなかった。
梅地 芳雅は後盾の警察官僚亀岡派が、
菅野井派の事実上軍門に下った事を重く受け止めていた。
そして菅野井派と根深い絆を持つ、新條 清忠と協調する必要性に迫られ、
苦渋の判断から、新條 清忠を理事長に任命したのだ。
同時に其処には「敵は身近に置け」と言う論理も少なからず働いていた。
そして議題は本題の四代目新執行部人事発表に移り、
梅地 芳雅が本役職を序列順に任命する。
筆頭理事長補佐には淀橋派、梅地派とは中立に当たる、
上州寄左衛門一家十二代目総長代行、多野 郁野洲が任命された。
事務局長職の廃止に依り、新たに設けられた特別専務には、
白川一家十三代目、梅地 匡道を任命する。
梅地 匡道は白川一家十三代目総長で有りながら、
三代目俠仁会では事務局長補佐を務め、
資金管理面でも抜け目の無い実績を示していた。
そして抜擢した新條 清忠との均衡を図る為、
梅地 匡道も序列21番目の事務局補佐から、
序列4番目の特別専務に大抜擢されるに到った。
組織対策委員長には串ノ屋一家十代目、河野 清治が任命される。
だが、名村 満ので空席と成っていた組織対策委員長に、
串ノ屋一家十代目、河野 清治が任命された事も、
執行部役付らに様々な憶測を廻らせた。
だが、そんな執行部役付らの気風を他所に、
梅地は新執行部人事の任命を続ける。
そして淀橋一家八代目、田川 昌生の引退に依って
空席と成っていた渉外委員長には、新條 清忠の理事長就任に沿う形で、
淀橋一家九代目,守田睦二代目、金森 龍嘉を抜擢した。
組織強化委員長には文権治一家十代目、望月 剛志が任命される。
文権治一家十代目は、1996年に田川 昌生の推薦に依り、
淀橋一家八代目から、三代目俠仁会直系に昇格した老舗武闘派一門で有る。
本部長には武闘経済派で通す、拝島一家二代目、良成 弘三が任命された。
良成 弘三は、名村 満と共に射殺された、
拝島一家初代、城崎 玄の跡目を継いでいた。
そして白川一家十三代目慶弔委員長、光永 吉郎の引退に伴い、
空席と成っていた特別顧問には安房宗孝一家初代、宗孝 壮明が任命される。
そして梅地は諮問委員長、運営委員長、風紀委員長など、
執行部本役の任命を終えると、
新めて淀橋一家九代目常任理事、修善 正義を、
執行部本役の登竜門と言える、5人目の理事長補佐に任命する。
同時に梅地は物忘れを誤魔化す様な仕草で、
白川一家十三代目,江角十四代目理事長、都島 光章を、
本部当番責任者に任命した。
そして梅地は新執行部人事の発表を終えると、
抜けの座った声で「以上」と執行部一統に告げる。
人事の性質としては、梅地派に連なる経済派の本役を、
淀橋派の武闘で支える狙いが多々有り、
同時に双方が突出し過ぎない様に、双方の発言力が
均等に保たれる配慮も図られていた。
その配慮を上州寄左衛門一家十二代目総長代行、
多野 郁野洲に託す狙いは、多くの執行部役付らも見抜いた。
だがその時、本部当番責任者に任命された江角十四代目理事長、都島 光章は、
三代目俠仁会常任相談役を務めた総長代行、澤尻 江之助に想いを廻らせていた。
そして澤尻が何の役職にも任命されなかった事に強い猜疑心を募らせる。
都島 光章はその腹の内で、憤懣と虚無を交錯させる様に呟いていた。
 当番責任者だと?本役じゃなかったのか!
   これじゃ話が違うだろう!
   跡目は俺に決まったんだ。
 江角は白川に入ったが、(俠仁会の)直扱いすると言ったのは梅地だった筈だ。
   大体、代行の座布団はどうした!
   、、結局、、俺達も使い捨てなのか、、
その時、新條 清忠は左三席向かいに鎮座する、
都島 光章の憤懣漲る面持ちを見逃さなかった。
同時にこの新執行部人事では、梅地が孕む実力主義と
自らの保身に則った人事選出から、
図らずして執行部本役が50代の若手で占められた。
最年長の安房宗孝一家初代、宗孝 壮明が68歳、
それに次ぐ串ノ屋一家十代目、河野 清治でさえ、梅地と同年代の64歳で有る。
この人事に対して、古参の執行部役付には憤懣を認める者も少なく無かった。
特に浦和新崎一家六代目、堀口 公信が、
5人から成る末席の執行部役付、常任顧問に任命された事は
古参の執行部役付らから衝撃的に受け止められた。
堀口 公信は持病の肝硬変を患っていたものの、
三代目俠仁会体制時に序列3番目の筆頭理事長補佐を勤め、
俠仁会四代目継承式典では若者代表を勤め上げた重鎮で有った。
そして午前11時過ぎ、臨時執行部会合が解散すると、
分の順で執行部役付らを迎えに来た高級乗用車が、
大和町第二ビル前の路上で数珠繋ぎと成っていた。
そして親分と守り番を乗せると、次々に大和町第二ビルを後にして行った。




第5章 算段

1999年1月3日夜  
四代目新執行部人事を見計らっていたかの様に、
ついに淀橋一門の木更津班が動き出す。
この夜、突如として大井組四代目若頭補佐、米崎 薫を班長役とする木更津班に、
総指揮役の武守連合初代本部長、国府 吉道から携帯が入った。
    いいか?(弥次郎の)伊織が本家の書室に篭っとるらしい。
    守りの若い者も2人だけだそうだ。
  誰からのネタかは言えんが、信用は出来る奴だ。
  例の場所で別の奴が待っとるから、指示を受けろ。
    そんで今から乗り込んで、今晩中に伊織をれ!
  いいな!
班長役の大井組四代目若頭補佐、米崎 薫は、
神田興行会二代目常任理事、松路 修一、
赤羽屋分家溝崎八代目幹事長補佐、金井 恭二にの次第を告げた。
鉄砲役の松路と金井は皮手袋に手を通すと、
押入れに詰め込まれた巻網から、コルトローマン38口径の密造拳銃を取り出した。
そして即座に漁協寄宿舎の階段を降り、
駐車場に止めて有った漁協組合のワゴンに乗り込む。
そしてワゴンは十六代目弥次郎一家総長代行、
伊織 房心の邸宅が建つ千葉市緑区に向かった。
そして木更津班のワゴンは30分程掛け、
伊織會本家から、四軒隣のカラオケボックス駐車場へ、
吸い込まれる様に入った。

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正月休みも有り、駐車場は満車に近い状態だった。
そして駐車場左奥に漁協組合のワゴンが停車すると、
地味なジャンパー姿の男が、軽く頭を下げつつ近付いて来た。
的取り役の松路と金井は、似合わぬ男の服装と、
自然と漂う殺気から、即座にその男が同業で有る事を悟った。
そして後部座席の松路と金井は、道具を忍ばせた魚貝輸送服の足ポケットに手を入れる。
侠は運転席の米崎 薫の元に着くと、
伊織 房心宅の間取りが詳細に記された紙を差し出した。
そして米崎は無言で紙を受け取り、車内灯を点けて紙面に目を通す。
間取り図には、裏口にい矢印が書き殴って有り、
裏口から入った廊下を左に曲がった、二室目の部屋には赤丸が印付けられていた。
同時に紙の裏面には、駐車場左隅に有る裏口と、
其処から伊織 房心宅の裏口に到るまでの地図が記され、
その道順も赤い線で刻まれていた。
そして侠は、米崎が紙面に一通り目を通した事を確認すると、
かつて米崎が感じた事も無い程の真摯な眼差しを向け、米崎に頭を下げた。
その気概に触れた米崎も持せる最大限の真摯感を込め、
侠に目を逸らさず頭を下げる。
そして米崎は後部座席に鎮座する、鉄砲役の松路と金井に紙を渡した。
侠はその様を見届けると、再び真摯な気概を込めて頭を下げ、
カラオケ店内へと去って行った。
侠の覚悟を悟った米崎は、押し殺した小声で後部座席の二人に告げた。
    いいか?奴が何処のモンだろうが、
    そんな事は気にするな。
  何処のモンだろうが、は俺達と同じだ。
  余計な事は考えず、しっかりいて来い。
  よし、行け!
そして米崎は、松路と金井が駐車場左隅から
裏口に消えたのを見届けると、ワゴンを降りた。
そして侠の後を追う様にカラオケボックスの店内へ入って行った。
米崎はガラス越しに、漁協組合のワゴンが見えるラウンジ席で待機する。
一方で松路と金井は、異様に静まり返った伊織 房心宅の裏口手前で歩を止めていた。
松路は実績に裏付けられた感気を頼りに、
裏口の通り向かいに立つ電柱から、裏口付近の花壇に掛け、
監視カメラの有無に神経を尖らせた。
そして松路は裏口脇の壁に背を付けると、裏口戸のドアノブに触れ、
鍵が掛かっていない事を確認する。
松路は裏口戸に背を付けつつ、音を立てずに、ゆっくりと戸を内側に開いた。
そして松路と金井は、伊織宅の裏口から
人一人がやっと通れる程の細い廊下へ忍び込む。
すると松路は、胸ポケットからジッポーライターを取り出して火を点けた。
そして左手で炎先を包み、光の加減を暗くした灯を頼りに、
抜き足で音を立てず、細い廊下をゆっくりと進んだ。
そして墨彩画が掛かる突き当りを左に曲がり、
赤丸が印されていた伊織の書室付近に辿り付く。
だが、洋風のドアを覗かせる書室付近は、
裏口と同様に、異様な静けさに包まれていた。
松路はジッポーライターの灯を消すと、足ポケットから道具を取り出す。
すると、ドアと壁の隙間から漏れる僅かな光が、朧げに松路らを照らし出した。
そして松路は、既に道具を握る金井に対し、銃口を振ってドアを開ける合図を飛ばす。
松路はドアを背にしつつ、音を立てずにドアをゆっくりと開いた。
その瞬間、開け放たれた書室から、鉄臭の混ざった生臭い空気が、
二人の居る廊下へと立ち込めて来た。
そして有る予感に駆られた二人は、即座に書室へ飛び込んだ。
その瞬間、伊織が座る書席から、右の壁に掛けて飛び散った、
夥しい血飛沫が二人の目に入る。
松路は金井に対して銃口を振り、
伊織が伏せる書席の左側に留まる事を合図した。
そして松路は、床に流れ出したを踏まぬ様に、
書席に伏せる伊織の右側へ歩を進める。
伊織の右側頭部には、2cm口径ほどのが開き、
其処からも夥しいが流れ出していた。
同時に伊織の右手には、見覚えの有るアメリカ製の拳銃が握られていた。

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松路はそのを確認すると、金井に対して
握る道具を大きく裏口の方へ振った。
そして金井と共に書室を出ると、
松路は皮手袋に包まれた手で、書室のドアを静かに閉めた。
そして松路と金井は再び抜き足で廊下を進み、裏口から家外へと出た。
不可解な気配に駆られた二人は、足早に漁協組合のワゴンが止まる、
カラオケボックス駐車場へと向かう。
駐車場に入ると、松路はワゴンの後部座席に、
何者かの影が揺らいでいるのに気付いた。
2人は再び足ポケットに忍ぶ道具を握ると、
忍び足でワゴンから2m程の側面を目指し、ゆっくりと歩を進める。
すると後部座席の影が、ワゴン前方に向けて無造作に手を振った。
2人はその見覚えの有る所作に心当たりを得ると、足早にワゴンへと向かう。
そして松路と金井は、ワゴンのスライドドア越しに、
後部座席に座る総指揮役、武守連合初代本部長、国府 吉道の影を見詰めていた。
松路、金井の2人は、国府 吉道の無造作な手招きに従い、
ワゴンの後部座席に乗り込む。
そして蒼白な顔相を覗かせる2人に、国府 吉道が皮肉る様な口調で話掛けた。
     どうした?2人揃ってデカい足音立てて?
  そんな忍び足立てて歩いとんの、お前らだけだぞ。
  普通に歩けばええんじゃ。
    、、伊織のガキな、んどったろう?
    あれから妙な胸騒ぎがしてな、、
    (お前らより先に)乗り込んで、ワシがブチ込んでやった云う事だ。
  アレはサイレンサー(消音機)が入った、アメリカの上物なんだから、
  (当番の若い者も)誰も気付いとらんかったろう?
的取り役だった松路 猛、金井 俊二の二人は、
呆気に取られた心境で、国府 吉道の乾き切った殺気に翻弄されていた。
同時にカラオケボックスからは、班長役の米崎 薫が慌ててワゴンに近付いて来た。
米崎 薫は後部座席の国府 吉道に目をやると、慌てた素振りで頭を下げる。
そして米崎は即座に運転席に乗り込み、
自然さを装いつつ、漁協組合のワゴンを通りへと滑らせた。
そして銚子方面に向けてカラオケボックスを後にする。
最後尾の後部座席で豪放に座する国府 吉道は、
鉄砲役だった松路 修一、金井 俊に僅かな笑みを浮かべると、
瞬時に無表情な顔相に変わり、何処かへと携帯を入れた。
    淀橋の国府だ。
  宮坂に代われや。
  、、宮坂さんか?近くに妙な奴らも潜っとったが、
    あれは何処のモンか解かるか?
    、、まあ、そんな所かも知れんな。
 それと伊織な、無事に始末してやったから安心せい。
    お宅らで上手く処理すれば、自殺にデッチ上げられるかも知れん。 
 まあ、ともあれ、これでお宅らの邪魔者もえたんだから、
    例の話も宜しく頼むぞ。
  、、ああ、解かっとるがな。
  薄汚い真似だが、淀橋の力見とけや。
    じゃ、三崎さんに宜しく言っといてくれ。
 頼んだぞ。
電話口に出たのは十六代目弥次郎一家理事長、宮坂 定夫だった。
宮坂 定夫は若き時分、三崎 誠造率いる三代目嶺北会十四代目弥次郎一家、
大倉三代目の門を叩いた、古くからの総長、三崎 誠造の懐刀で有る。
宮坂 定夫は、日増しに狼狽えを見せていた三崎 誠造を蔑ろにし、
弥次郎一門の乗っ取りを企てた総長代行、伊織 房心に漲る恚激を募らせていた。
だが、侠道上の義理に忠実な宮坂は、
同門の伊織に手を掛ける事を躊躇していた。
そんな所に、国府 吉道から武守連合初代、
武守 一力が発案した算段を持ち掛けられたのだ。
その算段とは、東金のを反故にする条件として、
伊織 房心の近況を逐一、国府 吉道に漏らし、
淀橋一門の手で伊織を始末してやると云う物だった。
宮坂は、伊織の算段を危惧する傍らで、名村 満のも独自に洗っていた。
そして五代目嶺北会の内部対立に関する情報を得ていた経緯も有り、
恥を覚悟で国府の話に乗ったのだ。
同時に武守 一力は、時期を見て宮坂 定夫に
淀橋一家九代目総長、新條 清忠と舎弟縁組を結ぶ条件も突き付けていた。
その条件は十六代目弥次郎一家総長、三崎 誠造にも伝えられたが、
三崎は四代目俠仁会理事長、新條 清忠と、
五分兄弟縁組を結ぶと云う条件で、国府の話を承諾していた。




