書:斉嘉 三津秋




かつて私が少年時代に有った頃、
今は亡き義の父が、私を咎める様に語った言葉が有った。
この日本社会には黒の世界と白の世界があり、
それは表意一体で有ると云う事をだ。
当時、義の父の元には頻繁に男達が来訪していた。
それは男である者、侠である者、
かつて侠で有った者など様々だった。
だが、義の父とは言っても、仁義の父では無い。
黒の世界に片足を入れた義里の父だ。
看板を外した男達の仕事を斡旋したり、
侠達と仕事をしたりと、社会通念上の後見人的立場の様な部分も有った。
因みに黒の世界とはヤクザ社会やその関係者、
そして“裏政財界”や裏警察機関などで構成される、
闇社会と云う意味だったのだろう。
白の世界も市民社会や政財界と言う意味だった筈だ。
少なからず侠道界で度々語られて来た白、黒と云う意味も
引っ掛けていたのかも知れない。





そして歳月を経て、今は私も東京に本部を構える
某某会三次の家紋外し(潜り組員、偽装破門組員)として仕事を打つに到っている。
そんな私が業界入りして以来、一人の侠に模範にも似た複雑な憧れを抱いて来た。
日の入でずる國最大のヤクザ組織、
元六代目山口組直参初代後藤組、後藤 忠政組長だ。 
だが、話の流れで内の会長に後藤 忠政組長の話をしたら、
“流石に”首を傾げていた。
余り妙な影響を受けない様に、と冗談も零していた。
一門の立場を見越して、暗に覚悟を促した部分も有ったのだろう。

後藤         後藤名刺
元五代目山口組若頭補佐           後藤 忠政組長の名刺
後藤組 後藤忠政組長           

後藤 忠政組長も自身に対して、延いては後藤組に対して、
徹して真摯だったと云うのが六代目山口組反主流派の評判でも有った。
組織の為なら如何なる仕事をも辞さなかったのだ。
池田大作を神輿の先生に祭り上げた
創価学会との癒着は特に有名だった。
昭和五十五年十月に完成予定だった、
創価学会員の霊園、藤桜自然墓地公園に纏わる
反対運動の潰しはその象徴だろう。
昭和五十二年、十一月二十一日。
墓園建設反対派の首領宅玄関に、
後藤組々員が十二トンの大型ブルドーザーに因る
突撃攻撃を敢行した。
そして制止を試みた首領の左腕を
別の後藤組々員が日本刀で切断したとされる。
直接的な依頼者は元創価学会顧問弁護士、山崎 正友だ。
因みに私の親族御尊家御一統様も創価学会員だ。
実の親父は昭和六十一年に理不尽極まりない理由で脱会させられたが、
私もこの時に脱会している。
詳しい経緯は話せないが、有る意味で創価学会は討つべき親の仇だ。
少年期の私は家庭崩壊に至らしめた創価学会を心の底から憎んでいた。
だが、討つべきは私を含めた人の権威強欲に有ると今は悟った積もりだ。
そう肝に銘じなければ、余りにも実父が救われない。
だが、お袋は未だに創価学会員だ。
又、平成二十一年に執り行われた国会総選挙の際、
私に公明党票を投じる事を創価学会男子部員から促された事も有った。
しかも明らかに威嚇する気配を感じたのだ。
立場上、相手が相手でも筋は通さねば成らなかった。
この様な応対した憶えが有る。
  票ですか、、二千万でどうですか?
  選挙違反で逮捕させたいんでしょう?
  自分、時給十五(万)は有りますからね。
  、、俺の素性も聞いてるだろう?
  それ位は用意して来たんだろうな?
  いいか?今度、来たら、、(割愛)
以降、創価学会男子部の連中は来ていないが、
我乍ら、陳腐なカマシ文句だった。
因みに自給十五万と云うのは“個人”としての
月の抜けが0円の時も有れば、
一日で七千万以上の抜けを得た事も有ると云う意味だ。
少なからず“ハッタリ”を打った部分も有った。
当然、この会話を音声盗撮した事は語るまでも無い。
事前に家へ来る日時も解かっていた。
だが、録音テープを何処に隠したか“は”記憶に御座いませんだ。
因みに幼少の時分、嘗ての創価学会総本山、大石寺正本堂にも、
親に引かれて何度か行った事が有る。
通俗社会とは隔絶された白源郷の様な世界だった。





白の世界に生ける企業が、ヤクザ組織に壊し、潰しを頼んだ場合、
頼まれたヤクザ組織はそれ以上の凄惨なる壊しに打って出る。
そして頼んで来た企業に対する脅しネタにする。
それがヤクザの常套手段と言えば、言えるだろう。
そして企業組織とヤクザ組織の間に
切りたくても、切れない“絆”が生まれる事に成る。
そして今度は“逆に”ヤクザ側が様々な依頼を企業に促す。
競合他社の椅子を贈物にする合法的な投資“交換”、
企業側の経営状況に適した国内外の下請け仲介、
敵対買収を視野に入れ“させた”投資ハガシなど様々だ。
規模にも依るが、買収交渉を成功させて“やれば”、
確実に一本五千万から三億はコンサル名目で抜ける。
関連の元証券屋や司法屋が弁護士資格を持っているのは当然の事だ。
基本は“私ら”に任せて下さいと“やる”。
だが威張っても、やはり企業側は身分と足元を見ている物だ。
過去に企業側の不正経理が外部に漏れた際、
代行で飛ばした者が用途は知らされず、
「宜しくお願いします」で、に関する数枚の写真付き書類、
そして五千万の切手が入った封筒を差し出されたのだ。
仕事は経理担当の口止めだ。
某順大手ゼネコン二次のT社としておくが、
あの会社は当時、親族派と外資派で割れ、役員会は派閥対立に揉まれていた。
そして外資派が刑事訴訟を起こす前に、先手を打った事は明白だった。
始末代は経理担当や中堅企業役員で一人、平均七千万程度、
大企業役員なら一人、平均一億三千万程度だろう。
東京の黒世界なら、“出張先”で口を塞いで絞殺する手が多い“様だ”。
そして昔は、荷物を組織関連や貸付先の鉄鋼産廃“など”へ持ち込んだらしい。
後は溶鉱炉に投げ込めば荷物も完全に消える。
当然、処分の手口も人の数だけ存在するだろう。
鉄鋼産廃も今は嗅ぎ付けられている。
何れにせよ、は永遠の失踪者と成る事は間違い無い。
日本の年間殺人被害者数は、
実際の七割に過ぎないとも云われている。
だが、これは第三者から聴いた過去の一例だ。
私の場合はマネキンを手配し、絵の具をブッ掛けて
役員にデッチ上げの写真まで見せ“させて”いる。
も地方の別企業で本役員に就いたと聞く。
当然、五千万の切手も有り難く金庫行きだ。
合法な取引名目で筆跡署名させた受領書を出させ、
法人税もキメさせている。
神隠しも警視犬機関に把握されているが、
荷物が消えているのだから後の祭りだ。
殺人・死体損壊罪で逮捕された奴など聴いた事も無い。
を攫う所を監視カメラに撮影されたら微妙だが、
「俺がった」と供述しても、荷物が消えているのだから、
証拠不十分で釈放される場合が殆どだろう。
数年以内に死体なき殺人の恣意的立証化と云う名目で
新法を打つと云う話も聴いているが、
警察機関の奴等は、迷宮入りの公算が高い案件は敬遠したがる物だ。
だが、嫌疑を元に攫う現場をサツに張られ、車に荷物を積んでいる所を
押さえられたら確実にわりだが。
又、企業側が見せしめを望むなら、
首吊り自殺にデッチ上げる場合も多い。
朝倉育英会の様に、稀に投身自殺にデッチ上げる場合も有る。
黒と白は共に利潤を得る。
そして黒の世界に取って最高の依頼主は此の日本国家なのだ。
 日の入出ずる國、此國ならん政の和、此れ乱さんとする者々、
 血の掟、此れ闇に沈まんとも這い憑かんが如し
 掟破られん葬去されたし者々よ、
 石井鉱基、伊藤一長、野口秀昭、数え足らんが如し、

