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書:斉嘉 光政

          



これは1984年頃の記憶だ。
その時、実母に連れられた幼少期の私は国鉄富士駅に在った。
富士宮駅だったかも知れないが、
乗車して来た列車は東京駅発、創価学会専属の貸切専用列車だった。
富士駅を出ると、数台の創価学会専属の大形バスが待機していた。
専属バスが数珠繋ぎに成っている乗車場は、
全国各地から“信心の聖地”に向かう創価学会員達で溢れ返っていた。
そして実母に連れられた私も、富士駅から数多の創価学会員達と共に、
数珠繋ぎで待機する専属バスに乗車した。
そして約20分程で、専属バスは大きな白石門前に到着した。
其処はかつて静岡県富士宮市に存在した創価学会の総本山、大石寺正本堂だった。
当時の実質的な創価学会総本山だ。
同時に日蓮正宗大石寺を、創価学会が“占有”した総本山でも有った。
だが、当時の私は既に創価学会から脱会していた。
実母は最後にもう一度、創価学会総本山で有る大石寺正本堂を私に見せたかったのだろう。
後述するが、創価学会から追放された実父の事も有ったのかも知れない。
その因果も相俟って、幼少期の私は家庭崩壊に晒されていた。
又、当時に到るまでに過去数回に渡り、大石寺正本堂へ来訪した事も有った。
今に想えば、その大石寺の敷地内も、独特な異彩を放っていた様に想える。
見渡す限り続く白源郷の様な世界、得も知れない寂想感を放つ大石寺敷地内の光景、
それは常に寂想感に包まれていた、私の心が投影された世界だったのかも知れない。
その敷地も、地方小町の中心市街地に相当する程の面積が有った様に想える。
小川が流れる商店街も有ったのだ。
それは日本社会から隔絶された、小国家の概観をも呈していた。
商店街にはラーメン屋や食堂、そして娯楽施設や御土産屋まで建並んでいた。
その敷地面積も1km四方は有っただろう。
日本社会から隔絶された小国家を往き交う創価学会員の姿、
だがその光景も、今は当時を知る創価学会員の心中にしか存在しない。

小本堂
正本堂(解体時)。

そして“街”を抜けた私は、実母に引かれて正本堂に入場した。
入場すると、場内には巨大な仏壇が大鎮座していた。
その高さも優に15mは有っただろう。
同時にその場内は、大規模式典会場の様な概観をも呈していた。
その収容人数も軽く1000人は入る程の物だった。
場内後部は二階建てに成っていたとも聴いている。
そして大規模映画館の様な数珠列の座席に着くと、
暫しの時が流れたのだろう。
そして数回、大鐘が打ち鳴らされた。
その瞬間、1000人程の創価学会員達が、一斉に勤行を大合唱したのだ。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、、
その観は最早、異次元世界の様な印象だった。
又、此処で言う“勤行”とは、創価学会側の“流儀”に則った日蓮大聖人への祈捧だ。
日蓮大聖人とは日蓮正宗と創価学会が拝する崇主の事だ。
だが、創価学会も後の1991年に日蓮正宗より破門される事に成る。
大石寺の実質的所有者で有る、日蓮正宗側の破門理由は、
主にその崇主たる日蓮大聖人を、創価学会が信者勧誘の為に“利用”して来た事、
創価学会が孕む、当時の五代目山口組直参後藤組との癒着関係、
そしてそれ等の問題を“利用”した創価学会と、
日蓮正宗双方の権威闘争の結果だと言える。
だが、日蓮正宗と創価学会双方にも、
その内部に孕む醜悪な派閥対立が有ったのだ。
遡る昭和55年頃の創価学会執行部にも、
“野心”を漲らせて異論を唱える一派が有ったのだ。
私の実父もその一人だった。
そして後述する理由で“左遷”されたのだと云う。
左遷された実父は酒浸りに成り、アルコール中毒に至るまでに無残な姿と成っていた。
家では暴虐三昧を尽くし、惨憺たる有様だった。
そしてそんな実父を恐れた実母は、幼い私を連れて
実母の実家に近い群馬県某町に逃避したのだ。
結局、実父もアパートの有った東京都杉並区から地元新潟に帰り、
アルコール中毒の療養施設を入退院りする年月を送っていたと云う。
創価学会からも昭和60年代初頭に脱会している。
一方で幼い私を連れた実母も生活の為、懸命に成って会社勤めに励んでいた。
そんな実母の懸命な姿を見てしてか、
私も自然と“ガンプラ”など、玩具に対する物欲が無くなって行った。
代わりに近くを流れる川で遊んだり、
虫を捕まえたりと、自然に包まれた遊びに楽しみを感じていた様に想う。
東京でも虫遊びは出来たが、やはり都会と田園地帯では虫の種類も違っていた。
川も東京を流れる荒川の様に深くは無く、川に入って川遊びも出来たのだ。
実父に似た想像力を授かったのか、鉄橋の掛かる川景色に想い馳せているだけで
何時の間にか、夕暮れに成っていた事も珍しくは無かった。
私も幼い頃から川景色が好きだった。
今でも“空き時間”の度に、鉄道で大陸の“大河”を渡る動画を観ている。
近々、“仕事”でインドに行く事に成りそうだが、
インドシナ半島での鉄道旅行も楽しむ積もりだ。
其処ではインドシナ半島最大の大河、
ゴダヴァリ川を渡るインド最大級の鉄橋を渡る事に成る。


インド・ゴダヴァリ川

“河”は天候に依って、その大きさも違って観えるが、
靄の掛かる薄晴れの日なら、水幅2km~5kmを隔てた向こう岸はもう観えないだろう。
実父も釣り好きで有り、私も幼い頃は良く多摩川などへ連れて行って貰った。
そして自然と大河に“何かが”観える様に成って行ったのだろう。
それは人が“眞に望む”世界と、同一世界への扉なのかも知れない。
結局、義父との出会いで父親不在の時間も約1年足らずだったが、
既に私は実父からも、一番大切な事を学んだと想っている。
因みに一方の義父も、実母の親族から紹介された創価学会員だった。
そして義父も、この数年前に実母とは“合わせ鏡”とも言える経験をしていた。