同日午前6時頃
十六代目弥次郎一家,伊織會会長付、守尾 清が、
書室に伏せる伊織 房心の異変を発見した。
そして気が動転して察心を無くした守尾 清は、
伊織會本部へ報告する前に、千葉県警へ連絡した。
同時に現場保全に協力する為、書室に当番の若い者を近付けさせなかった。
千葉市緑区の伊織會本家に、千葉県警組織犯罪対策四課、
鑑識課の捜査員が入ったのは午前7時過ぎの事だった。
そして鑑識班の捜査員は、現場証拠を押さえる為、
伊織が伏せ込む書席を有らゆる角度から撮影する。
同時に四課の捜査員は、伊織の握る、
消音機が装着されたソーコムタイプの大型拳銃を、
コルト・ガバメント45口径の密造拳銃で有ると、捜査書類に改竄を加えた。
そして捜査班長の後藤 末松は、現場検証に立会う会長室長、守尾 清に、
伊織 房心の死因自殺で有る可能性を告げる。
その後、捜査班は1時間ほど現場検証を行うと、
伊織會本家、裏口付近に規制線を残して引き上げた。
後藤 末松は、淀橋一家九代目に対する家宅捜索で
捜査班長を勤めた前田 智徳と同じ、
警視庁組織犯罪対策四課の所属で有った。




同日夜
千葉県市原市の十六代目弥次郎一家本部にて、
執行部本役に絞った緊急執行部会合が召集される。
番席のソファーに豪座する総長、三崎 誠造は、
議事台を挟んで向かい合う、執行部本役らの顔色を読みながら、
左から右へ顔を振って睨みを利かせた。
そして芝居下手な三崎は、憔悴した顔相と鋭利な顔相を使い分けつつ、
執行部本役らに苦々しく口開いた。
  もうお前らも知っとろうが、伊織が自決しよった、、
   ワシとお前らの板挟みん成って、伊織も追い込まれとったんだろうな、、
  いいか?このはワシらでは、どうにも成らん力も関わっとる。
   以後、余計な詮索は慎め。
   このはこれで終わりじゃ、、
  文句有る奴は、バッチ置いてこっから出てけ!
   以上!
だが、執行部本役らは、顔を俯かせて黙するだけだった。
そして結局、執行部本役から一人の離反者も出さず、
伊織に組した執行部本役らも、番席に豪座する
三崎の顔色を脇目で伺うだけだった。
そして三崎も、伊織に組した執行部本役らを不問とした。
此処に四代目俠仁会淀橋一家九代目を中心とする、
名村 満と城崎 玄の返しは、一応の決着に到る。
同時に淀橋一家九代目組織対策委員長、武守 一力が提唱した、
笹川組主流派への対抗軸も、確固たる形で構築された。




第4章 謀議

1月8日
一方でこの頃、細神田 和樹総理大臣を擁立した、自由共和党刈羽派は、
議員辞職した総務会長、五反田 荘一に続いて、
幹事長、尾積 伸三も受託収賄容疑で書類送検された事を厳重に受け止めていた。
そして3月16日に催される決算委員会への影響を鑑みた、
日本経済団体親睦会々長、山県 秋朋は内閣官房長官、三田 哲雄へ、
2月中旬までに内閣を解散させる旨を指南した。
そしてこの日、自由共和党石川派の最大支持母体で有る、
日本経済産業省,元商務情報政策局々長、飯岡 昭二らと、
刈羽派に連なる自由共和党,元政務調査会々長、松山 敬之助らが、
東京都港区の荻原税理士事務所で面会した。
そして松山側から、次期内閣の統制を石川派に譲る趣旨が明言され、
同時に民主共和党の与党政権樹立を阻止する為、共に結束する旨が提案された。
その提案に対して、飯岡側から僅かな意思確認が図られたものの、
民主共和党の与党政権樹立阻止を第一義とする姿勢で、
石川派を代表する飯岡側は、松山側の提案を承諾した。
そして松山側に列席する三越生命副次長、大前 文路は、
飯岡 昭二に対して、三越生命の法人代表名義が署名された、
50億の保障小切手二枚を応接テーブル上に差し出す。
すると飯岡側に列席する東京野上急便常任理事、小村 健三は、
保障小切手の記載を確認しつつ、自身の名刺裏面に雑書きの受取りサインを刻んだ。
そして素早い手付きで、受け取りサインを三越生命副次長、大前 文路の側に滑らせた。
その様を見届けると、自由共和党,元政務調査会々長、
松山 敬之助が毒々しい口振りで溢した。
  東京野上の件で(自由共和党幹事長の)尾積先生に指南を仰いだのは、
  (東京野上の)諸見専務理事でしたね、、
  我々も、もう少し袖を律するべきでした。
  いやあ、我々の負けですな、こりゃ。
松山 敬之助の毒々しい捨てゼリフに、日本経済産業省,元商務情報政策局々長、
飯岡 昭二も高慢極まりない口調で言葉を添えた。
  争う事で文明開化が齎されて来た様に、
  政治も争う事で、時代に相応しい姿を得るのです。
  まあ、刈羽 拓栄の亡霊など、今は誰も望んでないと云う事でしょうね。
  その為に我々も、団結の証として(東京野上の)領収書をあなた方に渡したのですから。
  、、では18日の予算委員会で、こちらが細神田先生の任命責任を問い質します。
  それを合図に細神田先生の口から、、と云う事で宜しく願いしますよ?
そして自由共和党石川派を代表する飯岡側と、刈羽派を代表とする松山側は、
互いに見え透いた社交辞令を交わしつつ荻原税理士事務所を後にする。
だが、双方が荻原税理士事務所に出入りする際、
通りの反対側ではさり気無い素振りで歩く、2人のリーマン姿の侠がいた。
淀橋一家九代目,淀橋睦会三代目理事長補佐、野村 恭介らで有った。
野村 恭介は、アタッシュケースの取っ手部分に仕掛けた
盗撮レンズで、双方が接触する様を盗撮していた。
そして翌1月9日夕方、その盗撮テープは、
淀橋一家九代目,新條 清忠の顧問弁護士、渡辺 紀之の元に届けられた。
新條は自由共和党石川派、延いては菅野井 厳三郎の裏切りを許さぬが為、
常に両者の秘密を押さえる事を心掛けていた。
そしてその証拠物の多くは、既に日本国内には無かった。
新條 清忠はそうする事で、両者との根深い関係を維持して来たのだ。




1月18日
そしてこの日に催された衆議院予算委員会の答弁にて、
自由共和党石川派が幹事長、尾積 伸三と、
総務委員長、五反田 荘一の任命責任を、細神田総理大臣に厳しく追求する。
その追求の流れを見計らう形で、細神田総理も論点を逸らした
長々しい弁明の末に、第八十六代細神田内閣解散を表明する。
そしてその場で、出席した衆参議院議員による内閣不信任決議が採決がされた。
その結果、不信任109票、信任37票で内閣不信任決議が可決する。
これに依り、衆議院も解散に到る。
此処に第八十六代細神田内閣は正式に解散した。
同時に3月16日の決算委員会を睨み、衆議院議員総選挙を
期日を詰めて2月1日とする事、内閣総裁選を2月5日とする事が議決された。

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その一報を受けた警察官僚亀岡派の元締、亀岡 常五郎は、
即座に菅野井派に連なる青少年健全化育成機構,常任顧問、掛川 粥久に、
菅野井派の元締、菅野井 厳三郎への取次ぎを依頼した。
そして亀岡側から、菅野井派に連なる広告会社、日本通信と、
亀岡自身が総務部課長を務める創報堂に依る、
各報道機関への対応策が再確認される。
2時間後、日本綜合警備機構,リスク管理課長室に詰める、
亀岡 常五郎の元に、日本通信総務部長、大村 松代から連絡が入る。
そして亀岡側の意向を、菅野井側も再確認したとする返答が成された。
同時に富士住事件に於いて、複数の民主共和党衆議院議員が関与した情報を、
各報道機関に仄めかせる提案も再確認される。
そしてこの日を境に、各報道機関は事前の推定得票率で、
自由共和党石川派、岸本派の両派が、
圧倒的多数で議席確保する可能性を扇動的に報道した。
そして購読者数で第一位の座を誇る、經済産業新聞は、
連日の様に違法証券取引疑惑、富士住事件に、
民主共和党衆議院議員が関与した疑惑を誇大的に載せ続けた。
当然の様に侠道界も、積年の柵みの如く躍動を始める。
そして政財界の趨勢を察した、四代目俠仁会や五代目嶺北会、
七代目笹川組などの代紋も、関係各方面に自由共和党石川派の支援を持ち掛けた。
そんな最中の1月21日、埼玉第四区から立候補した元埼玉県知事、
新塚 共明の選挙対策室本部長、守丘 寛太が、
自宅付近の路上で、二人組の男に両腿をされて重症を負う。
そして23日、匿名の情報から、淀橋一家九代目,守田睦二代目大津会若頭、
南風原 重男が、出資法違反容疑の別件で全国指名手配される。
大津会若頭、南風原 重男は、知事辞職後の新塚が起こした
不動産会社に2000万を貸し付けていた。
だが、衆院選立候補に向け、新塚 共明は大津会若頭、南風原 重男に何の挨拶も無く、
七代目笹川組兼崎会,奥安総業会長、奥安 陽平に票纏めを依頼し、
その事に南風原が腹を立てての襲撃で有った。
更に1月25日には、静岡第二区から立候補した元藤枝市々長、
森岡 基の選対本部に「森岡は刈羽の亜流だ。(立候補)取り下げんと、
森岡の娘さん、シャブ漬けにして俺の女にするぞ」と脅迫電話が入る。
そして27日、静岡県掛川市に本部を構える、
四代目俠仁会淀橋一家九代目,徳永組若頭補佐、白尾 大輝が、
脅迫容疑と覚醒剤取締法違反容疑(使用)で逮捕された。
同日夜、これら事態を受け、淀橋一家九代目執行部は、
石川派に無用な迷惑を掛けまいと
総長、新條 清忠発案の「礼節を弁えぬ不心得者に、明日の夜明けはれず」と云う、
不穏な通達を飛ばす一幕も有った。





投票期日の2月1日、衆議院議員総選挙が執り行われる。
そして各報道機関の世論操作が功を奏した結果、自由共和党石川派、岸本派は、
衆議員議席251席を獲得して、自由共和党最大派閥の座を獲得した。
だが、一方の刈羽派は衆議院議席47席にまで議席数を落とし、
衆議院議席53席を獲得した民主共和党に敗北する失態を招いた。
刈羽派に連なる執行部本役2人の嫌疑が仇と成り、
世論を睨んだ造反議員が相次いだ事が最大の敗因だった。
此処に自由共和党刈羽派は、衆議院議席47席と云う大惨敗を喫した。





翌2月2日未明
自由共和党の祝勝会は、翌未明に到っても祝訪者の途切れぬ盛況振りだった。
その中には、刈羽派から造反した自由共和党衆議院議員や、
刈羽派を支持していた参議院議員も多数掛け付けた。
そしてその時、石川派に連なる政調会長、丹竹 孝三郎の公設秘書で有る小宮 周治は、
自席テーブルに着きつつ、その盛況振りに酔い痴れていた。
そして小宮は、自身の元に置かれたペットボトルのお茶に口を付けた。
その約5分後、小宮は意識が昏倒してその場に伏せ込んだ。
小宮 周治は急遽、聖徳会女子医科大学病院に緊急搬送される。

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そして午前3時過ぎ、意識が安定した小宮は、個室のベッドに就いていた。
一方でその頃、聖徳会女子医科大学病院の受付に、
若手議員を装った3人の侠が訪れる。
淀橋一家九代目淀橋睦会三代目,條政会々長、佐々木 典夫、
淀橋睦会三代目田端五代目幹事、久保 真和、
元江角一家十三代目黒澤組々長、黒澤 穣次の3人で有った。
佐々木 典夫は、応対した女性処方士に、
自由共和党政調会長、丹竹 孝三郎の名刺を切ると、
堅い筒状物と細長い金属が入った処方袋を受け取る。
そして冷徹かつ無表情な面持ちを覗かせる佐々木らは、
正面玄関左のエレベーターに乗り、小宮 周治が床に就く、四階の個人病室へ向かった。
四階に昇ると、佐々木らは事前に知らさた偽名表札の個人病室前で歩を止める。
そして佐々木 典夫は、処方袋から個人病室の合鍵を取り出しつつ、
当たりを脇目で見渡しながら、人影が無いの事を確認した。
佐々木は見舞いに訪れた若手議員を装い、個人病室のドアを軽くノックすると、
自然な仕草でドアを開け、久保、黒澤と共に個人病室へ忍び込んだ。
そしてその気配で目を覚ました小宮 周治へ、久保 真和が道具を突き付ける。
同時に放心状態に陥った小宮 周治を、
元黒澤組々長、黒澤 穣次が羽交い絞めにして立たせた。
だがその時、小宮 周治に道具を突き付ける久保 真和の手付きが、
独特の震えを来たしている事を佐々木 典夫は見逃さなかった。
だが、佐々木 典夫は躊躇せず、処方袋より、
高濃度筋弛緩剤入りの注射器を取り出すと、小宮 周治の右腕静脈に注射針を突き刺す。
その瞬間、小宮 周治は、半ば痙攣するかの様に床に伏せ込んだ。
約15分後、佐々木はジッポーライターを点け、その灯りを頼りに、
小宮 周治の瞳孔が開いている事を確認する。
そして久保、黒澤に対し、ベッドに向けて手を振った。
従う様に久保、黒澤が、二人掛かりで小宮のをベッドに戻すと、
佐々木ら3人は、ドアを開けて個人病室の外に出る。
最後に佐々木は「では、お大事に」と小声で囁きつつドアを閉め、
3人は見舞いに訪れた若手議員を装い、個人病室を後にする。
そして朝の報道で、丹竹 孝三郎の公設秘書、小宮 周治の急死が大々的に報道された。
死因は急性心不全と報道される。
一方で同日午後、聖徳会女子医科大学病院の受付で、
佐々木らに処方袋を手渡した女性処方士、西野 千賀子にも転機が訪れた。
西野 千賀子は聖徳会女子医科大学病院,メディカルバンク連携室長、仁多 明常から、
名古屋聖徳会病院への転属を命じられる。
同時に仁多から手渡された茶封筒には、三越生命の法人代表名義で振り出された、
1億の保障小切手と、雑書きの紙片が同封されていた。
  ご息女様の彩華さんは一人っ子でしたね?
  急遽決まったあなたの夜勤を、不審に思っているかも知れません。
  既にさる方から、彩華さんにマスコミが接触したと云う連絡も受けております。
  彩華さんの素行は、母親たるあなたが指導すべきです。
  来年の進学では、敬林義塾大学の医学部がご志望との事だそうですが、
  そちらの件も我々にお任せ下さい。
  今回は政局の都合で、世俗の外道を使いましたが、
  我々医師は、人を救う事が出来れば、人をめる事も出来る立場です。
  私も日本医師会に席を持つ身ですが、日本医師会が、
  何故、今日の政界において発言力を得るに到ったのか、
  その経緯もお察し頂ければ何よりです。
  私の一存とは云え、あなたに女子看護士長と云う、栄え有る席を用意したのですから、
  未明のは終生、他言無用を心掛けて下さい。
  ではご息女様の彩華さんへ、お体を大事に、とお伝え下さい。
仁多 明常は、日本医師会常任理事の要職に就く、医科学界の大物だった。
一方で自宅に戻り、この紙片に目を通した西野 千賀子は、
母手で育て上げた一人っ子の長女、西野 彩華の身を憂いでいた。
だが、既に西野 彩華は、私立高校からの帰路で、
1人のフリージャーナリストから母親の疑惑を聴かされていた。
其処には四代目俠仁会の要職に就く侠が顧問弁護士を介し、
石川派への祝勝祝いを込め、複数のマスコミに情報を流した事に要因が有った。
そして日本医師会に精通するフリージャーナリストが、
聖徳会女子医科大学病院に務める非常勤の女性看護士から、
西野 千賀子に関する証言を得るに到っていた。
長女の西野 彩華がフリージャーナリストの執拗な聴き取りに依り、
不安定な精神状態で母、西野 千賀子の元に帰宅したのは午後9時過ぎの事だった。
だが、そんな慎ましい母子の事情とは関係無く、
2月5日、自由共和党総裁選も期日を詰めて行われた。
そして自由共和党衆参議員に依る入札投票の結果、
石川派に連なる幹事長代行、小洗 敬一郎が第八十七代内閣総理大臣に就任した。
此処に自由共和党石川派は、第八十七代小洗内閣を擁立させる。





