書:斉嘉 三津秋

断:この文章はフィクションです。
  実在の組織、出来事とは一切関係有りません。





第17章 疑念

1998年4月5日
国内三番目の規模を誇る、三代目俠仁会は、
直系一門82社を抱え、傘下約1万1000人を預かる。
進出範囲は首都圏を中心に東日本一帯、一部は中部、近畿地方にまで出張り、
本部は東京都中野区の大和町第二ビル5階から7階に構える。
同時に京都市伏見区に本部を構え、傘下約2万9000人を預かる日本最大の代紋、
七代目笹川組主流派との対立を孕む。
若頭、兼崎 増代の強引な盃下ろしに依り、関東地方に本部を構える非指定の代紋、
的屋組織を廻って三代目俠仁会と奪い合いに成った事が、対立の発端で有った。
だが、三代目俠仁会には、七代目笹川組と共存する為の暗黙の指針も存在した。
その経緯から、七代目笹川組の派閥対立で辛酸を舐める反主流派傘下と、
俠仁会直系一門の多くが戦略的な縁組を結ぶに到っていた。
国内二番目の規模を誇る、五代目嶺北会(れいほく)は、
傘下約1万2000人を預かり、千葉県船橋市に総本部を構える。
五代目嶺北会々長、太田 政志は七代目笹川組々長、浪内 斎三の
四分六の舎弟義分に有り、同時に五代目嶺北会々長代行、瀬戸 郷士は、
三代目俠仁会々長、石田 六朗の七分三分の舎弟義分に有った。
そんな背景も有り、1959年に東日本一帯の的屋一門と、
老舗博徒一門が大同団結して結成された歴代嶺北会は、
経済力、戦闘力で勝る歴代俠仁会と、歴代笹川組との間で板挟みと成り、
常に歪んだ立位置に翻弄されて来た歴史を持つ。
そしてこの日、東京都中野区の三代目俠仁会本部では、
月初めの5日に催される定例執行部会が開かれていた。
定例執行部会は三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅が提唱する、
「小を大に結し、来たる厄に不動如山の如し」と云う、
直系一門の組織再編に関する議題で有った為、
執行部の要たる執行部本役のみが召集された。
三代目俠仁会の執行部本役は理事長以下、
筆頭理事長補佐、組織対策委員長、渉外委員長の順で序列付けられる。
だが、御多分に漏れず、三代目俠仁会の本役職も
事務局長、渉外委員長、慶弔委員長以外は、その役割に然程の違いは無い。

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この日、三代目俠仁会本部で催された定例執行部会合も、
その解せぬ諸般の事情も相俟り、険悪な空気に包まれていた。
そしてそんな空気に嫌悪を抱きつつ、霞掛かった網ガラスを背に
深々とソファーにもたれる渉外委員長、田川 昌生(しょうせい)が、
苛立ちを滲ませつつも冷静な口調で理事長、梅地 芳雅の腹を探っていた。
    物事には、時として急がば回れと云う例えも有ります。
  親分が引退を表明されて間もない時分、
  何故、(合わせる様に)下の再編を急ぐのか?
  私には解かり兼ねるのです。
  理事長。
理事長で有る、白川一家十二代目、梅地 芳雅は、
冷静沈着な口振りで、田川の腹探りに答えた。
  一家一門が乱立する現状は、会の結束に憂いを残し、
  それが笹川に付け入る隙を与えると云う懸念は、
  親分も常々、口にして来られた事です。
  非指定の代紋の多くが、笹川と親戚に成ったのも、
  我々が無理(高額の守り代)を通し過ぎたからです。
  田川渉外長、、解かりますね?
  私としては組織安泰の功を以って、
  親分引退の花道を飾りたく思っての事です。
  嶺北、御代田の代替わりも有り、
  この時分こそ、最良の時分と想い、判断した結果なのですがね、、
田川は梅地の答えを受け流すと、続け様に梅地を問い質した。
  、、その点は私にも反省する所は有りますが、
  この件で名村対策長、甲村諮問長から、
  何ら意見が無いのは何故でしょうか。
  理事長、巷ではあなたの言う再編とは、
  あなた自身が跡目を狙い、数集めの為に、
  子飼いで足元固める云う話も聴こえとりますが。
  これに付いてはどう思われますか?
組織対策委員長の江角一家十三代目、名村 満が、
語気を強めつつ田川の意見を割った。
    田川渉外長、あんた理事長に向かって、そりゃマズいでっしゃろ?
  今は一本独鈷どころか、内(俠仁)の2、30人の所帯も(笹川に)どんどん食われとる。
  (身を)交わすには、小さい所を200、300の大所帯に纏めな行かん。
  笹川言えば、ワシが大阪で稼業の門叩いた頃から、
  小さい所に難クセ付けては、貪り食っとりましたよ。
  そんでワシの親もハメられて30余年、ワシもここに座っとるんです。
  田川渉外長、理事長の腹とは関係無しに、
    ワシも理事長の提案には賛成せざる負えんのです。
田川は僅かな私恚を抑え、冷静な口調で続けた。
  対策長の言いたい事は解かる。
  ですが、笹川に食われとる所に、
  白川と串ノ屋(、江角)の根っ子(末端)が目立っとりますが、
  これは納め取り過ぎるんが理由と違いますか?梅地理事長。
  串ノ屋(一門、江角一門本部)への月納め半分が、梅地理事長、
  あなたに納められていると云う話も聴こえとります。
  根っ子でさえ義理で(月)100、200が飛んで行く時節、
  やはり上(部)に月2、30万、中野(俠仁会本部)に20万、
    そこに(月)60万も乗っけられたら根っ子は火の車でしょう?
  笹川なら上(部)に月10万だけなんて所もザラです。
  内も(淀橋一門本部に)月20で十分にやってけますよ。
  まあ、理事長も色々と、金が要る立場で有る事は分かっとりますが、
  跡目取る云うなら、ワシはそれでも構わんのです。
  理事長も俠仁が旗揚げした時分から、俠仁の為に働いて来とったんですから。
  問題は理事長、こんな形で無理に下を纏めても、
  後々に禍根を残すのは、ここにおる誰もが解かっとる事と違いますか?
  結果として、椅子(総長職を)蹴られる者もおれば、
  消える家名も有るんですから。
  私ら、下も下なりに向いとる所も違っとるんですよ?
梅地は僅かな間を置くと、何処か田川を嘲笑う様な面持ちで口開いた。
  田川渉外長の心中は察しておりますよ。
  皆にも想う所、多々有る事は分かりますが、
  ここは高所から現状を鑑み、この問題を乗り切って見せる事で、
  俠仁の結束を業界に示す、好機と考えての事なのです。
組織対策委員長の名村 満が、梅地の意見に相槌を入れた。
  田川渉外長、そう云う事で良いんと違いますか?
  急がば回れ、言ったのは、田川渉外長、あんたでしょう?
三代目俠仁会執行部では最年長の筆頭理事長補佐、
浦和新崎一家六代目、堀口 公信も、
静かな物腰で田川に釘を刺しつつ宥めた。
 田川、結論を急いだら纏まる物も纏まらんぞ。
 、、(跡目なら、)お前か理事長で執行部も動いている。
 お前も承知の事だろう?
 武守を動かした事も、私は評価はしている。
 無駄な言い合いは止め、もう少し皆を信じろ。
この後も20分程度、意見が交わされたが、
結局、梅地らと田川の意見は平行線を辿るだけだった。
三代目俠仁会最大傘下一門、淀橋一家八代目率いる田川 昌生が、
頑なに組織再編に異論を唱えるのも大きな理由が有った。
この頃、理事長の梅地 芳雅は、都内を中心に仕事を打つ、
30人、50人規模の傘下一門総長らと絶えず密会を重ねていた。
そして梅地の顧問弁護士、成谷 悦治が実質管理する
不動産投資顧問会社、市光グローバル・ファンドの役職や、
投資金の貸付けなどで、それらの傘下一門総長を次々と懐柔していたのだ。
組織再編でそれらの傘下一門を吸収すれば、
白川一家十二代目は傘下約1300人を抱えるに到り、
同様に傘下約1300人を抱える淀橋一家八代目と双璧を成す、
俠仁会最大傘下一門の座を得する絵図だった。
その絵図を淀橋一家八代目、田川 昌生も
傘下からの報告で既知していたのだ。
因みに淀橋一門の主立った仕事は、
淀橋一家八代目染井組が締める覚醒剤密輸取引に始まり、
組織化された大規模高利業や芸能娯楽会社の守りなどだった。
一部は政財界や警察官僚を後盾とし、
アメリカや南洋諸国などに進出する日系企業の守りや、
証券業界でも仕事を打ち、一定の成果は上げていた。
片や世田谷区駒沢に本部を構える白川一家十二代目も、
政財界や警察官僚の威光を武器として、
証券業界に始まり、アメリカの日系企業に対する総会屋飛ばしや、
国内外のインフラ開発、投機ビジネスなどで、
不動産業界にも隠然たる力を誇った。
その一方で仕事に喘ぐ末端は、
覚醒剤卸や先物勧誘などの詐欺行為を強いられ、
その格差は歴然としていた。
淀橋一家八代目、田川 昌生は、そんな体質を孕む、
白川一家十二代目が拡大路線を取り始めた事を見越し、
やがて三代目俠仁会全体に白川一家の体質が蔓延する事を懸念したのだ。
既に白川一家十二代目や串ノ屋一家九代目、
そして江角一家十三代目では一門本部への月5、60万の納めに嫌気が差し、
七代目笹川組に移籍する末端が相次いでいた。
当然、それらの末端が知る三代目俠仁会の内部情報も、
七代目笹川組に漏れる事に成る。
それだけに三代目俠仁会の結束を憂う、
田川 昌生の懸念は図り知れない物が有った。
同時に白川一家十二代目を筆頭とする梅地派の勃興が、
理事長、梅地 芳雅に対する発言力に影響を及ぼし兼ねない懸念も、
田川 昌生の心を大きく揺さ振っていた。
代紋の執行部に於ける総長の発言力は、
傘下の求心力、仕事にまで影響を及ぼす物だ。
それが元凶と成り、一門内で内部対立が起こる事も珍しく無い。
だが、田川 昌生は、そんな懸念を一瞬で払拭し得る力を、
淀橋一家八代目に忍ばせていた。




第16章 禍根

三代目俠仁会が孕む派閥対立を他所に、
現場の侠達は、今日も己の性根を我針とし、
三代目俠仁会の為、己が野心の為に体を張っていた。
そんな最中、旧五代目淀橋一家総長、金森 栄嘉の実子たる、
淀橋一家八代目,守田睦二代目会長、金森 龍嘉を筆頭とする淀橋勢と、
五代目嶺北会屈指の武闘派一門、弥次郎十六代目(やじろう),倉吉会々長、
倉吉 保を筆頭とする弥次郎勢が、
最早、抗争をも辞さない程までに対立していた。
事の発端は弥次郎十六代目倉吉会、倉吉 保が飼う仕手屋、
泉 近道が実質経営する業界向け投資信託会社、双研ファンドを廻る物だった。
其処に淀橋一家八代目組織対策委員長、武守 一力が立てた算段を元に、
守田睦二代目を中心とする淀橋一家八代目傘下が
弥次郎勢に連なる投資家に脅しも辞さない、投資買収を仕掛けたのだ。
淀橋一家八代目、田川 昌生の意を読んだ組織対策委員長、武守 一力には、
関東に七代目笹川組若頭、兼崎 増代を筆頭とする、
笹川組主流派との対抗軸を作る算段が有った。
この頃、既に武守は、同様に笹川組主流派に異を唱える、
日本最大の的屋組織、五代目藤川会岡辺連合会長、
岡辺 貫太郎を筆頭とする藤川会岡辺派や、
東京都町田市に本部を構える2000人規模の代紋、八代目御代田会々長代行、
富成 喬任を筆頭とする御代田会富成派からも賛同を取り付けていた。
だが、国内二番目の規模を誇る五代目嶺北会には、
未だ賛同する勢力を得られず、
その為に弥次郎十六代目に強い経済力を示しつつ、
時期を見て話し合いの場を持ち、弥次郎十六代目を懐柔する算段が武守には有った。
昭和後期、旧十三代目弥次郎一家総長、谷地 頑士郎は後に俠仁会二代目に就く
浦和新崎一家三代目、伊東 絃治の四分六の舎弟義分に有った。
同時に弥次郎十六代目、三崎 誠造は七代目笹川組主流派に連なった
行徳屋宗家八代目、緒方 勝二とは古くからの五分兄弟義分に有る。
その一方で緒方 勝二率いる行徳屋宗家八代目には、
1995年の笹川組加名以前まで、博徒稼業からの守りを通じ、
同じ千葉県市川市に本部を構える淀橋一家八代目大伝馬十代目には多大なる借りが有った。
武守 一力に取り、そんな経緯を孕む弥次郎十六代目なら、
条件次第で抱き込めると踏んでいた。
だが、淀橋一家八代目の動向を睨む三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅は、
淀橋一家八代目の独断を許さなかった。
梅地は武守 一力の算段で、関東のヤクザ業界が反笹川組主流派で纏まり、
結果、淀橋一家八代目が代紋の垣根を越えた力を得る可能性を危惧したのだ。
その一方で引退を表明した三代目俠仁会々長、石田 六郎がその行賞を鑑み、
俠仁会四代目を淀橋一家八代目、田川 昌生に預ける憂いも梅地を焦燥させた。
そして梅地は浦和新崎一家六代目、堀口 公信に2億の切手を掴ませた上で
田川 昌生の腹に対して有る事無い事吹き込んだ末、
串ノ屋一家九代目と共に双研ファンドの顧客へ
別企業の優良銘柄を餌に投資買収を仕掛けさせたのだ。
結果的にこの三代目俠仁会の内部対立が元で、弥次郎十六代目は疎か、
双研ファンドの資金管理を熟す五代目嶺北会鉾田初代までもが、
淀橋一家八代目、延いては三代目俠仁会に敵愾心を募らせる結果を招いた。
鉾田初代総長代行、鉾田 常州男(としお)は、
弥次郎十六代目、三崎 誠造の四分六の舎弟でも有る。
そして5月20日、ついにこの対立は表面化した。
この夜、赤坂の高級クラブにて淀橋一家八代目,守田睦二代目幹事、
芳原 祐樹、村西 修の二人が酔いに任せ、仕事の失敗談を交わしていた。