1984年当時の記憶に戻る。
大石寺の白源郷世界も夜の衣を纏っていた。
その夜は実母と共に商店街でラーメンを食べた記憶が有るが、
配給された弁当を食べた記憶も有る。
実母と二人で大石寺に行ったのは、
この時の一度だけの“筈”だが、記憶は余り定かでは無い。
晩御飯を食べ終わると、暫くは商店街を散策した後、
大石寺内の大規模宿泊施設に入場したのだろう。
水道水は悪水の為、飲むのを避ける事を実母から促されている。
そして就眠時には約100m四方の大規模宿泊部屋で、
200人前後の創価学会員と共に就眠する事に成るのだ。
その大規模宿泊部屋も学校の教室の様に、一つの階に4部屋は有っただろう。
宿泊施設は少なくとも3偕建てで有り、複数棟存在していた。
だが、今に想えば、あの宿泊施設の状況に有る光景が連想出来てしまう。
その宿泊施設は就眠する創価学会員で、足の踏み場も無い程の劣悪な環境だったのだ。
東北地方太平洋沖地震は避け様の無い不慮だったが、その避難所が連想出来るのだ。
常時に有りながら、それ程の劣悪環境だった。
だが、その劣悪環境に対して文句の一つでも抜かせば、
職員の信者から“信心が足りない”と問答無用で突き返されたのだろう。
信心とは、創価学会が詭弁がましく提唱する、日蓮大聖人への信仰心と云う意味だ。
日蓮大聖人こそ創価学会“信者”が拝する崇主なのだ。
13世紀に存在した鎌倉仏教の宗派、法華宗の始祖とされるが、
古い記録の為に判然としない部分も多々有ると云われる。
だが、一般信者が劣悪環境で就眠する頃、
当時の創価学会“三代目”会長、池田犬作先生は、
日蓮大聖人では無く、自身が“手配”した“喜び組”を拝んでいたかも知れない。
又、私の姓名の名は池田犬作先生に命名されたと実母から教えられていた。
だが、実際は創価学会の専属機関が無秩序に選択した名だ。
かつての創価学会には、その様な制度が有ったのだ。
闘志を品性で中和する様な名だが、何処か“稼業名”でも通せる名だ。
名刺を見せた“お隣さん”の知人から、“本名”を訊かれた位だ。
由来はともかく、決して嫌いな名でも無い。
子供の頃から可愛がってくれた多くの人が呼んでくれた名だ。
その名を卑下する事は出来ない。
当然、私の父母もお互い創価学会員から紹介されて出会った仲だ。
そんな経緯を経て、家庭を築いた創価学会員も珍しくは無いだろう。
創価学会は気に入らないが、その経緯だけは感謝してやる。
その経緯が無ければ、私はこの世に生を授かる事は無かったのだ。






少し感傷染みて来たが、此処で創価学会の組織構成に触れる。
その組織構成も多岐に渡る。
少年部(現、未来部)、男子部、壮年部、
そして創価学会随一の選挙集票力を誇る婦人部などだ。
現在の創価学会“総本部”は東京都新宿区信濃町に存在する。

創価本部
創価学会総本部

1985年11月12日には、此処に後藤組々員がをブチ込んだ事も有った。
創価学会の“プラチナ”を育成する為の、創価大学も東京都八王子市に存在している。
幼少の頃は実母に良く連れて行かれたが、東京都豊島区巣鴨には、
創価学会“二代目”、戸田 城聖に因んだ戸田記念講堂と云う大規模集会場も有る。
そして藤(富士)桜自然墓地公園を筆頭とする、
創価学会員の霊園も、全国各所に存在している。
巷で囁かれる“創価王国”と云う表現も、決して間違ってはいないだろう。
又、創価学会は一つの県地信者を幾つかの、
分割管理下に振分した組織運営を成している。
私が“創価少年”だった頃は群馬県高崎市に住んでいた。
群馬県では東毛、西毛ゾーン、太田ゾーンなどの分割的な“地帯”管理だった。
創価少年が所属したのは東毛ゾーンだ。
少年部会合には、その地区を担当する創価学会員に送迎して貰う事に成る。
大概は4人程度の少年部員を一人の男子部員が送迎していた。
送迎員の体質としては学校の先生とは違う、温和な男子部員が多かったのが記憶に残っている。
少年部の会合も、当時の私に取って一つの楽しみでも有ったのだ。
其処には学区とは違う地域の友達と遊ぶ機会が有った。
唯、それだけが楽しみで有り、勤行など全て口パクだった。
その中には、私の“業界入り”数年前まで関係の続いた知人もいた程だ。
又、実母と共に創価学会の折伏儀式に立会った事も有った。
折伏(しゃくふく)とは無信仰の市民を、信者が創価学会へ入会させると云う意味だ。
創価学会が日蓮正宗から破門されるまでは、
儀式が執り行われた神社も日蓮正宗系の神社だったと云う。
折伏儀式が始まると、先ず御坊が御経を唱えながら、
千切花片で入会者の頭頂を撫で続ける。
そして御経唱終の瞬間、入会者は正式に創価学会員と成るのだ。
同時に仏壇に奉られる御本尊書と、勤行文が書刻された経書も授与される。
御本尊書とは日蓮大聖人が伝授したと“される”、
簡略化された教典覚書の様な物と私は見做している。
経書は勤行全文が書刻された小書だ。
一方でその入会者は実母と職場を共にした孤独生活者でも有った。
だが、時を経ずにその入会者は御本尊書を残して失踪している。
又、私が実際に見て来た“限り”では、創価学会信者は簡単に脱会出来る様だ。
だが、西日本の創価学会では、脱会意思を表明した信者を
執拗に制止する者も多いと聴いている。
創価学会の教えに“依存”する盲信者に取って、
脱会信者の存在は、その御利益を暗に否定する存在でしか無いのだろう。
だが、その根底には何処かで自身の信仰に対する潜在的懐疑心が有るのだ。
元よりその御利益の根拠も、良い出来事が有った時に“のみ”作用する独善的解釈に有る。
人は頭を騙せても、意識までは騙せない。
核心的に言えば、勤行文が書刻された経書に御利益など無い。
御利益の源泉は、人の勤行に懸ける真摯的姿勢の高みに有ると言える。
一般信者に取って創価学会や日蓮大聖人も、
その強固な真摯的姿勢を引き出す為の媒体に過ぎない。
だが、そうして培われたその真摯的姿勢が、日常生活に良い結果を齎す事は有るだろう。