 魔國なりし銃弾、其刻にて鳴り響かんが如し、
 其刻、魔白と魔黒、交わらんが如し
 日の入出ずる國、和之尊厳、此処に守われたり
日本国家の命に依ってヤクザ組織に始末された者は数知れない。
東京の黒世界に対する与党勢力の始末依頼なら
一人二十億の場合が多いらしいが、
その始末代は最早、銭を超えるのだ。
は主に不正疑惑が表沙汰に成った与野党衆参議員の秘書、関連会社の関係者、
それらに絡んだ財界人や芸能・興行関係者、そして左派組織の幹部等だ。
稀に外務省関係者など、官々がにされる事も有る。
国政や与党勢力に取り、生かせばマズい人物が口止めされると言えば解かり易いだろう。
通常は大物議員の後援会関係者からが来る様だ。
“一昔前”の東京黒社会の手口では、ホテルのドアノブで
首吊り自殺にデッチ上げる場合が多かった“らしい”。
手口は先ず、にその関係者から身の危険を知らさせ、
ヤクザ側の指定したホテルなどにを逃げ“させる”。
其処へ3、4人の的取り班が乗り込む。
そして即座に道具を突き付け、
放心状態に成ったの口奥に、
もう一人が拳に握った致死量を超える
某国製の液体眠剤などを、拳ごと口奥に捻じ込む。
そして昏睡状態に成ったの首とドアノブを縄や紐で結び付ける。
後は一人がドアを押さえ付け、
二人掛かりでの両足を15分程度、引っ張り続ける。
そして意図的に首吊り自殺にデッチ上げる“らしい”。
中には看板違いで二班に分けた的取り班が、
同じホテルで、同時刻帯に二人始末した事も有った。
しかもお国仕事なのだから、
一滴程度のを残しても警察機関の連中は黙るしか無い。
仕事が終われば、親は後に一門、看板の新人事で昇格し、
的取り班も上から一人5000万は始末代が出る。
稀に班長役、連絡役が口止めされる事も有るが。
動いた看板や一門は、国家への潜在的介入機会をも得られるだろう。
が左派勢力なら警視犬公安部を筆頭とする、
警察犬機関の秘密も握れる。
秘密は取引“にも”利用出来る。
憂国の大物に、政権へ提言する事も或る程度は赦されるだろう。
内の一門“も”日頃の働きに依り、改正暴力団対策法、
特に暴排条例は寛大な処置を頂いている。
流石に街のカスリは厳しく成ったらしいが、
抱いた会社が大手、順大手の有力な二次下請けなら、
役員席に入れるべき“連中”を入れとけば先ず勧告は飛ばない。
マフィアに拠は与されず、ヤクザは拠を与される。
それがこの日本国家がヤクザ組織の存在を暗に肯定し、
その存在を許す事実核心なのだ。
ヤクザ組織は日本国家にとって最高の利用物だ。
日本国家もヤクザ組織にとって最高の利用物なのだ。
通常は天下り官僚“個人”に、証拠たり得る“爆弾”を見せて抱き込む。
奴等の“遊び場”を割り、女の“色気”で煽てさせて
外秘書類でも吐かせれば抱いたも同然だ。
こっちも某所の賜物で、別の官々名刺も切れる立場だ。
無理強いはせず、儲けさせてやれば色々と使える。
議員など抱いても時間の無駄だ。
若手議員の名刺を切り、元経産省の爺さんが出て来て
危うく強要の罪状を切られそうに成った事も有る。
国会など官々連中や財界の代理的な意思決定機関に過ぎない。
先述の後藤 忠政組長も、政財界や芸能界などに
穏然たる影響力を誇っていが、
当然、日本国家からの依頼も飲んでいた。
創価学会の傀儡政党である公明党は創価学会の分身政党でも有る。
後藤組と創価政党との癒着は先述した通りだ。
そして東京東村山市長、朝木明代は、
創価政党と後藤組の癒着に付いて激しく追及していた。
平成七年九月一日。
標的、東村山市長、朝木明代
手段、其れ高なる頂、自死なる堕転なりき装い、其れ高なる頂
地、叩き堕とさんが如し、血の掟、此れ天に示されたり
傀儡ならん者、其の恐班、傀儡ならん者、
其の極み与し、其の観、天に示されたり

だが、この件で創価公明党側は朝木明代の
始末までは依頼してなかったとされる。
飽くまでも創価学会に対する朝木明代への
批判潰しが創価学会側からの依頼だったと云う。
一方で昭和五十年代後半より創価学会側が
後藤組を切り捨てる算段を立てて居たとも云われる。
其処で後藤組が創価学会との依り根深いを作る為に、
敢えて飛び降りにデッチ上げたのだろう。
だが、始末役が仲介役の学会役員に、
「落とす真似して脅したら、落ちてしまった」と報告を入れたと云う説も有る。
「オモチャかと思って(人)撃ったら、本物だった」と云う、
ボカシ文句だったのかも知れない。
何れにせよ、これから隠し自殺仕立てに長けた人材は確実に増えるだろう。
年々、法案の締め付けも厳しく成り、
道具を使った殺人でも打たれれば軽く25年、
公衆の場なら確実に無期だ。
組織情勢や経済情勢が目紛るしく変わる時代の中で、
30過ぎで殺人で持ってかれたら、ヤクザとしては殆ど終わりだ。





嘗て創価政党と後藤組の関係を示唆する、
映画製作を企画した男がいた。
それが伊丹十三だ。
伊丹十三はミンボー(民暴)の女と云う映画を、
白の世界に示標した男としても知られる。
平成四年、五月十六日。
伊丹十三はミンボーの女を世に示標した。
その事実に対する後藤組の行動は迅速だった。
平成四年、五月二十二日。
伊丹十三は自宅玄関前で三人の後藤組々員により、
刃物で十数か所を切られて重症を負った。
白の世界の報道ではミンボーの女を示標した事に対する、
後藤組の脅迫襲撃事件とされた。
黒の世界ではミンボーの女の出資金に絡む、
脅迫襲撃事件とされた。
出資金提供元は後藤組傘下の金融業者だった。
だが、ミンボーの女も、所詮は娯楽映画で終始している。
劇中で高級ホテルから侠達が追い出だされる場面が有る。
だが、歴代山口組の複数の直参は、
首都東京一等地にて、高級ホテルを実質経営して来たのだ。
東京駅八重洲口付近にて高級ホテルを、
実質経営している直参も有る。
当然、内の看板も代行を立てて、
東京都内に複数の高級ホテルを実質経営している。
義理事は警察機関へ“配慮”しているが、
主に地方に本部を構える傘下一門の御用達だ。
仕事の用事で泊まる諸先輩方も多い。
“逆に”一般市民も宿泊出来る様に成っている。

菱
山口組、山菱の代紋

先述の通り、伊丹十三は創価政党と後藤組の癒着を示唆する、
映画製作を画策していた。
そして伊丹十三は画策を決行に移す。
後藤組も潰しを打つ。
平成九年、十二月二十日。
標的、映画監督、伊丹十三
手段、伊丹なる者、此れ高なる頂、自死なる堕転なりき装い、
    其れ高なる頂、
地、叩き堕とさんが如し、
    血の掟、此れ天に示されたり