2月6日
小洗内閣が発足した翌日、侠達にも祝勝祝いが送られた。
そしてこの日、三越生命が管理するマレーシア・クアラルンプールの法人名義口座から、
淀橋一家九代目,淀橋睦会三代目が管理する、
インド・ニューデリーの法人名義口座に40億が振り込まれ、
同時に白川一家十三代目,江角十四代目が立てた、
共栄コンサルティングの法人口座には、10億が振り込まれる。
自由共和党政調会長、丹竹 孝三郎の公設秘書、小宮 周治は、
警察官僚亀岡派と菅野井派が接触した際、
自由共和党石川派から目付役として同行していた。
同時に菅野井派が、亀岡派に連なる関連企業の保有株を要求した際、
創報堂と三越生命の保有株譲渡金を自由共和党,情報調査局々長、
吉住 耕一が用立てた事も、小宮 周治の知る所と成っていた。
自由共和党石川派は小洗内閣擁立に先駆け、後顧の憂いをつ為にも、
野心深い小宮 周治を口止めする必要性に駆られたのだ。
議員の公設秘書とは、国会議員への登竜門と言える立場で有る。




3月4日
カンボジア・シアヌークビル郊外の海岸で、
背中に千手観音の彫り物が入った射殺体が発見される。
そして翌5日、日本の各報道機関は射殺体の身元を、
指定暴力団,侠仁会系幹部、久保 正一と報道した。
久保 正一とは聖徳会女子医科大学病院にて、小宮 周治に道具を突き付けた、
淀橋睦会三代目田端五代目幹事、久保 真和の事で有る。
その際、班長役を務めた淀橋一家九代目幹事長補佐、佐々木 典夫は、
道具を握る手付きや、脂ぎった浅黒い顔色から、
久保 真和に覚醒剤を打つ者独特の気配を感じていた。

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佐々木の報告を受けた淀橋一家九代目、新條 清忠は、
久保が覚醒剤の禁断症状に駆られ、小宮 周治のを他言する可能性を零した。
そして新條のを読んだ佐々木は、久保をシアヌークビルに逃亡を兼ねて渡航させ、
約1ヶ月の間を置いた3月2日、別働班が久保を口止めしていた。
そして3月18日、この仕事を遂げた元江角一家十三代目黒澤組々長、黒澤 穣次らを、
淀橋睦会三代目、稲葉 滋も高く評価する。
その結果、稲葉 滋の推挙に依り、元江角一家十三代目黒澤組が
淀橋一家九代目,淀橋睦会三代目に加名した。
黒澤組々長、黒澤 穣次は、名村 満がられた責任を問われ、
江角一家十三代目から破門に処されていた。
その一方で3月24日、淀橋睦会三代目本部は、
「侠道に反する所業多々有り」と云う名目で、覚醒剤使用者を的取り班に出した
淀橋睦会三代目田端五代目、沖永 弘三に無期限謹慎の処分を下す。
田端五代目幹事、久保 真治は、仕事の前日1月31日に用件を知らされず、
新宿区若松の淀橋睦会三代目本部から呼び出しを受けていた。
その用件は総長、沖永 弘三は疎か、田端五代目の誰にも知らされなかった。
そして突如として受けた謹慎処分に田端五代目、沖永 弘三は、
淀橋睦会三代目本部に憤懣を滾らせた。




4月19日
この日、国家公安委員会にて指定暴力団壊滅を視野に入れた審議会が催される。
主題は指定暴力団を対象とする暴力団対策法の改正、
そして新法、組織犯罪処罰法の主条項に対する是非だった。
だが、菅野井派に連なる審議委員に依り、
暴力団一層の凶悪化や外国人犯罪の増加など、
主条項に対する様々な弊害が指摘された。
その結果、審議委員会は組織犯罪処罰法の主条項を対象とする
制定決議を賛成20票、反対41票で否決した。
結局、組織犯罪処罰法制定は、主条項を破棄する形で、
暴力団対策法の改正案は提唱通りに可決する。
同時に組織犯罪処罰法、主条項の代換案として、
暴力団排除に関する条例の早期制定が議論された。
そしてこの国家公安委員会で審議された決議案は、
即座に顧問弁護士を介し、四代目侠仁会々長、梅地 芳雅と理事長、新條 清忠にも伝えられた。
四代目俠仁会本部の応接間で一報を受けた四代目侠仁会々長、梅地 芳雅は、
本部に詰めていた執行部役付らに臆する事無く、その青冷めた顔相を晒していた。
同時に、久方振りに淀橋一家九代目本部に詰めていた新條 清忠は、
その顔相に僅かな笑みを認めつつ、張り詰めていた胸を僅かに撫で下ろした。
この日、国家公安委員会で何が審議されたのか?
それを知る者は七代目笹川組執行部や五代目嶺北会執行部、
そして四代目侠仁会執行部の限られた者だけだった。




第3章 共鳴

2004年7月
侠仁会四代目体制が発足して約5年の歳月が流れた。
新條 清忠が理事長に抜擢された際、
理事長補佐に指名した淀橋一家九代目,神田興行会二代目、修善 正義も、
四代目俠仁会風紀委員長を務めるに到っていた。
会長、梅地 芳雅が提唱する組織再編も更に押し進められ、
提唱当時には82社を数えた直系一門も、59社にまで再編が図られた。
だが、東金の件に関する憶測は、5年の歳月を経ても尚、呪怨の様に残り、
それが俠仁会執行部に淀んだ猜疑感を与えていた。
この頃、新條 清忠が淀橋一家先代、田川 昌生と相談の上、
1998年に撒いた怪文書を覆す重大な情報が、
依り具体的な信憑性を以って流れていた事も、その呪怨に猜疑の瘴気を与え続けた。
警察官僚亀岡派と自由共和党旧刈羽派から見限られつつ有った、
四代目俠仁会々長、梅地 芳雅も、その猜疑心に飲み込まれていた。
理事長、新條 清忠に対する、保身に満ちた独善的意見も目立ち、
それが一部の梅地派に連なる執行部役付からも反感を買う有様だった。
当初は歩調が揃っていた四代目執行部も、今は変わり果てていた。
そんな最中の7月12日午前1時頃、新潟市内で七代目笹川組若頭補佐、阿部 鐘明が、
阿部組本部事務所付近にて、
七代目笹川組,三代目盛國会五代目愛宕組に依って銃撃される。

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阿部 鐘明は、右腹部に二発のを受けて重傷を負った。
この事態に七代目笹川組反主流派に連なる阿部組は、
組長、阿部 鐘明がにされた衝撃を受け、
直ちに返しに向けた迅速な行動を起こす。
そして三時間後の午前4時過ぎ、
富山県魚津市の三代目盛國会多良総業本部玄関に、
C4プラスティック爆弾が炸裂する。
6時過ぎには、新宿区歌舞伎町の三代目盛國会辰心連合本部に5発のが打ち込まれた。
一方でほぼ同時刻帯に、三代目盛國会二代目鴨川組傘下組員二人が、
大阪府枚方市の七代目笹川組兼崎会兼臣会本部に
7発のを打ち込むと云う、不可解な襲撃も起こった。
これを受け、七代目笹川組総本部も若頭、兼崎 増代の分名に依り、
当日付けで三代目盛國会々長、鴨川 辰糸に謹慎処分を下す。
鴨川 辰糸も七代目笹川組相談役を務める、七代目笹川組反主流派で有った。
そして翌13日、三代目盛國会本部が、鴨川 辰糸に無断で
を起こした五代目愛宕組々長、高井 浩二郎を絶縁処分にした。
分名は若頭、友村 重昭と本部長、和海 晴市で有った。
7月15日、七代目笹川組有数の武闘派で通す阿部組は、
理由は如何有れ、組長、阿部 鐘明がにされた衝撃を鑑み、
此処に極道の矜持を懸けた断固たる答えを出す。
そして富山市内にて三代目盛國会若頭、友村 重昭が、
大型バイクに分譲した阿部組六代目京ヶ瀬一家傘下二人に依って射殺される。
それを境に、北陸地方から東京都内に掛け、
双方9ヶ所の傘下事務所に42発のを打ち込み合う。
その結果、三代目盛國会若頭補佐、安曇 剛力が阿部組乃木崎一家に依り、
五代目愛宕組事務局長、柴井 宗人も何者かに依って射殺された。
一方の三代目盛國会二代目鴨川組も、三代目盛國会和海組々長、和海 晴市を狙い、
和海邸宅が建つ滋賀県草津市へ、4人から成る的取り班を潜伏させていた。
阿部組々長、阿部 鐘明をにした三代目盛國会五代目愛宕組々長、
高井 浩二郎は和海組々長、和海 晴市の七分三分の舎弟義分に有り、
同時に和海に対し、20億の詰めを抱えていた。
そして五代目愛宕組は、阿部組が締める北陸国際空港建設に向けた
再開発事業に何の断りも無く、傘下の北道会、石上組、一磨会などを食い込ませていた。
これらの複雑な要因が重なり、内部抗争は激化と混迷の度合いを深めた。
一方で、同様に新潟市に本部を構える、
淀橋一家九代目,赤羽屋分家溝崎八代目総長、庄子 正暁は、
七代目笹川組阿部組々長代行、乃木崎 輝雄の六分四分の舎弟で有った。
その経緯から、四代目侠仁会淀橋一家九代目、新條 清忠が、
阿部組と三代目盛國会の双方に対し、仲人に名乗りを上げる事を決意する。
そして7月18日、七代目笹川組総本部が、
三代目盛國会々長、鴨川 辰糸に絶縁処分を下したのを見計らい、
淀橋一家九代目理事長、金森 龍嘉は阿部組々長代行、乃木崎 輝雄と、
三代目盛國会本部長、和海 晴市の両者に連絡を入れた。
そして淀橋一家総長、新條 清忠が仲人に立つ旨を両者に申し立てる。
翌19日、治療の為に病床に伏せていた七代目笹川組若頭補佐、阿部 鐘明が、
淀橋一家九代目、新條 清忠の仲裁を承諾する。
同時に三代目盛國会を代表する形で本部長、和海 晴市も仲裁を受け入れた。




7月21日
新潟市の越後ニュープラザホテルにて、
七代目笹川組阿部組と、新條 清忠を筆頭とする四代目俠仁会勢が面談した。
四代目俠仁会からは理事長、新條 清忠と渉外委員長、金森 龍嘉の他に、
会長、梅地 芳雅の指示を受けた白川一家十三代目渉外委員長、柾春 源一が同行する。
当初は淀橋睦会三代目、稲葉 滋に申し出に依り、
守り番を乗せた2台のワンボックスカーを護衛に付ける事が進言された。
だが、新條は笹川組に対し、四代目俠仁会の性根を見せる為、稲葉の申し出を固辞した。
その結果、淀橋睦会三代目総務委員長、小川 悟を運転手に、
守田睦二代目本部長代行、守田 友永を運転助手、
左後部座席に神田興行会二代目副会長、
矢部 寿一を守りに付けての新潟入りと成った。
そして午前11時前、新條は金森、柾春をラウンジに残して、
話し合いが持たれる四階、424号室の洋風テーブルに着いていた。
そして午前10時56分、組長、阿部 鐘明を襲撃された、
七代目笹川組阿部組々長代行、乃木崎 輝雄と、
守り番の若い者、総勢9人がホテル玄関に姿を見せる。
その内、アタッシュケースを持つ4人の守り番は、
乃木崎 輝雄を挟む様に、左右2人づつ配置されていた。
そして金森、柾春の両名も、阿部組一統と5mほど距離を置きつつ、
その正面に出て僅かに頭を下げた。
そして渉外委員長、金森 龍嘉は阿部組々長代行、乃木崎 輝雄へ、
既に新條が場に着いている事を告げると、
正面玄関左に聳える豪勢なエレベーターに右手を翳した。
すると阿部組々長代行、乃木崎 輝雄も、
阿部組若頭補佐、結城 栄助を同行させる旨を金森に告げる。
同時に乃木崎は7人の守り番へ、ラウンジに残る事を指示した。
そして金森が正面玄関左脇のエレベーター、四階ボタンを押すと、
エレベーターのドアが即座に開いた。
そして淀橋一家九代目理事長、金森 龍嘉と、
白川一家十三代目渉外委員長、柾春 源一が案内役を勤める形で、
乃木崎、結城の両名は、エレベーターで四階へと昇って行った。