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だが、二席後にはホステスで囲いつつ
芳原、村西の会話に耳を尖らせる一派も鎮座していた。
弥次郎十六代目の親戚たる五代目嶺北会,鉾田初代幹事長補佐、
永田 光冶率いる永田組の若い者らで有った。
芳原らはそんな事など気にも止めず
小声で交わす仕事の失敗談が、順大手ゼネコンが秘めた
粉飾決算の外秘書類に及んだ時だった。
  俺もあの頃は出入り(関係者)とは言っても、
  (大学の)法学出てるから、ITやってるダチからネタ来てな、
  さっそく本社に乗り込んでやった訳だ。
  したら総務の馬鹿垂れ、サツの尻尾(天下り)でな、
  危うく大焼けどするとこだったんだな。
  5000(万)は抜ける思ってたが結局、
  1万円の小遣い貰って毎度あり!って。
  ありゃ思い出すだけで泣けるで、、
だが、丁度その時、テーブル横を通り掛かった、
永田組の若い者、西岡 元司が通縋り際に吐き捨てて行った。
   淀橋などシャブでも食っとれや。
その瞬間、淀橋一家八代目,守田睦二代目幹事、村西 修は
暗闇を認ためた無表情な顔相に一変し、無言で席を立った。
そして即座に懐に忍ばせた長ドスで、
西岡 元司の腹部を突きしていた。
長ドスは西岡 元司の腹部を、十字を描くかの様に深く捻り回した。
それを目の当たりにしたホステス達は悲鳴を上げ、
ヤクザを知る常連客は、即座に店外へと逃げ出した。
そしてその混乱に紛れる形で組長、永田の意を読んだ、
永田組若頭補佐、佐伯 一馬も、人目を忍びながら店外へと抜け出していた。
だが、若い者の親で有る、鉾田初代永田組々長、
永田 光冶は、村西に飛び掛ろうとする若い者を一喝する。
   そんな奴はほっとけ!
  救急車じゃ、はよ、救急車呼べや!
続け様に永田は、僅かに店内に残る同業を前に、
村西へ諭す様に話し掛けた。
  嶺北、鉾田の永田だ。
  淀橋のモンだな?
  この通り、被害買ったのはこっちだ。
  ケリは話で付けるから、お前らもサツ来る前に消えろ!
そして村西と芳原は、永田の諭しを受け流すかの様に、
無言で店内から足早に去って行った。
同時に永田の実弟、永田組本部長、時田 保は、
席に残る同業のスーツ、ダブル部分に目を尖らせながら、
僅かに頭を下げつつ、侘びを入れて回っていた。
時田は、相手のダブル部分に光る代紋を見逃さなかった。
その内、二派は全員代紋をダブル裏に返していたが、
一派は七代目笹川組の代紋を付け、
残りの二派は同じ五代目嶺北会の代紋を光らせていた。
同時に頭を下げ、侘びを入れる瞬間に、
相手の目のやり場も見逃さなかった。
一方でされた西岡 元司は、幼馴染みの若い者に
付き添われる形で救急搬送されたが、
出血性ショックに依り、約一時間後に死亡した。
永田らも、店内に飛び込んで来た、
組対刑事の任意同行に応じ、店を後にしていた。
そしてこの襲撃は、5分後には店外へ抜け出した、
永田組若頭補佐、佐伯 一馬を介して永田組の上部一門、
鉾田初代執行部に報告される。
同時に鉾田初代執行部は、全傘下に抗争準備で有る、
待機命令を通達した。
そして翌21日午前9時、茨城県鉾田市に本部を構える、
鉾田初代本部にて、秘密裏に緊急執行部会合が招集される。
永田組からは相談役、宮田 宗春が代行で出席する。
だが、二つのテーブルが置かれた応接間は、
黙座する執行部一統が孕む、私利的な算段に依り、
唯、淀んだ空気だけが立ち込めていた。
そしてその空気を睨んだ鉾田初代総長代行、鉾田 常州男が
その細身の体を逸らし返すと、
黙座する執行部一統を前に口火を切った。
  誰も腹割らんのなら俺の腹割るぞ。
  瀧澤の親父は留守(社会不在)、寄合(執行部)2人も持ってかれ、
  先達ての喧しい暴追連中の件も有る。
  船橋(嶺北会総本部)のゴタゴタも纏まらん以上、
  今は淀橋と構えるんは得策だと思えん。
  依って日時を決めて、淀橋と掛け合う。
  永田には俺から言い聞かせる。
  意見は無いな?
  無いんなら、それで行くぞ!
そして僅かな沈黙が流れると、列席する全員が正面に向け、
鉾田に目色を悟られぬ様に頭を下げる。
だがその時、当番責任者の岩倉 武が、足早に応接間へ入って来た。
そして総長代行、鉾田 常州男に耳打ちした。
    (淀橋一家と対立していた)
   弥次郎の三崎総長からです。
   絶対に引くな、引いたら
   (ワシの力で)この世界には居れん様に成るぞ、との事です。
    、、どうなされますか?
岩倉の報告を受けた鉾田は、その顔相に僅かな呆れ笑いを浮かべつつ、
向かい合う、執行部一統に告げた。
   三崎の兄貴からだ。
   お前ら、眠たい目してんじゃねえぞ(淀橋と構えろ)、だそうだ。
   本部のハガキ(破門状)見たくない奴は、家に帰って寝とけ。
   (返しの仕度だけしろ)
   起きてる奴が起きとればええ。
   (当事の永田組以外、絶対に動くな)
   挨拶も要らん、暇なら缶蹴りでもしとれ。
   (人はにせず、淀橋傘下の事務所にブチ込め)
すると応接間に鎮座する執行部一統の殆どが、
厄事に関わりたくないとばかり、正面に向けて勢い良く頭を下げた。
その様を軽く受け流すと、総長代行の鉾田 常州男は、
遠くを見詰める様な眼差しを覗かせつつ、その心中で呟いていた。
  兄貴も変わらんな、、
  まあ、ええ。
  まだ早いが、始まったと想えばええんじゃ。
  (破門食らって)、嶺北出るんは、
  前から親父も話しておった事や。
  笹川への手前、デカい真似は出来んが、
  最後にボロい花火上げて、嶺北のド腐れ看板など割ったる。
鉾田の兄貴分で有る、弥次郎十六代目、三崎 誠造は、
五代目嶺北会懲罰委員長の要職に有る。
率いる弥次郎十六代目も傘下約600人を預かる、
東日本有数の武闘派一門で通っていた。
だが、鉾田 常州男には、嶺北会五代目新執行部人事で、
風紀委員長から、常任理事に事実上の格下げを受けたと云う経緯が有った。
五代目嶺北会々長、太田 政志は若い時分から、
建設業界へ進出し、政財界とも繋がりを持つ、
企業家肌の代紋頭だった。
それだけに太田は、三崎や鉾田の様な武闘で通す、
旧来の侠など、自身の算段を揺るがし兼ねない厄介者と見做していた。
当然の様に、侠肌で通す理事長、京本 禎成を筆頭とする執行部本役の中には、
そんな太田の代紋頭としての資質に懐疑心を募らせる者も少なくは無かった。
太田 政志が五代目を取れたのも、
後盾の国土管理省官僚や警察官僚の威光に加え、
三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅の口添えも有り、
大田が十代目を預かった五代目嶺北会泉谷(せんや)十代目総長代行、
由比 三樹雄を中心とする嶺北会太田派の多数派工作が功を奏した結果でも有った。
そんな経緯も有り、太田 政志に最も敵愾心を漲らせたのが、
天保15年(1831年)に結成された老舗博徒一門、
弥次郎十六代目率いる三崎 誠造だった。
三崎も四代目嶺北会時代は、総本部長の要職に有り、
太田に次ぐ要職、会長代行に推す声も有った。
だが、三崎の行徳屋宗家九代目、緒方 勝二との関係から、
依り一層の笹川組専横を五代目嶺北会が赦す懸念を
嶺北会太田派の本役らが嫌ったのだ。
同時に太田派には、太田の持つ警察官僚の後盾が、
七代目笹川組を抑える強大な武器に成ると読んだ者も少なく無かった。
三崎は自身が舐めた屈辱とは別に、
そんな侠義を逸れた執行部の様を鑑み、
密かに五代目嶺北会脱会を決意しつつ有った。
同時に鉾田初代を筆頭に、千葉県銚子市に本部を構える蓮沼六代目や、
茨城県水戸市に本部を構える貝ノ内七代目など、
三崎と意を共にする複数の傘下一門も、五代目嶺北会脱会の好機を狙っていた。
当初は五代目嶺北会々長代行、瀬戸 郷士が、
弥次郎先代、土井 博好の四分六の舎弟義分に有った事から、
渡世上の義理を重んじた三崎には、五代目嶺北会脱会を躊躇する部分も有った。
だが、弥次郎一門には、太田 政志が嶺北会五代目に就いた1月に
三代目俠仁会神栖一家四代目,多賀睦会と、
3月には鉾田初代と共に、三代目藤川会四代目水嶋連合,渋谷神農友人会と
中規模抗争を起こしていたと云う経緯が有った。
「如何なる理由有れど、他団体との抗争は厳罰に処す」と云う
訓告下の太田五代目体制の中で、三崎は「次は破門に処す」と
太田から最後通告を受けた身でも有った。
そしてその際、会長代行、瀬戸 郷士が弥次郎先代、土井 博好への義理を顧みず、
この最後通告に賛同した事から、三崎も瀬戸への義理を無き物と見做した。
そんな渦中で起こった淀橋一家八代目との抗争は、
三崎らに、五代目嶺北会脱会への好機を示していた。
同時に嶺北会五代目体制では事実上の降格を受けたとは云え、
未だ懲罰委員長と云う執行部本役に就いていた事も三崎を後押しした。
例え淀橋一家八代目に対する返しを打っても、
執行部本役なら、除籍処分で済むと云う公算が三崎には有った。
除籍処分なら、七代目笹川組若頭補佐兼関東ブロック長、緒方 勝二の助力を得られ、
同時に五代目嶺北会が七代目笹川組主流派と縁組した以上、
主流派に付いた緒方 勝二の五分兄弟に、絶縁は下せぬ事も三崎は確信していた。





だが、事態はそんな嶺北会三崎派の糸口を膠着させる流れに到る。
鉾田初代本部での緊急執行部会合が終わり、
執行部一統が其々の帰路へ付く寸前の事だった。
突如、事務室の固定電話が、ファックスの通知音を鳴り響かせた。
それは五代目嶺北会総本部から、鉾田初代本部と
弥次郎十六代目本部に飛んだ通達で有った。
   笹川組の峰最高顧問並びに俠仁会の光永特別相談役が間(仲裁)に入る.
   答えが出るまで、一切動くな.
   尚、の重大さを鑑み、話し合いは総本部で行う.
   以上.
鉾田初代総長代行、鉾田 常州男は、笹川の家名が読み取れた通達に愕然とした。
そして千葉県市原市の弥次郎十六代目本部,総長室で通達を受けた三崎 誠造も、
蒼白な顔相を覗かせつつ、薄い苦笑いを浮かべながら、その胸中で囁いていた。
    峰 孝雄、、
  太田が媚び売りて昵懇だったな、、
  それにしても若衆、一人られたくらいで、
    随分と大層な御仁が出てくるわ。
  大体、なんで(当事では無い)内にまで通達が来る?
    やはりワシらの腹、太田に漏れとったのか?
  漏らしたのは(五代目嶺北会理事長、)京本だな、、
  緒方の兄弟への手前、これじゃ話に成らん。
一方でその頃、を起した淀橋一家八代目,守田睦二代目会長、金森 龍嘉も、
新宿区四谷の淀橋一家八代目本部から呼び出しを受けた。
金森 龍嘉の顔前には、紳士的な気風と、
聡明な面持ちを覗かせる一人の御仁が鎮座していた。
田川 昌生の懐刀、淀橋一家八代目理事長、新條 清忠で有る。
新條 清忠は淀橋一家、延いては次代の俠仁会をも担う新生と、
代紋の内外問わずに黙される程の逸材だった。
そして新條は聡明な面持ちを携えつつ、
何処か相手を冷静にさせる口調で、
守田睦二代目会長、金森 龍嘉の腹を確かめた。
    私らは淀橋にを預けた身、
  私から言える事はそれだけです。
新條が覗かせる、語らずして多くを語る眼差しに、
金森は一瞬の沈黙を保つ。
そして金森も覚悟を滲ませた面持ちで新條に告げた。
     私も淀橋有ってこその私です。
  それは(実の)親父も私も変わりません。
  では、失礼致します。
すると新條は、何かを確信した面持ちで金森を静止した。
  まあ、待ちなさい。
  先ほど嶺北から連絡が入りました。
  今日中にも笹川の峰最高顧問と、
  (俠仁会の)光永相談役が間に入るそうです。
  今回の件で、光永相談役が詰め腹を切る旨、
  金森(組織)強化長、今回は静かにしてなさい。
  若い者も淀橋の為、やる事はやったのですから。
新條の進言を聴き終えると、金森も聡明な面持ちで席を立った。
そして唯、「失礼します」と新條に告げつつ、45度の角度で深々と頭を下げ、
新宿区四谷の淀橋ビルを後にした。

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一方で新條 清忠は、三代目俠仁会副本部長の役付に有り、
淀橋一家八代目最大傘下、淀橋睦会二代目を率いる。
仕事面では大城建設、森田組など大手ゼネコンの守りを通じて、
証券業界にまで進出し、武守 一力の功績が有ったものの、
傘下の派遣業を通じて東日本電力とも根深い関係を持つ。
海外では国内の石油卸会社を対象とする石油投機銘柄の売り抜けや、
アメリカ西海岸に進出した日系企業の守りなど、潤沢な資金力を堅持していた。
その一方で十数年に渡り、武守 一力と共に
淀橋一門の抗争を指揮して来た実績を併せ持つ。
既にその名は東日本のヤクザ業界のみ成らず、西日本の極道社会にまで聴こえ、
淀橋一家の跡目も確実視されていた。





鉾田初代永田組幹事、西岡 元司が刺殺された、
翌4月21日午後5時、七代目笹川組最高顧問、峰 孝雄と、
三代目俠仁会特別相談役、光永 吉郎が、
五代目嶺北会総本部に到着していた。
両者に応対したのは会長、太田 政志と会長代行、瀬戸 郷士に加え、
呼び出しを受けた鉾田初代総長代行、鉾田 常州男の3人で有った。
そして六階建ての川奈商事ビル、3階テナントを貸し切った、
総本部事務所の応接間で、三代目俠仁会特別相談役、光永 吉郎が
物静かに有れど、明白な口調で提言した。
    先ず、俠仁会としまして、淀橋の田川は無期限謹慎、
  守田睦の村西、芳原は破門、
  私はこの責任を取って引退致します。
七代目笹川組最高顧問、峰 孝雄は、
光永の提案を聴き届けると、付け加える様に提言した。
  聴かれての通りです。
  ですが、一つ断っておきます。
  光永さんの引退は、嶺北さんに有無を言わせぬ為の、
  渡世上、浅はかな決意では無い云う事です。
  俠仁会の石田さんが引退を表明された時分、
  光永さんとしては、渡世の親分たる石田さんに、 
  微塵の憂いも残さず、王道を飾らせたく願うのは当然の事でしょう?
その時、峰 孝雄の提言を黙して聴き続けていた鉾田 常州男が、
明白な苛立ちを滾らせて口を挟んだ。
  何か、笹川さんと事構えとる様な話の流れだな。
  これは内ら嶺北と、俠仁の問題なんですから、
  お宅は引っ込んどいて下さい。
すると即座に会長、太田 政志が鉾田を一喝した。
  鉾田!自分の立場、嶺北の立場、分かった上で物を言ってるのか!
  分かるなら、言葉を慎め!
鉾田 常州男は、憤りを滲ませた掠れ声で、
「好きにしろや」と吐き捨てると、再び沈黙を保った。
結局、七代目笹川組最高顧問、峰 孝雄が間に入った事、
そして三代目俠仁会特別相談役、光永 吉郎が
引退と云う詰め腹を切った事で、五代目嶺北会鉾田初代と、
三代目俠仁会淀橋一家八代目の抗争は、一応は回避された形で話が付いた。
これに依り、弥次郎十六代目総長、三崎 誠造と、
鉾田初代総長代行、鉾田 常州男ら、
嶺北会三崎派の算段は膠着状態に到る。
だが、この結果が、三崎らに最後の一手を打つ事を決断させたのだ。