そして年月が経ち、かつての創価少年も青年期へ到る。
そんな中の1998年には、“現住所”で有る埼玉県本庄市で市長選挙が執り行われた。
そして私“も”実母から、5000円で公明党候補者の不在者投票を頼まれたのだ。
その不在者投票紙を私は受け取っている。
金銭取引での不在者投票だ。
発覚すれば公職選挙法違反。
創価学会では、この様な組織的な不正投票が常態的に横行しているのだ。
公明党候補者が居なければ、その共犯関係に有る自民党候補者に不正投票が行われる。
だが、この時は私“にも”悪知恵が有った。
アパートに戻ると、何気なく不在者投票紙を手に取っていた。
そして灰皿上で不在者投票紙を焼没させると、
後述する“仕事”で得た金と合わせて新宿へ向かっていた。
目的は“宇宙旅行”が楽しめる秘薬を買いに行く為だ。
その秘薬の密売額も5000円だった。
当然、売人に渡したのも実母から貰った5000円だ。
創価学会からの“請負金”を中東系組織の“シノギ”にくれてやる。
当時、私は実父を無残な姿に貶めた創価学会に対して、
未だに根拠曖昧な憎しみに囚われていたのだ。
だが、その憎しみの源泉は、生きる目的を見失い、堕落していた自分自身に有ったのだろう。
漲ぎる怒りに無力感を抱いた時、それは自ずと憎しみに変わる。
そして自分と因果関係の有る矛先を探して憎む事で、
無力な自分から逃げていたと想っている。
又、2009年に執り行われた国会総選挙の際には、
創価学会の男子部員数人から公明党候補者への投票を頼まれている。
だが、私はその男子部員から威嚇する気配を瞬時に察知したのだ。
人を威嚇するのは私が生ける世界の領分だ。
当時、既に私は新宿歌舞伎町に本部を構える、
七代目某某会某某六代目傘下(偽名)で代紋外し、
看板外しとして仕事に励んでいた。
そしてその“仲介者”も親密な創価学会員だ。
男子部員への“準備”も万全だった。
そして私は男子部員の背後に回り込んで家門を塞いでいる。
逃げ道を絶ったと云う事だ。
そして男子部員と約1m30cmの間合を取って、陳腐な脅し文句を叩いている。
  標ですか、、2000万でどうですか?
  選挙違反の頼みですね?
  自分は時給15(万)は有りますから、
  それ位は用意して来たんだろうな、、
  俺の素性も聞いているか?
  今回は見逃してやる。
  今度来たら、、(割愛)
以降、創価学会男子部員は私家に来訪していない。
だが、今の私なら“低調”な姿勢で男子部員を家内へ“招いた”だろう。
狙いは創価学会への“食い込み”に、男子部員を利用する為だ。
男子部員との会話も玄関に仕掛けた盗聴器で録音していたのだ。
実母からの連絡で、男子部員が来る時間も解かっていた。
相手はデカいが、押さえた“ネタ”で仕事の絵図も立てられただろう。
手に余る仕事なら、絵図ごと“創価慣れ”してる所へ売り飛ばす事も出来たのだ。
創価学会の関連会社も、非課税を利用した“税飛ばし”の温床だ。
その“客”も創価学会とは関係ない、政財界各方面にまで渡っている。
登記飛ばしや資産隠しも尋常では無い。
あれは“惜しい”判断だった。
だが、内の会と創価学会は特に関係は無い。
元より内の看板は創価学会との関係は薄いだろう。
海外への進出範囲も韓国、中国などの東アジアよりも、
今はアメリカを筆頭とした西側諸国が中心だ。
 




2012年10月某日。
私は新潟市の療養施設で実父と再会した。
実に約30年振りの再会だった。
実父は約30年に渡り、未だにアルコール中毒を患っていたのだ。
だが、アルコール中毒は回復傾向に有ると医師は語っていた。
実父も30年振りの再開が信じられぬ程の気さくさで私を迎えてくれたのだ。
だが、私の方は実父の過去を訊き出す事に終始した様に想える。
私は実父が創価学会から左遷された理由が知りたかったのだ。
そして実父に配慮し、自然な話の流れから、それらの話しを聴かせて貰っている。
左遷された理由には、今の私とは余りにも因果極まりない“勢力”も関わっていたのだ。
因みに私が幼少の頃は、実父は創価学会関連の会社に勤めていたと聴かされていた。
だが、実際は創価学会の若手執行部員だったのだ。
殆ど末席とは云え、これには流石に私も驚愕を禁じ得なかった。
同時に実父は、創価学会反主流派とも言える、
“野心”を漲らせた一派に加わっていたのだと云う。
結局、主流派から謂れの無い責任を押し付けられる形で、
数人の若手執行部員と共に左遷させられたのだと云う。
30数年前の出来事とは云え、その時の実父からは慙愧に絶えぬ程の悔しさが滲み出ていた。
私も我ながら、身の毛も余立つ程の怒りを憶えている。
特に「正義なんて無いと思っちゃったんだね」と云う言葉が印象的だった。
そしてその後はその不条理な辛酸を紛らわす為に、酒に溺れて行ったのだと云う。
実父が左遷された経緯を“別の繋がり”からも洗ったが、
殆ど事実と言える程の裏が取れている。