新條 清忠は、424号室のドアに背を向けつつ、ソファーに就き、
阿部組々長代行、乃木崎 輝雄は窓側のソファーに就いていた。
同時に跳ねっ返りの襲撃を避ける為、
アタッシュケースを持つ阿部組若頭補佐、結城 栄助がドア脇に張り付いた。
金森 龍嘉と柾春 源一は、乃木崎の視界に入る形で
応接テーブル、左右両脇の壁に張り付く。
そして新條 清忠は親分、阿部 鐘明を襲撃されて、
鋭利な殺気を放つ阿部組々長代行、乃木崎 輝雄へ宥める様に口開いた。
  阿部組と言えば一家2300人を誇り(預かり)、
  笹川組切って(有数)の武功を誇る名門として、
  全国津々浦々、誰もがその功名を知る所です。
    親(分)、にされて返しに出るのも、この世界に生ける者なら当然の事、
  阿部組もこの一週間ほどで、二人からけじめを取り、分を果たされました。
  (暴対法の締め付けの中で)これ以上、その武闘を見せずとも、
  この渡世に生ける者なら、誰もがその武功を認めた筈です。
  故に今は高所的な見地から、笹川組安泰の道を、
  模索する時分ではないでしょうか?
阿部組々長代行、乃木崎 輝雄は、収まらぬ憤怒を抑えつつ温和な口調で答えた。
    新條さん、延いては淀橋さんの武功も、
  我々、笹川の代紋で生きとる者なら、誰もが知る所です。
  新條さんの賞賛を頂き、私の腹も(初めから)固まりました。
  先ず兼崎、和海の件は京都(総本部)で問い質すにせよ、
  私ら阿部としては盛國が北陸国際空港、
  (建設に向けた)再開発の纏め(動産整理)から
  引かない限り、一度上げたは収められんと云う事です。
新條 清忠は乃木崎の気概を読むと、滑らかな口調で口開いた。
  阿部さんの立場としては、それが当然でしょうね、、
  ですが一つだけ確認したい事が有ります。
  (射殺した)盛國会の頭、友村さんの所在を
  乃木崎さん、あなたに漏らしたのは
  (和海組若頭代行、)師岡さんに間違い有りませんね?
  、、(淀橋が割った裏と合わせて)それだけ割れてれば十分です。
  分かりました。
  盛国会には私の身命を懸け、話を付けさせて頂きます。
乃木崎 輝雄は含みを込めた口振りで、新條の答えを受け入れた。
  流石は俠仁会の新條さんですね。
  では、新條さんの意気に従い、盛國の件、お任せ致します。
続け様に乃木崎は、何処か心残りを秘めた眼差しを伏せ隠す様に、新條へ一礼した。
  では宜しゅうお願い致します。
新條も乃木崎の腹に違和感を残しつつ一礼した。
  私も俠仁の代紋に生きる者です。
  事と次第では(若頭、)兼崎さんにも会わなくては成らないでしょうが、
  まあ、後の事は我々に任せて下さい。
乃木崎は豪胆な笑みを浮かべつつ、新條の精魂を読みながら小さく頷いた。
その様を見届けた淀橋一家九代目理事長、金森 龍嘉と、
白川一家十三代目渉外委員長、柾春 源一も乃木崎に軽く頭を下げる。
そして柾春は、乃木崎 輝雄らの送り仕度をするかの様に、足早にドアから出て行った。
だが、柾春は密かにエレベーターを二階で降り、薄暗い化粧室に入っていた。
そして便座に座る柾春 源一は、伏せ声で何処かへと携帯を飛ばした。





ホテル正面玄関には、既に運転手の守り番が座るベンツS320と、
阿部警護団が乗るエルグランド350が横付けされていた。
そして守り番4人に囲まれた阿部組々長代行、乃木崎 輝雄が、
新條 清忠、金森 龍嘉と共にホテル玄関から姿を表した。
乃木崎らがベンツの前に着くと、乃木崎 輝雄は新條、金森の両名に、
精魂入った眼差しを覗かせつつ、無言で軽く頭を下げた。
すると即座に守り番の1人が後部座席のドアを開ける。
同時にアタッシュケースを手に持ち、乃木崎を囲んでいた4人の守り番が、
後部座席にゆっくりと乗り込む乃木崎を、座席ドア付近の前後から挟み込んだ。
アタッシュケースの中には厚さ3cm程の鉄板が入っていた。
そして乃木崎が後部座席の真中に座すると、
守り番2人も乃木崎を挟む様に後部座席に座した。
残った5人の守り番も、後衛役のエルグランドワゴンに勢い良く飛び乗る。

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そして後部座席に座する阿部組々長代行、乃木崎 輝雄は、
玄関前で見送る新條、金森に再び精魂入った眼差しで頷いた。
そしてエルグラントに後衛されながら、
乃木崎 輝雄の乗るベンツも越後ニュープラザホテルを後にした。
そしてその時、白川一家十三代目渉外委員長、柾春 源一が、
慌てた素振りでホテル玄関から姿を見せた。
新條は柾春を直視せず、視界脇に映る柾春の所作を睨んでいた。





そして新條 清忠、金森 龍嘉の両名も、
守り番3人と共にセンチュリーGZG50に乗り込んだ。
同時に白川一家十三代目渉外委員長、柾春 源一も、
守り番と共に同型車のセンチュリーGZGに乗り込む。
そして新條らは、七代目笹川組若頭補佐、阿部 鐘明を襲撃した、
三代目盛國会と掛け合う為、本部の有る富山県高岡市へと向かった。
だが、車列が北陸自動車道、新潟西インターに入る寸前の事だった。
先頭を走るセンチュリー、後部座席に座する新條 清忠に、
後続のセンチュリーに乗る柾春 源一から携帯が入った。
  柾春です。
  新條理事長、只今、急用が入りまして、
  我々はこれから東京に戻らねば成らんのです。
   ここは私がいても、理事長の足を引っ張るだけでしょう。
  我々の事は気にせず、盛國に侠を通して下さい。
新條は鋭利な洞察を廻らせながら、暗に含み持たせつつ柾春の腹に促した。
   そうですか、、
   事と次第では梅地会長の威信に関わりますから、
   我々の事は気にせず、早く東京に戻りなさい。
柾春は一瞬、妙な違和感を憶えつつも新條の指示に従い、
関越自動車道で東京へと戻って行った。
そして新條らを乗せたセンチュリーは、単独で北陸自動車道に入り、
七代目笹川組三代目盛國会本部に向かう。
だが、北陸自動車道を進む新條一行が、新潟県上越市を過ぎた頃だった。
新條の携帯が、再び着信を知らせる微動を震わせた。
そして新條は何かを確信する面持ちで携帯に出た。
 笹川、盛國の(本部長、)和海です。
   俠仁会、淀橋さんの新條さんですね?
 今回は遠路遥々、御足労を頂き、存じ上げる言葉も御座いません。
 盛國としましては、新條さんが配慮して下さいました、
 梅地さんの意見に従い、(東京)有明の開発の件で無事、
 話を付けさせて頂いた次第です。
 先の先に隠然たる配慮を廻らす、
 新條さんの矜持、聢と受け止めさせて頂きました。
 就きましては今般のお礼として、能登の懐石料理を御馳走したく、、
新條は三代目盛國会本部長、和海 晴市の傲慢に満ちた礼賛を割った。
 いえ、話が付いたなら、私の出る幕は無いのです。
 私らの事は気にせず、今は笹川組の安泰だけを考えて下さい。
新條は鋭利な洞察力を尖らせ、含みを持たせて続けた。
 では、私らは東京に戻るので。
   兼崎さんにも宜しくお伝え下さい。
携帯を切った新條の横顔は、語らずして周囲を圧する気概を放っていた。
新條を中心に後部座席右端に座る理事長、金森 龍嘉は、
その気配に気付くと、穏便な口調で新條に訊ねた。
   何か有ったのですか?
新條は苦笑いを滲ませて金森に答えた。
 やはり梅地会長も動いていた様ですね、、
 渉外長と言えど、白川の柾春を付けて来た時から、見当は付きましたが。
 盛國も(家名抹消の上、若頭、兼崎の後見で)和海さんが預かる事に成る筈です。
 内も(梅地の件で)大変ですが、笹川も色々と大変な様ですね、、
金森は此処に到るまでの流れを睨むと、瞬時に湧き上がる怒気を滾らせた。
そしてやや顔を俯かせつつ、誰に向けるとも無く口開いた。
  、、兼崎の件はともかく、これは政治で言えば二元外交と云うヤツです。
  対立派閥に恥を掻かかせ、漁夫の利を得る為の、、
  私ら笹川の前で、梅地に下手打たされた云う事ですか?
  少なくとも掛け合いを、仕事の話で収めるなど淀橋のやり方では有りません。
    時代が幾ら変わろうとも、私らの世界には曲げては成らん筋が有るのです。
新條はその顔相に鋭利な影を携えると、静かな物腰で金森に答えた。
  一つだけ言える事は、私らが下手打ったのか、梅地会長が安目打ったのか、
  それを決めるのは我々では無いと云う事です。
以降、新條一行は永い沈黙を保ち続けた。
そして東京に向け、関越自動車道を走るセンチュリーが、
新潟・群馬県境の関越トンネルを抜けた頃だった。

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再度、新條の携帯が、着信を知らせる微動を震わせた。
新條は微動打にせぬ面持ちで携帯に出た。
  阿部の乃木崎です。
  今日は遠路遥々、私らの為に骨を折って頂き、誠に御苦労様でした。
    そこで一つお伝えしたい事が有ります。
  私らが本部に戻った時分、梅地さんから連絡を頂きました。
  梅地さん、何を思ったのか、今回の一件を東京の湾岸開発の話で、
  ケリ付け様として来ましてね、、
    この件では、私も語気を強ませて、お断り致しました。
  私らも組を大きくする事だけ考え、挙句に金庫(シノギ)に苦しんどる始末です。
  正直な所、梅地さんの話に私もグラ付きましたが、
  私らは極道です。
    サラリーマンに成った覚えは無い。
  これは阿部の親父からも承った事ですが、
    阿部としては、新條さんの仲立を正式な仲立と受け止めた旨、
  新條さんにお伝えしたく思う所存です。
  私も阿部を代表して、これだけはお伝えしたい。
  では、帰路の無事を祈っとります。
携帯口から乃木崎の抜良たる願声が響くと、携帯は静かに切れた。
そして乃木崎からの連絡を受けた新條は、金森に軽く触りを伝えた。
すると金森は苦虫を噛み潰す様な口振りで、新條を直視せず、
堰を切ったかの様にその腹の内を割った。
  梅地会長、、また俠仁の恥を、笹川に晒したと云う事ですか?
  名村対策長と城崎事務局長の会葬の際もそうです。
  笹川の前で、二度も俠仁の看板に泥を塗った梅地、、
    田川の親父もそうでしたが、私ら梅地が理事長に付いた頃から、
    何度も腹堪えて来ました。
    私も守田睦を預かる身ですが、梅地への不満を抑えるのも限度が有ります。
  内も染井の件で(本部長の)三塚以下、9人が務めに出てます。
    それも染井のシャブ天(薬局)を、梅地が亀岡に売った事から、始まっとる事です。
  二代目田川、武守も同様、今では淀橋の足並みも、乱れが出始ている始末、、
  、、総長、私ら、、もう無理に俠仁で堪える必要は無いのと違いますか?
     或いは梅地に引導を突き付けても良いんです。
金森はその鬼神を彷彿とさせる顔相に深い暗闇を認ためると、
意を決しつつ、新條に続けた。
  、、確かな物証は有りませんが、
  東金の件、、田川の親父もにされたと云うネタは、間違いと睨んでいます。
  我々にはもう目星が付いているのです。
  串ノ屋(若頭)の横井、白川の三枝、江角の都島、、
  多くの者が、総長が行動を起こすのを待っています。
  今回の件と云い、笹川が割れるのも時間の問題、、
  この好機を逃しては成りません。
  私も腹を括っとるんです。
  新條総長、ご采配を。
新條は何処か空虚な気概を携え、金森に答えた。
  大儀名分ですか、、確かにその役目は、私にしか果たせないでしょうね、、
そして夏の眩い斜陽に照らされた新條は、
何かを省みると同時に、真摯な覚悟を決しつつ金森へ続けた。
  、、名村さんと城崎さんのが有って以来、
  私は俠仁の足並みを憂い、腹を閉ざして来ました。
  結局、そのから、時間は止まったままだったのです。
  止まった時間は止めた者の手で、、
  大きな仕事を打つ時が来たのかも知れません。
新條の放つ、かつて感じた事の無い程の真摯感を読み取った金森は、
自身も共鳴するかの様に、その真摯感を腹に携えた。
そして半眼に定まった横顔を新條へ向けると、
漲る精魂を込めて僅かに頷いた。
以降、新條一行は、新宿区四谷の淀橋ビルに着くまで誰も口を開かなかった。
約2時間後、新條は淀橋ビルの総長室で黙座していた。
そして自身への問いに確信を得た新條は、総長付らを人払いする。
そして覚悟漲る眼光を覗かせながら、
専用の携帯を用いて何処かへと連絡を入れた。




第2章 密会

一方で阿部組と三代目盛國会の仲裁話は、
七代目笹川組を通じて、瞬く間に日本全国の業界各所に流れた。
慣例に囚われた侠道界を嫌い、経済で勝負を打つ侠は、
「侠義の沙汰も金次第」と梅地の横槍を軽く蹴った。
その一方で、我欲に翻弄されつつも、かつての侠を忘れ切れない侠は、
「恥を忍んで、敵の恥を晒す」と溢した。
趨勢は新條に味方する向きに靡いていたが、
やはり新條らが「下手打たされた」と見る向きも少なからず有った。
そんな最中の8月16日、新宿区歌舞伎町の守田睦二代目本部に詰めていた
金森 龍嘉に不穏な連絡が入った。
 江角の都島です。
   金森渉外長ですね?
 私、、どうしたら良いんでしょうか、、
 本部に妙なブツが入りましてね、、
   ここでは詳しい事は話せませんから、
 金森渉外長、相談に乗って頂けませんか?
金森 龍嘉は察し当たる節を睨みつつ、
江角十四代目、都島 光章を問い質した。
  、、大体の察しは付くが、
  それは紙か?音か?
都島 光章は僅かに声を震わせながら、金森の問いに答えた。
  その全てなのです。
  結局、私ら、、踊らされてたんですね、、
  名村の親父も、私がったも同然なんですから、、
金森 龍嘉は一端携帯を切り、神田興行会二代目、修善 正義の携帯に連絡を飛ばした。
そして修善に、さいたま市のトンプシー・イレブンスホテル一室の予約を指示する。
金森は折り返し、江角十四代目、都島 光章に密会の段取りを伝えた。
トンプシー・イレブンスホテルは、淀橋一家九代目守田睦相談役、大津 仁士の実弟、
宮尾 聡史が実質経営する高級ホテルで有った。
一方でこの時、新條 清忠は淀橋一門も請け負う、首都高新線事業に関する話で
順大手ゼネコン、長谷川建設特別顧問、田口 崇夫と、
神奈川県小田原市の網谷旅館一室にて要談していた。
そして金森 龍嘉は、都島の件を新條 清忠には伏せた。




翌8月17日午前1時
金森 龍嘉は江角十四代目、都島 光章へ、
先にホテル一室で待つ事を指示していた。
そして午前0時57分、金森 龍嘉と淀橋一家九代目懲罰委員長、修善 正義、
そして銀座のホステス1人を乗せたフェラーリ575が、
トンプシー・イレブンスホテルへと滑り込んだ。
同時に10秒程の間を空け、7人の守り番が乗る、
清掃業者用のワゴンも駐車場に入る。
そして駐車場入口付近の路上にも、
6人の守り番が乗る、有触れたワンボックスカーが停車した。
するとアロハシャツにジーパンを着熟す、金森、修善の両名が、
フェラーリから勢い良く降りた。
そして修善が、後部座席に座る和服姿のホステスに、
軽い仕草でホテル入り口へと手招きした。
ほぼ同時に、清掃作業員7人も玄関付近に集まり、現場責任者役の守り番が
無言で、清掃員達に仕事の段取りを指示する様な素振りをした。