第15章 躍動

7月12日
この日、義理事帰りの鉾田初代総長代行、
鉾田 常州男に、五代目嶺北会弥次郎十六代目、
三崎 誠造から呼び出しが掛かった。
鉾田は急遽、運転手の守り番に、
千葉県市原市の弥次郎十六代目本部へ向かう事を指示する。
そして弥次郎十六代目本部に鉾田 常州男らが到着すると、
応接間には投資信託会社、双研ファンドの件で、
淀橋一家八代目,守田睦二代目会長、金森 龍嘉らと対立していた、
弥次郎十六代目諮問委員長、倉吉 保が、
殺気を漲らせる形相で、応接間に鎮座していた。
そして番席に深々と豪座する弥次郎十六代目、
三崎 誠造を前に、鉾田 常州男がソファーへ座するのを見届けると、
倉吉 保は溢れる怒気を沈めつつ鉾田に口開いた。
   叔父貴、御足労頂き、有難う御座います。
   私には是が非でも、叔父貴に伝えねば成らん事が有るのです。
    先ず、私が割った事を申し上げます。
   先達ての永田さんの若い者ので引退を突き付けた、
   俠仁の光永ですが、笹川、榎木(組)の頭、南澤さんの
  話によれば、光永は去年秋の時点で、
  総本部に来られた(笹川組の)峰最高顧問に、
  今年秋にも引退すると口にしとったとの事です。
  次に無期限謹慎で話の付いていた淀橋の田川ですが、
  存知の通り、僅か1週間で謹慎が解かれた事、
  破門で話付けた筈の守田睦の村西、芳原が、
  淀橋の家紋外し(潜り組員)として、未だに仕事打っとる事です。
  叔父貴、お言葉ですが、結局、俠仁にハメられたんと違いますか?
   永田さんのでは、内にも太田から通達が飛びましたから、
   これは弥次郎の問題でも有るのです。
  新宿じゃ、私らが(淀橋に)逃げ打った言う、
  馬鹿垂れもいるくらいですから。
私恚に駆られつつも、複雑な気概で黙していた総長、三崎 誠造が、
当番の若い者に耳打ちした。
すると弥次郎十六代目幹事、高橋総業率いる高橋 玲人が
応接間に入り、倉吉の隣席に鎮座する。
倉吉は高橋が鎮座した様を見届けると、
更なる怒気を漲らせながら、一同に向けて訴えた。
  それだけでは無いんです。
  淀橋、串ノ屋らと揉めとった双研ファンドの件ですが、
  今度は江角(一家)の鷲田が何の断りも無く、
  私の飼っとる松永不動産の松永にカマシ(脅し)を入れ、
  何時の間にか、松永の保有株26%の内、20パーを15億で落としとった事です。
  内、18パーが(江角一家総長、)名村の持ち分に成っとるとの事。
  タイに隠しとる江角の金庫(口座)からも、
  3回に分け、20億前後が抜かれた事も掴んでいます。
  これで淀橋の金森や、串ノ屋の甲村、
  (浦和)新崎の堀口らの分も合わせると、
  保有率72パーで、私ら、俠仁にファンドくれてやった様なモンです!
  親父!鉾田代行!永田さんの若いモンのも併せて、
  私ら本当にこれで良いんですか!
弥次郎十六代目総長、三崎 誠造は、
慙愧の念を顔相に漲らせながら、唯、沈黙を保つだけだった。
だが、何処と無く、その顔相には芝居染みた傲慢さが滲み出ていた。
そして鉾田は三崎の心中を察すると、
誰に向けるでも無く口を開いた。
  兄貴も俺も(嶺北会)先代の頃から、腹堪えて来た。
  対策法のお陰で喧嘩でもすれば、
  厄ばかり祟る事も分かっとる。
  だがな、淀橋らと揉めとった所に、
  何で(淀橋とは反目の)江角が出て来る?
  妙だと思わんか?喧嘩するのは簡単だが、
    俠仁の内輪事に、ワシらまで踊らされるんはゴメンだぞ。
その時、鉾田の口を遮る様に、三崎が芝居掛かった口調で一同に告げた。
  常州男、もうええ。
  投資やら難しい事は解からんが、(笹川の)南澤さん、ワシらにネタ流した事、
  京都(笹川組総本部)に割れたら終いなんじゃ。
  形だけとは云え、峰も間に入った以上、
  今のワシらには堪える事しかできん。
  だがな、常州男、この悔しさだけは、絶対に忘れんじゃねえぞ!
   ワシも忘れんがな、、
  お前らもいいな?堪えろや。
  耐え忍ぶのもワシらの道だ。
三崎はそう言い残すと、慙愧に耐えぬ芝居掛かった形相で、
僅かに震わせた足で番席を立つ。
そしてそのまま応接間を出て総長室へと戻って行った。
その様を見届けた鉾田も、私恚に任せて両拳を議事台に叩き付けた。
そして無言でソファーを立ち、応接間を出ると、
守り番の若い者共々、弥次郎十六代目本部を後にした。
高橋総業会長、高橋 玲人も、何処か冷徹でいて、
無表情な顔相を覗かせつつ席を立った。
そして運転手の守り番共々、弥次郎十六代目本部を後にした。





7月24日夜
高橋総業会長、高橋 玲人は、
同門の弥次郎十六代目,水谷聨合会長、水谷 了と合流していた。
そして京葉高速、湾岸幕張下りパーキングにて、
混み合う乗用車に紛れ込ませつつ、
賃貸の自家用ワゴンを駐車場西側に止めていた。
後部座席には、高橋総業理事長補佐、笠井 輝秋、小西 仁が、
覚悟を決す面持ちで深々く黙座していた。
そして水谷聨合会長、水谷 了が殺気を漲らせつつ、
押しす様な口調で笹井、小西に指示した。
   いいか?来月の10日に俠仁の寄合が、
   揃って(千葉県)東金に来る。
   は写真のガキだ。
   理由は解かるな、、
   義理場を荒らすのはご法度だが、
    この際、そんな事は気にするな。
    後は考えんのが弥次郎の喧嘩じゃ。
   邪道だ外道だ抜かされてもな、
   所詮はっちまえばこっちのモン云う事だ。
  お前らもいいな?
    それじゃ、しっかりいて来い。
笠井と小西は、僅かに不快な顔相を晒すと、
覚悟の張る面持ちで、力強く頭を下げた。
渡された写真には、双研ファンドの件で、
弥次郎十六代目倉吉会々長、倉吉 保と揉めていた、
三代目俠仁会,江角一家十三代目幹事長補佐、鷲田 大玄が映し出されていた。
続いて高橋総業会長、高橋 玲人が指示する。
    部屋は用意して有る。
  上等な道具に戦闘服もな、、
  後は水谷の兄貴が言った通りだ。
  俺ら高橋が、弥次郎の恐ろしさ、
  俠仁のガキ共に思い知らせたれ。
すると笠井と小西は、水谷と同様、高橋にも無言で力強く頭を下げる。
そして自家用ワゴンを降りると、高橋総業が手配した軽ワゴンに乗り込み、
地図に記されたアパートへと向かった。
このは弥次郎十六代目総長、三崎 誠三は勿論、
鉾田初代総長代行、鉾田 常州男にも伏せられた。
そして約20分を経て、笠井と小西は千葉市若葉区の仕度部屋に入る。
道具と義理服は高橋から告げられた通り、便所の天井裏に忍ばせて有った。
そして小西は天井蓋を開け、30cm横に置かれた二つの鉄製のケースを降ろす。
シルク仕様が施されたケースの中には、コルト・ガバメント45口径の道具二丁
上下逆さに合わせる形で、綺麗に収められていた。
笠井と小西は有り触れた道具を見詰めつつ、
高橋が一応は、逃走の配慮をしている事を感じていた。

コルト

もう一つのケースには、上段ボタンが上前裾に縫い付けられた
二人分の義理服が、折り畳んで収められていた。
上段ボタンをダミーにする事で、ダブル下の下前裾から真横に手を入れ、
即座に腹ポケットの道具を掴むが為の細工で有った。
そして翌25日午前、笠井らは玩具屋で同型のモデルガンを購入する。
同時に帰際に通り掛かった鉄工所から、
小さな鉄材と、残り少ないガムテープを貰い受けた。
笠井らは仕度部屋に戻ると、小さな鉄材を用いて、
実物の重さと、そのバランス感に近い仕様に成る様に、
千切ったガムテープで、モデルガンに鉄材を貼り付けていた。
仕度が整うと笠井、小西は無駄の無い身熟なしで立ち上がった。
そして義理服の腹ポケットから道具を取り出し、
腰を入れて道具の上部を遊手で押さえ付け、
如何に素早くを放てるか?
その時間短縮を図る訓練を初めていた。




第14章 気配

二日後の7月27日午後、笠井 輝秋の携帯に同業で通す実兄、
五代目嶺北会鷲宮初代,杉澤会々長、長岡 祷力から連絡が入る。
「ボロい話(仕事)が入った、例の事務所に来い」との事だった。
笠井は実兄、長岡と共に新潟県見附市の出身で有った。
そんな弟想いの長岡から度々、仕事に噛ませて貰った経緯も有り、
笠井が長岡の誘いを不審がる事は無かった。
笠井は実兄、長岡との関係を小西 仁に話すと、
小西は付近まで同伴すると云う条件で、笠井が都内に向かう事を許した。
そして笠井はスウェット姿のまま、小西は作業服に着替えると、
駐車場に止められた軽ワゴンに乗り込み、豊島区内の税理士事務所へ向かった。
税理士事務所は辺鄙な所に建つ、赤レンガの寂れた雑居ビルに入居していた。
そして笠井は小西に軽く頷き、軽ワゴンを降りると、
何気ない素振りで、寂れた雑居ビルに吸い込まれて行った。
そして年代を感じさせる古呆けたエレベーターに乗り込み、四階で降りる。
四階の左隅には、石渕税理士事務所と云う看板が掲げられていた。
笠井は音を立てずに歩を進め、看板の掛かるドア前で歩を止めた。
そして何時もの様に、ドアを軽く5回ノックする。
すると、ゆっくり開いたドアの背後から長岡 祷力が、何処か深刻な面持ちで姿を現した。
長岡は右向かいのエレベーター、昇降ランプに目をやると、
笠井の腕を掴み、静かに玄関ドアを閉めた。
事務所内には、他に二人の男が座っていた。

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一人は三代目侠仁会,串ノ屋一家九代目若頭、河野 清治で有った。
事務席には、警察官僚として権勢を張る元自由共和党副総裁、
明津 一郎の元秘書、亀岡 常五郎が、河野らに背を向けて座っていた。
笠井は河野 清治の眼光を受けた瞬間、無表情な殺気を帯びた顔相へ一変した。
そして何処か寂しげな薄笑いを浮かべる長岡 祷力は、
実弟、笠井の肩を軽く叩くと、ソファーに座る様に促す。
笠井は背筋を伸ばし、河野に構える姿勢でソファーに黙座した。
その様相を見届けた串ノ屋一家九代目若頭、河野 清治が、
落ち着きの無い口調で笠井に告げた。
    俠仁、串ノ屋の河野だ。
    お前らがやろうとしとる事、止める積もりは無いがな、
  天下に聞こえる弥次郎にしちゃ、が小さ過ぎやしないか?
  そんな覚悟じゃ男は売れんぞ。
  小僧など相手せんで、(写真を二枚出して)どうせなら、
  こいつら持ってけや。
  (俠仁会側の)段取りも付けて有る。
  働くなら生きて帰してやる。
  働かな、生きて帰さんぞ。
笠井は当たりに感気を廻らすと、洗面所の物陰に、
そして書類室のドア向こうに、僅かな殺気を感じた。
だが、笠井には微塵の狼狽えも無かった。
そして笠井は河野、亀岡両氏に向かい、
鋭利な殺気を携え、無駄のない口調で答えた。
  大体の事は解かりました。
  ですが、一つだけ確認したい事が有ります。
  この、太田も存じての事ですか?
河野は一瞬、驚いた様に笠井へ目を凝らせ、何処か忙しなく言い放った。
  太田、、良く解かったな、、
  この事務所、太田の二号さん名義でな、
  なら、ここにお前、呼んだ理由も解かるな?
  、、ああ、大体はそんな所や。
笠井はやや複雑な相を浮かべつつ河野に腹返しを飛ばした。
  なるほど。
  自分は嶺北の代紋に生きてますから、
  念押しで太田も絡んでないか探っただけなんですがね、、、
  どっちにしろ、私らに取っては太田がどうなろうと知った事じゃないんです。
    では、本当に宜しいんですね?
  、、構わんです。
  では、遠慮なくらせて頂きます。
  後は考えないのが弥次郎のやり方ですから。
串ノ屋一家九代目理事長、河野 清治は、
笠井の気概を欺瞞極まりない素振りで褒めた。
  さすがは天下に轟く弥次郎だな。
  お前は性根入った本物だ。
  三崎さんの為にも、しっかり働いて来い。
  、、今日はもう予定入っとらんな?
そして河野は暫くの間、笠井に断片的な事情話をすると、
河野らに背を向け、事務席に黙座する亀岡 常五郎に促した。
  では、亀岡先生、本当に宜しいんですね?
河野は亀岡を威圧する口調で、最後の腹返しを飛ばした。
ソファーに深く持たれ掛かる亀岡は、
明津 一郎を真似る様に、天を仰ぎながら目を瞑っていた。
そして亀岡は右手で襟後ろに触れつつ、
重く掠れる声で河野に一言だけ告げた。
  、、宜しく頼む、、
元自由共和党幹事長、明津 一郎の元秘書、亀岡 常五郎は、
警察機関の天下り先で有る、日本綜合警備機構や、
生興パートナーズ、広告会社の創報堂など、
複数の天下り企業に役員席を持つ、警察官僚亀岡派の元締で有った。
そしてそれらの企業を通じ、亀岡は三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅、
五代目嶺北会々長、太田 政志とも懇意の間柄に有った。
その一方でこの頃、元警視総監、菅野井 厳三郎を筆頭とする
警察官僚菅野井派も大躍進を遂げていた。
菅野井派も80年代後半より、亀岡派に対抗する為、
複数の三代目俠仁会執行部の者と根深い間柄を堅持して来た。
串ノ屋一家九代目、甲村 嵩牡を筆頭に、
淀橋一家八代目、田川 昌生、武守連合初代、武守 一力、
文権治一家十代目、望月 剛志、
上州寄左衛門一家十二代目、平井 英六らが主だった所で有った。
この経緯を経て侠らは、パチンコ業界の胴元、娯楽産業健全化機構や青少年健全化育成機構、
三越生命、広告会社の日本通信など、菅野井派に連なる機関、企業とも根深い絆を築いていた。
その一方で菅野井派は、90年代前半に大規模に行った
パチンコ業界からのヤクザ業界締め出しの際、
その交換条件として田川 昌生や望月 剛志らに、
関東地方の不良外国人排除や左派勢力監視などを任せていた。
そして菅野井派は、それらの仕事を実行させた際、
逮捕者の多くを証拠・嫌疑不十分で不起訴、
罪状と比例して、通常では例の無い短期刑での服役など、寛大なる減免にも処した。
又、菅野井 厳三郎の兄、菅野井 壮一郎は戦後、日本共和党総務会長を勤める傍ら、
GHQの意を汲んで様々な方面に奔走し、
結果的に1955年の自由共和党樹立に一躍買った人物でも有る。
そんな経緯も有り、菅野井派は自由共和党有力派閥、石川派屈指の支持基盤を誇り、
石川派の違法行為揉み消し機関の役目をも果たしていた。
同時に警察官僚亀岡派を後盾とする自由共和党最大派閥、刈羽派とは、
石川派の中道保守政策を廻り、派閥対立が絶えなかった。