    傀儡ならん者、其の恐斑、傀儡ならん者、
    其れ至上なりし極み与えし、此れ天に示されたり

白の世界の報道では飛び降り自殺と伝えられた。
黒の世界では後藤組に因る、
飛び降り自殺に見せ掛けた転落殺害とされる。
此の時、伊丹十三は未だに後藤組傘下の
金融会社と問題を抱えていたのだ。
其処で創価学会の意向も絡め、他の債務を抱える芸能人へ、
見せしめとして転落殺害したと云われている。
同時に他の様々な問題を抱えていた伊丹十三も、
何時、自殺しても驚かない程の状況が整っていた事は周知だろう。
他にもタレント、尾崎豊も創価学会の依頼で
後藤組関係者に暴行殺害されている。
創価学会員で有り、覚醒剤中毒でも有った、
尾崎豊に依る創価学会の暴露阻止が目的だ。
若し尾崎豊が内実を暴露すれば、
創価学会への若年層入会者は確実に減少する。
それが創価学会側の懸念で有った事は語るまでも無いだろう。
だが、創価学会側は後藤組に対して“一連”の収め代や
始末代を値切って来たのだ。
他の様々な関係疎通不和や
創価学会側の裏切り行為も有ったと云う。
辿る昭和57年3月には後藤 忠政組長が、
創価学会側へ抗議文書を突付けた事も有った。
以下が内容証明郵便で送付された後藤 忠政組長の抗議文書だ。
  昭和55年12月、富士宮市議会における百条問題は
  学会にとって大変な出来事でした。
  斉藤滋与史氏(静岡県選出の自民党代議士)にしろ、
  杉 山憲夫氏(自民党静岡県議)にしろ、
  百条問題調査打ち切りに関しては多少なりの力添えはあったにしろ、
  現実はそのような甘いものではなかった。
  四方八方に手を尽くしてもどうにもならなかった学会側は、
  以前の富士桜墓地霊園(公園)造成の時と同じ様に、
  今度は百条委員会調査打切り、
  池田大作先生の名誉市民剥奪を叫ぶ、
  市民会議解散、山崎正友元弁護士の証人喚問阻止を、
  土橋(昌訓)公明党富士宮支部長、公明党元代議士・高橋繁、
  公明党稲田(圭佑)市議の三氏が、
  学会側の代理人として私の元に依頼してきたのです。
  私はこの問題解決のため全力を尽くし解決いたしました。 
  百条委員会に関しては中心人物、河原崎(澄雄)市議を自宅に呼び、
  説得に説得を重ねました。
  私は常に物事に対処する時は、自分の生命を賭け、
  明日を考えずにその一事、一事、に
  全力をぶつけて力一杯生きています。
  ですからこの件にしても、若しこれが刑法223条に於ける
  処の強要罪になったとしても、信念を持ち行動して来ました。
  また、市民会議の代表者である
  川村、黒田の両氏を喫茶店ミミに呼び、
  市民会議を解散するよう得々と説得いたしましたし、
  山崎弁護士に対しては、私自身かなり強い態度で
  接して私の真意を伝えました。
  この件に関して私と学会は一心同体のはずです。
  先にも書いた様に、富士桜自然墓地霊園造成問題に関係して、
  私の若い者が学会のために6年もの刑を受け今だに受刑中です。
  それを知り、あえて私に百条委調査打切り、市民会議解散、
  山崎正友の証人喚問阻止(亀井静香の始末)を依頼して来た
  事実は拭う事の出来ない事実であり、
  私の信念五分、学会側の依頼五分を言うのも
  判って頂けると思います。
  しかるに学会側は、そんな私の心を踏みにじる
  問題を投げつけてきたのです。
  私は地位も名誉もないが仁義は守り、その上での意地があります。
  学会の指導者はおのれだけの権力志向を欲望に生き、
  口先きだけの勤行を唱えているにすぎない。
  私は池田大作氏の真の声が聞きたい(池田犬作殺害示唆)。
百条委員会とは地方議会が立ち上げた、
“地方議会”に対する特別捜査部署の様な存在だ。
後藤忠政組長も所詮、創価学会の利用物に過ぎなかったのだろう。
因みに内の会は創価学会とは一切関係無い。
看板レベルでは過去に一時的に敵対関係に陥った事も有ったが、
今は極一部の一門に関わりが有る程度だ。
昨今で創価学会の旨みと言えば、
関連会社頼みの税“飛ばし”や動産、資産飛ばし、
仕事では会館建設の為の動産整理、
日蓮正宗や顕正会の抑えくらいが良い所だ。
内は創価学会との付き合いは無いが、
仕事は私を事実上の統括長とした関係者部隊が“独断”で打っている。
刑法上でも私を含めた数人が準構成員、暴力団関係者だ。
今は仕事の絵図も全て私が立てる。
当然、仕事の胴も私に他成らない。
仕事も企業買収仲介、日系も出張る中央アジア某国のインフラ開発、
原油銘柄などの投資・投機関係を主としている。
口座の金も誰が使うか解りやしない。
元組対一課、某機構の親父さんが、
クラブの女との“じゃれ代”で使うかも知れない。
現職からの潰しを抑える保険掛け、
デッチ上げの罪状を狙った証拠掛けだろうが、
律儀にも“足”まで付けてくれるのだから有り難い物だ。





かつてのヤクザ社会には“強きを挫き、弱きを助け”と云う理想意識が有った。
後藤組に対する私の印象は“弱きを挫き、強きを助け”だ。
これはヤクザ世界に生ける侠達の理想意識では邪道と見做される。
だが、後藤組に限らず、基本的に今のヤクザは看板、組織の為なら何でもする、
或いはしなくては成らないのが実情だ。
抗争で市民社会を恐れさせて金に変える、では法案の餌食にされるだけだ。
今は直接、市民にを掛けて恐れさせるのが本当だ。
大概はデッチ上げの自殺で対象の業界、関係者に対する脅しにするが、
これに依り、それらの界隈で仕事を打つヤクザは看板に限らず、
その“脅しの相場”を共有出来るのだ。
五代目工藤會に依る一連の襲撃も、繁華街のカスリや
公共事業への食い込みに頼った同業からは、
一時的にその恩恵に肖れたとも聴いている。
極一部の大御所は別だが、法案で雁字搦めにされたヤクザは、
最早、脅しの相場を操る事で、仕事の打てる範囲を維持せざる負えないのだ。
それが嫌なら、国外で仕事を打つ他無い。
此処からは評論家、木村 勝美氏の
著書も“参考”に交えながら、事の経緯に触れるが、
そんな現代のヤクザの姿を一番最初に実践したのも後藤組だった様に想える。
平成に入り、後藤組もその実例が伴った脅しを武器に、
関連企業を次々と首都東京に進出させて行った。
そして他の山口組直参組織の関連企業も
雪崩込むかの様に首都東京へ本格的に進出した。
関連企業と云えども事実上、五代目山口組の拠点だった。
その先兵となった後藤組が、五代目山口組の
首都東京への道を開いたとも云われる。
山口組の首都進出は八十年代後半から有ったとされるが、
資産飛ばし、担保ハガシなどの地上げを以って、
本格的に五代目山口組の事務所を出張らせて行ったのだろう。
首都東京が山口組全国制覇の最後の砦だった。 
そして関東が孕む諸般の件が手伝い、
平成十五年、五代目山口組は首都東京の黒の世界を事実上、制覇した形と成った。
その後、後藤組も証券業界へ大規模に進出する。
そして日の入でずる國、最大手金融会社の武富士騒動に介入した。
その際、後藤忠政組長は再三に渡って武富士会長、
武井保雄に対して業務提携を促したとされる。
 仕事をくれないか?俺だったら何でもやってやるから。
だが、武井保雄は後藤忠政組長の踏み台に過ぎ無かったのだろう。
後藤忠政組長には算段が有ったのだ。
そして武富士側が保有する日本航空株を後藤忠政組長は分割買収した。
その結果、日本航空株、百万株を保有する個人筆頭株主と成る。
そして後藤忠政組長は山口組事実上の最高権威者と成った。
これが後藤忠政の算段だったのだ。
その後、武井保雄は肝不全で怪死を遂げた。
だが、後藤組が関与した可能性は低いだろう。
大病院での薬物殺害は政財界の常套手段なのだ。
高濃度鎮静剤を忍び込ませた飲料水を飲ませる。
そして順天堂大学付属病院や
聖路加国際病院“等”にて筋弛緩剤などで急死させる。
その後、後藤忠政組長が取得した日本航空株は、
石原慎太郎、東京都知事の友人である
糸山英太郎自民党参議院議員に売却譲渡される予定だったと云う。
又、後藤忠政組長は肝臓病を患っていた。
そして米国FBI、「財務省関係者」に接触して、
五代目山口組の内部情報を漏らした。
その見返りとして米国の大病院にて肝臓移植を受けたと云われる。
そしてこの後藤忠政組長の漏らしにより、
ついに五代目山口組直参五菱会に因る、
大規模闇金融組織が白の世界に暴露された。
五菱会、高木康男会長は後藤忠政組長の序列第一舎弟だった。
この漏らしにより、五代目山口組は約五十四億の損失を被ったとされるが、
一方の後藤組の損失は零円だったとされる。
だが、後藤忠政組長は五代目山口組一の資金力を誇っていた。
年商三百億~九百億と聴いた事も有る。
引退時の総資産も約五千~七千億と云われていた程だ。
既に総本部や五菱会側には、
先の損失以上の抜けが納められていた。
高木康男会長も、現在は六代目山口組直参六代目清水一家を預かり、
現在の所は、総本部の若頭補佐に就いている。
又、後藤組の体質にも独特の物が有った。
デカい利権に頼った組織強化を第一義とし、
その指針に沿わない無駄な抗争は避け、
唯、政財界と渡り合える組織強化を図っていた。
この部分は内の一門にも通ずる物が有る。
抗争は禁止と言える程までに抑え付けられ、
政財界の利権絡みでは良く荷物が出る。
そして後藤組最大の特筆点は、その組織構成だろう。
警視犬組織犯罪対策四種(四課)の把握では、
後藤組組員は約四百人で有った一方、
修行中の出入り、関係者、家紋外しなどを含めれば、
少なくとも約三千百人に達していたとされる。
“通常”のヤクザ組織は代紋持ちの約二倍の
準構成員、関係者が存在するのだ。