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そして4人の清掃作業員は、現場責任者役を含めた3人を
ホテル玄関に残し、足早にホテル玄関へと入った。
一方の金森、修善とホステスの3人は、金属製の作業用ケースを持つ
清掃作業員らと無関係を装いながら、予約した502号室に向かう。
そしてエレベーターに乗り、5階へと昇った金森、修善とホステスの3人は、
502号室のドア前で歩を止めていた。
金森はドア向こうの殺気に感気を尖らせつつ、
ドアを2回ノックした後、ドア下側を靴の爪先で軽く4回蹴った。
そして部屋のドアが内側から開くと、ドアの側面から、
江角十四代目副理事長、有恒 貴生が姿を見せた。
有恒 貴生は金森、修善に覚悟の座った顔相を向け、力強く頭を下げる。
そして有恒に案内される形で、3人は部屋に入った。
同時にダイニングのソファーに黙座していた江角十四代目、都島 光章も、
やつれた顔相を覗かせながら、金森一行に歩み寄って来た。
そして都島も憔悴した眼差しを金森、修善に向け、深々と頭を下げた。
その姿を見届けた修善は、ホステスに目をやり、
無言で手の平をベッドルームの方へ振る。
そしてホステスはベッドルームに入って行った。
同時に修善は、胸ポケットの裏に付けた淀橋一家の家紋を触った。
テーブルの上には、平成九年十二月二十一日とだけ記された茶封筒と、
同様に平成十年七月二十七日とだけ記された二つの茶封筒が置かれていた。
そして金森、修善と向かい合う形でソファーに座す、
江角十四代目、都島 光章が、やつれた面持ちで辿々しく口開いた。
  御出で下さり、有り難う御座います。
  これ、何だと思いますか、、
淀橋一家九代目理事長、金森 龍嘉は、
やつれた都島の心中を察して、宥める様に口開いた。
  12月21日と7月27日、、私らもネタ(真偽不明の情報)としては掴んどります。
  あなただけが背負ってる訳じゃ無いんです。
   、、それにしても、この(日付の)字ヅラ、サツの匂いがしますね、、
  どちらにしろ、私らを呼んだと云う事は、映し(音声盗撮)が出たと云う事ですね?
都島 光章は僅かな落ち着きを見せると、一呼吸置いて答えた。
   シャンデリアに仕込まれた物の様です。
  声から顔まではっきり映ってますから、
  どうしたら良いか、、狼狽えとったんです。
すると都島は平成九年(1997年)十二月二十一日と記された茶封筒から、
一本のビデオテープを取り出した。
そして都島の隣に黙座していた、江角十四代目副理事長、
有恒 貴生はビデオテープを手に持ち、
ダイニングに備わるビデオデッキにテープを入れる。
52インチの液晶テレビは、真下で向かい合う、2人の人物を映し出した。
そして金森 龍嘉は何かを示唆しつつ、関心げに口開いていた。
  ほう、天井からズームに集音(マイク)ですか?
  随分と大掛かりにやりましたね、、私らには真似できん事です。
そして金森と修善は、液晶テレビの映像に全神経を向けた。
  、、亀岡先生は上手く抑えると言って下さっている。
  もう後戻りはできん。
  亀岡からの提案では、下を洗い、手柄に成る連中を売れとの事だ。
  嶺北なら弥次郎、蓮沼ら、喧嘩で通す所、
  粕谷、貝ノ内ら、薬やら詐欺紛いで、売れる所など事欠かないだろう?
  内も白川は当然だが、淀橋、江角、串ノ屋ら、売れる所で宝の山だ。
  その(捜査)案件を餌に亀岡が根回しすれば、
  必ず(組織犯罪処罰法の主条項、)解散命令とやらも潰せる。
  私らの業界も企業の面目で、今まで通りに生き残れる。
  潰せなければ、この業界は終わりだ。
  だが、この件では私に考えが有る。
  どうだ?太田君、乗ってくれないか?
  君が嶺北の五代目取るのに、私も尽力は惜しまない積もりだ。
  亀岡先生も尽力して下さる。
僅かな沈黙が流れると、太田 政志は掠れた声で口開いていた。
  、、来る時が来たと云う事ですか、、
  所で梅地さん、この部屋、ちゃんとチェックされたんでしょうね?
  録音とか盗撮とかは御免被りますよ。
  この件で私は、亀岡先生から何の相談も受けて無いのです。
  亀岡先生とは、私も懇意にさせて頂いていたのですがね、、
  で、市光グローバル(ファンド)の件は、、
金森 龍嘉は、全身に静かな怒気を漲らせると、
江角十四代目副理事長、有垣 貴生に鋭い口調で指示した。
  もういい、止めろ。
有垣は慌ててビデオのリモコンボタンを押した。
そして江角十四代目、都島 光章は、脇目で金森の様子を伺いつつ、
平成十年(1998年)七月二十七日と記された茶封筒を指差す。
そして副理事長、有垣 貴生は巻き戻されずに、
途中で止まっているビデオテープを茶封筒から取り出した。
そして再びダイニングに置かれたビデオデッキにテープを入れる。
すると液晶テレビに、揺れの有る映像が映し出された。
映像は税理士事務所の様な場で、応接テーブル越しに向かい合う、
2人の侠を映し出していた。
  、、さすがは天下に轟く弥次郎だな。
  お前は性根入った本物だ。
  三崎さんの為にも、しっかり働いて来い。
  、、今日はもう予定入っとらんな?
  お前は口を割らなげだから、軽く流れを教えてやる。
その時、画像は一瞬、激しく揺れたが、再び僅かな揺れに戻った。
  これは梅地が書いた絵図でな、
  先ず名村だが、梅地は(名村への)貸付けの詰めを、
  江角(一門)で詰めろ、云う話、名村にフッ掛けとった訳だ。
  だが、(名村は)有る事無い事抜かして、
  終いには嶺北の太田とコソコソ会っとったろう?って、
    逆に梅地にカマシ(脅し)入れて来てな。
  名村は(警視庁)公安部連中に
  デカいコネ持っとるから、梅地もビビッっとる。
  内容は知らんが、名村にベラベラ喋られたら梅地、潰される様なネタらしい。
  その前に名村の口を塞げ、云う事だ。
  名村をせば江角も(傘下に)取れるからな。
  淀橋の新條だが、、
その瞬間、淀橋一家理事長、金森 龍嘉は鬼神の如く、
全身に甚大なる恚激を漲らせた。
  止めろ!
その様を観た江角十四代目副理事長、有垣 貴生は一瞬、凍り付いて動けなく成った。
そして直ぐに我に帰ると、慌ててビデオを止めた。
金森 龍嘉は無表情な面持ちに一変し、誰に聴くとも無く、場に向けて口開いた。
   巷で流れていた、もう1人のとは、、やはり新條総長なのか、、
 おのれ!新條総長か!
   都島!有垣!答えろ!
江角十四代目、都島 光章は、諦め切った口調で金森に答えた。
  この先を見れば、、解かります、、
金森 龍嘉は暗闇に俯きながら、暫く沈黙に沈んだ。
そして修善 正義も、そんな形相の金森を察して、暫く沈黙を保ち続けた。
江角十四代目副理事長、有垣 貴生は、金森の気迫に慄きつつも、
再びビデオテープを回した。
   その前に警察官々の亀岡知っとるか?
  後ろで背向けて座っとる先生方だが、やっこさん、梅地とネンゴロでな。
  最近、淀橋の新條が売れて来とるだろう?
    政財にも力持っとるから、梅地も先生も困っとる。
  それを睨んだ新條も新條で、(娯楽)産業健の菅野井とコソコソやっとる訳だ。
  産業健の菅野井って言えば、今じゃ日本のサツの元締めとも噂されとる爺さんだ。
  新條のガキは、菅野井を動かして、亀岡先生ごと梅地を引き摺り落としてな、、
  てめえが俠仁の大将(最高実力者)ん成って、
  踏ん反り返る腹だと、ワシも梅地も睨んどる。
  梅地も新條を恐れとってな、、
  (淀橋先代の)今じゃ田川なんぞ、新條の神輿にまで落ちぶれたんだから、
  梅地も我が身が、って訳だ。
  梅地は菅野井の事も有って、来年の選挙まで睨んどる。
    (俠仁の)四代目は梅地で決まりだろうが、
  新條も後々に梅地を落として、五代目狙っとるかも知れん。
    そんで淀橋の代取っとらん今の内に新條を消せ、
  云うんが(河野が提案した)梅地の絵図だ。
  、、、自分は三崎親分の為に働く事しか考えとりません。
  難しい話はあんたらで、やって下さい。
  (侠仁会)串ノ屋の河野さん、、でしたね?
  私らに頼んだからには、
  新條、名村はもうんでいます。
  弥次郎のろしさ、良く見とって下さい、、
そして途切れたテープを見届けた金森 龍嘉は、
心を無心に帰すが如く俯き、暫く目を瞑り続けた。
そして約5分後、金森は何処か遠くを見詰める様な眼差しで、静かに口を開いた。
    俺と新條理事長は5つ、6つの頃からの付き合いでな、
  小学、中高、大学も一緒、辞めて稼業入りしたのも一緒、
  根は面倒見の良い人でな、いつも兄貴の様に接してくれた、、
  その新條理事長を、、、
  ですが、私が(梅地から)ケジメを取るまでも無い様ですね、、
その言葉に、修善 正義も何かを悟った様な眼光を覗かせつつ、
再び淀橋一門の家紋を手で触れた。
金森は脇目でその所作を盗むと、都島に鋭利な眼光を向け、その腹に釘を指した。
  所で都島副本部長、守りの姿が見当たりませんが、
    このネタは梅地に止めを刺す程の物なのです。
  この様な場に立つ時は、必ず守りの4、5人は付けて下さい。
  焦って事欠けば、られるのはあなたですよ?
都島は神妙な面持ちに一変すると、その顔相に覚悟を認めた。
そして場は御開きと成り、江角十四代目、都島 光章と、
副理事長、有恒 貴生の帰路も淀橋警護団が警護する事と成る。
そして4台の車両は、人気の無い真夜中の路上を、
闇に吸い込まれる様に消えて行った。
そして8月下旬までに、この密会で開かれた茶封筒は
群馬県高崎市に本部を構える上州寄左衛門一家十三代目を初め、
四代目俠仁会慶長委員長、三枝 朋良が預かる
白川一家十三代目川崎貸元,二代目梅地組本部や、
串ノ屋一家十代目横井興業など、一部の傘下事務所にも無記名で送付された。