一方で自由共和党刈羽派は、1992年に表面化した巨額脱税疑惑、
東京野上急便事件の煽りを未だに引き摺っていた。
そして警察官僚菅野井派は、来年4月に任期が切れる、
刈羽派擁立の細神田内閣を睨み、新たに着手していた違法証券取引疑惑、
富士住事件で、複数の刈羽派参議員を辞任に追い込んでいた。
同時にこの富士住事件では、笹川組が数々の仲介、口利きに関わった経緯も有った。
そして結果的に笹川組六代目、津川 功次郎が、
当代の浪内 斎三を神輿に立てた六代目笹川組若頭代行、兼崎 増代ら、
複数の若頭補佐に依り、引退に追い込まれる事態をも招いていた。
そんな渦中に有る刈羽派が、来たる来年4月の自由共和党総選挙に於き、
自由共和党石川派に大敗するは必至と見る向きも大勢を占めた。
そしてその可能性を見越した日本経済産業省、国土管理省から、
亀岡派と手を切る官僚も相次いでいた。
亀岡 常五郎に取って、刈羽派敗北は、警察官僚亀岡派の崩壊を意味していた。
だが、亀岡がにした侠らも経済界での守りを通じて、
複数の国土管理省、日本経済産業省官僚との根深い絆を堅持し続けた。
同時に侠らは警察官僚菅野井派の意向に依り、一門から選抜した情報部隊へ、
刈谷派衆参議員を徹底的に洗う様に指示していたのだ。
そしてその秘功に依り、既に3人の刈羽派参議院議員が、
贈賄や金商法で書類送検され、結果的に辞任へと追い込まれていた。
そして亀岡 常五郎は来たる自由共和党総選挙に向け、
これ以上、自由共和党刈羽派に不利益を被らせない為にも、
刈羽派の手切りを赦さない為にも、その第一手とし、
一人の侠をす算段を立てていた。
だが、諸般の経緯を経て、亀岡 常五郎から要談を受けた
串ノ屋一家九代目若頭、河野 清治の提案に依り、当初のは変更される。
そして最終的に河野 清治の口から、高橋総業理事長補佐、笠井 輝秋、小西 仁に、
更にもう一人の侠の始末を持ち掛けるに到ったのだ。
だが、そんな算段など露とも知らず、帰路に着いた笠井 輝秋は、
車中でが変わった事を小西 仁に伝えた。
だが、小西に「誰に頼まれた?」と問われても、
笠井は「はデカい方が良いだろう?」と口走るだけで、口を割らなかった。




第13章 対峙

1998年8月10日午前9時
千葉県東金市の三代目俠仁会,霞乃(かの)一家四代目本部にて、
三代目俠仁会安房宗孝一家初代,霞乃五代目継承式典が挙行される。
霞乃五代目を継承するのは、安房宗孝一家総長代行、井上 信三で有る。
同時にこの継承式典は理事長、梅地 芳雅が提唱する組織再編に則り、
安房宗孝一家初代が、霞乃一家四代目を吸収する形での継承式典で有った。
侠義上、跡目は霞乃一門の執行部本役が継承するのが筋では有る。
だが、3月28日に肝臓癌で病没した霞乃一家四代目、藤岡 太地は、
資産整理を処しても、梅地 芳雅から借受けた14億の詰めを残していた。
それは半ば、宗孝 壮明率いる安房宗孝一家初代に、
霞乃一家を乗っ取らせたに等しい五代目継承で有った。
又、宗孝 壮明が三代目俠仁会風紀委員長を務めていた経緯から、
七代目笹川組や五代目嶺北会を始め、親戚に当たる、
東日本一帯の的屋一門からも、多くの来賓者が駆け付けた。
千葉県東金市と云う土地柄、霞乃一家四代目本部も、
広々とした敷地内に本部事務所を構え、
緑園に彩られた木造の本部事務所は、武家屋敷をも彷彿とさせた。

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だが、来賓者の中に五代目嶺北会,弥次郎十六代目総長、三崎 誠造と、
鉾田初代総長代行、鉾田 常州男らの姿は無かった。
同時に先達ての弥次郎十六代目と淀橋一家八代目のも有り、
広々と開け放たれた正門両脇の門塀には、
組織犯罪対策五課の機動隊、20人程が物々しく張り付いていた。
更に別の20人は、霞乃一家四代目筆頭総長補佐、
唐嶋 平三霊代の許可を得て、敷地内にまで警陣を構えた。
その警陣も、正門から本部事務所の玄関へ到る正道を、
両脇から挟み込む形で、約2mの間を置き、
一人ずつ配置されると云う物だった。
それで有りながら、正門左奥に設けられていた義理の要、お布施場付近には、
1人も機動隊員は配置されぬと云う不自然さが有った。
正門前では四課の刑事班に依り、ボディーチェックも行われていた。
そして高橋総業会長、高橋 玲人、理事長補佐の笠井 輝秋、小西 仁が来賓する。
その際、ボディーチェックを行っていた刑事班へ、刑事班長が指示を飛ばした。
そして指示場への帰り際に、刑事班長が笠井、小西をボディーチェックする。
すると何事も無かったかの様に、両名は霞乃一家本部の敷地内へ入場した。





そして霞乃五代目継承式典が盛大に幕を閉じると、
三代目俠仁会執行部本役の面々も、お布施場付近で歩を止めていた。
その時だった、、
突如、高橋総業会長、高橋 玲人と共に来賓していた小西 仁が、
事前に訓練した射殺術を駆使し、
三代目俠仁会江角一家十三代目、名村 満の下腹部に2発のを発砲する。
発射反動の付いたは、二発とも名村 満の腹部に命中した。
そして笠井 輝秋も、ほぼ同時に道具を構えた。
だが、その瞬間、名村 満の守り番として同行していた黒澤組々長、
黒澤 穣次の筋骨逞しい肉体に体当たりされ、笠井は横に弾き飛ばされる。
しかしその瞬間、既に笠井は一発のを発砲していた。
そしてを逸れたは運悪く、突如の喧騒に振り向いた、
三代目俠仁会事務局長、城崎 玄の右側頭部へ命中してしまう。
城崎は足が折れつつ、正座姿に成ると、
そのまま前倒りに伏せ込んだ。
だがその時、守り番に抱えられた江角一家十三代目、
名村 満の横に一人の侠が立っていた。
侠は笠井の無機質な殺気と銃口が、
一瞬、自身に向いていた事を見逃さなかった。
そして侠は一瞬、伏せ込んだ城崎の前に放心状態で立ち尽くす、
執行部本役の侠を、無表情な眼光で見詰めた。
一方で名村に向けて二発のを放った小西は、
その場で機動隊員に依って身柄確保される。
だが、周囲にいる三代目俠仁会の侠達は、突如の修羅場に怒号を上げつつ、
機動隊員に囲まれた小西に詰め寄ろうとしていた。
そしてほぼ同時に、見届人を務めた三代目俠仁会理事長、
梅地 芳雅が「警察に迷惑掛けるな!堪えろ!」と場に向けて一喝した。
合わせる様に、梅地の隣に立つ五代目嶺北会々長、大田 政志を、
五代目嶺北会々長代行、瀬戸 郷士を筆頭とする6人の守り番が囲い込んだ。
だが、梅地の一喝は、突如の喧騒に我心を失くした侠達には届かなかった。
その一方で三代目俠仁会事務局長、城崎 玄にを打ち込んだ笠井 輝秋は、
追っ手を遮るかの様に、正道を挟み込む機動隊員に依り、不可解な逃亡を遂げる。
更に正門右側には高橋総業会長、高橋 玲人のレクサスLSが止められていた。
そして笠井は勢い良く高橋のレクサスに飛び乗ると、
機動隊員に依って制止される侠達からも逃亡を遂げる。
一方で、腹部に二発のを受けた名村 満は、
意識不明の状態で、東金市民病院に救急搬送された。
だが、右側頭部へを受けた城崎 玄は、ほぼ即死状態で有った。
現場は尚も侠達と機動隊員に依る喧騒が収まらず、
笠井を弾き飛ばした江角一家十三代目,黒澤組々長、黒澤 穣次を初め、
数人が公務執行妨害で逮捕される。
同時に侠達から引き離されていた弥次郎十六代目,高橋総業会長、
高橋 玲人も任意同行される。
その姿を見届けた刑事部長、相馬 正夫は、
で怒鳴り合う侠達に「おのれら、はよ、帰れらんかい!」と一喝した。
そして霞乃一家四代目本部から、機動隊員に先導された七代目笹川組や、
三代目俠仁会の侠達も、次々に帰路へ着いて行った。
そして侠達は、其々の事務所からの報告で、
拝島一家初代、城崎 玄に続き、江角一家十三代目、名村 満が死亡した事を告げられる。
現場は侠達が孕む、猜疑の瘴気だけが残像の様に立ち込めていた。
1998年8月10日、此処に三代目俠仁会組織対策委員長、名村 満と、
三代目俠仁会事務局長、城崎 玄の両者が射殺される。




第12章 波紋

その頃、五代目嶺北会,弥次郎十六代目本部に詰めていた三崎 誠造は、
副理事長、宮坂 定夫らと応接間で雑談していた。
其処へ霞乃五代目継承式典に祝座していた、
五代目嶺北会貝ノ内七代目、鍛冶 末松から携帯が入る。
   三崎総長!鍛冶です!
  高橋のモンが俠仁の名村と城崎をハジきました!
  城崎は頭に食らって、息しとらんかったそうです。
  名村も(心臓)マッサージされとりましたから、もうんどるでしょう。
  ハジいた若いモンも、(身)ガラ押さえられとります。
弥次郎十六代目、三崎 誠造は、鍛冶の一報を聴き届けると、
怒気と猜疑が入り乱れた形相で、携帯越しの鍛冶に声を荒げた。
  、、クソ野郎が!ハメられた!
  ワシは本部におるから、解かった事有ったら何でも知らせろ!
三崎は一方的に携帯を切ると、空かさず溢れる怒気の儘に、
弥次郎十六代目理事長、伊織 房心に携帯を飛ばした。
   ワシだ。
  聴いてると思うが、
  高橋のモンが俠仁の名村と城崎をハジきやがった。
  ハジいた若衆もガラ押さえられとるから、もう知らぬ存ぜぬは通せん。
  誰が高橋走らしたかは知らんが、下(執行部)のモン集めろ!
  (返しが怖くて)ツラ出せん腰抜けは破門だ!
  これだけは釘ささな行かんぞ!
  ああ、(返しが来るから)待機も出しとけや、いいな!
伊織へ指示を飛ばした三崎の心中は、猜疑心で煮えたぎっていた。
  誰が名村をれ言った!
  が違っとるだろう!
  城崎もだと?
  ワシら、ハメる為に、何者ぞが高橋走らせたんに決まっとる。
  太田か?おのれ、、許さんぞ!
三崎は私恚に流されるが儘に唯、敵愾心を募らせる者へ
想いを廻らせるだけだった。
一方でその頃、五代目嶺北会々長、太田 政志を後部座席に乗せたセンチュリーは、
既に京葉高速に入り、嶺北会総本部の有る船橋に向けて走行していた。
そして太田は堪え切れぬ形相で、弥次郎十六代目本部へ携帯を飛ばす。
太田からの携帯を受けた弥次郎十六代目本部長、島崎 栃男は、
冷静さを装いつつ、三崎に太田からの連絡を告げた。
すると三崎も溢れ出す怒気を抑えつつ、洋風装飾が施された内線電話から、
受話器を引き千切る様に手にした。
そして怒気に震える手で受話器を握り絞めつつ、
三崎は太田からの指示を受けた。
  太田だ。
  分かってるな?
  が割れるまで、謹慎していろ。
三崎は太田の指示を聢と受け止めると、
慙愧に耐えぬ口調で太田に答えた。
  、、何を言っても言い訳にしか成らん事は分かっとります。
  ですが、ワシには何がどうなっとんのか解からんのです。
  ワシに非が有る云うなら、どうぞ、絶縁にでも何にでもして下され。
太田は三崎の覚悟の座った気概を読むと、
声を和らげつつ、芝居染みた口調で諭した。
  三崎な、、その辺は私が上手くやる。
  私にも想う所が有ってな、、
  いいな?が割れるまで、お前は寝てろ(勝手に動くな)。
三崎は太田の心中を察すると、三崎も芝居掛かった口調で潔く挨拶した。
  会長に迷惑を掛けてしまい、私も慙愧に耐えぬ想いです。
  では、宜しくお願い致します。
三崎は受話器を内線電話に置くと、安堵とも猜疑とも付かぬ、
複雑な心境の裡で呟いていた。
  太田は絡んどらんか、、
  まあ、洗えば割れるモンは割れるんじゃ。
  何処の馬鹿垂れだが知らんが、待っとれ、その首、必ず血の池に沈めたる。
  どの道、他所の本役、二人もっちまったら、
  どう転んでも絶縁は免れん。
  (笹川組若頭補佐の)緒方の兄弟も頼れんだろう、、
  だがな、が割れるまで、弥次郎は一本(独鈷)に成っても踏ん張ったる。
そして約2時間後、弥次郎十六代目理事長、伊織 房心が飛ばした緊急招集に依り、
既に執行部一統は本部事務所に入っていた。
そして弥次郎一門の今後を睨み、様々な念を心中に秘めつつ、
一統は応接間のソファーに黙座していた。
同時に三代目俠仁会江角一家十三代目、名村 満と、
拝島一家初代、城崎 玄のが伝えられると、場は一層の緊迫感に包まれる。
  
  



一方で現場から逃げ遂せた笠井 輝秋は、右手の中指、薬指に呪縛したかの様に外れぬ、
45口径のガバメントを握り閉めつつ、レクサスで逃走していた。
だが、北陸地方に潜伏する為、既に京葉高速を抜けて首都高速環状線に入り、
混み合う車線を、苛立ちに任せて車線変更を繰す笠井は、
その心中に不可解な痼りを残していた。
   それにしても妙だったな、、
  あれじゃ、スケ張り連中が俺を逃がしてくれた様なモンだ。
  まあ、下っ端の俺達には、お偉いさんの考える事なんぞ、
  知った事じゃねえけどな、、
   的は外しちまったが、あの爺さんはった筈だ。
  弥次郎として答えは出したんだから、後は逃げろ、逃げろだ。
だが、仕事の後に訪れる、冷めゆく高揚感に抗う笠井の感気は、
レクサスを付ける一台の作業用ワゴンを見落としていた。
そして環状線から外環自動車道に抜け、
右手から外れぬ道具を未だに握り締めた笠井のレクサスは、
関越自動車道、三芳パーキングの大駐車場南隅に停車した。
笠井は左手で、硬直した右手の中指、薬指から、
道具を引き裂くかの様に、勢い良く引き離す。
そして経験の無い喉渇きに翻弄された笠井は、
周囲の確認もせずに車外へと降りた。
そしてパーキング休憩所へと足早に歩を進めていた、その時だった。
前方から歩いて来ていた土方姿の侠が、
擦れ違い様に、笠井の下腹部へ2発のパンチを入れた。
更にたじろぐ笠井を、もう一人の屈強な侠が、
左横に停車していたブラインド仕様の作業用ワゴンへ勢い良く押し込む。
そして笠井を連れ込んだ作業用ワゴンは、
何事も無かったかの様に、三好パーキングを後にした。

 



その頃、三代目俠仁会も会長、石田 六郎の激で、
緊急執行部会を召集していた。
本部当番に就いていた若い者は、盗聴カウンターを其々の手に、
緊急執行部会が開かれる六階の大広間から
七階の会長室、応接間、特別当番詰所、
そして五階の当番詰所の隅々まで、盗聴機の有無を確認して回った。
同時に呼び出した東日本電力の作業員に依り、
大通り沿いに立つ大和町第二ビル付近の電柱へ、
傍受機具の有無をも確認させていた。
三代目俠仁会本部は最高度の厳戒態勢を敷いていた。