鶴
創価学会、鶴の代紋

そして実父と再会を約束すると、実父の親族にも挨拶している。
実父は若い頃から有る重大な問題も抱えていたが、
その反面で様々な分野で優れた才能を発揮していたとも親族から聴かされている。
当然、その親族も創価学会員だ。
祖父は戦後復興を糧に、新潟県で権勢を振るった大実業家だった。
新潟県内を走るローカル線建設事業に大きく関わった記録が有る。
だが、実父はその“二代目”への育成環境に嫌気が差し、
逃げる様にして上京したと、後に実父自身から聴いている。
そして目的意識も無く唯、才能を発揮出来る場所を“求めて”いたのだろう。
そんな時に有る人物の“口添え”が有って、創価学会の関連会社に就職したのだと云う。
そしてその人物の口添えが有ったかは解からないが、
実父も瞬く間に創価学会執行部員に“昇格”したのだと聴いている。
この件に付いても某所を頼って洗わせたが、
身内に有力者がいれば誰でも執行部役員に成れる“そうだ”。
何れにせよ、私と創価学会は永遠に切れない“腐れ縁”が有るのかも知れない。





一方で1978年に起こった、藤桜自然墓地公園の反対運動脅迫事件は、
後藤組左腕切断事件とも呼ばれている。
創価学会は、日本各地に信者の遺骨が入管される霊園を持つ。
そしてその建設事業の度に反対運動が起こって来た歴史も有るのだ。
既に私の墓場も用意されている。
群馬県榛名山にも、関東地方に生ける創価学会員の霊園、榛名平和墓苑が存在している。
だが、既に私は叔父へ伝えて有るのだ。
私の遺骨の半分を、亡き義父の遺骨が納められた榛名平和墓苑の石棺に収める事、
残りの半分を実父の石棺に収めると云う言伝だ。
そして出来れば遺灰を愛知・三重県境を流れる、
揖斐・長良川に散在させて欲しいとも伝えて有る。
日頃から警戒は怠らないが、明日も生きてるとは断言しては成らない立場だからだ。

川揖斐長良
揖斐・長良大河。

揖斐・長良川河口域は私が見た最大の大河でも有る。
私が保育園に通っていた頃は、東京都北区に住んでいた。
父母が実家へ帰省する際は、上野駅から高崎線に乗る事に成る。
そして高崎線が出発して約20分後には、東京・埼玉県境を流れる荒川を渡るのだ。
幼少期の私はその瞬間が楽しみで仕方が無かった。
そして実父の地元で有る新潟県某市にも、日本有数の大河、阿賀野川が流れている。
実父も少年期の頃は、阿賀野川の支流で牛蛙を捕っては、
店に売る日々を過ごしていたと云う。
私が観た愛知・三重県境を流れる木曽三川や、
大阪市を流れる淀川の話をした際にも、実父は子供の様な目で聴き入っていた。
そしてその後も数回、実父を訪ねたが、実父は何時も嬉しそうに私を迎えてくれた。
一方で私の身分はIT企業の社員と云う事に成っている。
髪も“流す”のでは無く、分けて青年実業家風に“変装”して会っている。





だが、私には実父へ伝えていない過去も有る。
私は1990年代に、東京へ上京してバンド活動にも励んでいた。
そんな中で有るバンドファンの女の子と出会ったのだ。
当時は私も様々な薬物に触れ、実父とは又違った意味で荒れていた。
解散した名門的屋一門へ、トルエンを流す仕事を打つ“チンピラ”振りをも晒していた。
結局、1998年に私は“何故か”窃盗罪で逮捕されている。
そんな経緯も有ってか、彼女もこの頃を境に
その精神状態を一気に悪化させて行った様に想える。
一方でその時に妙な“珍事”も起こったのだ。
私の不在を狙ったのか、憔悴する彼女に実母が“折伏”したのだ。
その事実を彼女からの差し入れ葉書で知った私は、直後に実母との面会で激怒している。
だがその時、実母は何処までも寂しげに私へ告げたのだ。
義父はこの数年前に胃癌を発症していたが、
転移が発見されて余命数ヶ月と宣告されたのだ。
そして実母は項垂れた仕草で、私にも折伏して来たのだ。
私も義父や彼女の事で混乱していた。
そして気が付くと、それを実母に当たり散らすかの様に怒鳴り付けていた。
 「信心したって、死ぬ奴は死ぬんだ!!いい加減に目を覚ませ!!」
他にも何か言ったと想うが、此処で面会中止と成ったのだ。
だが、実母は人を濫りに折伏する様な人で無いと親族から聴いている。
私の逮捕や義父の事も有り、憔悴し切っていたのだろう。
結局、執行猶予で“何故か”釈放されたが、再会した彼女も変わり果てていた。
後に“有る人”から指摘されたが、私には無言で人を操る資質が有るのだと云う。
今なら解かるが、彼女に対してはその距離感を都合良く操る事で、
私への想い残をして、自分に都合の良い形で
その“想い残し”を叶える癖が有ったと想っている。
女性なら男性に縋りたく成る時も有るだろう。
そして彼女の好意を受け入れつつ寸前で拒絶し、
それで居て自分に都合が良く成ると、その好意を受け入れると云う癖が付いていた。
だが、それも彼女が醸し出す雰囲気を、“暗に”見定めた上での不規則な物だ。
同時に彼女の人間関係も意図的に破綻に追い込む様な挙動も働いていた。
“俺では支えに成らないのか?”と彼女を問い詰めた事も有った。
そして彼女から友人を奪い去り、彼女を孤独にさせる事で、
私に依存せざる負えない環境を自然の裡に作り出していたのだ。
先述の逮捕される頃は、彼女に対しても相応しい接し方が出来ていた様に想う。
だが、私が逮捕された事で、彼女の望みも破綻してしまったのだろう。
そんな中で彼女は次第に精神を煩って行った。
最後は何時、自殺しても驚かない程の状態にまで悪化していた。
だが、この彼女に関する過去だけは、絶対に実父に伝えない事を決めている。
実父とは約30年振りに数回会った程度だが、
何か有る度に自分を責め続けて来た人だと云うのが解かるのだ。
そんな実父が息子の過去を知れば、耐え難い罪悪感に苛まれるだろう。
彼女の母親からは「生きて一生、を償いなさい」と言われたのだ。
実父は30年以上、アルコール中毒や家族離散で苦しんで来た。
残された余生くらいは、静かな時間を過ごさせたいのだ。
私の過去は終生、私だけが背負う物だと想っている。
だが、背負うと云うよりも、彼女の記憶と共に生き続けると言った方が本当だろう。
私が女性を絶ってから今年で12年が経つ。
今は女性との関係も、女に“仕事”の手伝いをして貰う程度だ。
当然、女の夢の“一つ”は叶えてやっている。
だが、他の女性に対する拒絶心は今も変わらない。
身勝手な解釈でしか無いが、私は彼女との記憶と結婚したと想えてしまうのだ。
彼女もそれを望んでいた。
意識せずともそんな感覚が常に有るのだ。
深夜帯に高速を走っている時も、
ふと助手席に彼女がいる様な気配を感じる事も有る。
地元の有る場所に車を止め、夜空を眺めていると
傍らに彼女の気配を感じた様な気がした事も何度か有った。
仮眠を取れば、彼女と過ごしている事も珍しくは無いだろう。