第1章 けじめ

2004年9月5日
四代目侠仁会本部にて定例執行部会が催される。
既に2本のテープの存在は、列席する多くの執行部役付の知る所と成り、
大広間に流れる空気感は沈黙する殺気と、焦り戸惑う空気感に二分された。
会長、梅地 芳雅の左斜めに黙座する新條 清忠も、
顔を俯かせつつ、ソファーに深々ともたれ、
その彫深い顔相には深い暗闇を認ためていた。
番席に鎮座する梅地は、そんな新條の気配に恐れを禁じ得なかった。
そしてその恐れを振り払うかの如く、梅地自ら、やや口早に出席者の点呼を取った。
点呼に続き、梅地より定例の発表事項が述べられる。
  みんな揃いましたね?
  (串ノ屋の)河野対策長は代行(欠席)ですか、、
  先ず今回、新たに横須賀の箕郷一家、加部 嵩好殿と、
  静岡の敷知一家、大村 輪太郎殿が七分三分の舎弟縁組を結ぶ旨、
  ここに発表致します。
  尚、加部 嵩好殿が保有している市光グローバルの、、
その時、新條 清忠が俯いた儘の姿勢で梅地の口上を割った。
  、、梅地会長、、
  もう終わりにしませんか、、
  私はこの6年間、俠仁の結束を憂い、
  あなたの計事を心の中に閉ざして来ましたが、
  これ以上、あなたの計事を許さぬが為、
  致し方なくあの様な決断に到りました。
  私らの世界には政治と付き合う上で、
  絶対に忘れては成らない事が有るのです。
  黙して政治に従属するか?策で政治を利用するか?
  あなたはその判断を怠りましたね、、
梅地は一瞬、その顔相に蒼白の相を走らせつつも、
含みを持たせた物腰で、新條の腹を探った。
  何の話でしょうか?
  ああ、先達ての笹川の件ですか。
新條は俯いた儘、その顔相に暗闇を認めつつ梅地を問い質した。
  、、所で梅地会長、あなたと嶺北の太田会長が面談している
  テープが出回ってますが、
   河野対策長と、弥次郎の笠井の物も併せ、
  私が納得する形で説明して頂けませんか、、
その瞬間、淀橋派に連なる執行部役付も、漲らせていた殺気を一気に高めた。
そして梅地に対して、その殺気漲る眼光を追い込む様に突き刺す。
梅地派に連なる執行部役付も、その腹に覚悟を携えた。
応接間に流れる気概を悟った梅地は、
僅かな間を置くと、意を決した面持ちで辿々しく口開いた。
  新條、、お前が菅野井に手配させ、(菅野井に)預けていた物の事か?
  で、、私にどうしろと言うのだ?
その瞬間、新條の隣席で俯きながら鎮座する、
淀橋一家九代目理事長、金森 龍嘉が梅地の弁明を一喝した。
  てめえの頭で考えろ!
すると梅地の実弟で有る、白川一家十三代目、梅地 匡道が金森 龍嘉に意見した。
  金森渉外長、、もう少し穏便にして頂けませんか。
  どちらにしろ、兄貴(芳雅)は兄貴で有り、
  俠仁は俠仁なんですから。
  私も白川を預かる身として、ここに座ってるんです。
串ノ屋一家十代目、河野 清治の代行で出席した串ノ屋一家若頭、
横井 徳浪が梅地 匡道に顔を振った。
    梅地専務、お言葉ですが、
  私も甲村の親父の仇を討つ為、梅地と勝負しに来ているのです。
  河野のガラを下の者に押さえさせ、退路を絶った上でです。
    梅地専務、金森渉外長に続けさせて下さい、、
すると間髪入れず、筆頭専務理事を務める笠幡一家初代、宇川 宗鷹が、
音を立てずに席を立ち、一統に向けて軽く頭を下げた。
そして串ノ屋一家十代目本部から裏を取る為、足早に応接間から出て行った。
だが会長、梅地 芳雅はそんな遣り取りなど意に介さず、
唯、実弟、梅地 匡道の言葉に驚愕していた。
そして焦燥感に飲み込まつつ有る梅地 芳雅は、
湧き上がる怒気を抑えつつ、その心中で呟いていた。
  また裏切りか。
  お前まで、、
  和志、、結局、お前も周りに流され、
  腹を返すだけの男だったのか?
心中に伏せ込んだ梅地を察しつつ、
金森 龍嘉は俯いた儘の姿勢で、場に自省の念を兼ねて告げた。
   確かにあんな新法など打たれたら、
   私らは終わりだったかも知れません。
 そうさせん為に尽力された梅地会長を、私は認めたい所だが、、
 梅地さん、、私に取り、あなたの一番、許せなかった事は、
 俠仁の為と謳いながら、結局は、俠仁の私物化を狙いつつ事を収め、
   その為に名村対策長、城崎事務局長を初め、多くの者がんで行った事です。
その瞬間、名村 満と共に拝島一家初代、城崎 玄を誤射殺された
拝島一家二代目、良成 弘三が、慙愧の念を携えて両拳を議事台に叩き付けた。
良成 弘三は暫く、顔を深く俯け続けた。
そして顔を上げると、殺意を滲ませた眼光を梅地に突き差した。
暗闇に伏せる新條 清忠は、持ち前の感気で殺意を捕らえると、
その殺意に向けて口開いた。
   良成本部長、、城崎事務局長の無念は私が晴らしますから、
 あなたは黙って座ってなさい。
新條 清忠は良成 弘三を咎めると、沈黙に伏せた。
そして新條の意気を察した金森 龍嘉は、
顔を俯かせた儘、梅地 芳雅に口開いた。
 梅地さん、、串ノ屋の甲村先代とは、
 共に稼業の門を叩かれた仲だったそうですね、、
   田川の親父も良く言われとりましたが、
 稼業入りした頃の同輩と云うのは忘れられん物です。
 甲村先代もあなたに尽くされてました。
 ですが、串ノ屋の跡目を餌に、河野に名村対策長を口止めさせた後、
 この上ない盟友で有った筈の甲村先代を、亀岡に売り飛ばした非道さ、、
 所詮、私らの世界はそんな物で有る事ぐらい、解かっとりますが、
 私らは心を持った人なのです。
その言葉を真摯に受け止めた新條 清忠は、
何かを決意した面持ちで、静かに顔を上げた。
そして番席にて動揺を隠さない、
四代目俠仁会々長、梅地 芳雅に暗闇を携えた眼光を向けた。
 梅地会長、、あなたには二つだけ選択肢が残されとります。
 この大広間の空気に従い、けじめを付けるか?
 このまま代紋頭に収まり続け、
 私らと袂を別つか?寄左衛門、拝島、江角、文権冶、、
 もうあなたに付くのは、串ノ屋の河野くらいしか居らんのです。
 ご自分の立場がご理解頂けましたしたか?
新條の言葉に梅地は押し黙った。
そして梅地は俯き加減で目を瞑り、その心中で苦々しく想い廻らせていた。
  、、どいつもこいつも、好き放題抜かしおって、、
  やれ跡目だ座布団だで、お前らもワシの足元狙っておったじゃないか。
  代取ってこの方、枕高くして寝た日など一日も無かったんじゃぞ。
  ワシは俠仁の長を全うしたかっただけだ、、
  、、だが、、、金を持ち、座布団を取り、
  下ばかり気にする様に成ったら、、そこが侠の限界、、
  本居の親父が言っておった事、、本当だったな、、
  、、ここまでか、、、だが、、もういいだろう、、
  これで楽に、、成れるんだな、、、
そして梅地とは60年来の幼馴染たる白川一家十三代目理事長、三枝 朋良が
心懐の念の篭る皺枯れ声で梅地に語り掛けた。
  、、梅地会長、、ここまでです。
  あんたとは色々有ったが、最後くらい、昔(あの頃)の潔さを見せて下さい、、
三枝の嗜めを聞き届けた梅地は、僅かな沈黙を保つと、
何かを悟ったかの様に、その顔相に僅かな安堵の相を浮かべた。
そして梅地は辿々しくも何処か安堵の篭った口調で新條に告げた。
   、、分かった。
 だが、私の引退は、どの様な段取りで付ければ良いのか?
 市光グローバルの保有株は、、
新條は梅地の腹を見極めると、即座に答えた。
  いえ、引退する必要は有りません。
  あなたに、そんな選択肢など残されとらんのです。
  私としては多野筆頭補佐に代を譲って頂き、
  新たに総裁職を設け、あなたに就いて頂きます。
  私は現状のままです。
  あなたは総裁として、これからの私らを見とって下さい。
  争いに明け暮れてれば、心を誤魔化す事も出来るでしょう。
  ですが、敵がを収め、一人に成った時、
  あなたは自分のやって来た事の意味を悟る筈です。
  ここから先は地獄の道に成るかも知れません。
  そしてあなたと、私らのどちらが正しかったか?
  それを常に自問して下さい。
新條の戒告が沈黙に帰すと、白川一家十三代目、
梅地 匡道が新條 清忠に口開いた。
  地獄を見るのは理事長、あなたも同じと違いますか?
  餓鬼も追い込まれれば、邪鬼に化けると云う例えも有ります。
  兄貴はあなたに追い込まれていました。
  今日の力を持つに到る、あなたにです。
  新條理事長、、この際だから言わせて貰いますが、
  あなたは人の心に対する情けが無さ過ぎます。
  兄貴は引退する、言っておるのですから、
  引退させれば良いでしょう?
  本物の強者(つわもの)なら、敗者の痛みをも飲み、
  (その痛みをも)語らずして抱擁出来る器が有る筈です、、
すると即座に淀橋一家九代目理事長、金森 龍嘉が、
静かな恚激を認ためつつ、白川一家十三代目、梅地 匡道に言い放った。
 梅地専務、、言葉には気を付けて下さい、、
 引退するか、しないかはあんたの兄貴の自由ですが、
   んで行った者には、もう(梅地が)侘び入れても届かんのです。
 余り私ら、、怒らせん方がいいですよ、、
梅地 匡道も、金森を指差しつつ反射的に言い放った。
 金森渉外長、怒ってるのはあんただけや。
 理事長は(静かに)聞いて下さっている。
 外様はすっこんどれ!
新條は二人を制止する様に手をかざすと、やや俯き加減で、
自身の心境に論点を逸らしつつ、梅地 匡道と金森 龍嘉に腹を割った。
  二人とも、ここは神聖なる執行部です。
  私情は慎みなさい。
  梅地専務、地獄なら毎日見てますよ。
  私も先生方の頼みとは云え、多くの政界、財界の方々をこの世からした身です。
  一人っ子の娘さんが、自殺された事も有りましたね、、
  私も二人の娘を持つ親です。
    代紋の為に働いてれば心はせますが、夢の中ではせません。
  すは一瞬、祟りは一生、、 
    6年前のあの時、笠井の道具も私に向いていました。
    (梅地 匡道を直視して)あなたの言っている事は正しいですね。
  金森渉外長も、私を信じるなら、何を言いたいか解かりますね?
すると金森を始め、大広間に黙座する殆どの執行部本役も、
何かを省みる様に顔を俯かせた。
そしてその時、拝島一家二代目、良成 弘三が神妙な眼差しを覗かせつつ口開いた。
    新條理事長、、親父も墓場まで持って行かな成らん秘密、沢山持ってきましたよ。
  私は親父から、何も聴いてないのです。
    親父は最後まで役割を果たされました、、
新條は良成の心境を察すると、鼓舞する様に執行部一統へ告げた。
  私も城崎事務局長には、多大な借りが有るのです。
    ですが、感傷話はここまでで、多野筆頭補佐の五代目の件、
    梅地会長の総裁の件に議題を進めましょう。
  それが生ける私らの役割なのです。
そして後の議事は、新條が執行部本役らの意見を仰ぐ形で進められた。
その結果、梅地 芳雅が俠仁会総裁に就任する事が決定する。
同時に審議の結果、串ノ屋一家十代目、河野 清治を絶縁処分に、
江角十四代目最高顧問、澤尻 江之助と
白川一家十三代目,江角十四代目、都島 光章の両名を無期限謹慎とした。
そして場に僅かな間が空くと、笠幡一家初代、宇川 宗鷹から、
串ノ屋一家十代目、河野 清治の状況が報告された。
    河野、、対策長ですが、甲村九代目を慕っていた(若頭)補佐らに依り、
  (串ノ屋一家本部の)当番部屋に押し込まれとるそうです。
  河野対策長の子飼いらも知らぬ存ぜぬだそうですから、
  串ノ屋の決定と見て宜しいのでは?
  如何成されますか?
すると肩書上、審議委員長を務める浦和新崎一家七代目、堀口 四郎が、
「理由如何を問わず、一家一門の主を冒涜するなど言語道断」とし、
河野 清治の監禁を命じた串ノ屋一家十代目若頭、横井 徳浪を破門に処すべきと提議した。
だが、新條 清忠の「我が侭を聞いて欲しい」の一言で、
串ノ屋一家十代目若頭、横井 徳浪の処分が一年謹慎で即決する。
そして新條からの恩情を受けた横井は、静かに席を立つと、
新條に対して深々と頭を下げた。
続いて議題は、梅地の事業に関する審議へと移る。
そして最終的に梅地 芳雅の顧問弁護士、成谷 悦治が実質管理していた
市光グローバルファンドを、白川一家十三代目、梅地 匡道が一時的に管理する事と成った。
そして梅地 芳雅も交え、18人から成る執行部本役各自に、
保有株を割り当てる方向で話が進められる。
だが、話の流れを狙う様に、多野 郁野洲の侠仁会五代目継承に対し、
数人の執行部本役から意見が発った。
白川一家十三代目、梅地 匡道が、何処か斜に構える心境で新條に意見した。
  今の俠仁で、最も力を持っておるのは新條理事長、
  誰もがあなただと言っておる事は存知かと思います。
  (皮肉を込めて)役割は生ける者が受け継ぐ、、先程の口上も見事でした。
  内外に代紋を示す為にも、ここはあなたが五代目を継ぐのが義務と違いますか?
続け様に、上州寄左衛門一家十三代目、多野 郁野洲も、
何処か懐疑的な心境で口を開いた。
  昨今は何処の代紋頭も、名ばかりの神輿が殆どです。
  その役を私に任ずると仰られるなら、私も従いますよ。
  ですが、私が五代目に就いた時、新條理事長、あなたは私に従い切れますか?
新條は多野 郁野洲と梅地 匡道の腹を読むと、
微妙に論点を逸らしつつ、梅地と多野の疑問に意見を添えた。
  梅地専務、多野筆頭補佐の疑念に答える為にも、
  先に新体制の青写真を述べるべきでしたね。
  先ず代紋頭が、組織の舵取り(実権)を担う事に成ります。
  破門、絶縁など、処分の権限もです。
   ですから、政財界、桜田門への挨拶とか、汚れは私に任せて欲しいのです。
  少なくとも私の親分は、精錬潔癖な方で有って頂きたい。
   その為には誰かが、汚れに成らんと行かんのです。
  その上で代紋頭の意見に従い、
  最終的に皆の意見を纏めるのが私の役割と云う事です。
白川一家十三代目、梅地 匡道は釈然としない腹の内で呟いていた。
  この流れから睨めば、確かに多野がハマリ役かも知れんが、、
  力で計れば多野など、新條の足元にも及ばん。
  新條はフィクサー崩れにでも成るつもりか?
  今度は新條が兄貴(芳雅)の跡継いで、
    多野を潰さなけりゃ良いがな、、
その後も新條に対して、数人の執行部本役から意思確認が図られた。
そしてその結果、四代目俠仁会,上州寄左衛門一家十三代目、
多野 郁野洲の俠仁会五代目継承が内定する。

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上州博徒の麒麟児とも通称された多野 郁野洲は、
新條 清忠と同年代の58歳の若さで有った。
だが、数々の抗争を仲裁して来た功績を残し、
我心を捨てて看板に成り切る姿勢は、
俠仁会を問わず、関東の業界でも高く買われていた。
1999年1月に上州寄左衛門一家十三代目を継承して以来、
北関東や甲信越地方に本部を構える、親戚筋の的屋一門を傘下に収め、
上州寄左衛門一家を北関東最大の老舗名門一門に育て上げた実績でも名を馳せる。
同時に早くから首都圏の建設業界や不動産業界に進出し、
政財界からの多野 郁野洲に対する人望も、新條に憂いを残さなかった。




9月7日
四代目俠仁会で起こった事実上の謀反は、
五代目嶺北会にも多大なる波紋を起こしていた。
そしてこの日、千葉県船橋市の五代目嶺北会総本部に
会長、太田 政志の責任追求を図る形で、
数人の執行部本役が駆け付けていた。
特に十六代目弥次郎一家と関係の続いていた、
五代目嶺北会理事長、京本 禎成はここぞとばかり、
総長室の応接ソファーに座する太田を、一連の責任を利用する形で追い込んだ。
  太田会長、梅地は潔く引いたんですから、
  事情はどう有れ、あんたも器量見せな行かんのと違いますか?
  あんたが梅地の絵図に乗り、泉谷(当代)の延岡、
  大木戸(先代)の二瓶を亀岡に売った事、もう裏は取れてんのです。
  そればかりか、三崎も梅地にハメられ、鉾田も要らん返し食らった、、
  伊織の件も、あれは自決にデッチ上げた(淀橋の)返しでしょう?
  代紋割った者など関係ない、言ってもそんな事は結果論に過ぎんのです。
  弥次郎が一本立ちする以前から、(淀橋に)三崎、鉾田が狙われとった以上、
  絶縁食らわせる前に三崎、鉾田がられても、何らおかしく無かったのです。
  あんた、それを知っときながら、指くわえて眺めとった。
  嶺北のドタバタ、俠仁に対するケジメも併せ、
  太田会長、器量見せな成らんのと違いますか?
  何が言いたいか解かりますね?
  解かるなら、あんたの口から言って下さい。
だが、太田は余裕な佇まいで応接ソファーに黙座するだけだった。
同時に太田の隣に座していた総本部長、近藤 敦士は、
大田の打算を察すると、然り気無い素振りで会長室を出て行った。
その後も太田と京本の水掛け論議は続いたが、
約20分後、突如として近藤 敦士が、
深刻な面持ちを装いつつ会長室に駆け込んで来た。
そして応接ソファーにて黙座する会長、太田 政志に耳打ちした。
  笹川の(若頭、)兼崎からです。
  ケツはワシが持つ、五代目に引退を迫る者が居るなら、
  ワシらが受けて立つ、との事です。
太田は近藤の報告を受けると、苦々しくも勝気な口調で
理事長、京本 禎成に提案した。
  笹川の兼崎が、私に刃向かう者が出たら、
  受けて立つと言って来ておる。
  京本、お前の気持ちも解かるが、
  嶺北を守る為には、笹川を無碍にはできん。
  (嶺北会の)実権は瀬戸に譲る。
  それで堪えてくれないか?京本、、
  瀬戸(会長代行)なら、お前も知らん仲じゃ無いだろう?
すると理事長、京本 禎成は殺気を帯びた形相に一変し、
突如、その場で何処かへと携帯を飛ばした。
太田はそんな京本の蛮勇さを、呆気に取られて見詰めるだけだった。
  、、嶺北の京本だ。
   三崎総長いるか?
  、、三崎総長、嶺北の京本です。
  ワシら、嶺北を出る事に成りました。
  これで貝ノ内、蓮沼も合わせて、デカい連合立てられますな、、
だが、携帯口の三崎は京本の提案を跳ね返した。
  京本、お前、太田から何も聴いとらんのか?
  先達て(5日)の俠仁の件で、ワシの腹も固まっとってな。
  の顛末が見えた以上、ワシがこの世界に留まる理由は無く成った、、
  ワシな、10日の寄合で引退する。
   太田にも話通したが、跡を(理事長の)宮坂に譲って、
  嶺北に戻る云う話で進めとる。
   (家名抹消で)天保の時分から、弥次郎を盛り立てて下さった、
  先人方には申し開きも立たんが、、
  ワシも今年で76の老いぼれじゃ。
  弥次郎の穢れも冥土にしょってってな、、
  それが宮坂ら、若いモンの為に成ると想っとる。
  京本、宮坂はワシも認めた器のデカい奴だ。
   若衆の盃くらいなら下ろしてくれるかも知れん。
  それが嫌なら、若い者は宮坂に預けて、あんたもカタギに成れや。
  から何も学ばんで、力に色気に成るから、下手打つんじゃ。
京本は三崎の答えに驚愕した。
だが、声を甲高せて、尚も三崎の説得を試みた。
  、、三崎総長、まだ、まだこれからで、、
豪放気質の三崎 誠造は、京本の説得を一刀両断した。
  ええ加減にせい!この腐れ外道が!
そして三崎 誠造は、一方的に携帯を切った。
理事長、京本 禎成は途切れた携帯を握り締めながら、
愕然とした形相を会長、太田 政志らに晒すだけだった。
京本は羞恥に追い立てられつつ、会長室の応接ソファーを立ち、
守り番の若い者を無視して会長室から出て行った。
そして太田は一呼吸付くと、会長付の曽根 匠に
「曽根君、紙と万年筆を用意してくれ」と促した。
曽根がテーブル上に紙と万年筆を置くと、太田は紙面に万年筆を落とした。
 