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そして約1時間半後、岩手県花巻市に本部を構える、
奥州萬寿一家七代目、及川 峡吾を最後に、
大広間にて執行部一統が顔を揃える。
二列に分けられた長大なテーブル群を挟み、
向かい合う形で黙座する執行部一統は、
其々の念を腹に据え、やや俯き加減で半眼の眼差しを守っていた。
そして三代目俠仁会々長、石田 六郎と共に、
舞台下の番座に座する理事長、梅地 芳雅は、出席者から一人一人点呼を取った。
点呼を終えると、梅地は隣に黙座する石田 六郎に顔を向け、僅かに頭を下げる。
そして三代目俠仁会々長、石田 六郎が厳粛な面持ちで沈黙を破った。
    皆はもう知っていると思うが、城崎に続き、名村も息を引き取った。
  城崎は二十余年に渡り、我が俠仁の根幹たる執行部に労を費やし、
  名村も又、俠仁の為、政界、財界を奔走し、
  俠仁の確固たる土台を作り上げた功労者だ。
  此処で俠仁の功労者たる両名へ、一分間の黙祷を捧げる。
  一同、黙祷!
だが、黙祷時に有っても、其々が孕む猜疑心は
その黙眼を僅かに開かせ、横目で各々互いに目を配らせていた。
黙祷が終わると、続いて理事長、梅地 芳雅が
半眼でやや顔を俯かせつつ、畏まった口調で告げた。
  今回の忌々しき諸事は、俠仁の足元を
  ぐら付かせたかも知れません。
  ですが、この慙愧に耐えぬ逆風が、
  必ずや俠仁に、一層の断固たる結束を齎す事を、私は確信しています。
  そこで、、
その時、淀橋一家八代目、田川 昌生が、顔を俯かせた儘、梅地の口上を割った。
    梅地理事長、、私も感じましたが、出席した者からの報告で、
  に妙な動きが有ったと云う報告を受けとります。
  率直に伺いますが、あなたは今回の一件をどう思われますか?
梅地は流麗な口捌きで、田川の疑問を受け流した。
  その件は私も聴いています。
  既に私も下(白川一家)へ、を調べる様にと指示しました。
  ですから答えが出るまで、田川渉外長、今はその時を待つ他無いのです。
梅地に合わせるかの様に親分、名村 満を的取りされた、
江角一家十三代目理事長、都島 光章も口開いた。
  親分が没故され、私も無念に絶えぬ想いです。
  ですが、梅地理事長の仰られる通り、
  この場は俠仁の今後の為、建設的な議事をすべきです。
  私も私成りに下へ、の洗いを指示したのですから、
  田川渉外長、その様な疑念は後日、改めてお願いします。
田川はその瞬間、俯かせた顔を上げ、都島を問い質した。
  ん?都島、お前、おかしな事言うな?
  ワシは疑念など持っとらんぞ。
  唯、理事長の意見を仰いだまでだが、、
  まあいい、ワシに意見したお前の度胸に免じて、
  何も聴かなかった事にしてやる。
田川 昌生は、再び顔を俯かせて沈黙を守った。
その心中を察した執行部役付らも、
東金のに様々な憶測を廻らせていた。
そして立ち込める空気を読んだ会長、石田 六郎が再び口開いた。
  三月の定例会合で告げた通り、ワシは今年中にも引退する積もりだが、
  この様な現状では、引くに引けん。
  皆、割れぬ腹が有るだろうが、
  ここは俠仁の為、堪える部分は堪えて、
  皆が結束出来る道だけを模索して欲しい。
三代目俠仁会々長、石田 六郎の言に依り、
場に立ち込める空気が僅かに鎮静した。
石田 六郎は、昔気質な侠客肌の代紋頭で有り、
侠仁会々長に有りながらも、既に執行部の実権を
理事長、梅地 芳雅を筆頭とする執行部本役に委ねていた。
その気質は、常に潔い姿勢を堅持し、非は黙して受け入れる一方で、
是は有れど、相手を追い込まずに諭しながら場を収めると云う、
繊細な思慮に長けた代紋頭でも有った。
それだけに平成のヤクザ社会が孕む、
弱肉強食主義に毒された一部の執行部役付からは、
その資質を疑問視されていた。
平成元年に、俠仁会三代目を継承した石田 六郎が
引退を表明したのも、そんな時節代わりを遂げた
三代目俠仁会執行部を察しての事だった。
そして議題は、没故した組織対策委員長、名村 満と、
事務局長、城崎 玄の葬儀様式に関する議題へと移行して行った。




同日午後5時過ぎ
総長、名村 満を的取りされた江角一家十三代目も、
緊急執行部会を召集した。
だが、江角一家十三代目の緊急執行部会では、
其々が秘める打算に依り、誰もが別々の方向へ心中を廻らせていた。
三代目俠仁会,江角一家十三代目総長代行、澤尻 江之助は、
そんな淀んだ空気を察すると、重々しい口振りで一統の意見を仰いだ。
   みんな着いたな?
   、、皆にも想う所、多々有るだろうが、
   親分が没故された故に唯、親分の為、
  江角の為、高所に立った見地から意見を述べて貰いたい。
すると江角一門では珍しい武闘派、鳳旭(ほうきょく)会二代目率いる、
江角一家十三代目,幹事長補佐、砺波 宍道が口開いた。
  白川(一家)と共に、俠仁の稼ぎ頭たる、内の立場は解かってますが、
  親分取られて、何もしなかったら、
   私ら増々、他所から舐められる事は目に見えとります。
総長代行、澤尻 江之助は、何処か含みを持たせる口調で、砺波の申し出に答えた。
   親分の喪に服す時分、荒事は今は堪えろ。
  今は耐え忍び、唯、明日の江角の為、
  最善の策を打つ事だけに想いを廻らせて欲しい。
  内はこれからも、内成りのやり方で通す事は変わらんのだからな、、
すると運営委員長、修善 正義(しゅぜん まさよし)が、
その眼光に僅かな殺気を認めつつ背筋を伸ばした。
だが、応接間に黙座する執行部役付の殆どは、
名村に代わり、巨額の抜けが約束された
政財界向けの会員制高級売春クラブ、K.S ANGELや
大手ゼネコン、豊島建設の抱き込みを誰が仕切るのか?
誰が政財界や警察機関との総仲介を引き継ぐのか?と云う、
利己的な打算に想い廻らすだけだった。
其処に故人を偲ぶ心境など皆無だった。
だが、そんな堕落しつつ有る執行部役付らを鑑み、
幹事長補佐、砺波 宍道は、亡き名村への清濁語り尽くせぬ、
胸懐の中で、名村 満の没故を偲んでいた。




同日午後7時
三代目俠仁会は、最高幹部たる執行部本役を一度に2人も的取りされると云う
忌々しき事態に到ったが、「没故者の喪に服す」と云う名目で
午後7時、弥次郎十六代目に対する返しを禁ずる通達を飛ばす。
だが、渡世の親を的取りされた拝島一家初代、江角一家十三代目には届かぬ通達で有った。
そして拝島一家初代では八王子貸元、良成 弘三率いる中野山王七代目、
福生事務所、向統会四代目、常永会三代目、
更には江角一家十三代目鳳旭会二代目に依り、
千葉、埼玉、山梨県内の弥次郎十六代目傘下5ヶ所にが打ち込まれた。
その過程で山梨県韮崎市に本部を構える弥次郎十六代目岩窪組九代目若頭、
尾賀 潤が、拝島一家初代甲府貸元,常永会三代目傘下に銃撃され重症を負う。
常永会三代目と弥次郎十六代目岩窪組九代目は、
富士川河川事業の食い込みを廻り、日頃から散発的な抗争が絶えなかった。
その一方で当事では無い、淀橋一家八代目田川組二代目に依り、
千葉県袖ヶ浦市に本部を構える弥次郎十六代目中核傘下、
大倉組六代目本部の駐車場入口に硫酸ピッチ入りのドラム缶二つが置かれる。
これを受けた三代目俠仁会執行部は翌11日午前9時、
「執行部の決定事項に反する者は、その親も含め、厳罰に処す」と云う通達を再度飛ばす。
これに依り、弥次郎十六代目に対する返しは一旦は鎮静化した。





8月17日午前10時
台東区浅草の延宝寺輪廻殿にて、
名村 満と城崎 玄の俠仁会合同会葬が慎やかに執り行われた。
合同会葬には五代目嶺北会々長、太田 政志や
七代目笹川組筆頭若頭補佐、武藤 傑を始め、
東京都墨田区に本部を構える三代目藤川会総師、水嶋 巧蔵ら大御所も多数参列した。

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だが、延宝寺輪廻殿周辺の路上には、
突刃者の襲撃に警戒する、組織犯罪対策五課の機動班が多数張り付いていた。
同時に延宝寺輪廻殿の正門を挟み込む布陣で、約20mの距離を取り、
2台の機動隊車両が通りの片側を塞いでいた。
その警戒振りは警察官僚菅野井派に連なる、警視庁公安部三課に、
三代目俠仁会の右翼団体構成員に関する、
匿名の情報が入っていた事に端を発していた。
そんな中、正門脇で腕を伸ばして警戒する、
三代目俠仁会文権治一家九代目常任理事、嗚潟 克己の元に、
組織犯罪対策四課の刑事班長、谷淵 了が詰め寄りつつ耳打ちした。
   嗚潟、お前らも知ってると思うが、
   何処ぞの憂国崩れが、執行部の者を
 狙いに来る云うネタが入っとる。
 事の流れはお前らの方が詳しい筈だ。
   憂国なら葬儀狙っても、御法度から外れる云う理屈だろうが、
 ワシらが潰したるから、お前らも気入れな行かんぞ。
   他の参列者にも言っとけ、いいな?
そして軽く会釈する文権治一家九代目常任理事、嗚潟 克己を尻目に、
刑事班長、谷淵 了は機動隊車両の方へ足早に去って行った。
だが、この件は事前に義理回状を飛ばした各代紋にも伝えられ、
その上で参列の是非を各代紋に委ねていた。
結局、参列を自粛した代紋は有らず、それ所か義理回状を飛ばさぬ、
岡山県倉敷市に本部を構える五代目極峰會、助浦 吾一、
札幌市に本部を構える札幌藤川会、椎田 真人らも参列した。
そして午前10時、輪廻殿にて合同会葬が催される。
場内では任侠演歌で知られる小島 五郎の「北寒の血潮」が控えめに流れる中、
各来賓者が名村 満と、城崎 玄の遺影が掲げられた大祭壇に焼香した。
そして淀橋一家八代目、田川 昌生の焼香が終わると、
最後に三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅が焼香する。
梅地は俯き加減で「今後の我々を見ていて下さい」と小声で囁いた。
来賓者の焼香が終わると、大祭壇前に七代目笹川組筆頭若頭補佐、武藤 傑が立った。
そして関係筋代表として弔辞を述べる。
続いて三代目俠仁会々長、石田 六郎が大祭壇前に立ち、
俠仁会を代表して粛々と弔辞を述べた。
そして石田 六郎の弔辞を締めとして、合同会葬は幕を閉じた。
結局、この日の三代目俠仁会合同会葬に、突刃者が現れる事は無かった。
だが翌17日、七代目笹川組若頭、兼崎 増代の分名に依り、
総本部に無断で合同会葬の場で弔辞を述べた、
七代目笹川組筆頭若頭補佐、武藤 傑に謹慎処分が下される。
傘下約4700人を預かる七代目笹川組最大傘下、武藤組率いる武藤 傑は、
若き時分、大阪市大淀区に本部を構えた三代目梓聨合にて、
名村 満と共に同じ釜の飯を食った仲で有った。
そしてこの事態を鑑みた、淀橋一家八代目、田川 昌生は急遽、
京都市の七代目笹川組総本部に、謹慎に服す、
武藤組々長、武藤 傑との面会を申し入れる。
そして七代目笹川組々長、浪内 斎三と若頭、兼崎 増代は田川の申し出を承諾した。
翌8月18日午後1時、田川 昌生は淀橋一家八代目理事長、新條 清忠と、
江角一家十三代目理事長、都島 光章を同伴し、
大阪市福島区の武藤組本家を訪問する。
そして応接間に招かれた田川 昌生は、
何処か遠くを見詰める様な眼差しで、謹慎に服す武藤 傑を労った。
    今回はこの様な事に成りました事、我々も心外ですが、
  名村も武藤さんの弔辞を喜んどりました。
  私もこの渡世の門を叩いて五十余年に成りますが、
  若き時分、共に修行に励んだ仲間の事は忘れん物です。
  梓聨合の件も名村対策長から聴かせて頂きました。
    名村は梓聨合が(笹川組)飯山会の元に収まった(吸収された)後、
  東京に渡世の道を見出しましたが、
  武藤さんは敢えて飯山会に残り、三十余年を経た今日、
  一家一城の主に昇り詰められた軌跡は、
  筆舌に尽くし難い苦難の道で有った事と思われます。
   これに併せ鑑み、今般、武藤さんの立場をも越える侠の矜持、
  聢と拝見させて頂きました。
  これを以ち、私は俠仁会を代表し、新ためて感謝の意を申し上げる所存です。
田川 昌生の労いには、同時に武藤組を筆頭とする、
笹川組反主流派との連携を武藤組々長、武藤 傑に再確認させる狙いも有った。
だが、武藤 傑は何も語らず、田川の真摯な佇まいを前に、
唯、田川と自身の軌跡に想い廻らせながら、
薄い笑みを携えつつ小さく頷き続けるだけだった。
一方で丁度その頃、三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅は、
白川一家十二代目理事長、三枝 朋良を同伴して、
京都市伏見区の七代目笹川組総本部を訪問していた。
そして応接間にて、勝気にソファーに深々ともたれる、
七代目笹川組若頭、兼崎 増代に対し、
武藤 傑の弔辞を三代目俠仁会の至らなさが招いた失態として侘びを入れた。
だが、梅地の侘びを七代目笹川組若頭、兼崎 増代は、
嘲笑う様な口振りで受け流した。
    いや、それ程の大事には有らんのです。
  ワシらとしましては、総本部に何の断りも無く、
    名村さんと城崎さんの葬事で、弔辞を述べた事を問題にしとったのです。
    (俠仁会葬に)要らん水差したのは、ワシらなんですが、、
    (周りの執行部役付らに顔を向けて)
  いや、何でワシら侘び入れられな、行かんのかいのう?
  ほんじゃ、こっちも東京に詫び入れに行かな、あかんがな。
兼崎の受け流しに、居合わせた執行部役付らも失笑を隠さなかった。
企業化に突き進む東京のヤクザ業界とは違い、
西日本の極道社会には、未だ侠義の筋道を重んずる気風が根深く残っていた。
その筋道を踏み外した者は、容赦なく蔑視するのが極道社会の気風でも有った。
そんな気風を計り切れなかった梅地は、苦々しい愛想笑いを浮かべつつ、
白川一家十二代目理事長、三枝 朋良と共に七代目笹川組総本部を後にした。
そして約6時間後、梅地の失態は、
淀橋一家八代目本部に着いた田川 昌生にも伝えらえた。
総長室にて、その報を受けた田川は鋭い恚激を滾らせ、即座に梅地へ携帯を飛ばした。
   梅地理事長、、他所の者が会葬に出て処分されて、
   何で俠仁が侘びな行かんのです?
  、、あんた、ワシを目の上のタンコブみたいに思っとる事は分かっとりますが、
  タンコブ叩きたければ、寄合で叩けば良いんです。
   梅地理事長、あんたは兼崎らの前でワシら所か、
  俠仁の恥を晒した事、、その事だけは忘れんで下さい。
   気に入らんなら、破門でも獄門でも何にでもして下され。
  ワシも淀橋の八代目取って、はや19年、明日にでも跡目譲れる猛者も育ち、
  もう十分に渡世の花道を謳歌しましたからのう。
携帯口の梅地は、飽くまでも平静さを装つつ、
田川に辿々しい弁明を説いたものの、田川は一方的に携帯を切った。
そしてこの三代目俠仁会の外交騒動は、即座に関東のヤクザ社会に伝わり、
多くの侠が「梅地の下手打ち」と梅地 芳雅を揶揄した一方で、
田川 昌生を「石頭は損を買う」と嘲笑う者も少なく無かった。