後藤本家
元六代目山口組直参後藤組本部

後藤組の人員構成“も”マフィアの人員構成を彷彿とさせる。
内の会も盃持ちは会長以下十人以上、十六人未満だが、
桜田門から認定されている準構扱いの関係者は私を含めて六人以上、
修行中の若い者は二十人以上、
仕事で動く専門職種や、掛け持ちも含めれば相当な人数に成る。
“奴等”に秘密にしていれば、仕事部隊も
マフィア勢力と言えたのだろう。
だが、基本的には法令順守で通している。
抜けも合法な名目なんだから、締めの会社から法人税もキメられる。
又、後藤忠政組長は立技格闘術K-1.WORLD GPの
事実上の創設者でも有った。
K-1.WORLD GPの独裁者だった石井和義に、
格闘術の娯楽産業への可能性を説いたのは後藤忠政組長なのだ。
そして後藤忠政組長は巨額資金提供を行い、
K-1.WORLD GP娯楽産業成就を成し遂げさせる。
又、K-1 WORLD GPでは多数の八百長試合が行われていた。
その疑惑を追及し、白の世界に示した者も二人始末されている。
少年時代の後藤忠政組長と石井和義は、
極真空手の同じ道場で修業を重ねていた仲だったと云う。
又、後藤忠政組長は自身に対して誠意を示す者には、
それ以上の誠意を以って答える人物だった。
石井和義の為なら如何なる行動をも辞さなかったのだ。
芸能界でも絶大なる権威を誇っていた。
バーニング・プロダクション社長、周防郁雄は、
関東の看板の方が色々と縁が有るが、
後藤忠政組長も複雑な繋がりを持っていた。
五代目山口組時代では若頭補佐を務め、
女性タレントとの戯れ事も好きだったのだろう。
後藤忠政組長にとって、自身の後藤組の存在こそが、
後藤忠政組長の信念の証だったのだと私には想える。
そして後藤組に誠意を示す者に対しては、
その者の絶大なる庇護者にも成って来た。
政財界の腐敗臭に晒されて来た者だからこそ、
眞の誠意者が見える者へと成れるのだ。
そんな無血の穢れに塗れた時隙を経て、
多くの大物ヤクザは独特の審美眼を得ているのだ。
その審美眼を以って人の嘘心と誠心を見極めても来たのだろう。
私の場合は代行を飛ばして直接、役員連中や総務などに会う事は無いが、
“録音”を聴くとボールペンのインクで
酒盛りでもしてんじゃないか、と思う様な役人気風を感じた事も有る。
「1億だ、2億だって、コジキが集(タカ)って困ってましてねぇ。
まあ、(同じ穴の狢の)某某さんなら、その辺は(掛け合いは)お慣れで有ると思いまして、、」
、、仕事だから仕方無いが、役員や総務連中など、
余り関わりたくないと云うのも本音だ。





嘗て元五代目山口組、渡辺芳則組長に眞の忠誠を誓った侠がいた。
五代目山口組直参中野会、中野太郎会長だ。
中野太郎会長は義分上、渡辺芳則組長の兄貴格に当たるが、
此処では中野 太郎会長を渡辺 芳則組長の子とする。
実際に中野 太郎会長は親の様に
渡辺 芳則組長を慕っていたと云われていた。
五代目山口組、渡辺芳則組長は神輿の組長でしか無かった。
眞の最高実力者は五代目山口組、宅見勝若頭だった。
宅見勝若頭は、四代目山口組では若頭だった渡辺芳則組長を、
山口組五代目にする為に様々な方面に奔走していた。
この時に若頭時代の渡辺芳則組長を五代目に推したのは、
他に四代目山口組、岸本才三本部長を始め、複数の直参に及び、
その中には弘道会、司忍会長も含まれていた。
そして宅見勝若頭補佐らの意を汲み、
直参二代目吉川組、野上哲男組長と渡辺芳則若頭が相談の場を持つ事と成る。
その場では五年間、執行部に一切の提言をしない事を条件に、
渡辺芳則若頭の山口組五代目継承に向けて動くと、密約が交わされたとされる。
一方で渡辺芳則若頭は、先述の山一抗争の総指揮官役でも有った。
その結果、本抗争の実働部隊と成った代紋持ちの多くが、
当時の渡辺芳則若頭に信義の忠誠心を誓ったのだ。
その筆頭格が中野太郎会長だった。

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五代目山口組若頭補佐
中野会 中野 太郎会長

だが、五代目体制発足当初から、複数の若頭補佐らが、
五代目山口組の実権を宅見勝若頭に任せつつも、
其々がその実権を狙い合っていたと云われる。
そしてその状況に対し、渡辺五代目は密約その物が、
組織の実権を廻る若頭補佐らの裏切りで有ると確信したとも云われる。
その状況に業を煮やした渡辺五代目は、中野太郎会長と相談した結果、
中野太郎会長を三代目山健組から半ば強引に直参に上げ、
一年後には若頭補佐に就かせた。
そんな中で執行部に送り込まれた中野太郎会長に取り、
他の若頭補佐らは敵以外の何者でも無かったのだ。
そして若頭補佐に連なった中野太郎会長は、
宅見若頭を筆頭とする若頭補佐らに専横を振るい、
傍若無人の限りを尽くす事に成る。
首都東京への進出でも宅見勝若頭と激しく対立した。
関東でも“歌舞伎町占有”や“バカラの鉛打ち”など、
中野会進出の話は諸先輩から色々と聴かせて頂いた。
太田興業など山健組系列や小西一家系列も派手だったらしいが、
中野会はまるで別物の荒くれ振りだったと聴いている。
一部では中国など外国勢の狼藉振りに、
「中野と大して変わらん」と云う例え癖も有ったと云う。
東北地方では当地の老舗的屋一門を廻る、
他直参との争奪戦も起こっていた。
内の看板とは親戚に有った老舗的屋一門も、
“盃担保”でコケさせられて丸ごと持ってかれている。
この様に他所看板をも巻き込み、且つ総本部の意向をも無視した
中野会の猛々しい拡大路線は、五代目山口組総本部内でも危険視されていたのだ。
首都圏で中野会が暴れ三昧を通す事に依り、
警察機関から山口組全体が睨まれ、
出張る有力直参の仕事にまで影響が出る事を
総本部が懸念していたのだと云う。

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五代目山口組若頭
宅見組 宅見 勝組長
(下段中央)