  誓約

  乙、五代目嶺北会会長、太田 政志は、
  甲、五代目嶺北会会長代行、瀬戸 郷士殿に下記の誓約を誓い、
  早急にそれらを実行する事を誓います。

   一.乙は嶺北会初代会長、芦原 一徹殿が遺した嶺北会訓示、
    並びに組織百年大計を甲に託します。
  二.乙は嶺北会内の処断者に対し、
    破門、絶縁、謹慎などの処分を下す権限を甲に一任致します。  
  三.乙が管理する豊島区巣鴨のエイブランドビルの一番抵当権、
   並びに三越生命の保有株14万株、
   野上急便の保有株26万株を甲に無償譲渡致します。
   四.これに乙は甲に五代目嶺北会の実権を譲る為、
   その為の協力者、有力者をご紹介させて頂きます。
 
  五代目嶺北会会長
  東京パシフィック・エステート特別顧問 太田 博之

太田は誓約書に戸籍署名すると、テーブルを挟んで向かい合う、
五代目嶺北会々長代行、瀬戸 郷士に誓約書を滑らせた。
だが、瀬戸は書面を一見しつつも、内容は確認せず、僅かに顔を横に逸らした。
そして気品有る手捌きで、スーツの上段ボタンを外し、
誓約書を腹ポケットに懐中深々と収める。
だが、誓約書に五代目嶺北会の代表資産管理権に関する記述は無かった。
何れにせよ、太田 政志は七代目笹川組若頭、兼崎 増代の後盾を得る形で、
会長代行、瀬戸 郷士に五代目嶺北会の実権を譲る形は付けた。
そして太田 政志は辛うじて引退の難を逃れる。
一方で瀬戸 郷士の承認を得た太田は、当日付けで、
太田に詰め寄った五代目嶺北会理事長、京本 禎成を除籍処分に、
蓮沼六代目を預かる運営委員長、木村 惣吉、
貝ノ内七代目を預かる総務委員長、鍛冶 末松、
烏山大木戸初代代行、明地 肇之の四名を、
除籍処分を念頭に置いた無期限謹慎に処す。
これに依り、五代目嶺北会々長、太田 政志は、
七分三分の兄貴分で有る七代目笹川組々長、
浪内 斎三にも一応の筋は通した。
そして当日、太田 政志と会長代行、瀬戸 郷士の意で、
五代目嶺北会全傘下に通達が飛ぶ。
   総本部での不穏な話は、五代目体制を陥れる不心得者の妄動で有り、
 無用な言動を発した者は厳罰に処す。
これは五代目嶺北会総本部が下した、事実上の緘口令で有った。
だが、引退騒動の内実は七代目笹川組兼崎会を介して、業界各所に筒抜けと成った。
何れにせよ、瀬戸 郷士が五代目嶺北会の実権を握った事で、
五代目嶺北会に限らず、四代目俠仁会も大きく動き始めた。
そして10月15日の定例執行部会で、
昔堅気の侠肌で通す会長代行、瀬戸 郷士の意に依り、
嶺北会の企業化を急いだ会長、太田 政志が提唱した
一家名乗りの禁止事項が改められる。
これに依り、直系傘下が自由に一家名、会名を名乗れる様に成った。
そして11月10日、五代目嶺北会々長代行、瀬戸 郷士承認の元に、
十六代目弥次郎一家が初代、刈田ノ弥次郎に因んで、
初代刈田一家に家名を改め、五代目嶺北会に復帰した。
これを受けた淀橋一家九代目舎弟頭、武守 一力は、旧弥次郎一家に代わり、
伊織會会長、伊織 房心を始末した行賞を初代刈田一家に突き付ける。
そして11月24日、淀橋一家九代目、新條 清忠は、
五代目嶺北会,初代刈田一家総長、宮坂 定夫に七分三分の舎弟盃を与えた。
取持人は五代目嶺北会々長代行、瀬戸 郷士が、
特別推薦人は七代目笹川組阿部組々長代行、乃木崎 輝雄が務める。
又、伊香保温泉,鈴屋旅館の式典場には、見届人として参席した直系総長の垂幕に、
通常は書刻されない一家名も書されていた。
そしてその中には「見届人 江角一家十四代目総長 都島 光章」と云う垂幕も掲げられた。
その様を受け、物事の核心を付く術に長けた白川一家十三代目、梅地 匡道は、
この兄弟縁組を「淀橋の水飲み(打算盃)」と一蹴りした。
此処に約6年の歳月に渡り、関東ヤクザ業界を揺るがした
一連の禍根は一応の決着に到る。




12月11日
四代目俠仁会、五代目嶺北会の転機と呼応する様に、
七代目笹川組でも大きな動きが起ころうとしていた。
事の発端は12月3日、七代目笹川組若頭、兼崎 増代が、
二代目武藤組々長、北岡 勇一に無断で
二代目武藤組若頭、片貝 壮道を兼崎会若頭、河井 庸司の舎弟とする通達を
七代目笹川組総本部の分名で全直系傘下に飛ばした事に有った。
式典はおろか、義理回状も飛ばぬ前代未聞の盃縁組で有っただけに、
侠道界でも大きな物議を醸す。
そして義分が二代目武藤組若頭、片貝 壮道を
兼崎会若頭、河井 庸司の五厘下りとした事から、
ついに二代目武藤組を筆頭とする反主流派は意を決した。
更に永年に渡り、兼崎が七代目笹川組々長、浪内 斎三を
「ボケ爺さん」と揶揄していた事に積怨して来た二代目浪内組々長、向井 光二も、
反主流派と秘密裏に連絡を取り合っていた。
そして12月6日、ついに七代目笹川組総本部にて、
二代目武藤組々長、北岡 勇一、二代目浪内組々長、向井 光二ら、
6人の若頭補佐、本役らが一連の経緯に関する説明を求め、兼崎 増代に詰め掛かった。
だが、兼崎は「下のモンの縁組なんぞ、ワシは知らんがな、ほんまやで?」の一点張りで有り、
そんなのらりくらりな態度に業を煮やした
大阪侠津連合会長、国見 臥龍が、兼崎の頭を灰皿でブン殴った。
これを受け、兼崎は七代目笹川組々長、浪内 斎三に何の相談も入れず、
当日、兼崎に詰め掛かった6人全員を笹川組総本部の分名で破門に処す。
同時に6人の若頭補佐、本役が率いた直系傘下を笹川組総本部預かりとした。
12月9日、対する二代目武藤組々長、北岡 勇一と、
二代目浪内組々長、向井 光二を筆頭とする反主流派12人の直系組長、会長が、
連名で七代目笹川組若頭、兼崎 増代に義絶状を叩き付ける。
同日夜、義絶状を破り捨てた兼崎は、七代目笹川組総本部一同の分名で、
義絶状に名を連ねた12人に絶縁処分を下す。
そして12月11日、ついに離脱派から大阪侠津連合会長、国見 臥龍を会長とする、
仁和会の旗揚げに関する義理回状が日本全国の代紋に飛んだ。
敬具には北陸抗争で解散に追い込まれ、
これを好機に再結成した二代目鴨川組総裁、鴨川 辰糸や、
主流派に付いていた筈の七代目笹川組関東ブロック長、
行徳屋宗家八代目、緒方 勝三らの名も連なった。
そして同日夜には五代目俠仁会淀橋一家九代目、新條 清忠と
五代目嶺北会初代刈田一家総長、宮坂 定夫が、
二代目武藤組々長、北岡 勇一に見舞いの連絡を入れる。
その一方で五代目嶺北会々長、太田 政志が八代目を預かった
九代目泉谷一家総長代行、野辺 保雄は、
二代目浪内組々長、向井 光二に仁和会旗揚げを支持する旨を伝えた。
2004年12月11日、此処に直系傘下14社、傘下約6100人が
離脱した七代目笹川組は分裂状態に突入する。
以降、1年8ヶ月に渡り、七代目笹川組と仁和会双方に依る散発的な襲撃が続いた。




最終章 道

2010年9月3日
五代目俠仁会が発足して約6年の歳月が過ぎ去った。
発足当初は、執行部本役の顔触れが淀橋派に偏った為、
旧梅地派から不満が噴出した。
だが、五代目俠仁会々長、多野 郁野洲自ら、積極的に双方の意見を聞く為、
白川一家十三代目総長代行、三枝 朋良や、
淀橋一家九代目理事長、金森 龍嘉らの邸宅へ足繁く通い、
持ち前の我心を滅する仲裁力が功を奏した結果、意見は整理されて行った。
そして多野 郁野洲を影の様に支える、新條 清忠の臨機応変に満ちた人事適配力も手伝い、
永きに渡って表面化していた、梅地派と淀橋派と云う垣根も、
今では過去の遺物に成りつつ有った。
新條 清忠もこの二年前の2008年9月、自身の組織大計に則り、
明日の俠仁会に想い廻らせた結果、白川一家十三代目、
梅地 匡道に理事長の席を譲っていた。
新條は梅地 匡道の組織全体を正しく洞察出来る天賦の感気に、
自身の後継者としての可能性を見出したのだ。
淀橋一家九代目も、一時は傘下約2200人にまで膨れ上がった。
そしてそんな淀橋一門の独走振りを危惧した五代目俠仁会理事長、梅地 匡道が、
五代目俠仁会々長代行、新條 清忠と意見を重ねた結果、一つの結論に到る。
そして二ヶ月余り前の6月25日、守田睦二代目、武守連合初代、
染井組など十八社を糾合させ、新たに傘下700人を預かる俠仁会直系一門、
守田一家二代目を旗揚げさせていた。
二代目総長には五代目俠仁会,組織統括委員長、金森 龍嘉が就任する。
総長代行には73歳の老境に差し掛かった
五代目俠仁会組織強化委員長、武守 一力が、
若頭には五代目俠仁会参与、染井 靖隆が就任する。
同時に式典で五代目俠仁会々長、多野 郁野洲から
子の盃を受けた金森 龍嘉は、新條 清忠より唯一の五厘下がりの舎弟盃を受けた。
この新條と金森の盃事では、2006年7月に再統合を果たした
八代目笹川組浪内連合会々長、大須賀 嵩生が特別推薦人を務める。
一方でそんな世相とは裏腹に、五代目俠仁会総裁、梅地 芳雅は
邸宅に篭りつつ、趣味の茶道に没頭する日々を過ごしていた。

y3

梅地邸宅では、新條 清忠の厳命に依り、
白川警護団が昼夜交代で梅地 芳雅の身辺を警護した。
既に重要な盃事や式典でも無い限り、
梅地 芳雅が侠道界の表舞台に姿を現す事は稀だった。
だが、約6年間に渡って邸宅に篭りつつ、
俗世間から解脱した創作の日々を送っていた事も有り、
羽織姿で表舞台に立つ梅地 芳雅は、独特の威厳を放った。
そして定例執行部会が2日後に迫ったこの日、
梅地 芳雅は明朝から書室に篭り、一心不乱に文面へ筆を刻んでいた。

今般、私、五代目俠仁会総裁、梅地 芳雅より、
五代目俠仁会会長代行、新條 清忠殿に申し上げたく想い、筆を取った次第で有ります。
さて、俠仁会五代目体制が発足して、はや六年の歳月が過ぎ去りました。
その間、平成十九年の暴力団排除条例施行に始まり、笹川組分裂と再統合、
我が俠仁会たる文権冶一家と笹川組兼崎連合会との間違い(抗争)、
白川の兄弟喧嘩(内部対立)など紆余曲折有れど、
代紋頭たる多野 郁野洲殿、延いては新條 清忠殿による、
御指導の元、今日の俠仁会の結束が、
関係各位様より多大なる賛辞を頂いておられる事は、
我が俠仁会にて切磋琢磨される御仁に限らず、
この侠道渡世に生ける者なら、誰もが存じる所で有ります。
先達ての八月二日、実弟、梅地 匡道が道半ばで倒れ、非業の死を遂げた際にも、
俠仁会葬として盛大に匡道を送り出して頂き、感謝の言葉も御座いません。
これに私の心中も定まり、此処に引退の旨を伝えると同時に、
私が辿って来た渡世の軌跡を伝授したく想い、今般、筆を取った次第で有ります。