8月23日
東京都葛飾区内の東西線荒川鉄橋下から、
資材廃棄用の黒ビニールに包まれた射殺体が発見される。
そして8月25日、DNA鑑定からその射殺体が、
霞乃五代目継承式典で三代目俠仁会事務局長、城崎 玄を射殺した、
高橋総業理事長補佐、笠井 輝秋の物と断定される。
同時にビニールに付着していた、汗と思われる体液から、
三代目俠仁会串ノ屋一家九代目,磯原会二代目若頭補佐、
戸坂 充雄のDNAも検出される。
同日夜、警視庁組織犯罪総務課は、戸坂 充雄に
金融商品取引法違反容疑の別件で、全国指名手配を下す。
そして27日午前10時、匿名の情報提供を元に、
警視庁組織犯罪対策総務課、四課は、
詐欺容疑で杉並区阿佐ヶ谷の串ノ屋一家九代目本部を家宅捜索する。
その結果、九代目総長、甲村 嵩牡が締めていた
大規模取り込み詐欺組織の存在が浮上する。
そして同日午後6時、三代目俠仁会執行部は理事長、梅地 芳雅の分名で、
串ノ屋一家九代目、甲村 嵩牡を破門に処すと云う旨を全傘下一門に通達した。
だが、詐欺容疑を理由として下された突如の破門処分に、
多くの傘下は不可解な気配を感じていた。
梅地 芳雅と串ノ屋一家九代目、甲村 嵩牡は、
若き時分、共に渡世入りした盟友で有り、
同時に梅地 芳雅唯一たる五厘下りの舎弟分で有った。
そして僅か四日後の8月31日、三代目俠仁会執行部は、
串ノ屋一家十代目を若頭、河野 清治が継承する旨を通達した。
この一連の流れから、三代目俠仁会の代紋に生きる侠らは、有る憶測を廻らせ始めていた。




9月10日
淀橋一家八代目本部で定例執行部会が催される。
田川は大理石製の議事台を挟み、向かい合う執行部一統を前に
場を支配するかの様な面持ちで、左から右に向けて睨みを利かせた。
だが、議事台を挟んで向かい合う執行部一統も、幾許の動揺すら見せなかった。
そして田川は、議事台左側の筆頭席に理事長、新條 清忠を据え置き、
場の空気を察しつつ口開いた。
  揃ったな?
    今日はお前らに重大な事伝えな成らん。
  東金の件から、この方、妙な流れが出来とってな、、
  この流れを断ずる為、ワシも一つの決断を下した云う事だ。
  ワシは引退する。
  跡目は新條だ。
  今の淀橋に新條を越える者などおらんだろう?
  (場を左から右に睨み付けながら)異論は無いな?
  腹に含む物有るんなら、何でも言って良いんじゃ。
すると、即座に淀橋一家八代目,守田睦二代目会長、
金森 龍嘉が「異議なし!」と抜けの良い声を上げた。
続く様に、淀橋一家八代目,田川組二代目組長、
大胡 行久も「意義なし!」と同様に声を上げる。
そして僅かな沈黙を保ち、武守連合初代、武守 一力の「意義有りません」と云う
抜けの座った声が響くと、忽ち応接間に「意義なし」の声が、重なり合う様に木霊した。
田川 昌生は応接間に立ち込める気概を悟ると、土臭くも柔らかい口調で告げた。
    満場一致で良いんだな?
  武守よ、、お前が鍛え上げた新條だ。
  まだ到らん部分も有るが、新條を支えてやってくれ。
  式典の日取りは来月10日で話を通しとるが、
  ワシの引退後の人事は新條に一任する。
  じゃ、場を新條に譲るぞ。
そして田川 昌生は潔さを滲ませる気概で、
勢い良く番席を立つと、総長付らと共に総長室へ戻って行った。
新條はその田川 昌生の様を、僅かに頭を下げた姿勢で見届けた。
そして席を立つと番席に向け、20度の角度で静かに頭を下げた。
そしてその儘、半眼に定まった厳粛な面持ちを覗かせつつ番席に鎮座した。
その後は新條が執行部本役の意見を聴く形で、
跡目継承式典の媒酌人など、式典の場を盛る人選に議題を進めた。
その一方で三代目侠仁会の武闘派筆頭格と黙される淀橋一門は、
水面下で自らの役割を果たそうとしていた。




第11章 素顔

9月30日
三代目俠仁会江角一家十三代目は、
幕末の一家名乗り以来、140年余りに渡る歴史を持つ。
安政二年(1855年)に発生した安政江戸地震の際、
城下の警備を自ら買った落武者、江角 丹助率いる、
江角警備隊が発展した老舗名門一門で有る。
進出範囲は都内に偏っていたものの、
主に関東地方や中部地方に勢力を張り、傘下約700人を抱えていた。
本部事務所は新宿区早稲田に構える。
仕事では名村 満が締めていた政財界御用達の会員制高級売春クラブ、K.S ANGELを筆頭に、
理事長、都島 光章が締める大手、順大手ゼネコン向けのコンサルタント会社、
共栄コンサルティングの経営、総長代行、澤尻 江之助が締める不動産整理事業、
そして其々の執行部本役、役付らが締める国内外の各種投機、
巨額投資のインサイダーなど、巨額の抜けを堅持した。
下は覚醒剤卸や助成金詐欺、中国人窃盗団への金庫売り、
繁華街からのカスリなど裏をも熟す。
白川一門同様に、上と下の格差が露呈していたものの、
年商700億以上とも囁かれる、三代目俠仁会屈指の金庫番で有る。
だが、名村 満の没後、江角一家十三代目は、
白川一家十二代目預かりの分に有った。
そんな渦中のこの日、千葉県佐原市の大型スーパー立体駐車場に、
一台の作業用ワゴンが停車していた。
車内には江角一家十三代目,神田興行会二代目、修善 正義と、
理事長補佐、犬山 虎児、そして幹事に役付いたばかりの紀野 輝明、
奥山 一生らが待機していた。
そして土方姿で自ら運転席に座る修善 正義は、
同様に土方姿で後部座席に座る3人へ、
渇き切った殺気を滲ませる口調で告げた。
   いいか?お前ら、これから人の消し方教えてやる。
  本当なら弥次郎の者を消すとこだが、
   先ずは鉾田からだ。
  その方が(江角一家理事長の)都島に取引が利くからな、、
  お前らは、ワシがの腹潰したら、
  荷台に詰め込んで、口に眠剤押し込めばいい。
  犬山、(紀野、奥山の)二人を逃がすなよ。
  それじゃ、行くぞ!
そしてブラインドガラスの入った作業用ワゴンが、
立体駐車場から勢い良く県道に降りる。
そして50kmの法定速度を守りながら、茨城県鉾田市へと向かった。
茨城県鉾田市は五代目嶺北会,鉾田初代が本部を構え、
獄中に有る総長、瀧澤 義満と総長代行、鉾田 常州男の出生地でも有る。

鉾田

同時に、鉾田市には鉾田初代幹事長補佐、末永 貴男率いる、
鉾田初代末永組も本部を構えていた。
そして修善らを乗せた作業用ワゴンは、県道沿いの末永組本部から、
約300m離れた賃貸駐車場に停車する。
バックミラーには、通り向かいのコンビニエンス・ストアーが映っていた。
そして修善 正義は、後部座席の犬山 虎児と運転席を代わり、
サイドドア側の後部座席に付いた。
すると、再び乾いた殺気を滲ませた口調で、
一同に最後の指示を飛ばす。
  一度しか言わんぞ。
  毎日、昼前に必ず、
  当番の若いモンが(先輩らの)煙草を溜め買いに来る。
   手順はさっき言った通りだ。
  紀野、お前に持たせたアイス(覚醒剤)のパケの様なブツはな、
  ロシア(陸軍)流れの液体眠剤だ。
  足手纏い(負傷兵)を安楽死させるブツでな、、
  飲ませれば一発で眠ってあの世行きだ。
  (眠剤を包む)オブラートもの唾で解けるから、
  喉へ押し込むだけでいいからな。
  ほんじゃ、お前ら、が来るまで土方に成っとれ。
そして約40分後、県道の側道からシルクグレーのアットリーニを着熟す、
末永組本部責任者、吉野 敏則が1人で姿を見せた。
修善はバックミラー越しの吉野を見詰め、胸躍らせる様に口開いた。
    ありゃ役付だな?
    その方がゴマカシが利くかも知れんな、、
  よし、お前ら、はあのガキだ。
吉野はコンビニ店内に入り、カウンターの店長と僅かな雑談を交わすと、
金は払わずに何かを受け取った。
そして店長に会釈しながら自動ドアを出ると、
再びガードレールの無い側道を、末永組本部の方向へと歩いて行った。
その様を見届けた修善は、無機質な殺気を帯びた口調で、
運転席の犬山に「出せ、、」と告げる。
そして犬山は静かにアクセルを踏み込み、県道へ出ると、
末永組本部へ戻る吉野を追った。
作業用ワゴンは吉野を追い抜いて50m程先の路肩で止まる。
そして筋骨逞しい修善は、3人に冗談めいたスマイルを飛ばすと、
車外へ降り、ワゴンのタイヤを点検し始めた。
そして末永組本部責任者、吉野 敏則がワゴン付近に歩いて来た瞬間、
修善は立ち上がり様に吉野の下腹部へ、
全腕間接を駆使した二発の鋭いパンチを入れた。
そして吉野が倒れ込むのを見計らう様に、神田興行会二代目幹事、
紀野 輝明、奥山 一生の両名が、勢い良くドアをスライドさせ、車外へと飛び出した。
そして紀野は、奥山が羽交い絞めにした吉野の口奥に、
拳に忍ばせたオブラートを、拳ごと捻じり込む。
紀野は吉野が昏倒した事を確認すると、胸ポケットから手拭いを取り出し、
吉野を羽交い絞めにする奥山の右手に掴ませた。
そして奥山は手拭いで吉野の口を塞ぎつつ、
吉野を羽交い絞めにしたまま、共にワゴンの荷台に乗り込む。
奥山は、昏睡した吉野の口を手拭いで塞ぎ続けた。
そして最後に修善もワゴンに飛び乗ると、
作業用ワゴンは、何事も無かったかの様に走り去った。





約2時間後、修善らが乗り込む作業用ワゴンは
資材廃棄様の黒ビニールに包まれた荷物を積み、
北関東方面に向けて県道を走っていた。
そして運転を犬山と交代した修善は、
胸ポケットから携帯を取り出すと、何処かへ連絡を飛ばした。
  社長さん?ワシだ。
  荷物が入ったから、また宜しく頼む。
  、、これで(貸し付けた)1600万チャラにしてやるんだから、
  構わん無いだろう?
   夕方にはそっち着くから、釜の仕度しといてくれ。
  、、ああ、1年365日点けっぱなしだったな、、
  じゃ、人払いも頼んだぞ。
修善は一方的に携帯を切ると、運転する神田興行会二代目,理事長補佐、
犬山 虎児に、群馬県新里村(現桐生市)に向かう事を告げる。
そして約1時間半後、修善らの作業用ワゴンは、
赤城山の裾野に構える、鉄鋼産廃の最終処分場に入った。
当たりは夕暮れが立ち込み、辺鄙な場所の最終処分場に人影は無かった。
犬山は、駐車場に入った作業用ワゴンを僅かに移動させ、
前方に見える事務所に向けてライトを点滅させる。
すると有限会社、あかぎクリーン・リサイクル社長、岩田 常吉が、
痩せ細った姿で事務所から急ぎ足で出て来た。
そして作業用ワゴンに向け、右手の溶鉱炉棟を指差しつつ軽く会釈していた。
その様を受け流すと、修善らは作業用ワゴンから降りた。
修善は荷台のドアをスライドさせると、
側に置いていたゴム手袋に右手を差し、荷物の状態を確認する。
傍らで佇む犬山、紀野ら3人も修善の作業を覗き込んだ。
そして修善は荷物の両手首から腕の付け根、
更には足首から両足の付け根に掛け、その硬さを確認しつつ、
犬山、紀野らに教える様に口開いた。
  秋口だから(気候で)もう乾いとると思ったが、
  まだ思ったより固まっとらんな、、
  昨日の台風で湿気が残っとるんかも知れん。
  もう少し乾かしてから火葬せんと2、3分長く燃さな行かん様になる。
  それだけ煙突に足(DNA)が残り易くなる訳だ。
そして死後硬直の状態を確認した修善は、
更に30分程度、荷物を乾かす事を犬山、紀野、奥山の3人に伝えた。





一方でその頃、鉾田初代末永組々長、末永 貴男は、
若い者を同伴し、土浦港の貸コンテナから戻ったばかりで有った。
そして留守を任せていた本部責任者、吉野 敏則の姿が見えない事に気付いた。
吉野の所在に気を揉んだ組長、末永 貴男は、
不機嫌な顔相に一変し、吉野と共に留守を任せていた
末永組事務局長、霧下 尚樹を問い質した。
  、、吉野は(コンビニチェーンの)回りか?どこで何しとる?
末永組事務局長、霧下 尚樹は何処か呆気に取られた心境で末永に答えた。
    用事で外に出てますが。
  親父、お言葉ですが、この世界で同輩に(仕事の)用を訊くのは御法度な筈です。
  私は何も訊いてないのです。
末永は更に不機嫌な顔相に変わり、強い口調で霧下を問い質した。
  お前、自分の立場が分かってないのか?
  吉野の野郎、俺の(500万の)詰めから逃げとるから、
  (吉野が)飛ばん様にお前付けとったんじゃぞ!
霧下は軽く弁明したが、末永は吉野に対する猜疑心に飲み込まれつつ、
その苛立ちを当たり散らすかの様に、霧下に絡み始めた。
  馬鹿垂れ!吉野の野郎、飛んだんに決まっとるが!
  出入りの頃と合わせて、これで二度目だぞ!
    大体、てめえが奴の(500万の)詰め待ってやれ、
  言ったから俺は待ったんだ。
  吉野が詰め(返済)蹴って、飛んだ(逃げた)云うんなら、
  お前が500万、詰めろや!
霧下は飽くまでも平常心を保ち、組長、末永 貴男に弁明した。
  親父、まだ飛んだと決まっとりませんが。
  それに私は待ってやれ、とは言ってませんよ。
  親父、自分の言った事、忘れられているのと違いますか?
末永は霧下の弁明を、更に激しい怒気で切り捨てた。
  おのれ、、誰に向かって物言っとるんじゃ!
  大体な、銭の貸し借り、忘れる馬鹿垂れが、
  この三千世界の何処におる!
  下らん事、抜かしとらんで、さっさと吉野連れ戻せや!
  戻せんかったら、お前、500万しょって破門だぞ!
  ボケっとしとらんで、はよ行けや、ほれ!
結局、鉾田初代末永組には、本部責任者、
吉野 敏則がわれた事に気付いた者はいなかった。
組長、末永 貴男も御多分に漏れず、
役付らに金を貸し付けては、役付らを好きな様に使っていた。
末永組では、そんな末永に嫌気が差した若頭、貫井 賢治と、
若頭補佐、島永 庄一が飛んだばかりで有った。
そして約1間後、修善らが吉野 敏則をった現場を目撃した
トラック運転手の通報を元に、鉾田西警察署の組対刑事らが末永組本部を訪れた。
そして三代目俠仁会傘下に依る返しと、末永らに依る逮捕監禁を視野に入れ、
事務所に詰めていた組長、末永 貴男以下4名が任意同行を求められたが、
吉野がわれた時間帯、末永らは土浦港の貸コンテナを覗いていた。
組対刑事から軽く任意同行の経緯を聴かされた末永は、その事に首を傾げた。
だが、貸コンテナで取引用の覚醒剤と道具の状態を確認していただけに、
アリバイ作りに困窮した末永は唯、押し黙るしか出来なかった。
結局、末永らは任意同行に応じ、捜査車両のワゴンで鉾田西警察署に向かう。
一方でその頃、末永から吉野の連れ戻しを念押しされた事務局長、霧下 尚樹は、
吉野を探すフリをしつつ、密かに愛人の経営するスナックで仮眠を取っていた。