そして宅見勝若頭を筆頭に、複数の若頭補佐も
中野太郎会長に対する算段をその内に秘めたのだろう。
宅見勝若頭は京都に存在する料亭に中野太郎会長を呼び出している。
そしてジュラルミンケースに入った二億前後の現金札束で
中野太郎会長の懐柔を試みたのだ。
当然、中野太郎会長は宅見勝若頭の提案を拒否したとされる。
そしてその二日後、平成八年七月十日に事件は勃発した。
京都府八幡市の散髪屋にて、
四代目会津小鉄会組員が中野太郎会長を銃撃したのだ。
だが、中野太郎会長の警護団に依り、
四代目会津小鉄会組員二人はその場にて射殺された。
事前に四代目会津小鉄高山派の某傘下から、
中野会側に襲撃計画が漏れていた部分も有ったが、
中野太郎会長は警護団の見事なる働きに依って無傷で済んだのだ。
だが、この事件に対して中野太郎会長が、
宅見勝若頭へ猜疑心を募らせた事は語るまでも無い。
四代目会津小鉄会、図越利次理事長とは深い関係を築いていた。
宅見勝若頭の算段とは図越利次理事長を利用して中野太郎会長を始末させ、
四代目会津小鉄会側に一連の責任追及を図る。
その決着条件として四代目会津小鉄会、
高山登久太郎会長を引退させる。
最終的に利用した図越利次理事長に
五代目会津小鉄会々長の座に就かせて、
五代目会津小鉄会を宅見勝若頭の事実上傘下に置くと云う算段だったとされる。
だが、この算段も某看板主流派(当時)の筆頭格から、
四代目会津小鉄会高山派に漏れていた。
そして中野太郎会長率いる中野会も、
約一年に渡り、宅見勝若頭への追跡監視活動を開始する。
そして中野会側は中野太郎会長の暗殺未遂に対応した、
決定的“過ぎる”証拠を身近な人物から掴んだと云われる。
又、先の四代目会津小鉄会交渉劇で、
渡辺芳則組長の一切の提言を、宅見勝若頭が阻止したと云う経緯も有った。
中野太郎会長の親は五代目山口組、渡辺芳則組長だ。
五代目山口組、宅見勝若頭では無い。
宅見勝若頭などは四代目会津小鉄交渉劇で
渡辺芳則組長を蚊帳の外へ引き摺り出したのだ。
この事実に対して中野太郎会長は信義の逆鱗炎をその心内に秘めたのだろう。
そして元菅谷組内生島組、生島久次組長のを転機とし、
後述する事情も相俟って、東京都四谷に本部を構えていた
初代中野会至龍会本部に六人の侠が招集される。
そして四人の的取り役が選抜された。
的取り班の総指揮役と成ったのは中野会壱州会、吉野和利会長、
連絡役は初代中野会財津組、財津晴敏組長だった。
木村勝美氏の著書に依ればその際、
吉野和利会長は的取り班に対して以下の絶対命令を下したとされる。
  宅見のガキが東京に来とるっちゅう事や。
  あいつを殺って親父に頭(若頭)になって貰う。
  お前ら、そのメンバーや。
  それからな、お前らの親父はもちろん、一切この事を漏らすな。
この極秘命令を下された的取り役が第三者に極秘命令を漏らせば、
その者は確実に口止めで始末されるのだ。
そしてその事実を別の的取り役に対するみせしめにする。
若し直参初代中野会の宅見若頭殺害計画情報
五代目山口組執行部へ漏れれば、
その時点で初代中野会に破門処分が下されただろう。
宅見勝若頭が最高実力者で有る以上、
絶縁処分が下された可能性も十分に有った筈だ。
今は関東の代紋も鉄砲を動かす場合、
らな生きて返さんぞ、(お前の)身内も外にいるんだから」などと脅しを入れ、
無理強いで鉄砲に仕立てる事も珍しくは無い。
今時、無期が約束されたジギリを切る者などいないからだ。
だが、此処にも魔國の触手は這い寄っていた。
平成九年八月二十八日。
的、五代目山口組若頭、宅見勝。
手段、四の滅者、其の逆鱗炎、其れ弾に誓いし、
    其の偽者、
徹して此の世、其れ滅されたり
    其後、黙し其の身伏せ、此れ何人にも悟られる事なかれ
    真の頂、其れ如何なる者か、其れ獄に示されたり
新神戸オリエンタルホテルにて五代目山口組、宅見勝若頭、
五代目山口組、野上哲男副本部長、
そして五代目山口組、岸本才三総本部長が雑談を交わしていた。
其処へ中野会加藤総業、鳥屋原精輝組員が
二メートルの至近距離に立った。
そして宅見勝若頭に照準を定め、
四十五口径の拳銃から六発のを放った。
更に別の中野会組員が三十八口径のを数発放った。
宅見勝若頭は七発のを受け、約一時間後に死亡した。
そして何の関係も無い歯科医師の頭部蟀谷(こめかみ)に
一発の鉛が命中した。
歯科医師も六日後に死亡した。
NHKも字幕で一報を流す程の大事件だったのだ。
私も部屋で“内職”をしている時にこの字幕を見ている。
一方で白の世界でも、この事件を宅見若頭“暗殺”事件と呼称した。
当時、戦後最大規模の政治経済事件で有る伊藤萬(イトマン)事件が
白の世界に暴露されていたのだ。
若しこの政治経済事件全貌が白の世界に暴露されれば、
時の内閣は確実崩壊に至っただろう。
又、この政治経済事件には三人の重要疑惑人物が浮上していた。
京都政財界の重鎮、山段芳春、
部落解放同盟幹部、許永中、
そして五代目山口組、宅見勝若頭だ。
山段芳春は伊藤萬事件の事情聴取を受ける前日に怪死している。
そして宅見勝若頭は中野会組員に因って射殺された。
許永中は事件の数ヶ月前に北朝鮮に逃亡している。 
中野会の最初のは許永中だったのだ。
許永中は宅見勝若頭の中核的な資金援助者だった。
そして両者の功に因り、伊藤萬経由で三千億前後が宅見若頭の金庫に、
一部は五代目山口組総本部に納められたと云う。
その両者の相互的利害関係を
中野会が絶ち切ろうとしたのだ。
宅見勝若頭の資金力弱体化を図る為だろう。
宅見勝若頭の権威はその巨額資金力に依存する側面も有った。
だが、既に魔國の触手は、その算段をも絡め取っていたのだ。
宅見勝若頭は末期癌に犯されて余命も僅かだった。
その事実に功を焦った警視犬が、
伊藤満事件に関する証拠固めに躍起に成っていたと云う。
宅見 勝若頭は事件の約半年前から何時、
任意同行を求められても不思議では無かったのだ。
元より宅見勝若頭と中央政財界の関係は部分的で有り、
東京に本部を構える住吉会や四代目以前の稲川会執行部本役の様に、
全体と歩調を合わせた関係では無かったと云われる。
此処で宅見勝若頭が司法取引で伊藤満事件に関与した、
与野党衆参議員を証言していれば、
時の橋本内閣は大混乱に陥っただろう。
東京佐川急便事件の再来だ。
余命僅かな人間が良心の呵責に駆られ、
過去の所業を証言する傾向を恐れた部分も有ったと云う。
総本部の若頭補佐との微妙な関係を睨んだ部分も有った様だ。
そして中野会、弘田憲二副会長に何者かが接触し、
弘田憲二副会長から中野太郎会長に、宅見勝若頭の口止めを促したとされる。
その何者には、橋本龍太郎後援会の某理事に“嫌疑”が掛かったと有るが、
後の日歯連献金疑惑にも深く関わった人物だ。