2002年春。
そしてあの直後、私は再び実母から折伏されている。
義父も私が逮捕された1998年の年末に、胃癌が誘発した脳幹破裂が元で亡くなっていた。
信者には同じ様な不幸を知る者が大勢入信しているのだと云う。
だが、当時の気の抜けた私でさえ、その勧めを頑なに拒絶している。
眞の不幸に晒されたのは彼女の方だ。
私の方は気が抜けて彷徨うだけで楽な物だった。
同時に私には人の生涯を不幸、幸福と云う
二極性で計る考えには早くから懐疑的だったのだ。
私も幼少期に家庭崩壊を経験したが、
家庭崩壊も幼い子供には抗えない不幸なのだろう。
だが、私の場合は周りの大人には恵まれていた。
そんな大人達の好意に包まれて育った時間を、私は不幸だったと見做す事は出来ない。
実父のお陰で想像力にも恵まれたのか、放課後に川の土手で鉄橋を眺めているだけで、
一日を十分に楽しむ事も出来たのだ。
その反面で“何か”への憤りに駆られては、弱い者苛めにも明け暮れたが、
それでも友と呼んでも良い“仲間”も沢山いたのだ。
少年部の会合で出会った“創価友人”だってそうだ。
確かに寂しさも味わっただろう。
だが、その寂しさが有ったからこそ、人の好意へ敏感に成れたのだ。
これだけは断言出来る。
人の好意に溺れてその喜びも感じず、
安定した環境を当たり前の様に過ごすのが幸福だと云うなら、
そんな幸福など代わり映えの無い砂道を歩いている様な物だ。
だが、そんな“恵まれた”環境で育った私が少年期に達する頃には、
次第に私もそんな環境へ溺れる様に成って居たのかも知れない。
だから、恵まれた環境や関わった人を傷付ける事でしか、
自分の望みを満たせなく成って行ったのだ。
破滅後の再生を夢見たのだろう。
実母と共に群馬県某町に逃避した直後に感じた、あの何処までも澄み切った寂想感、
大きな喪失感を感じたとは云え、何か新しい時間が始まる様な期待感、
それは有る意味で、私と実母に訪れた戦後だったのだろう。
そんな幼少期の再現を試みた部分も有ったのかも知れない。
この世界には“不幸は幸福への花道”、“幸福は不幸への帰道”と云う言葉が有るらしい。
私には大きく納得せざる負えない部分も有る。
だが、今の私が生ける世界には幸福も無ければ不幸も無い。
有るのは勝敗と生死だけだ。
其処には不幸、幸福と云った物では計れない、
何か“生物”としての普遍的な充実感の様な物が有るのだ。
昨日会った人にさえ、今日“再会”した事に嬉しさを感じる。
見慣れた筈の景色に、常に別れを告げる様な静美感も感じている。
それはを覚悟した者にだけ赦された、一つの幸福なのかも知れない。
だが、同時に私の立場は、人へ不幸を齎し兼ねない立場でも有るのだ。





話が感傷的な方向に行ってしまうが、
此処からは再び私が“見分”した創価学会の姿に触れる。
創価学会は“会合”と云う、信者を繋ぎ止める為の集会を欠かさない。
その会合名目も座談(ざざん)会、唱題会、地区担当会議など多岐に渡っている。
だが、会合内容はその“体質”から先に触れた方がより多くの事が伝わるだろう。
創価学会にはその機関誌とも言える“聖教新聞”と云う物が有る。
月館購読料は1880円。
一応はテレビ、ラジオ番組欄も存在している。
各地方ブロックの“新人事”なども紙面上で発表される。
だが、内容は事件記事など僅かで、如何に創価学会が“聖教”で有るか?
如何に創価学会が世界貢献を果たして来たか?と云う自画自賛が紙面を占める。
その反面で過去の経緯から敵対宗派と成った日蓮正宗、
顕正会などへの“ハレンチ”な批判記事も多い。
対立政党で有る、民主党の不祥事を嘲笑する記事も珍しくは無いだろう。
そしてそれ等の批判記事の殆どが、原田 稔“六代目”以下、
創価学会執行部員に依る、“誘導的”な対談方式で載せられる。
見出し紙面には中国々旗が刻まれている事も多い。
“完勝”、勝利と云う文言も目立つ。
創価学会も常に“革命”を欲しているのだろう。
歴代に渡って醜悪な派閥対立を孕み続けて来た創価学会だ。
露骨な暴露合戦を垣間見て来た信者も多い筈だ。
そしてその“忠誠”信心を繋ぎ止める為に、
常に革命を演出して一宗団結を図る必要性に駆られているのだろう。
少なからず、中国共産党の“国家運営”から影響を受けた部分が有る様にも想える。
創価学会布教の誓いを表す、“広宣流布”と云う四文字も目立つ。
更に聖教新聞の姉妹誌、創価日報と云う物も有る。
そして創価学会の傀儡政党、公明党発刊の“公明新聞”や、
公明グラフと云う“雑誌”も信者御用達の機関紙だ。