その頃、江角一家十三代目神田興行会二代目、修善 正義は、
ワゴンの運転席に犬山 虎児を待機させ、紀野 輝明、奥山 一生と共に、
2m四方のトンネル型口形を開く、鉄材溶鉱炉を見詰めていた。
炉底には2000℃以上の溶解した鉄が溶岩の様に煮えたぎっていた。
そして修善は神田興行会二代目幹事、紀野 輝明、奥山 一生の両名に告げた。
   ほら、ボケっとしとらんで、早く仏さん、火葬したれ。
  ワシら、儒教に生きるモンなんだから、仏さん無碍にしたら行かん。
紀野、奥山の両名は、唖然とした心境で修善に目をやりつつ、軽く頭を下げた。
そして修善に指示された通り、2人は黒ビニールの両端を持ち上げると、
溶鉱炉から3m程の間合いを取る。
そして振り子の様な反動を付けて、勢い良く荷物を溶鉱炉に投げ込んだ。

釜

すると溶鉱炉内から「パシャシャーー」と云う異様な音と共に、
黒々しい煙が溢れ出す様に吹き出した。
修善は「ビニールも燃えとるから、成るべく空気吸うな」と告げつつ、
その空気から鼻を背ける様に、煙に掻き消された溶鉱炉に背を向けた。
そして足ポケットから、茶褐色の数珠を取り出し、
静かに目を瞑り、手を合わた。
そして紀野、奥山らも、修善を真似る様に
溶鉱炉に背を向けて手を合わせた。
約2分後、発火音が鎮まると、修善は目を瞑り、
手を合わせた姿勢の儘、再び紀野、奥山に静かな口調で語り掛けた。
  この(処分場の有る)赤城山ってのはな、
  昔、国定 忠治って云う侠客が身を伏せとった事で知られとる。
  群馬ってのは任侠発祥の地だからな、、
  親分取られて道具でカチ合う(抗争)のもええ。
  だがな、ワシらも任侠で通す稼業モンじゃ。
  ブッ放して街中でカチ合ったら、
  カタギさん巻き込む事も有るんじゃ。
  (関)西でそんなが有ったろう?
  だがな、こうしてを攫ってせば、街には音一つ鳴らん。
  足(証拠)も消せば事件にすら成らんわな。
  カタギさんにも迷惑掛けんで済む。
  お前らもいいか?仁侠ってモンは、
  こうやって通す事、忘れたら行かんぞ。
紀野と奥山は、平成のヤクザ社会に生けながら、
不思議と聴きなれぬ「仁侠」と云う言葉に首を傾げた。
同時に正論とも与太話とも付かぬ修善の教えにも、
酩酊する様な困惑を抱いていた。
溶鉱炉棟に暫しの異様な沈黙が流れる。
そして溶鉱炉に荷物を投げ込んだ約5分後、
修善は音の消えた溶鉱炉に身を返した。
紀野らも修善に習う様に身を返すと、修善が再び口開いた。
   ほれ、荷物、消えとるだろう?
   これで、5日もサツに嗅ぎ付かれなければ、
  煙突から足も消えるわな。
  ワシらが鉾田からケジメ取った事も、
  人の云うんが、勝手に広めてくれる物だ。
  今は、でハジいた殺人で25年は塀の中だが、
  荷物も足も消えりゃ、ワシらこれまで通り、
  酒だ女だ食らって人生楽しめる云う訳だ。
  一度しか無い人生じゃ。
  人生楽しまにゃ、仏も拝めん。
  解かるか?お前ら。
修善の話が鎮まると、紀野と奥山は更なる酩酊で、
昏倒する様な錯覚さえ憶えた。
そして堪らずに紀野が呆気を滲ませた顔相で口開いた。
   親父、私ら親父の言いたい事、解かってます。
  もう、何も言わんで下さい。
紀野の意見に神田興行会二代目、修善 正義は
僅かな苦笑い浮かべると、再び身を溶鉱炉に返し、
その心中で紀野らの佇みに想いを廻らせた。
  こいつら、自分が何をやったのか、まだ実感は湧いとらん。
  だが寝れば、(夢の中で)ワシが見た地獄、こいつらも見るんじゃ。
  3人目の時なんざ、間違って(本妻の)由利子を釜で焼いとった、、
  あの叫び声、死ぬまで忘れんだろうな、、
  お陰で外の女と寝れんように成っちまったくらいだ。
  (クラブで)少しでもいい女に色気出そうモンなら、その度にあの叫び声だ。
修善もこの2年前、同門の久良岐八代目幹事長、浜邊 博志を
始末するまでは、9人の愛人を飼う程の猛者で通っていた。
同時に執行部会合で場が重く成った際、妙な与太話を吹いては
場を和ませようとする癖も有った。
そしてこの時の経験を絡め、「人をって逃げ通せば刑は食らわんが、
3人目で心は(死刑を)食らう」と吹いた事も有った。





が済んだ修善 正義らは、溶鉱炉棟から事務所の有る駐車場へと出る。
そして修善は運転席に残した犬山と共に、
紀野、奥山にも作業用ワゴンで待つ事を指示する。
修善は「あかぎクリーン・リサイクル」と云う、
錆び掛かった看板が掲げられた事務所へ歩いて行った。
そして事務所のドアに着くと、インターホンを間隔良く4回鳴らす。
すると社長、岩田 常吉が事務所二階、社長室の窓から顔を出した。
そして修善へドアに鍵は掛かっていない事を伝えると、
事務所に入る様にと、ドアを指差しつつ手招きした。
事務所に入った修善は、薄汚れた応接間のソファーに深々と持たれ掛かった。
そして社長の岩田 常吉に、何処か冷徹な口調で指示した。
   社長さんな、領収書頼む。
  いや、俺が持って来た書面に指紋落とせば終いだ。
  それとコイツにも署名してくれ。
修善は足ポケットから四ッ折にした書面を取り出すと、
社長、岩田側に成る様にテーブル上へ置いた。
書面にはこの様な誓約文が刻まれていた。
  乙は甲の作業の一切を頭から消し、
  如何なる理由有れど、一切の他言をせぬ事を誓います。
  万が一、乙が誓約に反した場合、
  甲の白紙委任状に従う事を、ここに誓約致します。
文面を読んだ社長、岩田は何処か慣れた苦笑いを浮かべつつも、
やはり狼狽の顔相は隠せなかった。
そして岩田は赤い朱肉に親指を付け、誓約書に指紋を落とす。
修善はその様を見届けると、宥める様な気風で口開いた。
   これでお宅に貸付けとる1600万はチャラだ。
  今は鉄鋼産廃も(サツに)睨まれとってな、、
  社長さんが誓約を通しさえすれば、これっ切りのお別れって訳だ。
  じゃ、コイツ(白紙委任状)にも署名してくれ。
岩田 常吉は、ボールペンで白紙委任状に署名すると、修善に口先早く釈明した。
   修善さん、私がこの、人に話せる訳ないでしょう?
  これで5回目ですか?(人に言って)警察来たら、
  私まで死刑に成ってしまうじゃないですか?
修善は社長、岩田の面持ちに確信を得ると、
再び諭す様な口調で答えた。
   いや、これはワシらの世界のケジメでしてね、
   社長さんが漏らさない事くらい、ワシも解かっとります。
  漏らしても荷物は消えてんですから、
  せいぜい、聴取受けて、ワシも社長さんも証拠不十分って所でしょう?
   ですが、今は死体なき刑罰ってのも、十分に有り得ますから、
  社長さんも他言無用だけは心掛けて下さい。
  では、色々と世話に成りましたね、、
   お互い冥土の土産だけは大切にしましょうや。
修善は書類を手に持ちつつ、そう言い放つと、
事務所の階段を下りて、ワゴンが待つ駐車場へ戻って行った。
辺りは更なる夕闇に包まれ、ワゴンのヘッドライトだけが蛍の様に、
赤城の裾野を舞い降りて行った。




10月8日
修善らに本部責任者、吉野 敏則をわれた鉾田初代末永組々長、末永 貴男らは、
俠仁会抗争に絡み、任意同行された鉾田西警察署から千葉県警に移送されていた。
調べは昼夜を問わない過酷な辛酸さを極めた。
そしてついに極度の睡魔に屈した末永組幹事、冨野 保志が
司法取引に嵌められた結果、末永組々長、末永 貴男の指示に依り、
土浦港の貸コンテナで覚醒剤と拳銃を管理していた事を自白した。
その自白を元に千葉県警組織犯罪対策五課が
土浦港の貸コンテナを捜索した結果、
10月4日に成り、鉾田初代末永組々長、末永 貴男以下4名が
覚醒剤取締法違反容疑で逮捕され、
7日には同4名が銃刀法違反容疑で再逮捕された。
司法取引で末永らを売った末永組幹事、冨野 保志も県警に裏切られる形で再逮捕される。
これを受けた鉾田初代本部は翌10月8日、
9月27日付けで鉾田初代末永組々長、末永 貴男を破門とした。
一方で同日夜、末永らが任意同行された際、
愛人の経営するスナックで仮眠を取っていた末永組事務局長、霧下 尚樹と
組織委員長、若尾 虎が、鉾田初代総務委員長、楢川 常太郎から呼び出しを受ける。
そして鉾田初代本部にて鉾田 常州男も交え、
末永組事務局長、霧下 尚樹が末永組の地盤を継ぐ方向で話が進められる。
偶然の悪戯とは云え、「急がず間を置け」を信条とする
霧下 尚樹、此処に一本立ちの途に就く。





第10章 継承

10月22日、大安吉日
沈黙を保っていた淀橋一家八代目も躍動を期す。
この日、群馬県伊香保温泉の鈴屋旅館を貸し切る形で、
淀橋一家九代目継承式典が挙行された。
九代目を継承するのは当代、田川 昌生が指名した、
淀橋睦会二代目、新條 清忠で有る。
取持人は三代目俠仁会々長、石田 六朗が、
特別推薦人は三代目俠仁会,文権治一家十代目相談役、姫島 青五郎が務める。
媒酌人は福島県郡山市の老舗的屋一門、
伊勢野屋分家寺岡十代目、愛智 松広が勤め、
特別検分役は寺岡十代目庭貸総代、越 絵之助が勤める。
継承式典には三代目侠仁会の執行部本役を初め、五代目嶺北会や
七代目笹川組からも多くの執行部役付らが来賓した。
同時に静岡市の五代目遠将会や、仙台市の八代目田尻一家など、
三代目俠仁会とは親戚に当たる代紋からも多数の来賓者が訪れる。
式典場には来賓者らが醸し出す、何処か見え透いた義理気風が立ち込めていたものの、
返ってその気風が、淀橋一門の着座する割席に覚悟漲る威圧感を与えていた。
そして媒酌人、愛智 松広に依り、
伊勢野屋分家,寺岡流に則った媒酌祈祷が捧げられる。
その媒酌祈祷を前に、何処か黄昏に満ちた眼差しを覗かせる当代、田川 昌生と、
瞑想するかの面持ちを覗かせる新條 清忠が、対峙しつつ黙座していた。
そして媒酌人、愛智 松広に依る、継承口上が唱題されると、
田川 昌生と新條 清忠の間に特別検分役、越 絵之助が、
媒酌膳を繊細な手作で一度、又一度と小さく置き浮かせつつ、
厳粛な所作で当座に置いた。
だが、特別検分役の越 絵之助は、事前に新條からの申し立てに依り、
盃検分はせずに継承膳を媒酌人、愛智 松広に委ねた。
そして愛智 松五郎が、腹試しの口上を両者に捧げると、
当代、田川 昌生が、媒酌膳から盃を音を立てずに手にした。
そして東北の銘酒、葵草が八分目まで注がれた盃に、
静粛で有れど、何かを託すかの様な面持ちで口を付ける。
そして当代、田川 昌生は再び盃を媒酌膳へと静かに置いた。
すると媒酌人、愛智 松広は、盃が継承盃に相成ったと云う
口上を新條 清忠へ告げる。
そして新條 清忠は、変わらぬ瞑想するかの面持ちで、
口返しはせず、継承盃を一気に飲み干した。
その瞬間、新條 清忠は、愛智 松五郎の口上と共に、
晴れて淀橋一家当代と成る。
新條 清忠、若干53歳での淀橋一家九代目継承で有った。
そして羽織姿で背筋を伸ばす新條 清忠の姿を、
江角一家十三代目,鳳旭会二代目会長、砺波 宍道は聢と見定めつつ、
その心中で一つの決意を誓っていた。




第9章 決別

10月26日
だが、そんな侠道界の祝典を嘲笑うかの如く、
その水面下では、大きな動きが起ころうとしていた。
この日、東京都三鷹市の元自由共和党選対委員長、羽場 俊三の顧問弁護士、
向井 賢治の第二事務所にて、2人のヤメ検弁護士が用談を交わしていた。

q9


そして事務席に座する向井 賢治を前に、
三代目侠仁会理事長、梅地 芳雅の顧問弁護士、成谷 悦治が提案した。
   まず、梅地さんの意向としましては、亡くなられた名村さんの未返済額分、
  430億2000万の貸借権を破棄する条件として、
  江角(一家)さんを、梅地さんが預かると云う事です。
  名村さんが亡くなり、江角さん資金の流れが止まっているそうですが、
    そこから生じる損失額を埋める為にも、
  一時的では有れ、白川に預かって貰うのが賢明な筈です。
  430億、明日にでも全額決済出来ますか?出来ないでしょう?
  なら、そう云う事です。
憤懣を滾らせた江角一家十三代目総長代行、澤尻 江之助の顧問弁護士、
貝塚 恭司は僅かな間を置くと、堰を切った様に成谷を問い質した。
    、、その負債額の内、220億ですが、
  これは江角が手掛けていた品川の再開発事業に
  梅地さんが横槍を入れたからでしょう?
  既に四割の整理が付いた所にです。
  手掛けていた区画整理で、当初程の見込み益が望めない事を
  梅地さんが見越し、国土管理省の諸柿先生に相談を持ち掛け、
  代換えの区画整理を用意させた事も掴んでいます。
  それを代行の澤尻さんに何の相談も事なく、
  串ノ屋さんの甲村さんに引き継がせた事もです。
  所で成谷さん、江角が振り出した日本都市開発機構への(贈賄50億の)約束手形、
    池田地所への(仲介代50億の)手形ですが、それを串ノ屋さんの河野さんが
  130億で落としていた(決済した)事は御存知ですか?
  お言葉ですが、河野さんではとても用意出来る金額では有りません。
  元々、品川の再開発事業の話を、
  代行の澤尻さんに持ち掛けたのは梅地さんなんですがね、、
  江角だけで600億余りの(整理)事業でしたから、代行の澤尻さんも話を聞いたのです。
  上が下を食うと云うのは、あの世界の常ですが、これでは余りにも横暴でしょう?
    名村さんも生前、んでも払わん、って言っておられましたよ。
成谷はやや重い口調で、貝塚の問いの流れに話を乗せた。
    ですが名村さん、遺言書は残しておりませんね?
  どちらにせよ、これは梅地さんの厳命なのですから、
  澤尻さんも応じる他無いのです。
  要は強い物が生き残って、弱い者が食われるのは、
  政治もあの世界も同じと云う事です。
貝塚は苦々しい面持ちで、微妙に顔を俯かせつつ、一瞬の沈黙を保った。
そして成谷の眼光を直視すると、貝塚も重々しい口調で確認した。
   、、事情は分かりますが、これは澤尻さんも存じての事ですか?
   江角にも色々な考えの方の人がおりますから。
すると成谷は、何処か妖気すら漂わせる面持ちで、嘲笑うかの様に答えた。
 いえね、澤尻さんにしても、(理事長の)都島さんにしても、
   何か断れぬ事情が有るとか。
 あの社会の座布団も、梅地さんの方が遥かに格上ですし、
   次代の侠仁会を担うとも云われる、お方なのです。
   貝塚さん、あなたが想い悩まなくとも、澤尻さんらは応じる他無いのですよ?
その後も両者は、幾つかの要点を確認し合っていた。
そして夕刻の斜陽が、夜の暗闇に堕ちた頃、2人は人目を忍ぶ様に、
会社帰りのサラリーマンを装いつつ、夜の闇に溶け込んで行った。
そして元自由共和党選対委員長、羽場 俊三の顧問弁護士、向井 賢治は、
その様相を見届けると、和風装飾が施された固定電話から何処かへと連絡を入れた。