一方で当初、中野太郎会長は宅見 勝若頭を
始末する積もりは無かったとも云われる。
自身をにした宅見 勝若頭を対象とする確定的な情報を、
五代目山口組執行部で問題提起する。
そして渡辺芳則組長の命で“引退”処分、
又は除籍処分を下させるのが中野太郎会長の狙いだったと云う。
渡辺芳則組長に忠誠を尽くしていたとは云え、
この時だけは中野太郎会長もその実質的な力関係で、
渡辺芳則組長を動かす狙いも有ったのだろう。
この時点では、中野会側が中野太郎会長襲撃に
複数の若頭補佐も動いていた裏までは取れていなかったと云う。
だが結局、弘田憲二副会長からの説得も相俟り、
ついに中野太郎会長も宅見若頭をる事を決意したとされる。
又、襲撃の際、山口組執行部にも内通者が居たのだ。
元五代目山口組、滝澤孝筆頭若頭補佐だ。
特に芳菱会を率いた滝澤孝筆頭若頭補佐は、
首都東京の動産整理など、デカい仕事を巡り、
宅見勝若頭と度々対立していた。
そして五代目山口組総本部内より殺害部隊に無線通達される、
宅見勝若頭の度重なる予定変更の密告、、
 宅見が、総本部入りするのは午前11時ごろだ。
 決して見逃すな。
 宅見は、もう総本部入りしとる。
 帰りを狙うから川の反対側で待機しろ。
 宅見はこの後、必ずキタ新地の全日空ホテルに行くはずだ。
 宅見の行き先は新神戸のオリエンタルだ!
 そこで、どうしても今日中にれ!
総本部内に居た宅見勝若頭の予定変更は、殺害部隊に随時、
トランシーバーで外部に漏らされていたのだ。
そして殺害部隊の総指揮役だった吉野和利会長も
逃亡先の韓国で怪死した。
韓国の警察機関は、吉野和利会長の死因を、
病死と日本の警察機関に伝えた。
だが日本側は、韓国側の不可解な捜査情報を直ぐに見抜いたのだ。
吉野和利会長は在日朝鮮人で有り、持病も患っていた。
韓国側が提示した司法解剖の結果に、
吉野 和利会長が常用する処方薬とは、
明らかに異質の成分が明記されていた事が、疑惑の発端に成ったと云う。
一方でこのには、中野会と近しい五代目山口組某有力直参の意を受けた
中野会、山下重夫若頭に依って指揮実行された毒殺説も囁かれていた。
宅見若頭暗殺、又は五代目山口組総本部の超大物に関する、
口止めだったとも云われている。
だが、木村勝三氏の著書に照らせば、
やはり宅見若頭暗殺での中野太郎会長と山下重夫若頭の間には、
言葉では語れない温度差が有った様だ。
宅見若頭暗殺事件の約二十日前の出来事だった。
東京恵比須ウェスティン・ホテルでの秘密会合に
出席していた中野太郎会長から、山下重男若頭は呼出しを受けている。
そして呼出し先で有るウェスティン・ホテルに到着した山下重夫若頭は、
的取り班の総指揮役だった吉野和利会長と鉢合ったのだ。
その際、吉野和利会長は驚嘆の相を顔に走らせたと云う。
そして元五代目初代芳菱会、滝澤孝会長も同行していた。
その秘密会合は宅見若頭殺害計画の秘密会合で有ったとされる。
だが、既に秘密会合は終了していた。
結局、中野会、山下重夫若頭に
秘密会合の内容が知らされる事は無かったと有る。
そして中野太郎会長と山下重夫若頭も又、
中野会の組織運営方針を廻り、度々意見対立が有ったとも云われている。
山下重夫若頭が秘密会合終了後に、
中野太郎会長の呼出しを受けた部分にも不明瞭な一端が垣間見れる。
細事は知らせず、暗に共犯関係を作った可能性も有るが、
結局、山下重夫若頭も平成十一年に後の二代目宅見組、
西野保若頭補佐が指揮する的取り班に因り、大阪で射殺されている。
又、先述の何者かと接触した中野会、
弘田憲二副会長首謀の暗殺説も存在していた。
宅見若頭暗殺事件を実行させて中野太郎会長を
五代目山口組から絶縁処分にさせる。
そして再編後の中野会勢力を直参組織として束ね、
自らが直参組織を統率すると云う算段だったとされる。
これが事実なら、中野会乗っ取りが狙いだったのだろう。
実際に中野太郎会長が宅見若頭暗殺の第一報を受けた際、
“ハメられた”と呟くのを居合わせた
中野会執行部員達が聴いたと云う一説が有るのだ。
だが、中野太郎会長が山口組総本部より
絶縁された際に呟いたと云う一説も有力だ。
又、予てより弘田憲二副会長は、
五代目山口組執行部から策謀家と危険視されていた。
然も何者かとの接触者で有る以上、国家の秘密も握れる。
中野会も侠約千八百人の巨大直参組織だった。
結局、平成十四年に中野会、弘田憲二副会長も、
直参初代天野組々員に因って逃亡先の沖縄で射殺された。
そしてこの暗殺説も証明不能と成った。
以上の複合的因果結果から“判断しても”一連事件の首謀者は明白だ。
この暗殺事件の首謀者はこの日本国家なのだ。
某機関に“挨拶”して抜いた某外事二課の“挨拶状”も、
政界と黒世界の癒着に関する隠蔽工作を示唆していた事も明白だった。
だが、一連の事件は本当に某公安部経由で実行されたのか?
私は不明瞭な気配を感じている。
某公安部経由でのお国仕事は昭和時代の話だ。
最近は少なく成った“らしい”が、某公安部絡みの仕事なら、は左派勢力が殆どだ。
書類に署名した人物の戸籍名も警察関係者とは言えるが、某外事二課の者では無い。
何れにせよ、当時の伊藤萬が複数の与野党衆参議院の
資金経由窓口に利用されていた事は確実だ。
この暗殺事件は日本国家に依る、組織派閥対立を利用した
隠蔽工作殺害事件と言える。
元より執行部の大御所などが的取りされた場合、
その殆どは何らかの形で政治の意向が絡んでいる物だ。
関東の某代紋の二代目も、戦後有数の政治経済事件に絡み、
引退直後に口止めされている。
更にこの政治経済事件を収めた別の大御所も、
その後十年の間にハメられて引退し、別の大御所も三人死去している。
宅見勝若頭もその一人だった。
元よりこの件にお国仕事の可能性を抱いたのは、
余命僅かな宅見勝若頭を中野会が敢えてにした事に、不可解な気配を感じたからだ。
「一度、ると決めたら、必ずその手でれ!」と云う、
関西極道ならではの筋の通し方は解かるが、やはりネタの説得力が余りにも絶大だ。
因みに仕事絡みの知り合いに、四代目山健組某有力二次の家紋外しがいるが、
話の流れで“噂”と釘打った上でこの話をした事が有る。
奴も「中野会長なら、どっち道、っとったよ」と語っていた。
今回の山口組分裂もそうだが、私は目先の状況より、
其処へ到った理由、因果を間髪入れずに探るタチだ。
そして奴の返答を「周りばかり見とったら、目の前のには間に合わんぞ」と解釈している