2聖教


新報

少なくとも私は、創価学会を宗教団体だとは思っていない。
創価学会の宗教的意義も一般信者の心にしか存在しないのだろう。
私が知る限りの創価学会を総合すれば、
創価学会とは東アジアを中心とした国際政治団体だ。
その政治活動も日本政界の政治的根回しを先導する、
裏の“外交活動”が主と言えるだろう。
特に東アジアに於ける“創価アジア親善議会”の働きは一定の評価は下せる。
中国との政治的対立が深まれば、“先回り”で外交会談の場を用意して来た。
北朝鮮や韓国との関係悪化の際も同様だ。
創価学会はこの様な先回り外交で、その権勢を築き上げて来たと言っても良い。
だが、小泉第一次訪朝では、森派と外務省がその意に反する独断外交を潜行した為、
創価学会も陰湿な会談妨害を潜行したとされている。
しかし直後の一部拉致被害者帰還に関する外交会談では、
創価学会の根回し外交が“一定”の成果を上げた“とは”言える。
一人160億と云われた拉致被害者の買収返還も創価学会の提案とされる。
そしてその謝礼として、自民党が創価学会側に5人分の計50億で“挨拶”したと云う、
極めて信憑性の高い証拠も、業界関係の知人から資料で確認させて頂いた。
又、5人の返還金800億の内、先払い金400億を、
創価学会側が事前に用意していたと云う話も有る。
当然、その400億は自民党森派への“貸し付け”に他成らない。
“土壇場”にて借りざる負えなかった、自民党森派の“秘密”も恫喝材料として握った筈だ。
業界でも「聞けんなら、“私ら”から銭借りた事、マスコミにバラ撒くで。」と脅し、
性善性が求められる著名営利団体に、“頼み”を無理強いする手口も有る。
政官の世界“でも”良く有る手口らしいが、
創価学会の“仕事”が一部拉致被害者5人の返還に繋がった結果は本当だろう。
自民党と内の看板も、自民党発足以来のが有る。
当然、創価学会がそれだけの政治活動を実践するには莫大な“資金”を必要とする。
その資金を“上納”するのも、一般信者の役目だ。
創価アジア親善議会に取って、一般信者など集票道具か、
集金道具程度の価値しか無いのだろう。
だが、実母は一般信者と創価学会執行部は別格な存在だと語っていた。
創価学会の実態も教えたが、それよりも普段から面倒を看ている、
高齢信者の方が心配だと云う。
そう語りながら覗かせる実母の眼差しに、一点の迷いも無かったのも印象的だった。
実母は創価学会を、宗教を媒体とした“地域互助団体”と受け流しているのだろう。
池田犬作先生に対する姿勢にも一定の距離感が有るのも解かる。
一方で創価学会には謂れの無い差別に晒されて来た在日朝鮮人、
そして母子家庭や高齢の孤独生活者など、
社会的に困難な状況に晒されている一般信者も多いのだ。
その様な困難を抱えた一般信者が、お互いを支え合う為に
創価学会の“会合”を必要視している側面も有る。
だが、その会合も決して人の好意だけで成り立っている訳では無い。
その好意を受けるには一定の“条件”も必要と成るのだ。
一般信者にも其々に下される“成績”が有る。
その最たる成績点が付くのが、先述の新規信者を入信させる折伏勧誘だろう。
更に機関紙で有る聖教新聞の購読勧誘も挙げられる。
通常は一般信者の各家庭が契約するのは一日一部だが、
中には一家庭で一日三部を契約している一般信者も居るのだ。
この場合は自ら、“義理”で複数契約を交わす信者が多いだろう。
だが、周りに勧誘されて複数契約した信者も少なく無いと云う。
更に“表向き”は池田犬作先生が著者とされる、
“人間革命”の購読勧誘も成績に繋がるだろう。
実際の著者は近畿地方に住む創価学会員の作家だとされる。
そしてそれらの購読代金も創価学会の“金庫”に納まる事に成るのだ。
年一部の人間革命の購読料と、聖教新聞で上納する“会費”を合わせれば、
一般信者が納める年会費は少なくとも2万4000円前後に成る。
一方で日頃から“挨拶”している、某機構役員の“返答”に依れば、
現在(2015年秋)の創価学会員は国内だけで約700万人~750万人の間で推移していると云う。
全ての一般信者に依る聖教新聞、月一部契約で計算しても、
月100億以上が創価学会の金庫へ納まる計算だ。
更に創価学会には、国外信者を束ねる創価学会インターナショナル、
創価学会SGIと云う国際出先機関も有る。
其処から納められる“上納金”も膨大だろう。
他に創価学会関連の出版社や証券会社などからの“上納金”、
国内外の政財界人から入る“謝礼金”も合わせれば、
月500億以上は確実に金庫に入るだろう。
当然、創価学会も宗教法人なのだから非課税に他成らない。
又、創価学会には一般信者からの見えない“上納”も有るのだ。
それが先述した組織的な公明党候補者への投票だ。
選挙が近付けば会合も選対室と化す有様だと云う。
その意気には誰も抗えない空気が有るのだろう。
だが、会合にはその意気や購読勧誘に消極的な信者が、
他の信者から黙殺される体質も有るのだ。
反面でその状況に異論を唱える信者も居る。
その結果、地区会合で“派閥対立”が起こった姿を私も何度か見た事が有る。
幼少の頃から、義父が存命の頃までは、実家で会合が催される事も珍しく無かったのだ。