10月29日午後7時
この日、新宿区早稲田の三代目俠仁会,白川一家十二代目預かり、
江角一家十三代目本部にて臨時執行部会が催される。
議題は江角一門の今後を決す、重大な事柄だった。
応接間には、漆塗りが施された議事台を
番席から見詰め続ける総長代行、澤尻 江之助の姿が有った。
同時に筆頭席に座する理事長、都島 光章の向かいには、
白川一家十二代目理事長、三枝 朋良が、
澤尻と都島の腹を見定めるかの如く、鋭い眼光で鎮座していた。
そして執行部一統を前に江角一家十三代目総長代行、
澤尻 江之助が、憔悴し切った面持ちで告げた。
  皆も知っていると思うが、
   江角は、白川(の傘下)に入る。
  各自、想う所多々有るだろうが、
  江角存続の為、ここは耐え忍んで欲しい。
その瞬間、幹事長補佐、砺波 宍道が列席から立ち上がった。
続け様に運営委員長、修善 正義、
常任顧問、唐津 幸秀も勢い良く立ち上がる。
幹事長補佐、砺波 宍道は執行部一統を前に、
挑戦的な眼光で口火を切った。
  では私、砺波以下三名は、本日を以って、
  江角と袂を分かさせて頂きます。
  もう、私らも、事の顛末を或る程度は読んでるんですよ。
  この侠道を冒涜する薄汚い絵図を受け入れ、
  白川に下ると云う事は、無念なを遂げられた
  名村の親父への恩を仇で返すも同然、
  少なくとも我々は、そこまでは落魄れとらんので。
総長代行、澤尻 江之助は唯、諦め混じりの眼差しで、
砺波らを見詰めるだけだった。
連なる修善 正義の姿に一瞬、震え上がった執行部役付もいたが、
大方の執行部役付は、その心中で欺瞞に満ちた笑みを浮かべていた。
  厄介者が勝手に去るか、、
  時代遅れの仁侠崩れより、問題は名村が残した、
  デカいコネを誰が引き継ぐかだ。
  跡目はともかく、白川の役(付)次第では、、
淀んだ空気が立ち込め始めた応接間に、
総長代行、澤尻 江之助の掠れた声が弱々しく木霊した。
   分かった、、
  だが、代紋を割る事は堪えてくれ、、
   いいな、これ以上、ワシを困らせるな。
通常、執行部役付が一門を割って出る事は破門、絶縁に値する御法度だが、
理事長、都島 光章を筆頭とする執行部一統からも、何ら異論は出なかった。
三代目俠仁会屈指の経済派で通す江角一門の中で、
殺傷事の絶えぬ、砺波 宍道率いる鳳旭会二代目や、
唐津 光喜率いる唐津初代は、仕事の邪魔者として、
多くの執行部役付から忌み嫌われていた。
政財界や警察機関の後盾は有れど、桜田門にも派閥争いが絶えず、
警察対策の為にも両者の一家割りは、
多くの執行部役付に取っても好都合だったのだ。
江角一門有数の始末屋とも囁かれた神田興行会二代目、修善 正義に到っては、
多くの執行部役付から、生ける死刑囚と忌嫌されていた。
だが、そんな執行部役付にも自らの手を汚さず、
仕事絡みの口止めを1億、2億の金で修善 正義らに任せた者も少なく無かった。
そんな経緯も有り、秘密を握る修善 正義の脱退に、
一瞬、恐れ慄いた執行部役付もいたが、
やはり応接間を包み込む、数の意気には抗えなかった。
そしてこの臨時執行部会の場で、白川一家十二代目が突き付けた、
盃直しを受け入れる決定が下される。
同時にその流れから、江角一門の跡目継承に関する議題も浮上した。
そして三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅の推挙も有り、
跡目を理事長、都島 光章が継承する方向で、
執行部本役らの条件調整が図られた。
そして約2時間の審議を費やした結果、
江角一家十四代目を理事長、都島 光章が継承する事が内定する。
一方で翌30日、この状況を受け、淀橋一家九代目、新條 清忠の意を受けた
守田睦二代目、金森 龍嘉と淀橋睦会二代目代行、稲葉 滋が、
密かに修善 正義の邸宅を訪れた。




11月2日
当日付けで、砺波 宍道率いる鳳旭会二代目と、
唐津 光喜率いる唐津初代、そして修善 正義率いる
神田興行会二代目の三社が淀橋一家九代目に移籍した。
砺波、唐津、修善の三者は、既に淀橋一家九代目本部の大広間にて、
未明に淀橋一家九代目、新條 清忠から子の盃を受けていた。
この盃事は、三代目俠仁会理事長、梅地 芳雅には
無断で行われた、正に電光石火の盃事だった。
これに依り、淀橋一家九代目は傘下約1500人を抱える、
三代目俠仁会最大傘下一門の座を確固たる物とする。
新條 清忠は、梅地に何の相談も無く行われた、
この盃事に絶大なる確信を持っていた。
例え梅地が新條を除籍処分に処しても、
新條 清忠、延いては淀橋一家九代目と意を同する、
多くの武闘派一門も、共に三代目俠仁会を割って出る事を見越していたのだ。
この頃、新條 清忠は東金に関する決定的な物証を得ていた。
その好機を逃さぬ新條 清忠の先手必勝の策だった。
そして当日夕方、新宿区四谷の淀橋一家九代目本部に、
理事長、梅地 芳雅から連絡が入る。
そして三代目俠仁会々長、石田 六郎の承認に依り、
梅地 芳雅も、この盃事を承認する旨を新條 清忠に伝えた。
既に率いる白川一家十二代目も、江角一門を吸収した事で、
傘下約1200人を抱えるに到っていた。
その背景から淀橋一門同様に、政財界や警察機関を後盾とする、
梅地 芳雅には、淀橋一門の盃事に然程の脅威は見出さなかった。
この頃の梅地は、自身の立場に傲り高ぶる余り、
後盾の派閥趨勢を見定める術を怠っていた。
そしてこの盃事を境に、三代目俠仁会の主流梅地派と、
淀橋派の対立軸が鮮明に浮かび上がる。
同時にこの転機を好機と見定めた、
淀橋一家九代目組織対策委員長、武守 一力が中心と成る形で、
ついに的取りに絞った江角一家先代、名村 満、
拝島一家初代、城崎 玄の返しが算段される。
三代目俠仁会屈指の金庫番たる江角一家十三代目には、
警視庁公安部一、二課や外事二課など、警察機関との互助関係を維持する為、
表立った抗争は避ける体質が有った。

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そしてそんな江角一家十三代目に代わり、淀橋一家九代目が返しを取る事で、
江角一家十三代目に多大なる貸しを作る事も狙いの一つだった。
同時に其処には、江角一家十三代目と梅地 芳雅率いる、
白川一家十二代目を分断する狙いも少なからず潜み、
仕事面では、江角一家十三代目の共栄コンサルティングを介した、
大手ゼネコンや、その下請けの守りに食い込む算段を立てる者も少なく無かった。
だが、淀橋一家九代目を突き動かす衝動は、有る重大な憶測に源を成したのだ。
新條が物証を得たのと呼応する様に、
この頃、俠仁会内部で真偽不明の怪文書が流れていた。
拝島一家初代、城崎 玄の射殺は誤射殺で有り、
真のは淀橋一家先代、田川 昌生で有ったと云う物だった。





淀橋一門に連なった鳳旭会二代目率いる砺波 宍道と、
唐津初代率いる唐津 光喜が、淀橋一家九代目本部を後にすると、
神田興行会二代目、修善 正義の1人が、新條から残る様にと指示された。
新條は総長室から総長付らを人払いしつつ、
修善と向かい合う形で、総長室の応接ソファーに鎮座した。
そして新條はスーツの胸ポケットから、
無駄の無い手捌きで皮製の名刺入れを取り出した。
クロコダイル皮革の名刺入れ左襞には、白紙の名刺用紙が数枚入っていた。
そして新條は白紙の名刺用紙をテーブル上に置くと、
滑らかな手並みで名刺用紙に万年筆を落としていた。
新條は名刺用紙を上下逆に直すと、修善の前へテーブル上を滑らせた。
  (東金で襲撃した)弥次郎の笠井を口止めしたのは、
    あなたに間違い有りませんね?
    指示したのは(江角、)澤尻代行ですか?
    都島理事長ですか?
  答えられる範囲内で結構ですよ。
修善が名刺用紙に目を通す間に、新條は名刺用紙三枚を修善側に滑らせた。
そして修善も名刺用紙に何かを書き殴ると、新條側へ滑らせる。
    私に間違い有りません。
    指示したのは澤尻代行、都島理事長の両名です。
  ただ、澤尻代行は都島に動かされていた雰囲気が有りました。
  都島も都島で、妙に落ち着きが有りませんでしたから、
  誰かから持ち込まれた、頼まれただったのではないでしょうか?
  串ノ屋の河野が、江角を逃げられん様にしてやったと、
  吹いていた云う話も有りますが、
  まだ確かな事は良く解からないのです。
新條はその彫り深い顔相に僅かな暗闇を携え、
修善に名刺用紙を滑らせた。
  東金の件ですが、田川先代もにされていた事はご存知ですね?
  あの怪文書、田川先代から相談を受け、私が流した物なのです。
  田川先代の腹は、私にも解かり兼ねますがね。
修善は名刺用紙を一見した瞬間、腹を読ませぬ無表情な顔相に一変した。
そして注意深くボールペンを落とすと、名刺用紙を新條側へ滑らせた。
  存じ上げ難いのですが、私も(怪文書以前から)田川先代だったと睨んでいます。
    串ノ屋の甲村先代だったと云う話も流れてますが、
  少なくとも江角にいた者なら、そう睨むはずです。
新條は名刺用紙に目を通すと、一瞬、修善の眼差しに鋭利な眼光を向け、
その天賦の感気で修善の腹を探った。
そして再び僅かな笑みを携えた眼光に戻ると、万年筆を落とし、修善側に滑らせた。
  最後に一つだけ訊きたい事が有ります。
  名村対策長と城崎事務局長の会葬の際、
    桜田門に情報を流したのは、都島理事長ですね?
修善は読み終えると、素早い手捌きで名刺用紙に書き殴り、
新條側に名刺用紙を滑らせた。
    私が都島理事長の指示で流しました。
  名村の親父は(警視庁)公安部連中にデカいコネが有りましたからね。
  都島も名村の親父とは色々有りましたが、
  結局は良心の呵責が、って所じゃないでしょうか?
    あの人は少し優柔不断な所が有りましたからね。
名刺用紙に目を通した新條は、鋭い笑みを認めつつ頷いた。
そして夕刻の斜陽が差し込む網ガラスを見詰めながら、
遠くを見通す様な眼差しで修善に口開いた。
    一体、今の俠仁に何が起こってるんでしょうね、、
  諸先輩方も、戦後、私らの世界と政治が繋がってから、
  な事ばかり起こると言っておられました。
そして修善もその心中で同感しつつ、新條が見詰める、
夕刻の斜陽を無言で見詰め続けていた。




11月9日
そんな矢先、三代目俠仁会にも大きな転機が訪れる。
この日、召集が掛かった臨時執行部会の場にて、
三代目俠仁会々長、石田 六郎が、
跡目を理事長、梅地 芳雅に譲る旨を執行部一統に告げた。
石田 六郎の突如たる跡目指名に、大広間には一瞬、騒めきが起こった。
だが、この指名を前にして、一番最初に口を開いたのが
三代目俠仁会副本部長、新條 清忠だった。
そして新條 清忠は、確信に満ちた眼光を携え、一言だけ告げた。
   理事長、おめでとうございます。
この意外とも読める新條の祝言に、淀橋派の執行部役付らは、
腹に秘める憶測も手伝い、瞬時に新條の祝言の眞意を悟った。
そして淀橋一家九代目では、新條の先輩格に当たる、
三代目俠仁会常任顧問、戸塚 三津永も、
応接間の執行部一統に向けて口開いた。
   私も現状の俠仁を鑑みれば、理事長が適任かと思います。
  何よりも親分が指名したのですから、
   従うのが私ら、子の勤めでしょう?
淀橋派の反応を見定めた会長、石田 六郎は、
達観とも読める、薄い笑みをその面持ちに認ためていた。
同時に淀橋・梅地派から微妙な距離を置く、
三代目俠仁会会長室長、多野 郁野洲も執行部一統に向けて促す。
   私も概ねでは戸塚顧問の意見に賛同です。
  ですが、腹に含んどる物が有るなら、割るのは今の内では?
だが、大広間は無言の沈黙に包まれるだけだった。
同時に此処に到るまでに理事長、梅地の姓を口にした者は1人も居なかった。
そしてこの事柄も見定め、執行部一統の意に
確信を得た会長、石田 六郎が豪胆な口調で告げた。
  ワシもこの渡世に生きて、じきに60年に成るが、
  こんな纏まりのいい寄合は初めてだ。
  これでワシの渡世は終わった、、
  後はお前ら、時代を担う風雲児が、
   俠仁の歴史を作る、侠漢だと云う事を自覚せんと行かん。
  式典の日取りも小松の助言を仰いで、
  みんなが納得する形で決めて欲しい。
  理事長、ここからが渡世の正念場だぞ。
  頑張れよ。
会長、石田 六郎も理事長、梅地を姓で呼ぶ事は無かった。
同時にこの梅地 芳雅に対する励言にも、有る暗黙の意が込められていた。
そして石田 六郎は会長付と共に会長室へ戻ると、
即座に五代目嶺北会々長、太田 政志に連絡を入れた。
そして石田から弥次郎十六代目、三崎 誠造の処分に対する激が飛んだ。
これ以上、処分を伸ばすなら、石田の分名で太田に義絶状を突き付けると云う、
認否を与えぬ強烈な激で有った。
そして半ば石田 六郎の気迫に圧倒される形で、太田は石田の要件を承諾した。
これを受け、当日付けで太田 政志は弥次郎十六代目、三崎 誠造に、
絶縁・関東所払いの処分を下す。
太田から絶縁の報を受けた三崎 誠造は、覚悟漲る形相で太田に告げた。
  、、承知しました。
   ですがね、弥次郎はが割れるまで、(一本)独鈷で通しますから、
   太田さん、お互い代紋頭として仲良くしましょうや、、
その意気を悟った太田は、宥める様な口調で、三崎に告げた。
   三崎、お前の気持ちは解かっている。
   この件で嶺北は動かさん。
   信じろ、とは言わんが一応、そう云う事だ。
三崎は太田からの返答に僅かな沈黙を保つと、無言で電話を切った。
そして即座に弥次郎十六代目全傘下に待機命令を通達する。
一方で俠仁会四代目継承式典は、淀橋一門の動きを見据える、
会長、石田 六郎の提唱に依り、僅か五日後の11月14日に催された。
式典場は三代目俠仁会の内部対立を睨む、警察機関を交わす為、
群馬県の秘湯、川場温泉の灯郷旅館にて挙行される。
関係各位に義理回状も回らぬ、前例の無い突如の四代目継承式典だった。
だが、突如とは云え、七代目笹川組若頭、兼崎 増代を筆頭とする、
笹川組執行部本役や、太田 政志を筆頭とする嶺北会執行部本役の数人は来賓した。
だが、親戚筋や一本独鈷の代紋からは、執行部役付の欠席者が相次ぐ。
其処には五代目嶺北会々長、太田 政志と同様に、
俠仁会四代目新会長、梅地 芳雅の企業家肌を、何処か安く見る気風も孕んでいた。
そしてこの四代目継承式典の場で、浦和新崎一家六代目、堀口 公信を若者代表とし、
新会長、梅地 芳雅との盃直しも行われる。
そして11月20日には、梅地の侠仁会四代目就任に依り、
空席と成っていた白川一家十三代目を本部長、梅地 匡道が継承した。
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