そして宅見若頭暗殺事件後、中野太郎会長は
五代目山口組執行部より謹慎処分を下される。
だが、無関係の歯科医師が死亡した翌日付けで、
五代目山口組執行部が中野太郎会長に絶縁処分を下したのだ。
その際、中野太郎会長がヤクザ風の服装に変装した、
取材記者に対して以下の言を残している。
  あのね、親分(五代目山口組々長)からは直接、
  謹慎とだけ言われています。
  後の破門やら絶縁やらは親分の意思でもない。
  親分が謹慎しとけって言った物がやね、
  何で破門や絶縁にならなあかんのや。
  それやったら、親分から説明があるはずや。
  電話でもかましまへんがな。
  あんな物、勝手に執行部が出しよった。
  なに考えとんねん、という事ですわ。
  まあ、親分一人対執行部十何人で
  押し切られたというのが真相と違いますか?
  この為にどれだけ親分がダメージを受けたか、
  計かり知れん物があるはずですわ。
  親分を押し切った、執行部の連中は、盃の重さをどう考えとんねん。
だが、中野太郎会長の主張は
五代目山口組執行部に届く筈も無かったのだ。
結局、初代中野会は五代目山口組から脱会した。
そして一本独鈷として活動した後、
平成十八年、八月七日に解散している。
そしてヤクザ社界からは“戦慄の大侠客”の栄誉を受け、
中野太郎会長はヤクザ社会から鮮烈に去って行った。
だが、中野太郎会長は成すべき事は成ったと語っていたと云う。
五代目山口組の神輿として担がれた渡辺芳則組長を、
眞の山口組々長の座に就かせる事が
中野太郎会長の成すべき事だったのだろう。
だが、渡辺芳則組長は最後まで眞の組長には成れなかった。
そして司 忍若頭補佐を筆頭とする五代目山口組執行部に謀反を起こされ、
渡辺芳則組長もヤクザ社会から静かに去って行った。
渡辺芳則組長は秘密裏に中野太郎会長へ
宅見若頭暗殺実行を承諾していた。
その事実を総本部金庫番を務めていた某直参会長が、
司 忍若頭補佐を筆頭とした五代目山口組執行部へ“取引密告”したのだ。
その結果“も”原因の一つに挙げられている。
組織と云う物は組長や若頭と云う“役付”が司る筈だが、
実際は肩書きだけの場合が多いのだ。
内の看板も、国際的に力を持っている点で序列十六番目の執行部本役が、
国内のヤクザ社会で絶大な影響力を誇る点で
序列六番目の執行部本役が特に強い力を持っている。
特に序列六番目の執行部本役は会中でも圧倒的な人望を誇る。
資質はまるで違うが、有る意味では関東の中野 太郎と言える侠だ。
東京の黒世界では抗争戦勲よりも、
警察機関や政財界とのコネが物を言う。
だが、その序列六番目の執行部本役は、
抗争戦勲と器量厚い人望だけで、圧倒的な支持を得たのだ。
二、三年以内に看板を取っても驚かない程の勢いも有る。
序列十六番目の執行部本役も、海外ではその知名度は圧倒的だ。
中央アジア圏の某国で活動する“現地の奴”は、
その序列十六番目の執行部本役を知った上で、内の看板の“ボス”と勘違いしていた。

司六代目
六代目山口組  司 忍組長

そして平成十七年、七月二十九日、
山口組も六代目体制に移行する。
六代目を継承したのは、五代目山口組直参弘道会、司 忍会長だった。
司 忍六代目にも私は特筆すべき印象を抱いている。
若い時分から持ち前の先見力に従いつつ、
それを周囲に包み隠す事無く“戦略的”に、
目標では無く“予定通り”に六代目を取った様にさえ想える。
それが周りの諸先輩や、某機構の“親父さん”から聴いた限りの印象だ。
代紋頭は自ら成ろうと思って成れる物では無い筈だ。
迂闊に成ろうとする素振りを見せれば、睨まれて潰される。
だが、六代目継承に到るまでの弘道会、司 忍会長は
予め、潰しに来るで有ろう、総本部の本役を見定めていたフシが有る。
中野 太郎会長は勿論だが、三代目山健組、桑田 兼吉組長、
そして後藤 忠政組長を特に注視していたのだろう。
仲裁に入った組同士に“貸し”を作り、次々に傘下へ吸収して、
弘道会を巨大組織に育て上げた一端からもその戦略が伺える。
國粹会直参を“視野に入れた”義理の押し売りもそうだ。
警察機関を敵に回さなければ、今のヤクザ社会で
確実に一番手に来る大御所に成っていた。
米国から叩かれていた「トヨタ」と早々に手を切らなかった事が、
私には解からないが。




そして六代目山口組は反主流派勢力を粛清する事と成る。
その粛清対象には後藤忠政組長も含まれていた。
だが、此処に到るまで、高山 清司若頭を中心として執られた強行路線に、
多くの反主流派直参から不満が噴出していたと云う経緯も有った。
そんな最中に起こった後藤 忠政組長の除籍騒動を発端として、
ついに複数の直参が総本部へ抗議文を叩き付ける結果にも繋がった。
 六代目山口組として船出して以来、親分不在のなか故に、
 数々の悪政に耐え、今日に至ったが、この度、
 後藤の叔父貴への執行部の対処に我々は断固抗議する。
 山口組創立以来、初代、二代、三代、四代、五代の親分、
 山口組発展の為に血と汗を流された先達、先輩達、
 その山口組が崩壊、 そして極道の信義が消滅する事を憂い、
 何の非の無い、 ましてや三代に亘り山口組に
 多大な貢献をしてきた後藤の叔父貴の、
 何ら落ち度のない非なき事を問題にする正常な判断すらできぬ、 
 堕落した執行部を、これ以上容認する事はできない。
 後藤の叔父貴が、友人知人が叔父貴の誕生日に
 企画してくれたゴルフコンペに出席する事が何の道に外れ、
 極道としての処分の対象になるのか、一般社会通念にてらしも、
 何ら咎められるものではない。
 これを敢て執行部の机上に上げる事は、
 六代目山口組執行部の次元の低さを世に露呈する事であり、
 山口組組員は世間に大恥をかく事になるのだ。
 原点回帰を唱え、六代目山口組の根本姿勢としているが、
 実際はまったく時流に逆行した運営をしているではないか。
 長引く不況の時、五代目時代の会費に比べ35万円も増えている。
 バブル全盛時代でさえ今の会費より少額で充分維持運営していたではないか。
 また、その使途はどうなってるのか何ら説明がないが、
 山口組は全員のものではないのか、説明を請う。
 その上に雑貨屋ごとき飲料水、雑貨の購入、これは強制購入ではないか。
 我々は雑貨屋の親父ではない。
 最終的には我々の組員が極道としての誇りを傷つけながら、
 恥を忍んで売り歩いているのだ。
 その収益は何としているのか。
 次に五代目の時、山口組会館建設の目的の元、
 当時100人強の直参より各社2000万円、合計20億円の金が集められ、
 用地を購入したが、六代目に移行して後、何時のまにか売却されているが、
 この公金は一体どうなっているのか正確な説明と、公的書類を提示してもらいたい。
 併せて五代目時までに貯蓄してきた約10億円の金はどうなっているのか。
 噂によれば 消えているとの事、納得のいく説明を求める。
 又、引退した岸本才三、元最高顧問が六代目山口組の公金より、
 3億円を現六代目山口組最高顧問、野上哲男氏に預けたが、
 いまだに返納されていないとの事だが、公金流用した男が
 平然と最高顧問の職にいる事を容認している執行部の是非を問う。
 以上述べた如く、余りにも常識を逸脱したこれらの問題こそ、
 執行部で大きな問題として議題にあげ、山口組組員全員の納得ゆく説明、
 公的書類の掲示準備、処分者の検討を計るのが急務であり、
 非のなき後藤の叔父貴の是非を問う愚行などしている時ではない。
 処分と言えば、六代目継承式にも出席もしない心腹会の尾崎の叔父貴などを、
 何の処分もしないで黙認している執行部に疑問を大いに感じるが。
 我々も大なり小なり、世に言う山口組の直参組長であり、一国一城の主である。
 その我々を昨日今日の小僧の如く、挨拶の声が大きい小さい等と、
 保育園、幼稚園児ではあるまいに叱る、
 某一部の執行部(高山 清司若頭)の言動は、
 言葉に言い尽くせぬ最大の侮辱であり、人間の尊厳を冒涜している、
 山口組への忠誠心が薄れるような言動は即刻中止せよ。
 後藤の叔父貴の是非を問う愚行を機に、
 何の非のない叔父貴の今回の事を我々が受け入れる事は、
 我々にも何の非がなくても、叔父貴と同じように処分される事と痛感すると共に、
 現状の山口組の悪政を何時までも黙認する事は、
 山口組の名誉と誇りを汚し、山口組の瓦解につながる事と敢て抗議する。
 万が一にこの要求が受け入れられないときは、
 世に現状の山口組を知らしめ、
 我々の要求が是か、非か判断を仰ぐのみである(脱退示唆)。
 今回は連名の者だけだが、ほとんどの直参が
 今の山口組の悪政に泣いているのは事実であり、
 末端の組員は塗炭の苦しみに喘いでいる。
 そんな事を知ってか知らずか、 高山若頭は、気の弱い、
 否と言えぬ弱い直参をむりやりに誘いこんでは、
 賭け麻雀で20億円もの金をむしり取って私服を肥やしているではないか。
 哀れなのは、先ごろ引退した●●の●●の兄弟だ。
 唯一の財産の自宅ビルを雀の涙にも満たない金で追い出され、
 路頭に迷っているのは、直参の皆が衆知の如く、悪辣きわまりない。
 執行部の指導者がこの有様では押して知るべしである。
 ここに連名で執行部に抗議する我々は任侠、男の美学の世界に憧れ、
 その鑑みが山口組と山口組の門を叩き、一門の一員となった。
 しかし、六代目山口組になってその夢と誇りは無残にも打ち砕かれた。
 傷つき弱った者の傷口に、塩を塗りこむような事が当たり前のように行われる、
 今の山口組。
 弱きを助け、強きを挫く任侠の世界は、一体何処へ行ったのか、
 我が山口組は。
 今こそ、本来の山口組を取り返す時ではないのか。