昭和八年六月二十三日、私、梅地 芳雅こと梅地 吉正は、
神奈川県川崎市御幸村にて畳職人の父、利規と、
母、雅代の長男として、世に生を授かりました。
当時は満州国創立と太平洋戦争開戦に向け、日本国も軍国主義の渦中に有り、
幼き時分の私にも、その世相はひしひしと伝わって参りました。
そして昭和十六年、日本国は太平洋戦争の口火を切り、
戦中後期の昭和十九年、父、利規は大日本帝国陸軍伍長として、
陸軍第二十九師団にて出兵した、南洋のテニアン守備戦で戦死するに至り、
私は幼くして生みの父を失いました。
時を同じくした昭和十九年四月十五日の川崎空襲では、
生家の有った御幸村小向も焦土と化し、母の雅代と共に梅地家は
六郷川、現在の多摩川沿いのバラックに焼け出されるに到りました。
敗戦後、梅地家は、併せ鏡の様に川崎空襲で妻子を失った義父、身延 匡市を迎え、
母の雅代共々、賢明に穀物屋台で生計を立て、私を育てて下さいました。
ですが、小向と云う土地柄、世相の風当たりは強く、
そんな世相に抗うが為、私や部落民と罵られた仲間達は、
慎ましくも、逞しく鍛えられて行きました。
そんな折、弟の梅地 匡道こと、身延 和志が生誕したのが昭和二十四年の事でした。
ですが、和志が生誕すると生活は尚、一層厳しく成り、
時期悪くGHQの(闇市)禁止令も重なり、川崎駅前通りに構えた、
身延家の穀物屋台も、撤収せざる負えなく成りました。
頓て義父、匡市はそんな世相に打ち拉がれ、酒浸りと成り、
母、雅代に手を上げたりと、無残な姿を私と和志に晒す始末でした。
そんな家庭を呪い、未だ幼さが抜け切れなかった私も、
御幸村を島とした関東古嶋組御幸貸元、根本 秀平殿後見の元、
仲間達と酒を交わし、六郷睦会を立ち上げました。
以来、稼業の者との殺傷沙汰も厭わない、荒んだ日々を過ごしておりましたが、
そんな最中の昭和二十六年七月、私は見るに眩ゆい一人の御人と出会ったのです。
関東古嶋組川崎貸元、皆川 惣介殿で有ります。
夜の駅前通りの雑踏の中で、眩いホワイトのスーツに、
進駐軍兵から貰い受けたと云う、マッカーサー張りのサングラスを掛けた
皆川 惣介殿の姿は、当時の私には眩しい物でした。
そして昭和二十六年七月十四日、関東古嶋組御幸貸元、根本 秀平殿に
相談を持ち掛けた結果、関東古嶋組、古嶋 登喜夫組長を紹介して頂き、
晴れて六郷睦会は関東古嶋組にて、修行の途に就くに到ったので有ります。
今に想えば、それが私の渡世入りでした。
ですが、関東古嶋組、本家住み込みは、
他所の盆茣蓙(賭場)を狙っては金を毟り、
欲望のままに女を抱く生活とは、
天地引っくり返るが如し、隔て成りき厳しさで有り、
私以下、二十余名いた筈の六郷睦会も、
気付けば後の串ノ屋一家九代目、甲村 嵩牡と、
白川一家十三代目総長代行、三枝 朋良のみが残る程の壮絶さでした。
朝は夜も明け切らなぬ、四時に叩き起こされ、
便所掃除に始まり、廊下の雑巾掛けに朝飯仕度、
事務所周りの身嗜み(清掃)、諸先輩方の身上の世話、
夜は歓楽街で垢を落とされる諸先輩方の守りに駆り出され、
博打打ちの要たる盆の下足番すら尚遠く、
一夜、一時間程しか寝る時間を与えられぬ事も、珍しくは有りませんでした。
ですが、後に四代目嶺北会副本部長と成られる、
関東古嶋組追分貸元、綿貫 誉殿、
延いては六郷睦会の後見人に付いて頂いた、
関東古嶋組御幸貸元、根本 秀平殿を始め、
諸先輩方の励ましと厳しさにより、
私も日々、成長の途に有る実感を得させて頂きました。
あの頃は甲村、三枝らと共に我を忘れ、日々の修行に必死と成り、
八年余りの歳月を経た昭和三十四年二月十二日、
気付けば、私も関東古嶋組中原貸元として、
六郷睦会を束ねる身と成っていました。
ですが、丁度その頃、関東古嶋組の島たる川崎市を、
北から制する様に八代目白川一家本居組が大勢を率いて、
傍若無人の所業を振るい、私率いる六郷睦会も、
進駐軍流れの獲物を武器に受けて立ちましたが、
程無くして古嶋親分が私ら、下の者に何の断りもなく、
本居組組長、本居 武士殿に侘びを入れてしまい、
私らを見捨てるかの様に、いずこかに消え去る始末でした。
甲村はそんな古嶋親分に嫌気が差し、
後に(杉並区)阿佐ヶ谷の串ノ屋一家堀内六代目に、
幼馴染みを頼って入門致しましたが、
私と三枝は生まれ育った川崎を離れられず、
慙愧に耐えぬ屈辱を耐え忍び、八代目白川一家本居組の軍門に下りました。
ですが、今に想えば、この結果が私の渡世を大きく道開く、
一つの転機と成った事も又、事実でした。
私はここで本居組組長、本居 武士と云う渡世の本筋たる親分に出会ったのです。
後に白川一家十代目を継承される本居親分は、嘗ての敵で有った筈の私、三枝を
新しい子が出来たかの様に可愛がって下さり、
私率いる六郷睦会へ、本居組の門を叩いた若い者を連れて来られたりと、
唯、白川一門の明日を見続け、一家の為に骨身を折られる姿にも、
私、三枝の両名は深い感銘を受けた次第で有りました。
同時に関東古嶋組時代の論功行賞をも配慮して頂き、
本居組に転向後、僅か二ヶ月後の昭和三十四年四月十九日、
六郷睦会は本居親分の御推挙により、
梅地組に改め、八代目白川一家梅地組として、再出発の途を経るに到りました。
一方で当時は四代目笹川組が全国制覇の機運に乗り、
西日本は勿論、北陸、中部地方にまで道を開き、
関東に迫るは必至の様相を示していた時節でも有りました。
本来、本居親分は喧嘩を嫌う、穏やかな人柄でしたが、
そんな世相を憂いだ八代目白川一家、若久 峰葉親分の腹に従い、
私情を滅し、港湾都市として復興を遂げていた川崎に
白川の島を持つ事で、笹川組東進を食い止め、
若久親分への恩義に答えたと、後に本居親分は私へ打ち明けられました。
遡ること同年二月十六日には、同様に現状を見据え、
自由共和党同志会会長、瀬島 康太殿を後見人とし、
東京湾岸地域から東北地方に掛けての博徒、的屋一門を糾合した
四代目泉谷一家、芦原(あわら) 一徹殿が初代嶺北会を創立した時節でも有りました。
そして同年九月一日には、初代嶺北会会長、芦原 一徹殿、
延いては瀬島 康太殿の音頭に依り、
八代目白川一家、若久 峰葉親分に加え、
六代目淀橋一家総長、金 栄嘉殿、
三代目新崎一家総長、伊東 絃治殿、
十代目上州寄左衛門一家貸元総代、岩田 幸助殿を中心とし、
関東侠友親睦会が結成されたのは御存知の事と思れます。
結局、芦原 一徹殿、延いては瀬島 康太殿の邪な腹を見定め、
その腹に乗らんとした、一家一門が脱会、団結に到った結果、
昭和三十六年一月二十八日の大安吉日、
我が俠仁会が創立する事と相成りました。
私も俠仁会創立と同時に、俠仁会初代を承った若久 峰葉親分の推挙に依り、
白川一家九代目川崎貸元の拝命を仰せ付かり、
初代俠仁会では理事長補佐に名を連ねる事と成りました。
ですが、初代俠仁会も決して順風満帆な船出とは行かず、
僅か半年後の昭和三十六年八月九日に、
若久 峰葉会長が拳銃自殺を遂げるに到り、
時を同じくして白川一家九代目総長、吉岡 喜市殿も、
初代俠仁会執行部から、詰め腹を切らされる形で破門処分に処されました。
その後、親同然の様に接して頂いた本居 武士親分が白川一家十代目継承され、
以来、私も我心滅却を心掛け、この侠道渡世を精進して参りました。
ですが、七年後の昭和四三年一月、弟の和志が私に何の相談も無く、
白川一家十代目鶴見貸元石崎三代目に出入りしていると聴き、
私は語気を強めて和志を諭しましたが、和志の決意が揺らぐ事は有りませんでした。
母、雅代の失踪に続き、酒浸りが元で義父、身延 匡市の病没も有り、
和志も「家族が地獄に落ちたなら、一緒に地獄見るんがワシの本望」と譲らず、
結局、私率いる梅地組で和志を預かる事と成りました。
以来、組長代行の三枝に厳しく叩き直させた結果、
昭和四十四年七月十日、家族の絆を強く望む和志の意思を汲み、
私より梅地 匡道と云う稼業の名を与え、子の盃を下ろすに到りました。
その後は兄弟共々、渡世の修行に精進し、
気付けば昭和五一年の未だ、忘れ切れぬ忌事を迎え様としていたのです。
当時は刈羽金脈事件の渦中に有り、白川の十代目を継承された本居親分も、
自由共和党同志会総務理事、永瀬 垣吉から、
東京東南地区の票纏めを任されとりました。
そして昭和五十年六月四日、その経緯から人柱にされるが如く、
本居親分は有りもしない強要容疑で逮捕され、
約二ヶ月後の八月十日、本居親分に懲役四年の判決が下されたのです。
本居親分は徹して容疑を否認し続けましたが、
十二月十五日の第二回法廷に於いて、
控訴も空しく、懲役二年四ヶ月の実刑判決が確定する事と成りました。
政治絡みの公判としては、不可解なまでに迅速な結審で有った事に、
私も懐疑心を募らせましたが、それは決して杞憂では無かったのです。
昭和五十一年五月二十九日、本居親分が岐阜刑務所に下獄された一ヵ月後の事でした。
お体に何ら憂いも無かった本居 武士親分が、
突如として肝臓癌で亡くなられたのです。
警察病院の杜撰な医療ミスは、当時も今も変わらぬ事ですが、
刈羽金脈疑惑の流れを睨んだ私は、有る憶測が頭に浮かび上がりました。
そして本居親分が白川一家十代目を継承された時分、
紹介された元警視庁公安部総務二課長、草薙 悦治先生に事の洗いを頼み、
その結果、本居親分の死因が窒息死で有った事を掴みました。
本居親分は懲罰房に下獄される際、五人の所員に依り、
柔道の閉め技で意図して殺されたのです。
草薙先生に依れば、本居親分は生前、
当時の自由共和党幹事長、明津 一郎の公設秘書、
嘉葉 克司から資産管理を任され、脱税額は当時の八千万、
今の四億にも相当する額でした。
この件が公に成れば、明津 一郎も刈羽金脈疑惑の渦中に晒されたのです。
元来、本居親分の逮捕は、明津 一郎の地元後援会長、三浦 慶之介と
懇意にしとられた日本綜合警備機構局長、大岩 行夫が、
警視庁刑事部一課を動かした事で、東京地検より執行された事です。
私は草薙先生から捜査書類を見せて頂いた時、
家族の様に接して頂いた本居親分、春海姐さんを想い、
恥ずかしながら、余りの悔しさに男泣きしてしまいました。
実の父を戦争で殺され、義理の父を戦後社会に殺され、
最後に稼業の父を政治に殺されたのです。
その恚激は本居親分を死に至らしめた自由共和党へ、
延いては明津 一郎への復讐を誓った程です。
ですが、その程度の心構えで渡り合える程、
政治の世界は甘くない事も分かっていました。
その後も追い討ちを掛ける様に厄事は続き、
俠仁会二代目は新崎一家の伊東 絃治殿が継承されましたが、
白川は本居親分の跡目を廻り、
光永 吉郎幹事長と、園辺 忠二理事長が反目するに至りました。
金に物を言わせ、意に沿わぬ者を桜田門に売り飛ばし、
果ては執行部の者を笹川の者に取らせ、
己の欲望だけを満たそうとする、
醜悪極まりない執行部を目の当たりにした時、
私は人を信ずる心を捨てました。
その時の私が、新條殿の知る私を生み出したのかも知れません。
ですが、私の野心が揺らぐ事は無く、本居親分の件で相談を持ち掛けた草薙先生を頼り、
警察庁総務課副局長に就いたばかりの亀岡 常五郎を紹介されたのが、
三年後の昭和五十四年の事でした。
亀岡も、明津 一郎の公設秘書を務めた過去が有る上、明津との関係を続けており、
私は明津 一郎の足元に食らい付いたと云う手答えを得ていました。
同時に外国為替管理法違反容疑で逮捕された刈羽 拓栄が、
亀岡 常五郎を手塩に掛けていた経緯も、私に味方しました。
以来、白川(一家)のゴタゴタなど何処吹く風で、私は先生方に信用を付ける為、
骨身を折って働き、望まぬ仕事を負い、選挙の際は菓子折りを送り、
対抗馬を挨拶状(捜査書類)で辞退させたりと、我を忘れて突き進んでおりました。
そして昭和裕仁親王がご崩御され、元号が平成に到った
平成元年四月十六日、気付けば俠仁会は三代目体制と成り、
私は白川一家十二代目の総長室に座っておりました。
以降の私が通した道は、新條殿も存知の通りです。
私情に駆られ、永々と成ってしまいましたが、最後に新條殿へ問いたい事が有ります。
ここに到るまでの文中に於き、「有る事」に気付かれた事と思われます。
その他愛も無い「有る事」こそ、真に私が新條殿に伝授したく願った事なのです。
人は等しく赤子として生まれども、環境はその等しさを許さず、
屈した物は邪の道に堕ち、抗う者が仏の道を歩む。
人誰もが心に邪を宿し、人誰もが心に仏を宿す。
新條殿は我が俠仁会、延いてはこの侠道界の為、
未だ大きな仕事を残しておられますが、
どうかこの人の定めに常に思慮を廻らせ、情けを与える心だけは忘れないで下さい。
これを以ち、私自身の教訓から導出した訓戒を
この侠道界に問い、締めとさせて頂きます。

戦後六十余年、法案の風節に晒され、我々に対する逆風は益々強まり、
任侠、侠道界にある代紋が生き残る道が、
最早、政治と足並みを揃えるか、否かに是非が定められた今、
唯、政治の流れに身を委ね、助力を尽くさんとする道を選ぶか?
或いは政治の風に乗り、政治を使い熟さんとする道を選ぶか?
私、梅地 芳雅は、今日を生ける全ての侠道者に、この厄事を問う。



敬具
五代目俠仁会会長代行
新條 清忠殿

五代目俠仁会総裁
梅地 芳雅


そして二日後の2010年9月5日、定例執行部会の場に於いて、
五代目俠仁会総裁、梅地 芳雅が引退を表明した。
定例執行部会が御開きに到る際には、梅地 芳雅と新條 清忠が、
共に堅い握手を交わし合う一幕も有った。
そして淀橋一家九代目本部に戻った新條 清忠は、
総長室にて梅地から渡された手紙を読み終えると、
苦笑いを浮かべつつ、その心中で呟いていた。
    梅地さん、あなたはもう十分に役割を果たされた。
    今度は私が、その役割を果たす番なのかも知れません。
  組織に大厄を齎す者こそが、組織を鍛え上げる真の功労者、、
  淀橋が、ここまでの隆盛を示したのも、あなたのお陰かも知れません。
そして網ガラスから差し込む、秋の淡い斜陽に照らされた新條は、
注がれた紅茶に口を付けつつ、自身の役割に想いを馳せていた。



  終