此処で先述した通り、座談会や唱題会、そして地区担当会議の内容に触れる。
基本的に会合の参加義務は信者個人に委ねられる。
必ず会合に参加する信者と、月に一度程度しか参加しない信者もいるらしい。
そしてその会合の出席頻度も信者への成績評価に繋がるのだ。
座談会や唱題会の参加人数は20人程度だろう。
会合場所も一般信者の自宅で執り行われる。
会合の頻度は3日に1回程度だ。
此処で先ず、座談会の内容に触れる。
座談会の始まりには、参加信者一同で省略した勤行が唱題される。
そして勤行終了後は様々な結果報告が行われる事に成る。
2005年に起こった福知山線脱線事故の際には、
事故現場に対向から特急列車が迫っていた。
そしてそれを見た女性が、踏み切りの警報ブザーを押して特急列車を緊急停止させている。
その更なる惨劇を防いだのが、創価学会の信者で有った事は、
日本中の会合で熱烈に“発表”されたと聴いている。
その反面で創価学会に対する重大疑惑が週刊誌などに載った際、
それを“根拠乏しく”否定して、参加信者の動揺を逸らす見解が発表される事も多いだろう。
そして座談会では“折伏発表”と云う結果報告が行われる場合も有る。
折伏とは先述の通り、庶民を創価学会へ入会させると云う意味だ。
会合での折伏発表とは、その座談会に参加した信者が、
新規信者を創価学会へ入会させたと云う結果報告でも有る。
当然、新規信者を勧誘した信者は成績も上がり、周りの信者からも信用を得られるのだろう。
そして中でも特に重要なのが“体験発表”と云う、参加信者が聴かせる談話だ。
此処で言う、体験発表の一例を挙げる。
  学校に行かない娘の為に懸命に勤行を唱えました。
  娘に立ち直って欲しい一心で毎夜、勤行を唱えたのです。
  そして娘が解ってくれたのです。
  学校にも通い始めました。
  全ては池田先生と日蓮大聖人様のお陰です。
  皆さんも、“勝利”に向かってこれまで以上の勤行に励みましょう。
  勤行に励む事だけが幸せへの道なのです。
信者の言う勝利とは、勤行を唱題し続ける中で、
苦境が好転したと“解釈出来た”事を勝利と判断する様だ。
そしてその結果を恰も勤行の御利益で有るかの様に参加信者に吹唱する。
“成功体験”を謳う、マルチ商法の会員集会に似た要領だろう。
だが、その少女の好転が勤行の御利益に有ると証明し得るのは、その少女の潜在心理だけだ。
親が懸命に勤行を唱題する姿が、少女の心を動かしたかも知れないのだ。
後述するが、私にも憶えが有る。
又、選挙の際に於ける支援候補者の当選など、
創価学会に有益な出来事を勝利、完勝と表現する場合も多いだろう。
同じ“喜び”を作り、共有する事で創価学会信者の結束を図る。
そして信者数人に依る、折伏発表や体験発表などの結果報告が終わると最後に鐘が叩かれる。
すると信者一同で南無妙法蓮華経と三回唱題する事に成る。
僅かに間を置いて再び鐘が叩かれる。
そして再び南無妙法蓮華経と三回唱題すると座談会は終了と成る。
この南無妙法蓮華経と三回唱題する勤行作法が省略勤行だ。
その後は30分程度、信者達に雑談機会が与えられる。
私も7年程前までは年に4、5回程度、実母と共に座談会や唱題会に参加していた。
会合は信者の親族でも参加出来るのだ。
目的は“潜入見分”と言えば解かり易いだろう。
続いて唱題会の会合内容に触れる。
唱題会とは信者一同が約30分程度に渡り、
勤行全文を唱題して会合終了と成る。
勤行を唱題する事だけが唱題会の会合内容だ。
そして唱題会の終了後も座談会と同様、30分程度の雑談機会が与えられる。
他にも懇談会と云うのが有るが、内容はその時々に依って、
座談会や唱題会と似た内容に成ると云う。
どちらかと言えば座談会に近い内容の様だ。
又、会合は各自治体を代表する専属会館でも行われる。
構造は鉄筋コンクリーのト2、3階建てで有り、
上階には“縁組”も出来る様な大広間が広がっている。
私の地元にも本庄文化会館と云う大型専属会館が有る。

会館
某文化会館での会合

専属会館での会合参加人数はその自治体の人口にも依るが、
大体は50人~300人程度だろう。
大型専属会館の会合では、先ず“マイク”を用いた勤行主が、
スピーカーを介して参加信者の勤行合唱を先導する事に成る。
そして勤行合唱後には、意気の有る男子部員、壮年部員が、
参加信者を扇動する為に、様々な学会関連の逸話を吹唱する場合が多い。
“勝利”と云う表現を用いながら、参加信者を声高らかに“扇動”する事も多いだろう。
頭に“日の丸”の鉢巻を付け、創価学会大勝利に向けた気概を、
参加信者に扇動する姿も何度か見た事が有った。
特に年末年始に催される大型専属会館での会合では、
正月の静けさに包まれた日本に有りながら、その意気は頂点に達するだろう。
正月三ヶ日に催される専属会館での大会合は、新年勤行会とも言う。
そしてその際には、戦時中に軍歌にされた合唱歌が
参加信者を鼓舞する、扇動的な“替え歌”として大合唱される。
日の丸の鉢巻を付けた男子部員が胸に拳を当て、
天にかざす仕草を繰り返しながら大合唱を扇動していた。
それは時代認識すらも捻じ曲がる程の“物騒”な光景だった。
義父が亡くなって以来数年は、憔悴し切った実母に付き添う為、
私も大型専属会館の会合に何度か参加していたのだ。
一方で本庄文化会館建設の為に創価学会側へ、
用地を売買した者は私と“似た立場”の男だ。
地元の“同業”と揉めて二度、刺されたらしいが、
それでも何食わぬ顔で“仕事”を打つ程の命知らずだ。
整理後の用地売買額も約2億3000万だったと云う。
元の土地高は4000万が良い所だろう。
法人で納税しても約1億4000万前後の“抜け”だ。
特に西日本で創価学会の大型専属会館が建設される場合、
“業界”が介入した用地売買が行われる事が多い様だ。
組織犯罪対策一課もこの実態を睨んでいるらしいが、
創価学会の権威で捜査中止に追い込まれる事が殆どだと云う。
某機構の親父さんも、“手が出せん”と溢していた程だ。