 
 二代目難波安組組長  小林 治
 盛力会会長  盛力 健児
 浅川会会長  浅川 桂次
 浅井組組長  浅井 昌弘
 井奥会会長  井奥 文夫
 六代目奥州会津角定一家総長  小野 守利
 三代目大門会会長  奈須 幸則
 二代目一心会会長  川崎 昌彦
 二代目浅川一家総長  浅川 睦男
 二代目倉本組組長  津田 功一
 太田会会長  太田 守正
 四代目北岡会会長  宮本 浩二
 二代目岸本組組長  清水 武

 以上連名で、真に山口組を憂い、抗議する。

何処の看板でも有りそうな話だが、
一時は後藤 忠政組長の処遇を廻り、六代目山口組は分裂危機にさえ陥った。
因みに私の事務所は新宿区内のアパート一室を改築した別宅事務所だが、
この時は目と鼻の先の六代目山口組直参某組某会の出張り先が、
“異様に”静かに成っていたのを憶えている。
その直参も当事だったが、付近には一課の覆面連中も張っていた。
結局、後藤 忠政組長を除籍、絶縁処分から、
引退“処分”にする事で、“一端は”ケリが付いたと云われていた。
だが、現在は周知の通り、六代目山口組と神戸山口組に分裂するに到り、
割って出た神戸山口組も任侠団体山口組と分裂状態に“到って”いる。
又、後藤 忠政組長は引退に際して「ここが潮時」と云う言葉を残したが、
同時に「絶縁された人の方が魅力を感じる人が多いんだよね」と云う言葉も残している。
表向きは真珠宮ビル絡みの引退とは云え、後藤 忠政組長の処遇も、
創価学会との過去に端を成す、民主党政権樹立を睨んだ事実上の追放処分だ。
私も執行部の本役クラスで、絶縁された大先輩に強い印象を抱ける人が多い。
数に異を唱えての絶縁・破門“追放”に晒された大先輩、
看板の為に汚れを買って出た大先輩が多いからだ。
大勢が賛美化する“伝説”の親分には、殆ど魅力を感じた事は無い。
一方で私には任された若い者に、仁義無き戦いの登場人物から
最も魅力を感じる人物を訊き出す癖が付いている。
選んだ登場人物の魅力を感じた部分から、
若い者が秘める資質の一片が読める部分も有るからだ。
因みに私が一番強い印象を抱いたのは山守親分だ。
主人公の広能 昌三は実直過ぎて、余り好感は持てない。
口先だけの綺麗事ばかりで、己を飾る事しか知らない者も印象に残らない。
私には“与太”を地で行く親分の方が、
“語り尽くせぬ”意味で本物だと想えるのだ。
抗争時にあれでは話に成らないが、
組織再編の邪魔者を、抗争時のドサクサに紛れて
始末しようとした者なら、内の看板にもいた。
決定事項に意見して、大規模な覚醒剤取引を“通報”された大先輩もいる。
流血で穢れも流せない時代が長引けば、
人は知恵で穢れを上塗る時代を浪費する事に成る。
現場に余計な美談など必要無い。
必要なのは本音を見抜く力だけだ。





後藤忠政組長もヤクザ社会より悟道へと去って行った。
法名は天台宗寺院、無常山浄発願寺で得た忠叡。
現在は「カンボジア」で国賓級の扱いを受けている事も周知だろう。
そして諸般の件が手伝い、平成二十八年九月、
後藤 忠政元組長は事実上、黒の世界の頂点に立った。
その一方で自伝「憚りながら」や
「東日本大震災と日本人」と云った著書も大きな反響を起こした。
そしてその印税も東北地方太平洋沖地震の救援活動に注がれた。
救援部隊名はG-RISE日本(にほん)、
団結標語は“日本の魂、精神の復興”だ。
そして放射性物質で大気が満たされた
福島県南相馬市を中心に即時、救援活動を実行した。
だが、三月十四日の事だった。
陸上自衛隊が上からの命令と謳い、
約千人の避難民達を見捨てて逃亡を図ったのだ。
だが、G-RISE日本が撤退する事は無かった。
非常時に対する覚悟の次元が違うと云う事だ。
陸上自衛隊員に生死を掛けた実戦経験など皆無だ。
だが、ヤクザは日々実戦下に晒されて来たのだ。
道具なら私だって握った事が有る。
中学三年の時には、陸上自衛隊員の軟弱者と“試合”した事も有った。
結果は二秒程度で、空手の踵前蹴り下腹部一発で少年の勝利で終わっている。
間合いを取る前蹴りでは無く、踵に全神経を集中させて、
相手の下腹部に踵を炸裂させる義父直伝の技だ。
陸上自衛隊員は、大柄の逞しい肉体で“自分から”突っ込んで来たのだ。
勝手に少年の踵に当たって倒れ込んだ様な印象も有った。
会から預かった若い者にも教えたが、喧嘩の基本は冷静さを保つ“試合気分”と、
間合いを取ったカウンターだ。
の喧嘩にしても、絶対に自分からは仕掛けない。
若しその後も下段蹴りを陸上自衛隊員の後首部に炸裂させ続ければ、
その陸上日本軍兵士は確実に戦死だろう。
その空手技も義父より無理やり叩き込まれたボクシングに空手と云う俄か物だったのだ。
喧嘩も負ける程の実戦は踏んでいない。
何れにせよ、あの様な軟弱集団に日本の死守(しもり)を任せて良い筈が無い。
北朝鮮陸軍兵士の方が遙かに強靭だ。
平和時空痴呆症に犯された陸上自衛隊員に何が出来るのか?
今では“いじめ訓練”に敗北し、自ら戦死する者も後を絶たない。
だが、黒の世界は常時戦時的有事体制だ。
抗争状態に有らずも、他所の同業との掛け合い(交渉)は、
相手と向かい合う位置や、言葉違いでにも関わる。
此方が圧倒的に有益な形で掛け合いを制すれば、
相手から恨みを買う事も有る。
結局、抗争の是非に関わらず、常に狙われている事を
念頭に入れて動かなくては成らない。
この業界には、何時でもねる覚悟を付けろ、と云う教えが有るが、
実際はそんな是非権など、初めから与えられていない。
同時に日本政界から負の仕事を請け負うのも黒の世界だ。
黒の世界に生ける侠こそ、此の日の入でずる國の
眞の姿を知っているのだ。
白の世界を支配する光闇は推目を眩ませる。
だが、黒の世界を支配する黒闇は、
負の残像を何処までも鮮明に映し出している。
私が知りたいのはこの国の本音だけだ。
日の入出ずる國、此國ならん政和、此れ乱さんとする者々、
血掟、此れ獄に沈まんとも這い憑かんが如し
魔國なりし銃弾、其刻にて鳴り響かんが如し、
其刻、魔白と魔黒、交わらんが如し
日の入出ずる國、和之尊厳、此処に守われたり
其の平安、此処に永遠守われたり、、、







 
五代目山口組直参二代目難波安組






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