一方で会合後に交わされる、参加信者の雑談にも気に成る印象が残っている。
その時間の中で交わされる会話も庶民の雑談その物だった。
だが、雑談を交わす殆どの信者から無垢な気配も感じたのだ。
創価学会に取って、人の欺瞞を良い方向ばかりに解釈してしまう信者は格好の利用物だ。
だが、欺瞞と解かっていても、縋らざる負えない立場の信者も居るのだろう。
会合に参加する信者には孤独生活下に有る老人も多いのだ。
実母はその様な老人の面倒も看ている。
東北地方太平洋沖地震が発生した日には、
電話で一人、一人の高齢信者を励ましていたと云う。
連絡の付かない高齢信者宅には直接、励ましに行ったとも聴いている。
だが、その援助行為を受けられるのも信者でいる間だけだ。
通常は創価学会から脱会した信者は、その援助行為からも除外される。
だが、実母や数人の信者は、そんな脱会信者達の面倒も看続けているのだ。
地域ボランティアとも連携していると云う。
続いてブロック長会議、地区担当会議にも触れる。
ブロック会議とは地区内で更に分割されたブロックの長同士が、
管轄会合の経過を報告し会う場だ。
地区担当会議は、地区ブロック長同士が管轄地区の経過報告を行う場だろう。
この地区担当会議こそが、信者の“本音”が最も露呈する場なのだ。
地区担当会議は、主に支部長職がその場を司る事に成る。
場所は支部長や各ブロック長などの信者宅で行われる。
又、支部長やブロック長制度には成績の有る信者に依る、
年度毎の交代制が敷かれていた。
実母に地区婦人部長が、義父に支部長の“出番”が回って来た事も有った。
主たる報告内容は、各地区の新規折伏人数や聖教新聞の新規購読者数、
そして各地区が孕む“問題”など様々だろう。
そしてそれ等の結果から、各地区の信者へ成績が下される場でも有るのだ。
だが、その“評価基準”はブロック長の“器量”に委ねられていると云う。
自身に同調する一般信者を支部長に高く“売り込み”、
邪魔な一般信者は安く売り込むブロック長も居るだろう。
自身に味方を付けて保身を図る為だ。
又、支部長は各ブロック長の“相談役”で有ると同時に、
各ブロック長へ評価を下す権限を持つ。
義父が存命だった頃は、実家で会合が開かれる事が多かったのは先述したが、
その会合後、信者が義父に“何か”を相談していた姿も憶えている。
私も幼少期の頃から、不思議とそんな場へ首を突っ込む“癖”が有ったのだ。
その相談内容も、他の信者から“信心”に対する姿勢を非難されたと云う物や、
周囲の信者が自分の悪口を言っているなど、
狭い環境での人間関係に関する物が多かった様に想える。
特に少年期に至った私は、そんな姿を見届けては、
自分の“何か”を満たしていた様にさえ想えるのだ。
反抗期の悪戯かは解からないが、
“大人”は醜い存在で無ければ気が済まなかったのだろう。
その根底に有った物は、大人は本当に醜いのか?どの様に醜いのか?と、
見定める様な“甘え”と冒険心に有ったのかも知れない。
だが、結局は解決に至らず、他地区の会合へ去って行く信者もいた。
信者同士で成り立つ特異な環境で有る以上、
其処でしか通用しない“常識”も有ったのだろう。
だが、社会常識を“信仰”して来た新参信者には、
その特異な常識を懐疑的に見る新参信者もいる筈だ。
そして周囲はその懐疑心を抱く新参信者に不信感を募らせる。
自身の信仰心を客観的に省みれる信者なら、
その様な入信間もない新参信者にも思慮を働かせる事も出来る筈だ。
だが、無垢な信者はそう成れず、排他的と成って警戒する場合が多い様だ。
そして結果的に客観性が備わった信者と、盲信的な信者との間で対立が起こる傾向も有るだろう。
盲信的な信者にも思慮を廻らせる事の出来る、客観性が備わった信者が多ければまだ良い。
だが、何気に盲信的な信者を卑下する信者が多ければ、
その対立は更に醜悪な傑物と成る。
自分から首を突っ込んだとは云え、
私もそんな人の醜い“部分”を、幼少の頃から何度も見て来たのだ。
だが、大人社会の醜い“部分”は、早くから知っておいた方が良いだろう。
それを社会人に成ってから会社で初めて知れば、
やがて自身にも訪れるで有ろう、大人の時間に耐え難い嫌悪感を抱くかも知れない。
そして組織の中で自分をすか?自分を貫いて抹殺されるか?と云う、
苦渋の選択肢を強いられる結果にも繋がり兼ねないのだ。
だが、この社会にはもう一つの選択肢が残されている。
通俗社会から脱して、自身の受け皿に成り得る少数社会に身を委ねる事だ。
その少数社会に創価学会の様な特殊社会も含まれる。
強固な自我が定まり、自身の受け皿を直ぐに見付けられる者は良い。
だが、その受け皿を見付けられず、社会を彷徨い続ける者も大勢いる。
そして彷徨う事に疲れ果て、頓ては物事の分別すら麻痺してしまう者も多いだろう。
創価学会もその様な彷徨う者を、信者勧誘の矛先にしているのだ。
明白な“独善”指針を示す勧誘信者の声は、
まるで“神掛かり”な伝導師の声として響くのかも知れない。
これはオウム真理教事件で逮捕された、
多くの信者が供述したオウム真理教への入会動機でも有る。
不条理に塗れた通俗社会から脱して、
そんな物など超越する“境地”を求めていたのだと云う。
然もL.S.Dなどの“宇宙”秘薬も投与されたのだから、その“幻覚境地”は偉大だったのだろう。
だが、私も今の世界に来るまでは唯、一日を浪費するだけの日々を過ごしていた。
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